第九話 コーンルズ子爵邸
コーンルズ子爵夫人の屋敷への訪問日はしとしとと小雨が降っていた。
傘を差すか迷うほどはっきりしない雨だったが、貴族の屋敷に行くのに濡れ鼠は失礼どころの話ではないからと、チトセは傘を差す。
「コーンルズ子爵家は比較的新しい家でね。七十年ほど前に帝国西部で内乱が起きた時、先々代が武功を立てて男爵位を得て、その初代が先帝最後の戦で現皇帝の部隊の殿を務め切った功で子爵にまで昇ったんだよ」
「一代で子爵にまでなったの? すごい武闘派だね」
帝国の歴史は教わったが、各貴族家の歴史はほとんど初耳だ。聞いたことがあるのは宰相を輩出するような重鎮の家ばかりで、子爵家は歴史でもほとんど登場していない。
これから訪問する家だけに、失礼がないようにとチトセはアシエラの話にしっかりと耳を傾ける。
コーンルズ子爵家はその成り立ち通りの武闘派で成り上がり。それだけに歴代の夫人は社交界で大変な苦労をしたらしい。成り上がりと見下され、武闘派だけに流行などにも疎くお茶会でもセンスが古いと馬鹿にされるばかりだった。
状況が変わったのは現在のコーンルズ子爵夫人が宿り木の庭を訪れ、アシエラに相談したのがきっかけ。
アシエラが帝国西部のアンティーク調で家具類を揃え、作法などを教え込んだことでコーンルズ子爵夫人はどうにか馬鹿にされないレベルのお茶会を開けるようになった。
成り立ちから征伐派に属するコーンルズ子爵家だが現当主は帝国軍の事務方を務めていることもあり、内政派との距離も近い。必然、お茶会に出席することも多かったが、現在は一定の地位を築いているようだ。
「……そんな征伐派の貴族が帝都を出るの? 家財を売り払って?」
「私が予想以上に荒れているって言った理由がわかったでしょう?」
チトセはアシエラの言葉に頷く。
征伐派の中でも内政派との調整役を務めているコーンルズ子爵家が帝都を出るとなれば、両派閥の交流が滞る。調整役のコーンルズ子爵家を邪魔に思う貴族でもいたのだろうか。
コーンルズ子爵家の屋敷は帝都の中でも治安が良い中央にあった。
巡回する衛兵の数が他に比べて明らかに多い。道を歩いているのも貴族の家の使用人ばかりで身なりが良かった。
それほど広くはないが手入れが行き届いた庭に大きな犬が二頭、放し飼いになっている。チトセとアシエラに気付いて警戒しながら立ち上がったが、門番が二人を通したのを見てその場に座る。訓練が行き届いた番犬だ。
犬と言えば野良犬しか見たことがないチトセは初めて見る躾けられた飼い犬にちょっと感動した。
「偉いね」
好意を向けられたのが分かるのか、番犬たちは尻尾を軽く振る。
屋敷の玄関には執事が立っていた。チトセの頭上を飛んでいるシャンジが執事を指さしてチトセとアシエラに報告する。
「タッセル入りの木製ケースを運んできた凄腕執事だぜ」
荒事とは無縁そうな穏やかな微笑を浮かべる執事は精霊が視えないのか、シャンジの言葉に反応しない。本当に凄腕なら聞こえていても反応しないのだろう。
「お待ちしておりました。奥様は中でお待ちです。どうぞ、こちらへ」
音もなく玄関扉を開けて、執事はチトセたちを招き入れる。足音はおろか衣擦れの音さえしなかった。
征伐派の貴族の屋敷だけあって、武具や狩猟の成果らしき大型動物のはく製が廊下に飾られている。
応接室に通されて、チトセは部屋をざっと見まわす。壁際に使用人が二人控えており、ソファにコーンルズ子爵夫人が座っていた。
「わざわざ足を運んでいただいてすみません。どうぞ、座ってください」
促されるまま対面のソファに座ると、壁際に控えていた使用人が紅茶を淹れてくれた。
ヴィンテージのティーセットは薄紅色のバラが描かれたモノで、やや主張が強いが可愛らしいデザインだった。貴族の家とはいえ堅苦しく感じないようにという気遣いだろうか。
紅茶もうっすらとバラの香りがして渋みが少なく飲みやすい。チトセの肩の上でティ・キーが感嘆の唸り声を上げた。
「お嬢よ、次なる目標をとくと味わうがよい」
プロが淹れた紅茶を目指せと言われ、チトセは渋い顔をした。
