鷲騎士と雷神の継承
頑張って削ったんですが、大分長いです。次回から恋愛もの(?)に戻ります!
ベルガレットは矢をつがえた。
鉄矢はそこそこ重量がある。最低限の身軽さを保つため、持ち込んだのは18本。つまりこの18発で、目の前の鹿を仕留めなければならない。
ベルガレットは、師匠の孫───アリアナ・フロージ・マクホーンを、じっと睨み付ける。
並みの射手ならば手こずるかもしれない。が、ベルガレットには絶対的な自信があった。
(…珍しく、身体が熱くなっているな…。相手が、師の意志を受け継ぐ者だからだろうか?)
…もちろん、ベルガレットにはそれを受け入れることなど到底できないが。今後も、アリアナを認めるつもりはない。
ベルガレットに対して、「身を隠す」という選択が下策だと悟っているのだろう……アリアナは障壁を使うことなく、真正面に立ちはだかった。
「「……………」」
ベルガレットとアリアナは、真っ向から睨み合う。
女性に対する容赦などは、すでに抜け落ちていた。
自分がどう思おうとも、アリアナが紛れもなく『騎士』として生きていることが、肌で感じ取れたからである。ならばこちらも、全力でぶちのめすのが彼女への礼儀なのだろう。
ベルガレットは弓を引き絞り、射る。
1発目。確実に剣を握る右手へと矢が飛んだが、アリアナには寸での所でかわされた。
2発目。肩に向かった矢を、剣で弾かれる。
3発目。大腿部を狙った矢を、跳躍して避けられる。
そして、4発目をつがえようとした瞬間だった。
相手が物凄い爆発力で、距離を詰めてくる。
「、」
(『これ』、は────)
脳裏に過ったのは……忘れもしない、とある既視感だった。
◇◇◇
「ベルガレット・ティアチ・フェルビーク」。
由緒ある貴族家の次男として生を受けた少年は、己が稀有な才能を持っていることに気がついた。
きっかけは、自領にて主宰した狐狩り。それに初めて参加したときのことだった。
ベルガレットはまるで、天高く飛翔する鳥の如く、極めて俯瞰的に地形を把握し、風を読むことが出来たのである。
他の参加者が銃を使う中。「まだ幼くて危険だから」という理由で、弓しか与えられていなかったというのに、ベルガレットは誰よりも多くの獲物を捕らえた。
どこへ隠れようとも、自分の目を阻む遮蔽物など無いに等しく、空へ曲線を描いた矢は残らず獲物の脳天を直撃したのだ。
これは素晴らしい功績と言えたが………もちろん、領主はベルガレットのことを、皆の前で褒め称えたりはしなかった。
(──まずったな)
父の後ろに控え、冷静にそう考えるベルガレット。
何故そう思ったかというと、自分がやる気にむらっけのある兄の「あくまでスペア」であることを、幼い頃から認識していたためである。
あまりに出来すぎた結果は、最初から求められていない。
しばらくして、「社会経験を積ませる」という名目のもと、国内行脚に放り出されたベルガレット。
「これ幸い」とこっそり宿を抜け出しては、アスガルズ王国各地の山へ出向いて、弓の腕を磨いた。
「あまり目立つ行動をするのは危険だ」という意識はあったのだ。が、どうにもやめられない。
あの屋敷で缶詰になって、なりもしない領主の勉強をするのは、いい加減飽き飽きしていたし(もちろん、そんな素振りは決して見せないけれど)、ましてやスクールに通って、卒業して、そこからまたカレッジに通って、卒業後は医者か弁護士、はたまた王宮勤めをする、などというレールに乗るのも、本当に嫌だったのだ。
(───だってもう、あの狐狩りを経験してしまった)
誰の邪魔もない大空を、自由に羽ばたく鳥のような目線を、自分は体感してしまったのである。
まるで、実はずっと長いことそうして生きてきたかのような。……そのことが、ごくごく自然であるような。
矢を射るという行為は、ベルガレットをそのような境地へと連れ出してくれる、唯一の救いだったのである。
あるとき、ベルガレットは流れの旅人ジョンと出会い、しばらく行動を共にした。
彼といるのはなぜだか楽しく、気疲れすることもない。
それに、ジョンの趣味も弓だった。
彼と自分の勝率は5:5。ジョンの弓の腕は、自分と比べると「そこそこ」と言ったレベルだ。しかし、不思議なことに彼は、いつもベルガレットより先に獲物を見つけるのである。
不審に思い問い詰めると、彼は自身の能力を隠すことなく「生まれつき耳の良い家系なのだ」と語った。
(だったら俺のこの能力も………『似ている』と日頃から言われている、父親からの遺伝なんだろうか)
と、ベルガレットは思った。が、すぐにかぶりをふる。
(…いや、そんなはずはないな)
父とその周りの者からは、全く『自由』が感じられない。さながら、重く硬い岩のように鎮座するのみで、押すことも引くことも出来ないし、その中身をうかがい知ることもできない。…多分、木っ端微塵に粉砕でもしない限りは。
(──この能力とは対極だ)
皮肉げに口元を歪めて見せたベルガレット。焚き火を間に挟んでいたけれど、ジョンはそのことに気がついたみたいだった。
そして口を開く。
「…ベルはさ、将来何になりたい?
