コレット・ギーズ⑧
8
魔族の男は倒れこそしなかったけれど、防御不能なほどにふらついた。
またもやあの一瞬の美技で終わるのかと思いきや、ケイは魔族の両足を踏みつけるように蹴る。足の関節が逆さになった魔族の男が倒れた後は両腕を執拗に踏みつけ、動かせなくなったのを確認すると馬乗りになった。そのままいたぶるように、魔族の男の顔を何度も殴り始める。緩慢な動作で、一つひとつ丁寧に、恐怖を刷り込んでいるかのようだ。
「ケイ」
私の呼びかけに、ケイは答えない。魔族の男の命乞いにも応えない。ただひたすらに拳を振り続けている。
「……もう十分だよ」
私はそう言うと、ケイの拳に割り込んで魔法を展開させた。魔族の男の頭は瞬時に塵になり、首から大量の血が吹き出す。
ケイはこちらを苛ついたような目で睨んできたけれど、私はその肩を叩いてピーターの側へ跪いた。
仰向けになっているピーターは浅い息を繰り返しているけれど、どうして生きているのか胡乱になるほどの有様だった。両腕は見るからにぼろぼろで、腹部からは血溜まりができるほどの出血がある。今の男にそれほどいたぶられたのだろう、目に見える傷は全て浅くない。
「店主、あなたの奥方の仇は討った」
ピーターは奇妙な音で返事のようなものを漏らした。
そこへケイもやってきて、ピーターの横に座り込む。
「悪い。間に合わなかった……聞こえてるか、おっさん」
話しかけながら、ピーターの顔に手を添えるケイ。その声色が、あまりにもいつもの調子と変わらないからだろうか、緊迫感がない。
「ウルターは、さっきの女が魔法使ってた。あれは多分、傷を治せたりするような魔法だな。おっさんの息子は助かる。おっさんは……」
言いよどむケイに、ピーターはかすれた声で笑い声のようなうめき声のような、はたまた泣き声のような音で答えた。
「……そうか。ウルターは、無事か……ウェンディは」
「死んでる」
短いケイの言葉に、ピーターは顔を歪ませる。
この夫妻とは短い時間しか接点がないけれど、短い時間でもわかるほどに仲睦まじい様子だった。先日の、こちらが照れくさくなってしまうほど信頼しあっている二人が目に浮かぶ。
「ケイ、俺はもう動けねえ。ウルターに伝えろ……お前は俺の息子だと、お前ならどこでもなんでもやっていけるってな」
「わかった。痛いだろ、死ぬの手伝ってやろうか」
「馬鹿にするな……俺はこれでも、熊狩って飯食ってた時もあるんだ。ああ……すまねえウェンディ、約束守ってやれなかった」
「どうせだから聞いてやるよ、おっさん」
途切れ途切れなピーターの言葉に、ケイはゆっくりと言葉を返している。あぐらをかいていつもの無表情で、まるで死に際に立ち会っているなど思えないような様子だけれど、ピーターの言葉一つひとつに相槌を打っていた。
「足が悪くたって関係ねえ、俺が守ってやるってよ。あいつが、泣いてるってのに、俺は何もできなかった。手がよ、動かなかったんだ。噛み付いても何しても吹き飛ばされるしよ、くそったれ……俺はなんて」
そこで、言葉は途切れた。
「おっさん」
ケイは一度呼びかけて、反応がないのを確認するとピーターの瞼を閉じた。
そのまま何事もなかったかのように立ち上がり、グラウコーピス一家のところへと向かう。半ば呆然としていた私も、慌ててその後を追う。
ウルターは、ピーターほどひどい状態ではないものの、顔と右腕からひどく出血した跡があり、左腕は折れているのかひどく腫れ上がっている。
アテナはそんなピーターの左腕に両手を当て、額に汗を浮かべながら魔法を展開していた。淡い黄金色の光の粒子が、幻想的にきらめいては消えていく。
あの時アテナに発現した魔法は、治癒の魔法だった。外傷はもちろん、流行り病にすら効果を発揮するとわかった時は驚いたものだった。
ケイはウルターの横にあぐらをかき、その顔を拭った。しかし、出血していたであろう場所に傷はなく、血で汚れているだけだ。
「おお、マジで治るのか。すごいなマホウ」
ウルターは意識がはっきりとしていないのか、目を開いてはいても意味のない音しか喋らない。
