第十話 内政派ハウンドープ侯爵夫人
用意されたシルクのドレスたちに息を呑み、チトセは尻込みする。
しかし、使用人たちは慣れたもので、迷いのない手つきでチトセの服を脱がし、ドレスをあてがい、サイズが合うものを探し始める。
アシエラは使用人の手伝いを断って自分で華美にならない程度のドレスを一着選んで着替え始めた。本人の美貌の前ではどんなドレスも意味をなさないと割り切ったその姿勢に使用人が拝むように手を合わせる。
「この仕事してて良かった」
「眼福すぎる……!」
もう疲れたな、と天井を仰ぐチトセにアシエラが声をかけた。
「基本的には何もしゃべらなくていいよ。私が受け答えをするから」
「お願いだよ? 本当にお願いするからね? 貴族相手の礼儀作法なんか知らないもん」
裏町育ちのチトセに貴族との会話などまともにこなせるはずがない。亡き養父デポッサやアシエラからある程度の作法は教わったが、平民レベルのものだ。教養が物を言う貴族社会で通じるレベルではない。
それに、くだんのハウンドープ侯爵夫人の立ち位置も厄介らしい。
「ハウンドープ侯爵家は内政派貴族の重鎮で外交官を多く輩出している家柄なんだ。夫人の方もやり手だから、下手に口を開くとぺろりと食べられちゃうよ」
「というか、侯爵夫人はそれが目的で同席させようとしてるんでしょ?」
「だろうね。コーンルズ子爵家が家財を売り払って帝都を出ようとしていることを察知して、牽制に来たんでしょう」
完全に巻き込まれただけじゃん、とチトセはため息をつく。
とはいえ、チトセはあまり心配していなかった。アシエラが何とかしてくれるだろうから。
薄い青のドレスを着せられて、チトセは動きにくさに辟易しながらアシエラと共に応接室に向かった。
すでにコーンルズ子爵夫人がハウンドープ侯爵夫人をもてなし、少なくとも表面上は和やかな雰囲気が漂っている。
アシエラが応接室に入るなりハウンドープ侯爵夫人が嬉しそうに立ち上がった。
「あなたがアシエラさんね。お噂はかねがね。お会いしたかったわ」
ハウンドープ侯爵夫人は優雅なマダムだった。しっかりと感情を表に出す振る舞いをしているのに動きの一つ一つが優雅で余裕を感じさせる。
年齢は四十代の後半と聞いていたが、かなり若々しく見える。健康的でハリのある肌やバランスのいい体型もあるのだろうが、一番は声だろう。落ち着いて話しているはずなのに明るくよく通るその声は内政派貴族の女性陣を取りまとめる重鎮らしいともいえる。
侯爵夫人はアシエラの後ろにいるチトセにも目を向ける。
「こんにちは。あなたが宿り木の庭で働き始めたという噂の店員さんかしら?」
「チトセと言います」
最低限の受け答えに留め、チトセは侯爵夫人が質問を続けようと口を開きかけた瞬間に頭を下げる。機先を制されて侯爵夫人が口を閉ざし、チトセの頭が上がるのを待つ隙にアシエラが口を挟んだ。
「呼ばれはしたけれど、同席しても構わないのかな? 少し喉が渇いてね。紅茶を頂けると嬉しいのだけど」
「もちろんですよ。無理を言ってお呼びしたのはこちらなんですから。仕事中にごめんなさいね?」
まったくだよと思いながらも、チトセはアシエラと並んでテーブルに着いた。
侯爵夫人の狙いは分かっている。アンティークショップの店長と店員が一緒にやってきているのだから、子爵家は家具の類を処分しようとしている。では、なぜこのタイミングで処分しようとしているのか、と詰めるつもりだ。
子爵夫人の見立てではハウンドープ侯爵は仲介役としての子爵家を取り込みたい様子なので、帝都に残ると言質を取りたいはず。
つまり、チトセもアシエラも仕事で訪れたことは伏せるべき、という方針でまとまっていた。
こんなことを考えて紅茶を飲むのは本来の仕事じゃないのに、とチトセは侯爵夫人の視線を感じた瞬間にティーカップを口に運ぶ。
会話を拒否し続けるチトセに侯爵夫人は面白いものを見るように目を細めていた。
チトセを攻略するのは難しいことも分かったのか。侯爵夫人はアシエラへ話しかける。
「そういえば、探しているアンティークがありまして、相談させていただいてもよろしいかしら?」
「お茶会に仕事の話を持ち込むのは気が引けるね」
アシエラがにこやかに一歩を引いたところ、侯爵夫人は困ったような顔をする。恐ろしく自然な演技で、チトセの肩でエティがアシエラに咎めるような視線を向けた。
ティ・キーがエティの隣に移動して小声で説明する。
「貴族という生き物は表情で嘘をつくものだ」
「素直じゃないんだな」
「否。素直なのだ。貴族とは、嘘をつくことを前提に会話をし、表情を形作る。その前提に素直に従っているのだ」
「よくわからないな。でも、可愛くないことだけはわかった!」
素直で可愛いことはあっても素直が可愛いわけではない。
アシエラと侯爵夫人の攻防が続く。目上である侯爵夫人に迂闊に声を掛けられないのか、子爵夫人は冷や汗を流していた。
チトセは知っている。この手の場面において会話に加わりたくても加われない立場は明確な隙になる。
チトセは裏町時代、バジガンの椅子を直して届けたらファミリーの会合に出くわしてしまったことがある。ちょうど、この空気感だった。
侯爵夫人が優雅に、ゆっくりと、しかし人目を引く速度で顔を子爵夫人に向けた。