俺はなー、俺の弓で捕った獲物を出せる、料理屋を作りたいんだ」
「まあ、メインはもっぱら兎肉になると思うけど」と、そう続けるジョン。跳ねる動作で出る音が、数いる動物たちの中でも特徴的で聞き取りやすいのだと言う。兎は、ジョンが最も狩ることを得意とする獲物だった。
「………ハッ、」
ベルガレットは乾いた笑い声を上げる。切れ長の美しい瞳が獣のように細くなり、その鋭さが更に増したが、確かに笑っていた。
「うわっ!笑ったよ、人の夢を!!最低だなベルは!絶交も視野に入れてる」
「ふん!」とそっぽを向く友人に、ベルガレットは笑いつつも慌てて弁解する。
「待て、待て。くっ…、いや、お前の夢は素敵だよ。
せっかく話してくれたのに悪かった」
「もちろん応援するさ」。そう言って肩をすくめると、優しい友人はすぐに気を取り直して、こちらに向き直ってくれた。
「───ただ、『将来の夢』なんて聞かれたのが初めてだったから。虚を突かれてしまったのさ」
(…………夢。…夢か………。)
そう心の中で反復してみても、いまいち掴み所がない。
『夢』。……義務ではない、自分の意思による到達目標───。
「…弓を使って生きていきたいな」
(もっと、自由に。…自然と共に生きる、誇り高い先住民のように)
ポロリと口からこぼれた言葉。
それは夢とすら呼べない、ふんわりとした憧れだった。
「…………」
(…ああ、どうにも馬鹿げてるな……)
もっと建設的に。もっと周りが納得するような。
(……いや、それはもう『夢』とは違うか?)
思わず考え込んでいると、ふと視線を感じた。
ベルガレットはそちらを見上げる。………ジョンが、何とも言えない表情でこちらを見ていた。
「「………」」
…しばらく共にいて気付いたが、ジョンは勘がいい。
(ただ『ベル』とだけ名乗ったが……。本当は俺が身分ある人間だと、すでに悟っているのかもしれない)
そうベルガレットは思った。
(だとすれば………この眼差しは、同情だろうか)
だって………ベルガレットには一生、そんな夢のような生活が許されることなんてないから。
「──だったらさ、騎士になれよ!」
「……はぁ?」
飛び出してきたのは、予想もしていなかった言葉。
「弓は武器としても有効だし!それに人を助けられる職業は立派だよ。きっと家族も納得する!だろ?」
「……いや。騎士団って、そんな動機で入れるものなのか?」
結果から言うと入れた。
ジョンが騎士団で働いている友人に声をかけ、「才能ある志望者がいる!」と熱心に口説いたのだ。
他人に対して、自分のことを良いように語られたのはそれが人生初だった。そのため、大変気恥ずしかったのを覚えている。
が、このままなにもせず国内行脚が終わってしまえば、またあの監獄のような実家に逆戻りなのだ。それは御免だったため、ベルガレットはジョンから与えられる妙な居たたまれなさに、必死で耐えた。
「家のために人生をすり減らすよりは、騎士となるほうがマシだ」───、と。そう思えたから。
ジョンの友人の口利きもあり、ベルガレットはその期の入団試験申請にギリギリで滑り込んだ。そして、あれよあれよという間に入団が決定したのである。
「優秀な騎士はさ、大概王都支部の勤務になるんだって。俺もいずれ、王都で店を出すから。そん時はいつでも来いよ、ベル!」
そう言い残して、ジョンは去った。最初から最後まで、勝手なやつである。
(………ありがとう、ジョン)
大きな感謝と再会の約束を胸に秘め───ベルガレットは念願の自由を手に入れたのだった。
当然のごとく、父親は怒り狂った───次男の突然の出奔は、フェルビーク家にとって予定外だったのだ。
賢かったベルガレットは、このように答えた。
