コレット・ギーズ⑦
7
「うるせえな……ちょっと、あんたも泣いてないでさ、説明してくれよ」
「黙れ! お前この状況でよくもそんな……男として女性を襲うなどさすが下民だな」
ケイがうんざりとした様子で天を仰ぎ、アリウムが激昂している。
よく考えるとこういう状況の予想はついたはずだけれど、それにしたって笑劇と言われても笑えない。
「アリウム、ケイはそこの婦女を助けた側だよ。落ち着きなさい」
アリウムは、私に気づくとすぐさま胸に左拳を当てて敬礼の姿勢をとった。
「コレット様! しかしこいつは」
「黙れ、アリウム。今お前と言い争う時間が惜しい。よく聞きなさい。お前はそこの婦女を保護し、サブルディの帰還まで待機。サブルディには街で暴れる魔族鎮圧の指示をせよと通達しなさい。その後、アリウムはサブルディの人選でマリア様の護衛に。状況開始だ」
何か言いたげなアリウムだけれど、最後に強めに言うとケイに睨みを効かせながらも指示に従った。
私は、ケイに向き合った。
「まずは、無辜の民を助けてもらって礼を言う」
「別に。あいつのせいで仕入れた食材を台無しにされたのがムカついただけだ」
ケイはそう言うと、道の脇にある籠を指さした。その付近には川魚やウサギ肉、野菜などが散らばっている。
「とにかく、君にお願いがある」
「断る。うるせえ」
「……まだ何も言っていないじゃないか」
ケイはため息をつくと、気だるげに街を見渡した。
「魔族はいるわ、亜人はいるわ、強盗にレイプに殺し……ここはいつから禁止区域になったんだ?」
ケイの口から禁止区域という言葉が出てきたことに少し驚くけれど、今は置いておこう。
「ここはあんな場所とは違うよ。けれど、魔族が現れてしまったらしくてね、どうにかしたいんだ」
「他当たれよ」
まるで空気を叩いているようだ。
「今は少しでも戦力が欲しい……早急な解決ができなければ、君のお世話になっているあの家族にも被害が及ぶかもしれない」
ケイは少し長い息を吐き出すと、私をじろりと睨んできた。
「脅しかよ。ていうかさ、普段この街で見ない妙な連中がやってきてから、こんな事が起きてんだよな」
言われて、言葉に詰まった。
マリア様の言によれば、私たちの一団が原因ではないはずだ。しかし、それを証明できるものは何もないし、あったとしても今ケイが言ったような噂は今後湧くように囁かれるだろう。
早く事態の収束に向けて動かなければならない。焦りで拳が滑る。
「……君が、あまりに強かったから、助けて欲しい」
私は何を言っているんだろう。統一大陸最強と謳われる騎士は、私自身にほかならない。なのに、私は昨日今日知り合ったばかりの青年に助けを求めている。自分で納得できるようなできないような、意味のわからない混乱で目が泳ぐ。
「あんまり目立ちたくねえんだよ」
魔族を圧倒したところを目撃したとは言え、たった一人だ。私はもう何人殺して回ったのかわからないくらいなのに、たった一度の光景が激しく瞼に焼き付いて離れない。
「コレット様、正気ですか!」
そこへ、アリウムが割って入ってきた。
「こんな得体の知れない下民に頭を下げるなど、コレット様が汚れてしまいます。それにこんな奴をアテにするなど、お気を確かになさってください!」
正気。私は正気ではないのだろうか。
それはともかく、余計な邪魔をして欲しくはないのに。
「そこのクソガキがムカつくからやるわ。サラだかコレットだか知らねえけど、手ぇ貸してやる。その代わりこのクソガキをよく教育しないと殺しちゃうかもしれない」
「クソガキだと……貴様、鞭打ち程度では済まさんぞ」
アリウムが叫んでいるのも、ケイの不気味な笑顔も、二人が口づけでもしそうな距離感でにらみ合っているのも、彼が了承してくれたことで気にならなくなってしまった。
「ありがとう、心強いよ」
「ああ、まあ……あの家族には世話になってるしな。八割クソガキへの当てつけではあるけど。魔族を潰して回りゃいいのか?」
ケイはアリウムを無視して騒ぎの方向に首を傾げた。
