兎騎士は語る2
「─────ア、アル!!!!」
「…やあ。…ジャック」
バタン!と医務室の扉を開けると、そこにいたのは腹の辺りに包帯を巻いたアルだ。
手投げ弾を投げた後、飛距離が足りないと気づいたアルはすぐさま頭を抱えてその場に伏せようとしたが────一歩間に合わず、申し訳程度に破裂音と煙が出るだけのはずだった弾の外隔が、熱を持って大きく裂け、飛び散った破片が彼の防具の脇から侵入し、服を貫通してその地肌を焼いた。
ジャックはすぐに教官たちを呼び、試験は一時中断されアルは救護員に付き添われながら医務室へと向かって行った。…………その時から今もずっと、アルはぎこちない表情を浮かべている。
「こら!!!ジャック・ロープ!!!───『女性』の治療中だぞ!!!」
そう女軍医に窘められて、「あ゛っ!!!!」と叫んだジャックはバタバタと廊下へ逆戻りした。
「そ、そうですねッ………!!!すみませんッ!!!!!」
「いえ先生、裸という訳ではないですから。私は問題ないですよ」
と、アル────いや。
『アリアナ・フロージ・マクホーン』伯爵令嬢様が告げた。
「まあ、本人が良いなら…」と、医師からの許可が降りて、ジャックはそろそろと再入室する。もちろん、騎士団の医務室にやってくる怪我人がアリアナ一人というわけが無いため、多忙な医師はすぐ別の患者の元へと向かって行った。
下着と包帯の上からシャツを着込み終わったアリアナ。彼女は半身を起こし、簡素なベッドに腰かけていた。
防具をつけていないアリアナの体つきは確かに女性のもので、ジャックは酷く鈍かった自分をしばき倒したくなる。
「………あの、アリアナ様……。お怪我は…」
「………………………。ジャック、私なら大丈夫だ」
と、アリアナが言う。
「……それよりすまないね。私が最後の投擲を失敗したせいで、君も再試験になってしまった」
「そ、そんなのはどうでもいいです!!!俺が悪かったんだ…………ッ!!!俺が……………ッ、ッ!!!」
────アリアナのことを、ちゃんと知っていたら。
(そうしたら、こんなケガさせなくて済んだのに...!!!!!)
ジャックは右手の内にある物ごと拳を強く握り締めた。──この耳栓をお守りみたいに毎日毎日装着していなければ!…きっと自分は、いち早くアリアナの素性に気付けていたはずなのに!!!
ジャックは、この稀有な特徴を持て余して頑なに無知を貫こうとしていた自分を責めた。
「違うよ、ジャック。君は何も悪くない」
そう言ったアリアナが、悲しみをたたえた表情でこちらを見る。
「……ほんとは、『試験で手投げ弾は投げないように』って、最初から教官方に言われてたんだ。『女性騎士の膂力では、安全な飛距離を確保出来ないだろうから』、と」
黙り込んだジャックに、アリアナは「はじめから説明するよ」と弱く微笑み言った。
数ヶ月前────、アリアナが騎士団の入団試験を受けたとき……。
女性騎士は全国で何人も採用されたが、その中でも最難関、王都支部での見習い騎士過程を受けるに値する成績で合格した女性志願者は、その期アリアナただ一人だけだったそうだ。
そこで、王都支部の教育機関では協議の場が設けられた。
『アリアナ1人だけのために、女性騎士用のカリキュラムや教官を勤める人員を用意するのは、騎士団の運用として効率的とは言えない』派と、『才能や実力は正当に評価され育まれるべきだから、アリアナは王都支部で教育を受ける権利がある!』派とで、バッチバチの大論争である。その議論は各人が掲げる教育理念の是非にまで発展し、口と手と足が出て数日経っても結論は出なかった。
結局、合格の知らせ以外、何の沙汰も届かないことを不思議に思ったアリアナが直接王都支部へ参上し、この戦いは幕を閉じることとなる。
「そういうことならば、私を男性騎士の教育過程に入れて頂いて構わない」。
と、アリアナはにこやかに言い切ったのである。
「その時、『他の女性合格者がいた方が学び合えるはずだ』──と。王都支部でなく複数の合格者がいた西の都市支部への編入も薦められたよ。…でも、私はそれを断ったんだ」
アリアナは静かに言った。
「王都支部の学舎はその教育も一流と名高い。それに、父上も祖父上も王都支部の見習い出身だ。だから私も、合格の基準を満たしているならば…最高峰と呼ばれている場所で、騎士を目指してみたかった」