「各地を周って見聞を広げる内、国民を守ることが私の務めであると確信いたしました。文官を多く輩出してきたフェルビーク家にとっては異例のことでしょうが、私は武をもって王家へと忠誠を誓い、国家のためとなることをお約束いたします」
───「人々を守る」───。
この大義名分さえあれば、ベルガレットは自由でいられた。
(なんと便利な。もっと昔から使っておくんだった)
そんな風に思いつつ、ベルガレットはさっさと荷をまとめ、居を騎士団の寮へと移した。
跡継ぎの優れた代替が無くなり、父は焦ったのだろう。それからようやく、本腰を入れて兄を教育し始めたのである。
結果として、歪んでいた家庭を矯正することが出来たのだ。ああ、お手伝いが出来て良かった良かった。
…さて。騎士見習いの規約により、血と名前しか繋がりの無い実家を出れたベルガレット。
これまでは集団生活などとは縁遠い人生を歩んできていたはずなのに───騎士団での生活は、やたら居心地が良かった。
寮での暮らしは本当に楽しい。
その狭く騒々しい寮で生活を共にすれば、否応なしに人の色んな面が見えてくるのだ。
そしてその現象は、自分に対しても例外ではなかった。
一見高貴で気難しそうな、近寄りがたい見た目のベルガレットにも───しばらくすると、気の良い仲間たちが出来たのである。
上手くいったのは日常生活だけではない。訓練でもベルガレットはメキメキと頭角を表し、同期の騎士見習いの中では飛び抜けて有名人になっていった。特に弓の訓練では、先輩を含めても並ぶ者が居ないくらいだ。
動いてもいない、遮る物もない───そんな練習用の的なぞに矢を射ることは、ベルガレットにとって息をするよりも簡単だったのである。
有り体に言うと、調子に乗っていた。
己を縛るものから解放され、自由に生きるための大義名分を手にし、さらには仲間と力に恵まれたのだから。
「舐めるのも大概にしろ。」
耳に届いたのは───轟く雷のように、ドスの効いた声。
それが鼓膜をわんわん揺らす。続けてキ―――ンと耳鳴りがした。
「………ッ、??、」
目の前に立ちはだかるのは、白髪の老人。所々に濃い茶色の毛が混じっているので、彼が元々は豊かなブルネットだったのだということが想像できた。
(いや、そんなことはどうでも良い。なぜ……俺が地に手を付いている?)
騎士団に突如設けられた『特別顧問』とか言う役職。
この度、その席に1人の男が座った────それがこの、<雷神トール>…………グレイズ・トール・マクホーンだ。
国王ならびに騎士団からの熱望で、現場に返り咲いた<英雄>。
…彼は絵本に出てくる姿と遜色ない、まさに超人であった。
それを見ていた騎士見習いたちが、息を詰めてこちらを見ている───同期のエースであるベルガレットの負けを、「信じられない」とでも言いたげに。
「『期待の新人』がどんなものか、見てやろうと思ったが────」
「ふん」と鼻を鳴らし、グレイズが練習用の木刀を教官へと返した。
「留守の間に、ずいぶんと新人騎士の質が下がってしまったらしい」
ベルガレットの使った練習用の弓矢は、遠くの地面に転がっている。
「何…、…で……!」
当初、「『昔は凄かった』ご老人との手合わせに付き合う暇はないんだ」、と。…そう思っていたのに。
(……当たらなかった。その言葉に偽りなく、『百発百中』の俺の矢が)
困惑し、「何かの間違いではないか」と現実を疑う。……そして悟った。
(まさか)
グレイズのする目線や、ほんの僅かな筋肉の揺らぎ……。
(それらで、矢を放つ場所を誘導されていたのか────??)
……射っても射っても、何故か当たらない矢。そうしている内に、一瞬にして距離を詰められた。
弓が弾け飛び───気がついたら、その一撃と同時に体がブワリと浮いて。
…それで今、自分は地面の感触を味わっている。
「…『何で』だと??
