鹿騎士は笑わせたい
「ベルガレット・ティアチ・フェルビークの降参により、勝者はアリアナ・フロージ・マクホーン!」
審判の宣言に、わあっ!と歓声が沸き起こった。
間違いなく、これは今大会一の大番狂わせだったからだ。しかも、女性騎士が小隊長クラスを打ち負かしたのは、大会史上初めてのことだった。
この時のアリアナは、まだ知らないが───今日の試合は、向こう10年語り継がれることになる。
歓声に包まれながら、アリアナは「ふ―――っ」、と息を吐いた。太陽が、その日差しをさらに強め、顔を明るく照らす。
アリアナは、剣を鞘におさめた。
「ありがとうございました。
それと……虫の良い話と思われるかもしれませんが、度重ねてしまった失礼を、どうかお許し頂きたく……」
言いつつ、恐る恐るベルガレットへと手を差し出す。すると、彼はそれをしっかりと握り返してくれた。そして、力を合わせて立ち上がる。
「こちらこそありがとう。…そして、謝るのは俺の方だ」
ベルガレットは厳めしい眉を、気持ち緩めながらアリアナを見つめた。
「──今まで、本当にすまなかった…。君には是非、第2に来てほしい。
……これからもよろしく頼めるか」
「…!はい!!」
そのまま握手をして、アリアナが手を離す。すると、今度はベルガレットがこちらの手を掴んできた。握手したのとは反対の手である。
それを、ベルガレットが天高く掲げる────勝者を称える仕草だ。
これには観客ももちろん、騎士たちからも大きな拍手を送られた。……ベルガレットがこうしたパフォーマンスをするなんて、意外だ。
アリアナが少々面食らっていると、隣に立つ男が言った。
「───君に、師の面影を見た」
「さすがはお孫さんだな」。…そう言って、にやりと笑ったベルガレットに、アリアナは首をかしげる。
「いいえ。私より貴方の方が、よっぽど祖父上に似ていますよ??」
「!」
「孫の私が言うのですから、間違いありません」
言ってから、アリアナは思う。
(…ああ、そうか。だからこそ私は、小隊長に力を認めて貰いたかったのかもしれない……)
「……………」
そんな結論に達したアリアナに、ベルガレットは少しだけ目を見開いてから──すっ、と細めた。
「それと、祖父上が『ベルガレットによろしく伝えてくれ』と」
「ああ」
「『身体に気を付けろ』とも申しておりました」
「…」
それを聞き、ベルガレットは口を噤んでしまった。
──「…年齢的にも体調を心配されなければならないのは師の方だろう…。それを、『お前にはさせる気がない』と言わんばかりに、連絡先も知らせず隠居してしまったのは、どこのどなただったか???」──と。
…ベルガレットはそんな風にグレイズを苦々しく思ったのだが、アリアナはお構い無しだった。
祖父からの伝言が、まさか「貴方が言うな!」案件だとは、思わなかったのだ。突然黙り込んでしまった新しい上官に、アリアナはただただ無邪気な視線を向ける。
だって、ベルガレットが口を歪ませて笑っていたから。───金色に近い瞳は、生き生きと輝いていた。
◇◇◇
「アリアナ!!」
試合後、救護室で肩の手当てをしてもらった帰り道。
アリアナは、ヴォルフがこちらへ駆けてくるのに気付いた。
試合場の脇に構えられている事務棟は、現在選手控え室となっている。アリアナとヴォルフが居るのは、そこと救護室とを繋ぐ、渡り廊下だった。
招待客を含めた大会関係者以外の出入りは固く禁止されているエリアである。なので、人はまばらだった。
(試合が終わって1番に喜びを伝えられるのが、ヴォルフだなんて)
「なんだか嬉しい」──と、アリアナは思った。
それもそのはず。ヴォルフが誂えてくれた機会で、望んだ結果を出すことが出来たのだから!