彼の意識がはっきりしても、待っているのは残酷な現実だ。いっそ死ねた方が幸せなのかもしれない、なんて縁起でもないことを考えてしまい、首を振って振り払った。
「アテナ、彼の容態は」
真剣な表情で魔法を展開しているアテナの背中を、できるだけ優しくさする。
「騎士様……血は止めましたし、お腹もなんともないです。でも、頭を打っちゃってて。とにかく腕を治さないと」
命に別状はないと。
私はグラウコーピス夫妻に向き直る。
「気づくのが遅れたせいで街には多大な被害が出てしまいましたが、あなた方がご無事で何よりです」
「俺たちはそこのめっぽう強い子に助けられた。怪我もないし荷物も無事ですがね……何度か世話になった食堂がこうなっちまうなんて」
アテナの父親、ジャックは苦々しげに眉をしかめている。
沈鬱な空気が、言葉を造る音を奪っているかのようだ。誰も何も話さない。もっとも、ケイに関しては元々無口なのかわからないけれど。
こういった場面に立ち会うのはもう何度目だろう。本来なら、街の治安を確認するためにすぐにでも動かなければならない。けれどそれは正論の話で、アテナとその家族、そしてピーターに対して何かをしなくてはと、何かをしたいという衝動に駆られる。
そして、私はこんな時に大抵偉そうな言葉を空回りさせる事しかできない。わかりきっているのに、私の感情はどうしようもなく行動に現れてしまう。
重苦しい空気の中で、ウルターがもがくようにうめき声をあげた。
「お……目ぇ覚めたか、ウルター」
ケイの呼びかけに、ウルターはまたうめいた。
「ケイ……無事だったか。左手が痛いんだけど……なんだこれ」
ウルターは仰向けのまま左腕を見て、アテナを見てを二度繰り返した。
「ごめんなさい、私、魔法使いなんです。今お兄さんの腕を治してるんですけど、時間がかかっちゃって……ごめんなさい」
「ああ、いや……腹に穴空いて、死んだと思ったんだけどなあ」
いつものような朗らかさはなく、無感情で抑揚のないウルター。
「じゃあ、父ちゃんと母ちゃんも治してもらったのか」
「死んだよ」
誰も答えられずに途切れるはずだった会話を、ケイはすぐさま繋げた。
「……まあ、そうか。そうだよな。小枝みたいに腕折ったり、刃物も持ってないのに腹に穴開けられてたし」
ピーターやウェンディのことを言っているのだろうけれど、ピーターの声からは不気味なほどに感情が感じられない。グラウコーピス夫妻も悲痛な表情をしているし、側にいるアテナも泣きそうな顔でごめんなさいと呟いている。
「ん、まあ運が悪かったな」
そんな中でもケイはいつも通りで、アテナがぎょっとするほど無神経だけれど。
「そうだなあ……ていうか見てたぜ、ケイ。やっぱすごい強いんだな、本当にすごいよ」
「弱くないだけだ。強くはない」
そこで少し会話が途切れた。
ケイの無神経な発言を咎めよう。これは叱らなくてはいけない。もっと人に寄り添った言葉をかけるべきだ。
そう思って口を開こうとしたところで、ウルターが囁いた。
「殺してくれ」
ぼろぼろと涙を零しながら、顔をぐちゃぐちゃに歪めて、絞り出すように囁いた。
「父ちゃんと母ちゃんのこと、大好きだった。だから死んでもいいから助けようって思ったのに、何もできなかった。ただ見てただけだ。情けなく這いつくばって、見てただけだ。恥ずかしくて、生きていけない」
小さく堪えたウルターの嗚咽に、私はまた過ちを繰り返したのだと思った。アテナの妹のときと、同じ過ちを。
けれど、自分の罪を飲み込んででも言わねばならないことがある。
「ふざけるな」
私はアテナの隣に跪き、ウルターの顔を覗き込んだ。
「君は生きてるんだ。ご両親に二度も命をもらったんだ。すべきことがあるだろう」
「あなたに何がわかるんだ」
たった一言で、私の全てを糾弾された気がした。両親が憎い私と、愛していたウルター。力を持っている私と、持っていなかったウルター。私にとってこれ以上ない言葉だ。
いっそのこと、私の正体を明かしてしまおうか。たった一人くらいになら許されるだろう。