貴様のような青二才の矢など、見切れん奴のほうが少ないわ。
生半可な覚悟なら、騎士団を去れ!」
◇◇◇
グレイズの言葉は、当時のベルガレットにとって納得しかねることであった。
自分が「生半可」であることは認める。が、騎士を辞めることはできない。それすなわち、永遠に檻で飼い慣らされることと同義。
───「弱き者を守るため」───。
ベルガレットは騎士でいるための『理由』に、より固執するようになっていった。己が自由に生きるための免罪符を、手放したくなかったのだ。どうしても、どうしても。
闘う『理由』を探す貪欲な禿げ鷲は、すぐにその機会を得た。
それが、妻との結婚である。
良縁を結ばせ、強い血統を残す───。
次男にそれをさせることで、実家へのせめてもの還元としたかったのだろう。父は、すぐにベルガレットへ適当な女性を宛がったのだ。
『女性』は、純然たる男社会に染まりつつあったベルガレットにとって、圧倒的な『弱者』であった。
自分が守るべき、「弱き者」の枠組み。
そこへ、現実的に妻が収まってくれた───。
(これできっと、騎士が続けられる………)
今まで朧気だった『理由』に、実体が出来たのだ。そのことに、心の底から安堵したことを覚えている。
実感を手に入れたベルガレットは、その後グレイズに師事した。
ベルガレットの『理由』において、グレイズはそれを完璧に成し遂げた、まさしく<英雄>だったのだ。彼はお手本とも言える存在だった。
なにより、自分が自由になるためには、明確な『理由』とさらに、『強さ』こそが必要だったと知った。
…今にして思えば───グレイズは、そんな自分を複雑そうな目で見ていた気がする。
そして、10年後───。
「…なぜ、お辞めになるのですか?」
がらんどうになった、『特別顧問』の執務室。
「全盛期ほどの力は無くとも、貴方は十分現役です」、と。そう言葉を続けるベルガレットに、グレイズが荷造りをしながら苦笑した。
だが、それだけだ。
師は、荷造りの手を止めてはくれない。
……本当に、この『特別顧問』へ与えられている部屋自体を、明け渡すつもりなのだ。
そこへ、グレイズが口を開く。
「お前にはまだ言っていなかったが───実は、俺の孫も騎士志望でな」
「………」
「それで?」と言いたくなったのを、グッと堪えた。
「王都支部での見習いが決まった」
「…!!なんと、」
「なかなか筋の良い子だぞ」
「…それは楽しみです。ですが……」
(それが何故、貴方の引退に繋がるのか)
…そんな不満を隠そうともしない弟子に、師は困ったのだろう。腕を組んで、こちらに向き直った。
──「こいつ、他人に綺麗な部分だけを見せるのが得意なクセに。何故か俺にはそれをしないな……普通はするだろう」──。
だなんて、グレイズは思っていたのだけど。ベルガレットはそれに気付かなかった。
「………」
ただただ、師とあおいだ男を見つめる。「どうしてですか」と、視線だけで彼を問い詰めていた。
グレイズが、「ふん」と鼻を鳴らしたあとで言う。
「残した名前ばかりが大きくなった老いぼれがいると、孫に迷惑がかかると思ってな」
「───!!…っそのようなこと……!!!!」
食って掛かろうとしたベルガレット。
すると、グレイズの大きな手がこちらに迫り、額ごと頭を掴んだ。突然急所を取られ、ベルガレットは黙り込む。
「───ベルガレット」
「…、……~~~っ…」
ベルガレットはイライラする。
(……………『孫』、か)
そう。自分は知っていたのだ。
グレイズが、情に厚い人間であることを。そして、特に家族に対しては、それが並外れていることも。
(……なら、『弟子』の俺がとやかく言ったところで………)
と。ベルガレットは唇を噛む。
その表情は、不満と、怒りと───僅かな嫉妬を、グレイズに伝えた。
「!……ほう……」
「………何です」
声を上げたグレイズへ、ベルガレットが苛立たしげに訊ねる。すると、師は苦笑した。
「いや……少し意外だっただけだ。
…お前は何でもぐんぐんと吸収し、大きな苦労をすることもなく、俺の教えを継承しただろう?」
「………」
「思えば、本当に優秀すぎる弟子だった……。初めて手合わせしたときから『可愛いげがない』、と常々思ってはいたが────」
