兎騎士は語る1
ジャックが一通り業務にキリをつけて仕事から上がった時、時刻は19時をとうに越えていた。
───カランコロン。
と、耳に馴染んだ音を聞きながら実家の扉を開けると、すでに店仕舞いを終えていた店内に、ポツリと人影が見えた。
「ソロ」
「…」
名を呼ばれたその少年──もとい、変装をしているクロエ──が、カウンター前の脚が長い椅子にちょん、と腰かけたまま無言でこちらを見ていた。
少し気まずそうに見えるのは、勘違いではないと思う。勝手に危ない橋を渡ったクロエをこってりと叱りつけたのは、つい今朝方のことなのだ。
「…言った通り、ちゃんと店で待っててくれたんだな。ありがとう」
「ほんとのとこ、いなくなっちゃっててもおかしくないと思ってた」と、ジャックが言う。
それに対してクロエは少しむっ…としたみたいだった。
「ルカとミルが離してくれなかったんだよ。…あんたが出てった後に来たはずなのに、『店にいろってお兄ちゃんに言われたでしょ!』って」
「いつの間に手回ししたのさ?」と訝しげなクロエに、ジャックは「ははっ」と笑った。
「さすが俺の妹たちだな。2階からちゃんと『聞き耳』を立ててたんだ」
「……………………」
そう言ってから、ジャックは店のキッチンに回り込んだ。店内にはキッチンの上から吊り下げられているオレンジのランプがただ1つだけ、ぽつんと灯されている。
「お腹減ってる?もう賄い食べた??」
「…まだ」
「え?待っててくれたの?俺のこと」
「……待たされてた!」
「それはごめん」
「何か食べたいものあるか?ソロ」。
聞くと、クロエは眦と眉毛を吊り上げながら言った。一言だけ、「………サンドウィッチ」と。
(…かわいい)
なんて、ふいに思ってジャックは驚く。
…クロエは多分、舌小帯が人よりほんのわずかに短いのだろう。だから、特に『サンドイッチ』みたいな、母音に『い』が連なる単語を発しようとすると、少し潤んだような声になる。
それはクロエ特有のクセだ。彼女すらも意識していない──いや、耳が良すぎる自分だけしか気付かない、彼女らしさ。
「……………」
それを『愛らしい』と感じたことに自分でも意外なほど動揺して、ジャックは思わず顔を上げた。
「…?……ねえ。水出しっぱなしだけど」
(……………また見つめてた)
当然みたいにして目線が交わったクロエから一旦目を逸らし、ジャックは少し気を落ち着けてから「ああ」と頷く。
(気のせいじゃない…)
きゅっ、と水道のコックを締めてから、ジャックは口を開いた。
「……あー、ソロ?」
「何?」
「勘違いだったらごめんなんだけど…………………」
「うん…」
「もしかして君………」
「?」
「………………いや。いやいやいや…」
「は?」
─────「案外、好かれてたりしてな」。
(小隊長が変なこと言うからだ!)
と、雑に決めつける。おかげで今は『ソロ』である彼女に、変なことを聞いてしまうところだった!
ジャックは気を取り直して言った。
「そうじゃなくて、えーっとね。…今朝、ソロが持ってきてくれた物のことなんだけど」
「!…うん…」
「まさかまた怒られるのか」とクロエは思ったに違いない。前のめりになっていた姿勢をぐんと反らして恐々と相槌をうつ。
そんな彼女に、ジャックは「んん…っ!」と勿体ぶるように咳払いしてから言った。
「中身はやっぱり危ないモノでした」
「………そう」
「で??」とクロエが表情で問うてくる。
………ジャックはしっかりと深くため息をついてから、やっと口を動かした。
「…ありがとう」
「!!」
「君のおかげで悪い人を捕まえられそうだ」
クロエの瞳がこれでもかと言わんばかりに見開かれる。
ジャックは礼を言われた彼女が勘違いしないよう、きっちりと付け足した。
「ほんとはあんな危ないことやっちゃ、ダメなんだからな!?」
無いとは思うけれど、これを成功体験と捉えたクロエが万が一例の昔話みたいに甲斐甲斐しく貢ぎ物を持ってきたらことだと思って、しっかり伝えておく。クロエはうっすら満足さをたたえた表情で、こっくりと頷いた。………ほんとに分かってくれてんだろうか??