「アリウム、その婦人を頼んだ!」
一言そう告げてから、私はその方向へ走り出した。
私の後をついてくる気配は、すぐに私を追い越していった。言葉を交わさずとも即時行動ができる上、
「俺あっち行くから」
と別行動を示す。
私の戦力を知ってか知らずかはわからないけれど、私のやりたいことを行動で的中させてくれる。
ふと懐かしい安心感を覚えた。意味の分からない信頼感だ。いつどこで、こんな気持ちになったのだったか……
ケイの姿が見えなくなるのと同時に、魔法を展開する。
魔法が発現する確率は限りなく低い。血統も法則性もなく、ある日突然発現することから、神からの授かりものとする声は大きい。その証拠に、セルゲイ教では魔法使いとは神に選ばれし者だという教えがあるくらいだ。
発現する魔法にも法則性はなく、何もないところから火を出現させる者や、物触れもせずに物を動かせる魔法使いもいる。その中でも戦闘向きな魔法使いは戦場に駆り出され、バリスタや投石機よりも遥かに高い戦果を挙げることも少なくない。
最近になって出回り始めた銃は、そんな魔法使いに対抗する強力な兵器だった。離れた場所から躱すこともできない速度で致命傷を与え、当たりどころが悪ければ即死。数こそ少ないけれど、それでも魔法使いの勢いを殺すには過剰な性能だった。
私が最強と言われる所以は、その銃撃すらも無効化してしまうことにある。
私の魔法は、膜だ。薄い膜の形を自由自在に操り、二歩ほどの距離までなら伸ばすこともできる。膜に触れた物が剣であろうと銃弾であろうと、目に見えないほどの塵になる。その膜で体全体を覆えば、無敵の鎧になるというわけだ。
故に私は最強の魔法使いと呼ばれ、戦場で返り血を浴びることすらない。無敵の英雄、統一大陸最強の希望などと、私が呼ばれているのはそういう理由からだ。
その私が、負ける想像をしてしまう。たった一人の魔族を打ち倒しただけなのに、圧倒的な力を思い知らされた。たった一度の戦闘で、脅威を感じるだけの魅力があった。
まるで熱に浮かされているようだ。
魔族の数がどれほどだとか、奴隷の亜人はどういった者たちなのかとか、そういった不安の隙間がなくなるほど、ケイのことが頭から離れない。
二人ほど魔族を見つけて始末しても、いつもの葛藤すら忘れていられるほどだ。魔族も我々と変わらない知恵や情があって、家族や友人もいると、私は知っている。だから罪悪感と正義への疑いで胃が圧し潰されるのを感じながら、私はいつも戦場を走っていた。
ところが、今はざらついた感情がまるで湧いてこない。不思議だ。
彼ほどの男が人のために戦ってくれたなら、私と肩を並べて戦ってくれるなら、私の理想を受け入れてくれるなら。それは私にとって、どれだけの希望になるだろう。
「早く、彼に会いたいな」
口にすると、私はそれをあっさりと受け入れられた。これはきっと、一目惚れだ。私は彼を、格好いいと感じてしまったんだ。
魔族の暴力行為を止めながら、私はそんな益対もないことを考えていて、なんだか笑ってしまった。
道すがら住人から情報を聞き出しながら魔族を殺して回る。途中、私に覚えのない魔族の死体を一つ見つけたけれど、どうやったのか首をへし折られていた。快感のような何かに背筋を撫でられた。五人目の頭を消し飛ばしてからしばらく走り回ったけれど、騒ぎが沈静化していく様子が喧騒から感じ取れた。
一段落したと判断していいだろう、一度マリア様のところへ戻ることにした。
街の様子は、惨憺たる有様だった。ぴくりとも動かない男の死体や、犯されてから惨殺されたであろう女の死体、首が捻じ曲がっている子供の死体が、ちらほらと転がっている。
どれほどの人が犠牲になってしまったのか……目礼だけで済ませなくてはならないことがもどかしい。母親を呼んで泣く子供や、破壊された家の前で呆然とする人たちの声なき声の一つ一つに胸を刺される思いだ。
マリア様のいる宿への道すがら、逼迫とした声を見つけた。見える景色には見覚えがある。嫌な予感を胸に駆け寄ると、騒ぎのある場所はやはりオディオ夫妻が営む食堂だった。