そう言って、グレイズがニヤリと笑う。
「こうして見ると、可愛いもんだな………」
「………」
(…………この、嘘つきジジイめ)
と、ベルガレットは内心でグレイズを罵った。
(なら、ここに残ればいいだろう───本当に、俺のことを『可愛い弟子』だと、そう思っているのなら)
でも、きっとグレイズはそうしないのだ。
………自分は彼にとって、『家族』以上の存在ではないから。
「戦時中とは違う───新しい風が吹いているのを感じるんだ。きっと、それを追い風にしていくのは俺じゃない。もっと適任がいるはずだ」
「………」
「…例えばお前なら───俺より上手に乗れるだろう?」
……いつもだったら胸を張れた。普段滅多に褒めないグレイズから、こうまで買われているのだから。
だけど、今となってはそれももう………ただただ胸に大きく重い岩を投げ落とされたようで。
「孫を頼んだぞ。ベルガレット」
ぐりぐりと頭を撫でられてしまえば、もうなにも言えない。クシャクシャになった髪が前に下りたおかげで、酷い顔を師に見られることはなかった。
「………………、はい」
と、返事をする。
そのまま、師は騎士団を出ていってしまった。
……「すべてを任せてもらえた」と思っていたが、最後の最後、残っていたもの。
……師が一番大事にしているものを、自分に「託す」と言ってくれたのだ。
(───ならばもう、その信頼に応えて大きく翔ぶしか)
◇◇◇
期待していた。
だが、実際に騎士団へとやって来た人物は、想像とは違っていたのである。
孫は孫でも、マクホーン家長男のユーストスでなく、長女のアリアナだったのだ。
「おおっ!!」………と、観客たちがどよめく。
風を切り───師と全く同じ軌道を描いて、振られたアリアナの剣。
それはまるで、初めて師と手合わせした時の、再現を見せられているようだった。
「くっ………」
煌めいて、顎先に向かってくるそれに驚愕しつつも、ベルガレットは当時の反省を無意識に生かし、何とか頭だけを反らした。間一髪で、攻撃を回避する。
その勢いのまま、ベルガレットは障壁を使ってアリアナから身を遠ざけた。
ベルガレットは『鷲の目』でアリアナを完璧に捕捉できている……。そのため、顔を出す必要がない。つまり、相手からはこちらを見つけ出す術がないのだ。
「…………ふうー……」
ベルガレットは、その間に息を整える。
「…………」
(どうしてだ─────)
今は決して、考え事をするような局面ではないはず。…なのに、ベルガレットは思考の渦を止められなかった。
(……師は……、俺と志を同じくする者では無かったのか)
…女性であり、「弱き者」であるはずのアリアナ。
(師は何故、彼女を俺に託した??)
───アリアナが騎士団へとやって来た瞬間。
期待とともに、ベルガレットは師からも裏切られた心地がした。
(何故、何故…ッ)
───感情に任せ、鉄矢を矢筒から引き抜く。
(……困るのだ。『弱き者』は、その柵の中に居てくれなくては!)
つがえた矢は3本。宙に放ち、また身を隠して別の障壁へ移動し、今度は角度と方向を変えて3本放つ。
空中で網のような線を描いた矢の雨。それは、先程のようにこちらを誘導して、放たれる場所を絞られた物ではない。避けるのは不可能だ。
ガキッ、キィィン……ッ───!
「!?」
直後。…金属が撃ち鳴らされる音が聞こえ、ベルガレットの全身が震えた。
(まさか)
「確かに、私には領域を『通過した』ことしか察知できません。……個人を判別できるジャックの能力には、劣るかもしれない」
声の向きがこちらを捉えていることに気がつく。
「だから、領域を小さくしたんです」
アリアナは、今まで領域を広くし、それを維持することだけに重点を置いてきた───。
その理由は、彼女の能力がひどく限定的で受動的だからだ。
敵が領域を踏み越えた場合にのみ、発動するその能力のことを、同じ部隊だったよしみでベルガレットは知っていたのである。
だが、もし………その領域が変幻自在なのだとしたら??彼女が敵に、その領域を踏み越えさせること自体を、もっと能動的にこなせる人間なのだとしたら???