そこまで言ったあと、アリアナはぽつりと呟く。
「………それに、合格したからにはもう……。
『立派な騎士』になりたがることを、誰にも後ろめたく思わなくって良いんだ、って。
………ただ、そう信じたかったんだ」
その言葉には、自分じゃ想像も出来ない苦労があったんじゃないかと思わせる重みがあり、ジャックはただただ、口を閉ざすことしか出来なかった。
「最初は自負があったんだ。『私はこれまで頑張ってきた』、『だから男子に混ざっても通用するはずだ』、とね」
「でも、その考えは甘かった」。とアリアナは自嘲の表情を浮かべる。
「決して傲っていた訳でも、君たち他の同期を侮っていた訳でもない。単純に、それまで私は祖父上としか手合わせをしたことしかなかったから、同年代の男の子とここまでフィジカルの差があるだなんて、想像もしてなかったんだ」
「自主トレーニング量を増やしたり、他で挽回しようと努力したりはしていたんだけど…。…なかなかね」と、アリアナは悲しげに笑った。
「…皆に、気を遣わせてしまってるのが分かったよ。それも当然さ、誰も加害者になんかなりたくないからね。ほら、私とは組み手1つを取ったって、力加減を間違えれば大惨事になっちゃうだろう?」
「君は体格に合わせた加減がとても上手かったけれどね」と、アリアナが笑う。…それから1つだけ………はあ、と息をついた。
「…私は私の夢を、全力で……そして高い水準で追いかけたかった。その思いは変わらないよ」
アリアナは顔を上げる。
「でも、それは君たちに無理を強いてまでじゃない」
と、アリアナが言い切った。
「公平であるべき教育の場で、君たちに窮屈な思いをさせるのは私の本意ではなかった。だから、『今からでも西の都市支部への転入を打診すべきだろうか』…と。そう考え始めていたある日のことだよ。
───ジャック。君が現れてくれたのは」
ジャックは無言で、どうして良いかも分からずアリアナの顔を見つめていた。
「君は色々と訳有りな私のことを、ただの“アル”として見てくれたよね?…それが、どんなに嬉しかったことか」
「………───」
「君が、私について重大な勘違いをしていることはすぐに分かった。同時に、君がその並外れた聴覚の取り扱いに困って、制限を掛けていることもね」
「………」
「『友達ならば、本当のことを言わなければいけない』──。…そう何度も何度も思うのに、私はどうしても言い出せなかった…」
アリアナがぎゅっとシーツを握りしめる。
「君が弾を手渡してくれた時…断るべきだったよな。文字通り、あれが君に本当のことを打ち明ける最後のチャンスだった…でも、私はそう出来なかったんだ」
ジャックは分かった。アリアナは、己を責めている。
彼女にそうしなければいけない理由などないのに。
彼女に気を回して弾を持たせたのは、自分なのに。
きっとアリアナは弾を渡されたとき、こちらの思惑に気付いていた。
だから、言うに言い出せなかったのだ!
そう結論付け顔を後悔で苦しげに歪ませたジャックに、アリアナは頭を振った。
「違うよ、ジャック。もちろん、君からの期待を裏切りたくなかったのも、君の耳を慮ったのも本当の気持ちだ。
でも、それ以上に……『君とこのまま友達でいたい』と。
『私は君の隣にいるのに相応しいんだ』と。───ただそう証明したかった」
ぽつりと告げたアリアナに、ジャックは言葉が出ない。
「……だからどうか、気にやまないで。
………………今まで、本当にすまなかった」
そう言うアリアナが、「私はもう少し先生に話を聞いてから戻るよ。君は先に帰っていて」と続けたのが終わりの合図で、ジャックは一人、医務室を後にした。
翌日の早朝、朝礼のため学舎の前に整列したジャックはもう、耳栓をしていなかった。
今までは何となくがやがやと聞こえていた声や音がそれぞれクリアに鼓膜を突き刺したが、そんなことには構いやしない。
ただ、ありのままを知りたかったのだ。───これからは、それに向き合える自分になりたかった。
…スタスタと。
迷いない足音が、こちらに一直線で向かってくる。
声を掛けられるよりも先にそちらへ目を向けると、そこにいたのは一人の少女だった。
コーヒー豆色の髪を短く刈り上げた、緑の瞳の人。
「─────『ジャック・ロープ』君」
その人はスッと手をこちらに伸ばした。
「あらためまして。