状況を見た瞬間、思考ができなくなった。
食堂こそ破壊されていないけれど、そこにはやはり魔族がいて、その傍らにはオディオ婦人が倒れていた。衣服はぼろぼろで、見るからに強姦された跡が血と泥で上書きされている。
魔族が羽交い締めにしているのは、両腕があらぬ方向を向いてしまっているけれど、側で倒れ伏しているオディオ婦人のその夫だった。血だらけの顔は憎しみで歪み、どうにかして反撃しようと暴れている。
しかし、魔族はそんなピーターの様子に愉悦している様子はなく、むしろ肩で息をして必死の形相で正面を睨んでいた。
魔族と相対しているのは、ケイだった。特徴的なくせ毛のおかげで、後ろ姿でもす瞬時にそう思った。そしてピーターを人質にとられて動くに動けない状況であることも、すぐにわかった。
よく見ると、少し離れた所に頭部の割れた魔族の死体と、その凶器であろうナタが転がっていた。そして苦しそうに身じろぎする一人息子のウルターもその近くで倒れており、それをアテナとその家族が介抱している。
奇しくも、あの食堂で縁あった者たちが集っている形になってはいるけれど、状況は最悪だ。
ああ、またか。私はまた間に合わなかったのか。
「殺してやる! 離せこの……」
「黙れ……なあ兄ちゃん、わかんだろ? 兄ちゃんが俺を殺すより、俺がこいつを殺す方がはえーんだ。なあ、こいつは兄ちゃんの父親か? わかんだろ、なあ」
暴れるピーターに苛ついているけれど、それよりもケイが脅威だと思っているのだろう、僅かに媚びた調子を混じらせる魔族。
それに対し、ケイは身じろぎ一つせずに立ち尽くしている。彼は今どんな表情をしているのだろうか。
「そのままどっか行ってくれりゃ楽でいいんだけどよお。なあ、おいどっか行けよ」
「っせえボケ。殺すぞ」
ケイの言葉に、魔族はびくりと体を震わせた。
「おっかねえなあ、おい。兄ちゃんがつえーのはわかってっから、なあ。そのまま大人しく……動くなってんだよおい!」
魔族の男がピーターを抱えたまま後ずさるが、ケイもそれに続いてじわりと間合いを保つ。
私は小さく息を吐くと、魔法を展開したままケイの隣に立った。
「そこの魔族、その人を離せ」
私の登場に対して、反応は様々だった。ケイは横目で一瞥だけよこし、魔族の男は怪訝そうに眉をしかめた。アテナは私の偽名を叫び――こんな時でも律儀な子だ――その家族は表情を明るくさせた。
「こりゃまた……キレイな姉ちゃんだ。けどよ、それはできねえな。そこの兄ちゃんがおっかなくてよ。なあ、姉ちゃんがそいつを追い払ってくれるのか?」
「……それはわからない。けれど、私が代わりに人質になろう。大事な人なんだ、その人は」
私の言葉に、魔族の男は笑った。どうにも、この男の言動は私に嫌悪感を覚えさせる。
「へ……へへへ。なんだい、こいつぁ姉ちゃんの親だったかい。てこたぁ、そっちの兄ちゃんは弟か? まあ、そうしてくれるってなら、そっちの方がいいけどな。なんせこんなジジイよりキレイな姉ちゃんの方が、なあ、楽しめるだろ」
「わかった。ならその人を離せ」
「まずは姉ちゃんがこっちに来てからだろ? そうじゃなきゃ、おっかなくていけねえ」
その言葉に、私は躊躇なく前へ進み出た。十歩ほども歩くと、魔族の男に触れることができるほどの距離へ来れた。
魔法も一旦仕舞う。ピーターに魔法が触れたら、死んでしまうだろうから。
騎士の装備もしておらず、冬季の厚着だけの女が魔族の眼の前に立つなど、自殺行為に等しい。もっとも、魔法などなくともその辺の魔族に負けない戦闘術は習得しているのだけれど。
無防備でいる私の様子に、魔族の男は下品な笑みを浮かべた。私の肩を掴み、ピーターを解放する様子など欠片もない。
けれどそれで十分だ。
騎士団仕込みの格闘術で魔族の男の手を捻り上げ、怯んだ隙にピーターを突き飛ばす。ピーターの捕縛を解いてしまった男は、憤怒の形相で私の首に向かって手を伸ばし――
「死ねカス」
ケイの、目にも止まらぬ右拳で吹っ飛んだ。