(俺を……強制的に通過させたのか)
「────あなたの位置も矢も!!すべて見切っている!!」
…その声は、すでに頭上から聞こえていた。
だがしかし、ベルガレットは未だ冷静だった。
(己の能力を、ここまで応用し昇華させるとは……)
特別な能力というものは強力だ。しかし、その分先駆者がいないため、持つ者のセンスが問われる。
(『天晴れ』、と。…言わざるを得ない)
アリアナは先程の鉄矢を弾いたときに長剣を取り落としたのか、またはここで決めるつもりなのか───空中で腰から2本の双剣を引き抜いていた。
奇妙に枝分かれした…………そう。まるで、鹿の角のように不思議な形状の。
だが、しかし。
最終的に、アリアナは純粋な力比べになると男性に劣る。
だから、跳ぶのだ。『鹿の角』を携えて。
結局は必ず、宙へ翻すことになるその姿。相手の弱点と言っても良い無防備な一瞬を、ベルガレットが逃すはずもない。
アリアナの角がこちらに当たるよりも先に、すでにつがえられたこの矢が、己の手を離れる───
───ガギッ!!!!
「!?!?」
…ガランガラン、と。
鉄弓が、手を離れていた。
アリアナの投げた双剣の片割れ。それがベルガレットの肩から胸を強打し、鉄弓を落とさせたのだ。
「────ッ」
「これで終わりだ……!!!」
…ベルガレットは思い出す。
(───『投擲』)
そう……どちらかと言うと、グレイズは近接の戦闘を得意としていた。投擲は、そんな彼が戦局の序盤によく使う手だったのだ。……中、長距離からの先制を取るために。
師は積みに積みまくった功績を称えられ、王から宝鎚を与えられていた。
この国で一番硬いと言われる鉱物で、国一番の鍛治屋に打たせた、きらびやかな鎚。
その名も<雷神の鎚>。
「悪趣味な贈り物だ」とうんざりしていた師は、度々王より賜ったその品を、武器として敵地に投げ入れていたという。
あまりの失礼に、「あれは絵本のための脚色では無かったのか!」と仰天したのを覚えている。
べらぼうに硬いその鎚は、高所からの落下でも砕けることはなく、敵の領地を穿ち、地を揺らし、底から響くような音を奏でた。
────『雷』。
それはアスガルズ王立騎士団の中で、最も強力な者に与えられる称号。
単に1つの呼称にしか過ぎないのに………世界の誰もが、「『雷』の名を冠するに相応しい蛮勇だ」とグレイズを畏怖した。
────「お前には、距離の開きをカバー出来る弓の才が、もう十二分にあるだろう」────。
…そう言って。
(……俺にはついぞ、教えてくれなかったというのに)
「………」
「はあっ、はあっ…!」
初めて土の感触を味わったあの時のように、尻餅を着いた自分。そして、もう片方の剣を肩で息をしながら突き付けてくる妹弟子に、ベルガレットは苦笑した。
(師よ、聞いていないぞ)
………もう「筋が良い」どころの騒ぎではない。
(自分の目的を…。…『夢』を実現するために、一体どれだけの研磨をしたのか……)
…己の自由を守るため、『弱者』という柵に他者を放り込むだけで満足していた自分が、恥ずかしい。
──「『弱き者』だから。守ってやらなければ」──。
…と。…そんな思いの対象かつ、筆頭であった妻は。
涙と汗と、その他諸々の体液にまみれて憔悴しきった体を引きずり……それでも産まれた赤子をいとおしそうに抱き締めて見せた、彼女は。
(───『弱さ』とは、かけ離れていた)
その瞬間。
「互いに、背を任せあえる存在なのだ」、と。
本当は、胸になにかがストンと落ちていた。
…「アリアナ・フロージ・マクホーン」。
(君のことを、師が身を引くほどの価値ある騎士だとは、思えない……。───今はまだ)
…ただ、「新しい風が吹いている」というのは事実のようだった。
それは、アリアナだけでなくジャックを見ていても言える。
…そして、その風の中にきっと…自分自身も含まれていた。
(まだまだ進化の余地があるということか…。人生とは常に修行だな)
「……ああ、参った……」
「!!」
矢筒にはまだ矢が残っている。これを剣の代わりにして闘うことも出来なくはない。
「だが、今日この場においては、完敗だ」───と。ベルガレットは目を閉じる。
………そして、もう一度開いた。
何もかもが無くなってしまったような。
引き換えに何か1つを掴んだような。
「降参だ」
清々しい気持ちで、目に入る大空を眺めた。
家庭では微妙な立ち位置のグレイズですが、皮肉なことに世界やベルガレットにとってはまごうことなき英雄であり、特にベルガレットからすると父のような存在でした。