パッ、と上向いた気持ちのまま、アリアナは怪我をしていない方の腕を上げて応えた。
「ヴォルフ!見てくれたか?!私──…」
…そうヴォルフに言い掛けて、驚いた。
目測していた速さよりも、2倍くらい速く彼が目の前に到達したせいでもあったし、背に回ってきた両腕が、思った以上の必死さでこちらを抱き締めてきたせいでもある。
「……え、と、」
「見てたよ。」
言葉に詰まったアリアナに、ヴォルフが声を発した。
「…お前が勝つとこ、ちゃんと見てた…」
「!」
驚きでカチンコチンになっていた体が、その言葉にゆるゆると溶かされていく。…とくとく、と響いてくるヴォルフの音も、やけに心地よくて。
「───うん。……ふふ」
(どうやら、婚約者殿のお気に召す試合内容だったようだ……)
勝利を称える抱擁に、アリアナは胸が熱くなる。
その高揚感は、アリアナの腕をごく自然にヴォルフの背へと回させた。
───ぎゅっ!と彼を抱き締め返す。
「、」
すると、ヴォルフがごく僅かに震え───さらにぎゅう…、とこちらを抱き寄せてきた。
それは、見る人が見れば………まるで『縋る』ような。あるいは『閉じ込めてしまおう』とでもするような。…そんな抱き方でもあったのだが、当のアリアナは別のことに気をやっていたので、気付けなかった。
「!おっと…、」
身長に差があるので、かかとが少し浮いてしまったのだ。爪先立ちでハグされていては、よろけてヴォルフに体重を掛けてしまう。
咄嗟にアリアナが体勢を整えようとした、その一瞬。
負傷した肩へ、ふわりと何かが触れた気がした。
「………?」
……が、あくまで「気がした」だけだ。
そこには今、幾重にも包帯と湿布が巻かれている。触覚が鋭敏とは言えない状態での言及を、アリアナは避けた。
…ペンペン、とヴォルフの肩甲骨辺りを叩く。
「ヴォルフ。君の顔が見たい」
そう言うと、ヴォルフの腕から丁重に解放してもらえた。彼が、こちらをのぞき込んでくる。
片眉を吊り上げ、口に笑みを浮かべている………いつも通りの顔だった。
「ずいぶんひやひやさせたじゃないか?鹿騎士さん」
「それは失礼した。だけど勝っただろう?」
にっ、と笑って答える。すると、ヴォルフが頬を軽く撫でてきた。
「………」
「──?」
(…………あ)
そこで、アリアナはようやく思い至る。
騎士達がしのぎを削る剣術大会。……その観戦に来た一般人の親類等が、あまりの苛烈さに卒倒するというのは、数年に1回程度ある話なのだ。
(…もしかすると心配させたか…!)
そう思い、アリアナはできる限り軽妙に聞こえるよう気を遣って口を開いた。間違っても、「こんなのは日常茶飯事だから平気だよ!」だなんて言って、不安を煽ってはいけない。
「私が君に誓って、それを破るなんてことあるわけない。そうだろう?」
それは、ややフワッとした声掛けだった。
ヴォルフに、適当な気休めを言いたくはなかったのである。それは嘘をつくのと一緒だ…。…だって、騎士である以上、どうしたって命の危険を0にすることは出来ないのだから。
多分、彼の方もそれを理解してくれているから、直接的な心配を投げ掛けてはこなかったのだろう。
だから……アリアナは『真実』だけを述べたのだ。──この言葉だけは、今の自分にとって事実だった。
肩をすくませて言うアリアナに、ヴォルフは少しだけ苦く笑う。そして言った。
「…ああ。…お前は最高の『契約』相手だよ」
ヴォルフが頭をくしゃくしゃとかき混ぜてくる。乱れた髪を、アリアナは手で直した。
…先程の言葉は、確かに彼を安心させてやりたくて言った言葉だ…。けれど、そんな風に笑ってほしい訳じゃなかったのだ。
「…ヴォルフ、ありがとう」
「うん? 」
アリアナからの唐突な謝辞。それにヴォルフが首を傾げる。
構わず、アリアナはヴォルフの目を見つめ返した。
───すべてにおいて、格上とも言える第2小隊長。正直「彼に勝つには、祖父上からの指導だけでは足りないかもしれない」という危惧はあったのだ。
だってベルガレットも自分と同じ師を仰いでいるのだから。