私の名前は『アリアナ・フロージ・マクホーン』。前は『正しいやり方』を選べなくてすまなかった。もしまたこんな私と友達になってくれるのなら、この手を取って欲しい」
アリアナが言い終わるより前に、ジャックはその手を握っていた。ハッ…!と息を飲んだアリアナに、ニカッと笑い掛ける。
「…再試験、『任意の2人1組』だって。一緒にやるだろ??アル!」
「──もちろん!!」
◇◇◇
「アルは怪我の後すぐに教官たちに相談して、西の都市支部への転入手続きを進めてたんだけど…。
それが終わるまで俺たち男性騎士のところで見習い過程を過ごしてる間に、次の期の合格者発表があったんだ。幸いなことに、その期では王都支部での女性合格者が数名いた。だから、女性騎士たちのための見習い過程が別できちんと設立されて、アルはそっちに移っていったんだ………もちろん、あいつはぶっちぎりで主席卒業だったよ!」
と、ジャックは言う。出来上がってしばらく経つサンドイッチを口に運びながら、クロエはそれを静かに聞いていた。
カチコチ…、と店の時計が時を刻んでいる。
「まあ、そんな感じで…アルのことはもちろん好きだ。とても大切に思ってる。……『もし、最初の出会いがただの男と女としてだったら、どんな未来があったかな?』なんて、空想した時期もあったよ。──でも、それは過去のことだ」
クロエはただ、じっとジャックの瞳を見つめていた。
「そういう『もしも』のこと以前に、アルは俺の恩人で、親友だから」
「おかげで耳も存分に使うようになれたしね」と言った後、ジャックが少し伺うようにしてこちらを見る。
「そもそも結婚してる人に対して不適切な感情は持たない。俺の『好き』っていうのは、こういう意味だよ。………分かってくれた?ソロ」
「………うん」
クロエはこくりと頷いた。
────ヴォルフの消息が絶たれてから早6日。彼が生きていたとしても、そろそろ体力に限界が来る頃だ。
クロエは少し焦っていた。だから、怪しい奴から情報を引き出せるならと、ジャックの信頼を得るためにかなり性急な貢ぎ物をした自覚はある。
しかし、その甲斐あってアリアナへの気持ちを聞き出せた……彼はシロだ。
もし、この赤い瞳に宿る真摯な光が偽りならば、主演男優賞ものの演技である。騎士を辞めて役者になった方がいい。
───ならばもう、ここには用がない。
(他にヴォルフさんの誘拐を企てそうな人間がいないか、すぐに調査しないと…)
「サンドウィッチごちそうさま。じゃあもう帰る」
最後の1口を飲み込んで、扉に向かいながらそう言ったクロエに、ジャックが「待って!!」と声を掛けた。
「もう遅いし、そこまで送るよ…。…でさ、明日もまた、来てくれるっ…?」
「……………………。」
───「もしかしたら自分は今、岐路に立たされているのかもしれない…」、と。
クロエは唐突にそう思った。
(アリアナ様は『正しいやり方』を選べず、2人の関係に文字通り悲しい傷跡を残すことになってしまった───)
……自分はまだ、間に合うのかもしれない。
今正体を明かして、『役』でない自分の身の上をありのまま話せば、防げる悲劇があるのかも───…………。
「……ソロ?」
「……………………うるさい」
クロエは振り返った。人に決して心を許さない野生動物みたいに、警戒心をあらわにして。────それが、『ソロ』だからだ。
「もう会わない」
「!………」
(────さようなら。お馬鹿なうさぎさん)
傷ついたみたいに顔を歪めるジャックに、「どうせ最後になるならもっと深い傷跡を残したい」なんて願う自分なんか、自分なんか…。…自分なんかは。
(消えてしまえばいい)
クロエはそのまま踵を返す。
(………あなたみたいな人間には、平凡で退屈な人生がお似合いよ……)
波瀾万丈なシナリオなんてきっと、お呼びじゃない。
────カランコロン。
と、悪役が扉の隙間から暗い闇の袖幕へ捌けると、そこに残ったのは孤独なオレンジのスポットライト。
その下に佇む人は、追いかけては来なかった。
ここまでお読み下さりありがとうございます!
誠に勝手ながら、仕事が多忙なため次回更新を【10月中】とさせていただきます!お待たせしてしまい恐れ入りますが、お楽しみ頂ける作品を無理なくお届けし続けられるよう努めて参りますので、これからもよろしくお願いいたします。