「…ともかく、君が協力してくれたから色んな情報が取れそうなんだ。きっと俺の友達も喜ぶ」
「!」
「だから今日はご馳走にしよう」と言う前に、クロエが口を開いた。
「その『友達』って、アリアナさんのこと?」
「え??…うん。アルもだと思う、けど……?」
「なんでそこに引っ掛かるんだろう?」と気になって首を傾げる。というかクロエ──いや、『ソロ』の方に、アリアナの話をしたことがあったろうか??
「ルカとミルが話してくれたんだ。それで『どんな人なのかな』…って気になって…」
問うより先にクロエが答えた。「そうなんだ」と言おうとしたらまた。
「好きなの?」
「えっ!?!?!?」
思いもよらない問いが来て、ジャックは面食らった。───「好き」?いやそりゃ好きだ。大事な友達だもの。
「うん…」
「!!!」
特に意図せずとも自然に肯定が口からまろび出て、クロエがハッと息を飲んだのがスローモーションみたいに大きく低く聞こえた。
(──────ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待て!!!!)
あ、頭がこんがらがる!!!!
(えーっと??今クロエ様は『ソロ』で、『ソロ』がアリアナへの気持ち??を聞いて来ててでも俺は今クロエ様の暫定婚約者で彼女の正体に気付いてるって気付かれちゃだめで今の『うん』はそういう意味の『うん』じゃないってクロエ様に言わないとだけど『ソロ』にわざわざ弁解するのは不自然で、だから…??)
高速で回るものの最適解は導き出せないらしい脳みそが、代わりにぶわっ…と脂汗を吹き出させる。
「え――――……………っと、…っ好き!うん!好きだよもちろん『友達』としてね?!?!あははははは…」
ジャックは「え――――」の間に考えたセリフを何とか捻り出した。
が、それを聞いたクロエの表情は、これまで見たことがないほど──婚約を切り出された時よりもよほど──険しいものだった。
(…え!?それ何の表情!?マジで!!!)
なんか心臓が痛い。というか、自分の思考回路がイタイ。何をこんなに焦ってるんだ?付き合ってる恋人に誤解させた彼氏みたいに!
「クロエ様は無理やり婚約させられただけで、俺のことなんか好きじゃねえって!!」と、思うくせに何故か「目の前の彼女をこのままの状態で帰すわけには行かない!!」と心が騒いでいる。
───一体どうするのが正解だ??…何が全体の利益になる???
(…………………)
プツン。
…と。騒がしかった頭のスイッチが、急に切れた。
(…………そうだよなあ)
…………「どうするか」じゃない。
自分が「どうしたいか」だ。
「………ごめん。びっくりして今、変なこと言った。最初から説明させて欲しい」
ジャックは真っ向からそうお願いした。
自分は、この目の前の女の子を。
とにかく、ただ大切にしたいのだ。
「任務だから」とか「心配だから」とか、そういうのじゃない。
ただ、誠実さでもって、クロエという人を知りたいのである。
そう自覚して、ジャックは苦笑した。
「…って言うのは俺のワガママなんだけどさ…。ほら、ご飯のお供にでも聞いてってよ。…どう??」
◇◇◇
「───うわっ…見ろよ。あいつだろ。『うさぎ耳』の『ジャック・ロープ』って」
「お!ほんとだ!…うーん、見た目は結構フツーだな。マジで何でも聞こえてんの??」
「マジマジ!こないだなんか『音がでかすぎて耳が痛いです~』って射撃の訓練休んでたし」
「バッカ、耳栓つけてから撃つのに何が『耳痛ぇ』だよ!どうせ射撃が下手くそとかだろ??嘘ついたんだよ!!仮病だ仮病!!」
ぎゃはははは、と自分の悪口が聞こえてきて、騎士見習いのジャック・ロープは耳栓をより強く捩じ込んだ。もちろん、今は射撃の訓練中なんかじゃない。だが、ジャックはいつも耳栓を持ち歩いていた。