祖父自身も、「あれほどの奴なら、既に当時の穴を克服している可能性がある」と苦い顔をしていた。
「───ヴォルフ」
………アリアナは、恭しくヴォルフの手を取る。
その袖に輝くのは、カフスボタンだ。
「修行中、『勝つためには何か新しいものを習得しなければ』と焦っていた私にとって、君は救世主だった」
アリアナは思い出す。………繁る森の川辺には似合わないと感じるほど、美しい男の立ち姿を。
この婚約者殿は、祖父からの無理難題にも、己の持つもので挑戦しようとしていた。あの時は、自分が止めたけれど────きっと、ヴォルフは自力でもなんだかんだで解決策にたどり着いていたに違いないのだ。
ヴォルフはこの煌めくカフスボタンを「たいしたものじゃない」と言った。別に魚釣りの疑似餌として川に投げ込んだって、何の問題もないのだ──と。
だけど、アリアナはそうは思わなかった。
ヴォルフがボタンを手に入れられたのは、間違いなく日々の努力があったからこそなのだ。
自分は捉え方を間違えていた。
多分、焦ったところで『何か新しいもの』というのは降って湧いてくる訳じゃないのだ。
実際には、日々の積み重ねの上にようやく得られるひらめきだとか、次の段階へのほんの小さな足がけにふと気がついただとか、そういうものだから。
だとすれば、己の中に、まだ見落としている何かがあっても良いはずだ。
────だから、アリアナはヴォルフに山籠りのことを聞かせている内に気付いた疑問を、きちんと突き詰めたのである。
「当時、どうして私は祖父上の位置や攻撃を正確に誘導できたのか」───???
それは、考えてみれば不思議なことだった。
あの頃、領域は半径15メートルくらいだったはず……。対して、祖父と対峙したときは1~2メートル程の距離感だった。能力で裏をかくには、領域の内に入りすぎていたはずなのに………。
そこまで思考し、アリアナは気が付く。
もしや領域は───「幼い自分を守るために、その範囲内で無意識に縮小していたのではないか?」…と。
だとすれば、鹿の角を仕込んだ木の方向に体を飛ばすよう位置取ったり、木の上から正確に祖父を打てたことにも説明がつく。
『領域』は、自分が思うよりもっと、可変性のある能力だったのだ。
アリアナは16年経ちようやく、それを出し入れし強制的に標的を通過させることで、位置や動向をより細かく察知できる、という事実を自覚した。
あとは、その手法をいつでも使えるよう身体に覚え込ませるだけだ。
祖父から投擲の手解きを受けつつ、同時に自身を省みながら研鑽を重ねた───だから今日の勝ちがある。
「───勝利できたのは、君のおかげだよ。きっと君が居てくれたら、私はもっと強くなる」
(だから、心配しすぎないで欲しい───)
それが嘘偽りない事実だということを覚え込ませたくて、アリアナはヴォルフを一心に見つめた。
その顔があまりにも真剣すぎたのだろう。ぶはっ、とヴォルフが吹き出す。
「リアは、俺を喜ばせるのが得意だな?」
そう言ってゆるりと細められた目に、アリアナも笑顔で応える。
(そう。君にはなるだけ、そんな顔をしていてほしい)
アリアナはそう思った。近頃妙な表情を浮かべてばかりのヴォルフを、全身全霊で笑顔にしてあげたい、と。「そのためなら、私に出来ることをなんでもしてあげたい」───と。
…気を取り直して、アリアナが言う。
「今日は、人が多いだろ?本当にお祭り騒ぎでね。
支部の敷地内にも、特別に屋台が出ているんだよ!レイとハルと、皆で行こう」
「……ああ、」
「そういえばもう昼時か」……と。ぼんやり言ったヴォルフを取り残す勢いで、アリアナが続ける。
「毎年出ているソーセージの屋台があってね。とても美味しいんだ!早めに行かないと、人が並んでしまうぞ!」
「次の試合までにキチンと腹ごしらえしないとな!…あ、でも母上には内緒にしておいてくれないか?買い食いは『お行儀が悪い』と叱られるんだ」──そう捲し立てて、ぐい、とアリアナはヴォルフの手を引っ張った。
その手の温かさが生を実感させ、無意識にヴォルフを安心させたのだった。
加速するアリアナのヒーロー味。




