8.スランプ
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翌早朝、いつもの場所へ出かけようとすると、外から話し声が聞こえてくる。
「だから、俺もやるんだよ」
「ラフくんはケイのことが嫌いでしょ」
「……嫌いだ。あんなやつ、大嫌いだよ」
アテナとラフテノの声だ。
アテナはともかく、ラフテノも早起きしてきたのか。
「だったら、無理しなくてもいいよ」
アテナにしては、棘のある言い方だ。
ラフテノは少し黙っていたが、やがて零すように呟いた。
「俺、強くなりたいんだ」
「そうなんだ」
アテナのどうでもよさそうな相槌にめげす、ラフテノは続けた。
「元々考えてたんだ。ジャクマンおじさんみたく強くて逞しくなりたいって。ほら、この辺は熊も多いだろ。そういう時にさあ……」
ラフテノの声から、もどかしげな様子が汲み取れる。もっとうまく言えるはずなのに、もっとうまく伝えられるはずなのに。好きな女の前故の緊張なのか、語彙力不足なのかはわからない。それでも必死に何かを伝えようとしていた。
が、うまく言葉にできずに黙り込んでしまう。
そこで、俺はあたかも今起きたかのような不機嫌顔で姿を表した。
いつも通り井戸で顔を洗いカピトスとフィデリスを解放したところで、あたかもたった今ラフテノに気づいたかのような反応をしてみせた。
「来たのか」
「……俺もやる」
「はぁん。本気で言ってたんだな」
「え? いや、オマエが……」
「てっきり冗談だと思ってた。こんな朝早く起きれるとも思ってなかったしな」
ラフテノの言葉を遮り、俺は続ける。
「やるならやりきれよ」
俺の意図が伝わったのかどうかはわからないが、ラフテノは黙って頷いた。
ラフテノは、いつかのアテナのように弱音を吐かずに訓練に参加し続けた。男としての体が出来上がりつつあったからか、アテナよりも早く順応できたくらいだ。
組手に関してもアテナやジャンと一緒になって参加して、ジャンと同程度までぐんぐん伸びていった。
「もう俺より強そうだな」
と、ジャンがぽろりと漏らした夜の事だ。アテナに呼び出されてついていくと、俺たちに気づいたフィデリスとカピトスが何事かと吠え始めた。仕方なく二匹と一緒についていくと、いつもの訓練場へ連れていかれた。
ランプを置いた切り株を挟んで座ったが、アテナはしばらく何も言わなかった。仕方ないので二匹を撫でて暇を潰していたが、それでも話さない。
「おい」
痺れを切らした俺が声をかけると、アテナはぽつりぽつりと始めた。
「……私、コレットみたいになれないのかなって、最近思うの」
俺はほっとしたやら、悩みの内容に頭を抱えたくなるやらで、相槌すら打てなかった。
「元々ね、ラフくんの運動神経がいいのは知ってたの。でもね、お兄ちゃんの事をすぐ抜かすようになるなんて、思ってなかった」
アテナの様子を気遣ってか、二匹の犬はアテナの両脇へすり寄っていった。賢いなこいつら。
「私、全然うまくできなくて、どうやったらうまくできるのかわかんなくて」
アテナの声に涙が混じりだす。というかランプの光だけでもわかるほど泣いていた。
「いや、女にしてはよくやってると思うぞ」
とりあえず当たり障りない言葉を投げてみるが、当然アテナは泣き止んだりはしない。
「悔しいよ、ケイ。悔しい、悔しいよ」
だが、それでいい……!