こんなものをつけても余裕で声は貫通してくるのだけど、それでも無いよりマシだ。
少しくぐもって聞こえるようになり、内容の判別は難しくなる………気がするし。
「あとはいつも通り、『知らないフリ』をすればいい」───と、ジャックは思った。
自分は別に、演技全般が得意なわけではない。──が、生まれついての聴覚が他人にとってあまりにも都合が悪いものであることを小さな頃から自覚していたので、「いいえ、俺は何も知りませんよ」という身振りだけは、とりわけ上手くなっていたのである。
だから、普通に接しているだけならこの能力が他人に悟られ気味悪がられることなんて、ほとんどなくなっていたのだけど。
……騎士団では違った。
自分は元々、父の昔話に出てくる騎士に憧れていて、入団を志したのもその人を追いかけるためだった。かの人が精鋭と名高い偵察隊にいると聞いてからは、自分もそこを目指した。偵察隊という部隊において、人並み以上に優れた聴覚はきっととても良い武器になる。………というより、その点以外長所と呼べる長所がない自分にとっては、入団試験の面接でその技能を売り込む外、合格への望みがなかったのである。
結局入団は叶ったが、それと引き換えに、自分の特異な性質については上官並びに同期の騎士見習いたちに至るまで、皆が知ることとなってしまった。
必死に厳しい訓練に耐えているけれど、自分にはそれが精一杯で、聴覚にまつわる分野以外秀でた成績を残せていないのも、陰口に拍車をかけさせる要因となっていた。
(……気にするな、気にするな、気にするな…。この聴覚があれば、今の成績でも偵察隊には入れるんだから……見習い過程が終わるまでの辛抱だ。あんな声、聞こえなくなれ。聞こえなくなれ。聞こえなくなれ………)
結局のところ、聴覚だって処理しているのは脳みそだ。頭をいっぱいにさせていれば、余計なことは右から左へ流れていく……。
目を閉じて、ただひたすら「聞こえなくなれ」と唱えていたとき。
「─────ジャック君。ジャック・ロープ君!!」
突然肩を叩かれ、ジャックは振り返る。
そこにいたのは一人の少年だった。
コーヒー豆色の髪を短く刈り上げた、緑の瞳の人。
「『ジャック・ロープ』君、…で合っているよね?みんな、もう運動場に行ってしまったよ??」
そう言った少年は、自分と同じく騎士見習いだったはず。
そして、同期から遠巻きにされているところまで一緒。…親族に騎士団のお偉方がいるとかなんとかで、最初から「入団はコネに違いない」とこそこそ言われていたのだ。…彼が、普段の訓練についていけていないことも、その悪口を助長させていた。
だが、彼は剣術や持久力の訓練なら自分よりもずいぶん高い成績を挙げている───と言っても、総合点で見ればジャックと目の前の彼がビリ争いをすることも少なくなかったのだけど。
────そう、彼……………『彼』、だ。
(ああ、くそっ……。せっかく話しかけてくれたのに……)
と、ジャックは内心で頭を抱える。
騎士団の見習い過程も、もうほぼ中盤に差し掛かろうとしているのに、同期の名前も知らないなんて!
成績の張り出される掲示板前は、多くの騎士見習いでごった返す。うるさすぎる雑踏を避けるため、ジャックはいつも遠くから、サッと自分の名前だけを探すことしかしていなかった。それに悪口も、聞こえてきたら出来る限りすぐに脳内ミュートするようにしている。
だが、そんな理由は全部自己都合だ。相手に理解されるわけがない!
「えーっと、ごめん。名前なんだっけ?」なんて聞こうものならもう、『彼』に引かれてしまうことは間違いない。
(思い出せ思い出せ~…っ。たしか、名字は『マクホーン』…だった気がする。いつも教官に呼ばれてるから……。で、えーっと、下の名前は何だったっけ…????)