「コーンルズ子爵家にも当然あるでしょう? 金瞳の龍の器が」
子爵夫人がわずかに息を呑んだ。
何のことかチトセには分からない。金瞳の龍の器と呼ばれるようなアンティークの知識もない。
しかし、不用意にアシエラに視線を向けて問うのも不利になる予感がした。
エティと小声で話していたティ・キーが即座に会話を打ち切ってチトセを見る。
「お嬢よ、手早く説明するぞ。金瞳の龍の器とは、帝国貴族が皇帝一家に食事を振舞う際に必ず使う食器の名称だ。紛失すれば帝室への不敬に当たり、売ろうものなら反逆者とみなされる」
ティ・キーの説明を理解した瞬間、チトセはゾッとした。
侯爵夫人は子爵家に金瞳の龍の器があるかと、質問した。問うのは疑うということ。
子爵家に帝国への忠誠があるかを問うている。
だが、本質は子爵家の忠誠ではない。
侯爵夫人は事前にアシエラにアンティークを探していると言った。
つまり、百年以上前から帝国に仕えている貴族家から金瞳の龍の器が流失し、それを探しているとも取れる。コーンルズ子爵家が成立したのは七十年前であり、アンティークは百年以上前の者を指すため該当しない。
よって、侯爵夫人は子爵夫人にこう質問したのだ。
『いつでも皇帝家を招いた食事会が開ける状態を維持しているのか?』
皇太子亡き今、病床の現皇帝を除いて食事会に参加できるのは皇太子妃くらいのもの。帝都を離れられる情勢ではないため、食事会は帝都で開く以外にない。
質問に見せかけて、侯爵夫人は子爵夫人に帝都を出るなら帝室への反逆の意図があると疑う、そう脅している。
チトセの顔色が変わったのに気付いた侯爵夫人が顔を向ける寸前、チトセは先手を打った。
「金瞳の龍の器? 貴族様主催のイベントでも見たことないね。何件かイベントが中止になったけど、開かれていたら見る機会もあったのかな?」
かなり際どい発言なのはチトセも自覚していた。
中止になったイベントとは、内政派のまとめ役だった皇太子主導の政策から補助金目当てに開かれた内政派貴族のイベントだ。そこに金瞳の龍の器があれば、主催の内政派貴族が疑われる。
イベントが中止にならなかったら、内政派貴族から離反者が出ていた可能性を指摘している。紛れもなく、内政派貴族に対して不敬な発言だ。
――内政派って皇太子が死ぬ前から金で繋がっているだけの集団でしょう?
こう言っているのと変わらない。
だが、他ならぬ侯爵夫人が金瞳の龍の器を探しているかのような発言をしている。その発言を受けて、なにも知らない平民のチトセが見てみたいと好奇心を表に出すのを咎めるのは難しい。
不敬のギリギリで踊るような発言に、侯爵夫人がほんの一瞬、不意を突かれたように言葉を選んだ。
「ふふっ……」
侯爵夫人が言葉を選んだ自分に気付いたか、いままでの内政派のまとめ役とは違う素の声を零した。
「……もう! 本当に、面白い子ね!」
取り繕ってはいられなくなったように侯爵夫人は素のままチトセに向き直った。
「楽しいお茶会にしましょう。チトセちゃんに嫌われたくないわ。後が怖いもの」
そう言うと、侯爵夫人は子爵夫人とアシエラに軽く頭を下げた。言葉で謝罪すると角が立つような遠回しな詰め方をしていたこともあり、正式な謝罪はできなかったのだろう。
その後は侯爵夫人の言葉通り楽しいお茶会へと流れが変わった。
現在の貴族社会の流行、最近注目されている商会。旧サウベリア王国領などの文化を取り入れた芸術や技術の話。
支配層だけに得られる情報の幅も広く、視点も平民とは異なっている。チトセは警戒を解かず聞くだけに留めていたが、それでも興味を引かれる語り口だった。
「――楽しかったわ。コーンルズ子爵夫人、アシエラさん、チトセちゃんも。また皆さんでお話しましょうね」
ハウンドープ侯爵夫人はそう別れ際に告げて、馬車に乗って去っていく。
見送りに出たチトセたちは馬車が視界から消えた直後にため息をついた。
「去り際にちゃんと牽制はしていくんだね……」
コーンルズ子爵夫人が帝都を出たなら、四人みんなでお茶会はできない。
店を構えていて帝都を出られないアシエラとチトセを人質に、コーンルズ子爵夫人を帝都に繋ぐ釘の差し方にチトセは苦笑する。
困ったことに、ハウンドープ侯爵夫人を嫌いにはなれなかった。
百戦錬磨の侯爵夫人がチトセの際どい発言を逆手に取れなかったわけがない。あれはただ見逃されたのだ。
アシエラがチトセに笑いかけた。
「チトセちゃん、個人的に気に入られたね」
「やっぱりそうなの?」
楽しいお茶会の最中も侯爵夫人は笑顔でチトセの発言を引き出し、隙のある発言のフォローをアシエラや子爵夫人に自然と振っていた。
教育にちょうどいいとアシエラが協力していたのを、チトセも勘づいている。
あの楽しいお茶会は『チトセを教育する』という方向性でまとまっていた。
アシエラ、子爵夫人、侯爵夫人。三人から貴族のお茶会での振る舞いの実地研修を受けた形だった。
チトセからすれば、和解の出汁にされたようなもの。
宿り木の庭の一店員でありアシエラの弟子でもないチトセが本来は身に着ける必要がない教育をされたともいえる。
チトセはアシエラの手首を両手でがっちり掴む。
「ケーキが食べたい。リンゴがたくさん入ってるやつ!」
アシエラが笑いながらチトセの頭を撫でた。
「ホールで買って帰ろうね」