いや、それすら絶望に変わるかもしれない。私がいたのにどうして、という批判ならまだいい。私がいるからと言われたら、何も言えない。
「……死にたいなら、殺してやる」
「だめです! 何言ってるんですか!」
ケイの言葉に、アテナが即座に否定した。それに対して、ケイもすぐさま反論する。
「なんでこいつの意思をお前が捻じ曲げてんだよ。もう生きていたくねえんなら、生きてたってしょうがねえだろ」
「生きたいとか死にたいとか、わからないうちに死んじゃう子もいるのに! 死にたいから死ぬなんていやなの!」
「お前が決めんな。死にたくても死ねない思いもしたことがないクソガキが」
「でも、だって、生きていれば、何かあるかもしれない」
「……だとよ、ウルター」
「もういいよ、ケイ。アテナちゃんだったよね、ありがとう。いつかどこかであるかもしれないけど、今は、もういいんだ」
ウルターは、よく見覚えのある表情をしていた。全てを諦めて、何もかもがどうでもよくなってしまった人。戦場だけじゃない、疲れ切ってしまった人はこんな顔をしている。
もう何度も見た光景だ。何度も見た悲痛だ。何度も見た暗澹だ。
いくつもの絶望でできた何かで、私の道は形作られている。何度も心を折られた。何度も砕けた。けれど通り過ぎた絶望は、後ろから力づくでツギハギにして無理やりに固めて、私の心はどれほどおぞましい形になっているのかわからない。
私は小さく息を吸った。
「ウルター、私の名はコレット・ギーズ。セルゲイ聖騎士団の副団長、コレット・ギーズだ」
私の言葉に、ウルターは少し目を見開いた。
「私はな、ウルター。怒っているんだ。君みたいな人をもう何千人と見てきた。どうして私は、そういう人が増えるのを止められないんだと、怒っている。だから、戦争や紛争を終わらせるには、悲しいけれど戦うしかないんだ。少なくとも、私はその方法しか知らない」
ウルターの胸に手を当てると、まだ新しい血の生々しい温かさが感じられた。
「戦え。どうせ死ぬなら、私が望む未来のために命を使え」
「はは……まさか、あなたがコレット様だったとは」
「今まで私が戦ってきたのは、少しでもいい未来がくるようにと願ったからだ。だから、死にたくなっても、絶望しても、戦って、君にも繋げて欲しい」
ウルターは、弱々しく私の手を握ってきた。私はその手を力強く握り返し、真っ直ぐに、必死に伝える。
「今、ご両親が繋げてくれた命を、未来のために使って、昨日よりも少し良い明日を繋げて欲しい」
「コレット様……」
ウルターは嗚咽を抑えきれないのか、一層大きく体を震わせた。
もう何度も見た光景だ。何度も見た悲痛だ。何度も見た暗澹だ。
私はその全てを背負って戦うんだ。
だから――
「コレット・ギーズだな」
背後から懐かしい声が聞こえた。
ケイがその男の方を見るなり立ち上がり、臨戦態勢をとった。
「お前……もう来やがったのかよ」
「……お前に用はない」
「あ……?」
ケイは男から後退りながら距離を取る。
私は思わず笑いそうになった。そんなに警戒する必要なんてないと、ケイにはわからないだろうから。
恐る恐る振り向くと、そこには思った通り長年想い続けていた人がいた。私が目指している本物の騎士。あの人なら挫けない、あの人なら立ち止まらない、そう信じて造られた私の道。だから、歓喜を堪えるのに必死にならなくてはいけなかった。
少し老けてしまったのか、顔にはシワが増えている。どういう風に生きてきたのか、険しい雰囲気を纏っている。
けれど、私が間違えるはずがない。
「アーサー様……」
「ああ、コレット。そのままその男を看ていてやれ」
「え?」
「死ね、ギーズ」
アーサー様が私の胸に短剣を突き刺した。
私の心臓から短剣が突き出ている。一瞬もしないうちに血が吹き出して、ぬるりとした感触が腹を伝った。
アーサー様の方を見ると、まるで汚泥でも見るかのように私を見下ろしていた。
そこで私の意識は途絶えた。
これは希望の物語ではない。