「………確か……。アリ…ババ??とか…。…いや、アルハバ……??だっけか???」と考えたあと────ジャックは「ええーい、ままよ!!」と口を開いた。
「──“アル”!!ありがとう、助かったよ!」
「………!!!!!!」
苦し紛れにそう言うと、アルは緑の目を真ん丸にしてから、「うん!」と初めて見るニッコリ顔で笑った。
『知らないフリ』は得意だけど、『知ったかぶり』をするのはほとんど経験がなかったので、「よし、なんとか上手くいったようだぞ」と、ジャックはただただほっと胸を撫で下ろしたのであった。
その日から、ジャックとアルはよくつるむようになっていく。彼はいつだって感じよく気さくに話しかけてくれたし、耳障りな悪口なんて一言も言わない。弱音だって吐かなかった。
「なんて気持ちの良い奴なんだ」と思うのに、そう時間は掛からなかった。
「俺は人から見たら気持ち悪いから、近づきたくないって思われるのは分かるんだけどさ…」
と、ジャックが言いかけると、正面でストレッチをしていたアルがそれを遮った。
「『気持ち悪い』ってまさか、君の能力がか?!そんなわけない!君のそれは大事な特性で、強力な武器だよ!!」
と、熱弁を振るうアルにまあまあと苦笑して、ジャックは続ける。
「お前をハブにするのは、ほんとによく分かんないんだよな。皆ちょっとおかしいんじゃないか?」
そう首を傾げて言うと、アルがすっくと立ち上がった。
「、うーん?…まあもしかしたら私が、貴族家出身だからかもしれないね??」
「え、うそ!?アルって貴族なの?!」
なんて言っていたら、すでに後ろに回り込んできていたアルが、「さあ、足と手を伸ばして~」と言いながら背をじわじわと押してくる。
「あ、ぁいだだだた、!!ちょ、もっとゆっくり…ッ!」
「これでもすごくゆっくりだよ。相変わらず固いなあジャックは」
「あああ!!!あいただだだ!!!!!……」
そんな日々もあっという間に過ぎて、中間試験の時期がやってきた。
試験の内容は、見習い過程の前半で習ったことの練度を複合的に試す実技訓練で、ほとんどが基礎的なことだ。
ざっくり言うと、任意の2人1組で広い森の中を索敵し、敵陣の本部を割り出して、壕に練習用の手投げ弾を投げ込んで終了。より早く到達するほど成績が高くなる。
「『任意の2人1組』か…。…一緒にやるだろ??アル」
「もちろん!」
結果的に言うと、今回の試験はジャックたちに有利な内容すぎた。
本来であれば、敵役の残した痕跡の収集や戦術のトレースから入らねばならないところを、ただ『聞く』だけでクリア出来るのだから。
ジャックとアルは楽々敵陣地へ切り込み、ほぼほぼ最小限の接触で目的地の壕までたどり着くことが出来ていた。
「よし、あとはこの模擬手榴弾を投げるだけだな」
「ああ、やったなジャック!君のおかげだよ!」
と、アルが嬉しそうに笑う。ジャックはそんな彼に、手投げ弾を手渡した。
「じゃあ、アル。最後は頼んだ」
「えっ…こ、これを私が…?!?!」
「うん。俺は多分、投げたら耳がしばらくイカレちゃうからさ…」
言いつつ、ジャックはニカッと笑った。
「耳がだめになる」というのは嘘ではなかった。だが、それ以上にアルへ花を持たせてやりたかったのだ。最短ルートを見つけたのは自分だが、実際、ここにたどり着くまでの戦闘で卓越した剣術を活かし、最速を維持してくれたのは他でもないアルだった。
彼には同期一番乗りの栄誉ある祝砲を上げる権利があるし、そうすべきだと思った。これが響き渡れば、皆も彼を見直すはずだと信じて疑わなかったのである。
「………そうか、耳が……。…うん、分かったよ!任せてくれ!」
「よし、じゃあ俺があの木の裏まで行ったら投げてくれよ!」
そう言って、ジャックは駆け出す。
木の影に身を隠すと、少しだけ顔を覗かせ、友人の勇姿を目に焼き付けようとした。
アルは、こちらを確認する。
手榴弾のピンを抜いた。
大きく鉄の塊を振りかぶり──────。
そのまま壕の向こうへ消えるはずだった弾は……。
ジャックが思っていたよりも、ずっとずっとアルの近くに──────ただ落ちて、炸裂した。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございます。