違う。やろうとしてる事こそ博打だが、アテナは博徒ではない。
薄々こうなるんじゃないかとは感じていた。
自分の経験なんて甘酸っぱいものじゃない。ただ、前世には腐るほどそういう物語があって、同じ立場に立てばそうなるのは簡単に想像できるってだけだ。その物語ってのは、やろうと思えば自分の経験としても吸収できてしまう。想像力さえあればだが。
だからそれを乗り越える方法もなんとなく思いつくし、気持ちの整理の仕方もそれなりにアタリをつけられる。
しかし現世はどうだろう。
他人の物語も空想の物語も、大衆に出回っている気配は感じない。せいぜい栄えた街にたまにやってくる旅芸人が、唄としてむにゃむにゃ伝えてくれるだけだ。
他人はできるのに、自分はできない。劣等感を自責感と混濁して、バネにしようとしてもうまくいかない。つまりは、スランプというやつだ。
「それに、最近ケイとの時間も減ってて、楽しくない……」
「俺は人と競うのが嫌いだったから、お前みたいな経験はない」
話が花畑へ足を向けようとしたのを察して、俺はとにかく何か言ってみた。計画性なんてない。
「他人の良し悪しにも、自分の良し悪しにも興味がなかった。だけど出来が悪いと勝手にむかついたのは不思議だったな」
「……でも、ケイはすごいでしょ」
俺がすごい? 馬鹿言うな。死んで生まれ変わった先で死に目に合って、やっと憎しみを糧に生きる気力を湧かせてる。もっと言うなら、今のまともな生活だっていつ捨てたっていいと思っているくらいだ。
「お前にそう見えてるのは……」
と、今度は俺が黙り込んでしまった。
今の俺は一体なんだろう。
現実として、俺は理不尽な環境によって強くなってしまった。夢幻とかじゃない、今ここに確かにある事実だ。
しかし、これが自分の努力や力かと言うと、そうではない。
性格だって、根はクズでカスまみれのゴミ以下だ。
まあ、どうでもいいか。
「とにかく、俺に夢見るのはやめとけ」
迷い込みそうになった思考を放り投げ、俺は続ける。
「人より出来なくて悔しいってのは、俺からしてみたらいい事だ。競争に興味がないと、強くなるなんてできないからな」
「ケイは興味がないのに、強いの?」
「まともじゃないんだよ、俺は」
「でも、ケイはすごいよ」
「俺がすごく見えるのは、お前が弱いからだ。勝ち方を教えてやってんのにいつまで経っても実践しない。成長なんてするわけがないな」
「前に言ってた、人を騙すってこと?」
「ああ」
「でも、だって、それは良くないことだよ」
「なら、お前は負け続けるだけだ。ピエールにも、ラフテノにも、コレットにも」
「コレット? コレットには勝てるわけないよ……」
「それだ。それがだめだ。コレットは戦争に勝とうとしてただろ……ああ、なくすためとか平和を目指したとかそういうのはどうでもいい。けどな、コレットは失敗した」
そこで、まだ涙の痕を残したまま表情を消した。
「なにそれ。コレットが悪いみたいな」
「その通りだが」
「……いくらケイでも、言っていいことと悪いことがあるんじゃないかな」
アテナは怒気をぶつけてくるが、俺は鼻で笑ってやった。
「ダメダメだな。最悪だ。何もできちゃいない。いくら強い魔法があろうと、どれだけ人望があろうと、あいつはダメだった」
アテナからビンタが飛んできたので、俺は腕を掴んで防いでやった。
「取り消して」
「取り消さねえよ。あいつできなかった。弱かったから死んだ。お前も、あいつみたいに馬鹿面晒して死ぬんだろうな」
追撃として、アテナが放ってきたのは鋭い蹴りだった。が、暗闇だろうと視界を完全に奪われていようと、俺には余裕で防げる程度のものだ。
アテナを地面に組み伏せ、さらに力の差を見せつけるように顔を擦り付けてやった。犬たちがアテナを守ろうと俺に噛みついたりしてくるが、知ったこっちゃない。
「お前さ、勘違いしてんだよ。俺の事すら良い人だとか思ってんだから、能天気なもんだよな」
アテナがうめき声を上げるが、俺は構わず続ける。
「お前が何を目指してるのかは知らないし、どうでもいい。けどな、コレットの目指したものを目指すんなら、コレットみたいになりたいとかヌルい事言ってちゃできるもんもできねえんだよ」
俺の言葉に、アテナは暴れるのをやめた。
「お前がそれを成し遂げようとするなら、コレットに勝てないとお話にならない。お前の中でコレットはどれだけ高い場所にいる、どれだけ強いと思ってる。それを超えなくちゃいけないのに、嘘は良くないだの人を騙すのは良くないだの……お前にできるわけねえだろ」
アテナはまた体を震わせて泣き出した。
俺は、もう暴れないだろうと判断してアテナを解放してやったが、犬たちはしつこく噛みついてくる。
それを引き剥がしながら、ため息をついた。
なんか、もっと上手いやり方があったんだろうな。アテナとの関係を悪くしない程度の、うまいやり方が。
アテナはこの事をジャックやイザベルに話すだろう。その日あった事を食卓でべらべらと喋るような奴だ、この事を共有しないわけがない。
「……また短い平穏生活だったな」
俺は誰にともなく独りごちた。
俺は再び適当な切り株に腰掛け、アテナが泣き止むのを待った。
現実逃避したくなるほどの夜空が、俺の脳みそを空っぽにしてくれる。前世の星座と違うところはあるんだろうか。この世界にも北極星はあるんだろうか。たぶん俺の頭じゃ永遠にたどり着けないんだろうな。
どれだけ時間が経ったのかはわからないが、アテナは立ち上がった。逆光になって表情は見えない。
「ごめんなさい」
「……あ?」
開口一番謝られるとは思っておらず、俺は間抜けに口を開けた。
「ケイの言う通りだ。私、気づいてなかった」
一拍置いてから、アテナは続ける。
「うん……コレットはきっと、私の知らない辛い経験をいっぱいしてきたと思う。その度に、色んなものがなくなっていっちゃったと思う」
アテナがどれだけ想像力を働かせたのかは知らないが、俺もその通りだと思う。戦争するってのは、そういう事だ。
「やるよ、ケイ。私、やるよ」
「……そうか」
「だから、教えて。私の知らないこと、全部」