チトセの表情を見た使用人たちに緊張が走る。それに気付いたチトセは慌てて訂正した。
「すみません。紅茶好きの孵化精霊を連れていて、家でこれに匹敵するものを淹れろというので……」
「あ、そうでしたか」
早とちりに気付いた使用人たちが頭を下げ、恐縮したチトセも頭を下げ、ティ・キーは紅茶の水面を覗き込もうと頭を下げる。
コーンルズ子爵夫人が口に片手を当てて隠した。
「あらあら、我が家の紅茶は美味しいでしょう? 我が家の所領から取り寄せているの」
「はい、飲みやすくて香りも主張しすぎない上品さで美味しいです」
コーンルズ子爵夫人が出してくれた助け船にすぐさま乗って事なきを得たチトセは内心でホッとする。
場が落ち着いたとみて、アシエラが本題を切り出した。
「それで、買い取ってほしいアンティークはどういったものかな?」
「そうですね。少しゆっくりしていただいてからと思いましたが、数も多いのでご案内します」
家具類など場所を取るものが多いため別室に集めてあるらしい。
「すぐ隣の部屋です」
コーンルズ子爵夫人が立ち上がり、チトセたちも後に続く。いつの間にか執事が応接室から姿を消していた。本当に暗殺者みたいだ。
隣の部屋と言いながら廊下を曲がって行きつく。部屋の一つ一つが大きい上に、応接室に通す客に物置を見せないようにするための間取りだろう。
開けられた扉の向こうには整然と並べられたアンティーク、ヴィンテージの家具や食器が並んでいた。一部オブジェや楽器も見える。
コーンルズ子爵家を興した初代がとにかく箔をつけようと買い漁った家具も多く、有名工房の製作に見せかけた模造品もちらほらと混ざっていた。
チトセが一目で気付くような模造品なので市場価値もたかが知れている。しかし、宿り木の庭では別の値付けの仕方がある。
模造品の一つに迷いなく近づくアシエラに、使用人が不思議そうな顔をする。模造品だと知っているのだろう。
「これは金貨二枚で買い取るよ。精霊が宿っているからね」
商品としての価値ではなく、精霊の保護を目的とした値付け。
コーンルズ子爵夫人だけでなく、使用人も嬉しそうな顔をする。模造品だろうと大事に扱ってきたことが証明されたからだ。
家具についている宿り精霊たちはアシエラやチトセの周囲を飛び回っている。
「ミエテル!」
「ダレダ!?」
「ネムイ……」
一部、マイペースな宿り精霊もいるようだ。
チトセが見渡す限り、孵化精霊はいない。家具から離れて行動している可能性もある。
「シャンジ、孵化精霊が屋敷内にいないか探してきてくれない?」
「いいぜ」
軽く請け負って、シャンジが飛び立ち、倉庫を出ていく。入れ違いに、応接室に案内してくれた執事が足早に入ってきた。
「来客中、失礼いたします。奥様、ハウンドープ侯爵夫人がいらっしゃいました。予定にはありませんが、お通ししますか?」
ハウンドープ侯爵夫人と聞いて、コーンルズ子爵夫人は顔色を変える。すこし血の気が引いた真剣な顔で素早く考えをまとめたコーンルズ子爵夫人はアシエラに声をかけた。
「申し訳ありません。ここをお任せしてもよろしいでしょうか?」
「構わないよ。行っておいで」
アシエラが答えた矢先、執事が言いづらそうにわずかに視線を泳がせた。
「アシエラ様、それにチトセ様。お二人にもお会いしたいとハウンドープ侯爵夫人は仰せです」
「……見られてた、かな?」
「恐らくは。お二人のお名前をハウンドープ侯爵夫人が言い出したわけではございませんが、来客がいるのならご一緒にお茶でもいかが、と」
執事の言葉にコーンルズ子爵夫人は頬に片手を当ててため息をつく。
「断るのは難しいですね。ただ、お時間をいただきましょう。名目は、そうね……。アシエラさんはハウンドープ侯爵夫人と面識はありますか?」
「ないね」
「では、お色直しということにしましょう。高位貴族の前に出ますからドレスをご用意します」
チトセの肩でエティが立ち上がった。
「チトセがドレス着るのか! やったな! 見たい!」
「えぇ……」
小さく呟きながらも、チトセは不満を飲み込んだ。




