6.怒りと怒り
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前世での買い出しとは違い、ショッピングモール一箇所で全てを済ませる事はできない。家庭ごとに扱っている仕事が違うし、そも店ですらならい一般家庭との売買すらある。
そのため、街のあっちこっちを行ったり来たりしなくてはいけなかった。なぜ効率よく一周で回らないのかと聞かれたら、馬鹿言うなと怒鳴ってやりたい。
まず、そもそも店をやっていないとか、人が不在とかの場合。
次に、冬以外はどうやら約一ヶ月周期でこの街に来ているらしいので、必要な物の量が多い。時には一種類の物のために何箇所もの店を回って、それでも必要量に達しない場合もある。
とても一日二日で集めきれるもんじゃない。
俺の体力を持ってしても、せいぜい一日短縮できる程度だ。イザベルたちは感心していたが。
よく来ているというだけあって、街の中で呼び止められる事が多かった。
特にアテナは子どもたちに人気らしく、しばしばあちこち連れて行かれる。事前にイザベルから治安が悪いからそうなった時はと頼まれていたため、必然的に俺も引きずり回された。
今は、中学生から保育園くらいの子どもたちがアテナへと群がり、アテナはそれに笑顔で応えている。
「アテナねえちゃん、会いたかったー」
「アテナ、おっきくなってる!」
「ねえねえ、編み物できるようになったよ!」
「アテナお姉ちゃん久しぶり。お姉ちゃん恋人できたの?」
などなど、なんとも騒がしい。
関わって欲しくないので距離を取っているが、アテナの取り巻きがチラチラとこちらを見ているのは何となくわかった。
イザベルとジャクマンは近所の大人たちと話している。治安が悪いと言っておきながら、アテナを気にする様子はない。ずいぶんと信用されたもんだ。
にしても、女子の割合が高いからか甲高い声が多い。どうやらアテナは否定しているのに、俺がアテナの恋人だと思われているようだ。精神年齢おっさんの俺には聞くだけで精神攻撃になるから聞きたくもないんだが。
しかしこうして子どもがいるのを見ると、スラムを思い出す。清潔さこそスラムと大差ないが、顔色や血色は段違いに良く見える。
金が流通している時代で、まともな経済が物々交換という馬鹿みたいなところだ。孤児は盗みでしか生きられなかった。
治安が悪い、ねえ……
くだらん。このまま勝手にどこかぶらついてやろうか。
と、思ったところで取り巻きの一人がこちらへやってきた。
年の頃は小学高学年くらいだろうか。にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべる男の子だ。
「ねえ、今アテナおねえちゃんと暮らしてるの?」
聞き取りに少し時間がかかりそうな滑舌だ。舌っ足らずなんだろうか。
「……世話にはなってるな」
「そうなんだあ。ぼくね、ピエールにいちゃんも、ジャクマンにいちゃんも、ジャンもみんな好きだよお」
「おう……そうか」
「あのねえ、僕はアミスだよお。おにいちゃんは?」
「ケイ」
「ケイにいちゃんは、ラフテノとも仲がいいの?」
「誰だそれ」
「そっかあ。知らないのかあ。あのねえ、かっこいい子だよお。ソアラお姉ちゃんもすごい優しいよお」
アミスは知ってる人間を手当たり次第に褒めては、俺の返答そっちのけで要領の得ない会話を続けた。
俺もすぐに相槌が適当になっていったが、アミスはそれにも構わず周辺人物の紹介を続けていた。最終的には、俺の返事も母音の返事だけになっていった。
買い出しを終えたのはそれから三日後の事だった。
「言い忘れてたけど、この街にはよく来ることになるんだから、みんなと仲良くしないといけないよ。まあ、あんたに言っても望み薄かもしれないけどね」
馬車に荷物を積み終えてさあ帰ろうという時に、イザベルがそんな事を言われた。
俺に言っても無駄なのは本当にそうではあるんだが、もっと早く言えや。
俺たちがグラウコーピス邸に帰ると、周囲にいくつかのテントが張られていた。ちょっと前に言っていた近所の若い衆とやらが、いよいよ仕事をしに来たらしい。
俺は軽い挨拶程度で済ませたが、ジャクマンは今にも酒を飲みだしそうな勢いで社交に張り切っていた。
俺はそれから逃げるように家の中へ入ろうとしたが、若い声に呼び止められた。
「おい」
正直無視したかったが、これからのためにぐっと踏みとどまった。
声の方を横目で見ると、アテナと同じ年頃の男の子が腕を組んで俺を睨んでいた。ふんぞり返って俺を品定めしているようだが、体が小さいからか顔が幼いからか、迫力はない。
「……なんですか」
「オマエ、ケイか?」
「そうですけど、あー……そちらは?」
「ラフテノだ、覚えとけ」
ラフテノ……どこかで聞いたような。
思い出そうとしていると、ラフテノはこちらへ近づいてきてじろじろと俺を観察してきた。
俺が何も言わずにいると、ラフテノは一通り観察を終えた後、鼻を鳴らした。
「大したことなさそうな奴」
「ころ……それはどうも」
本音が出かけた。
「どんな奴なのかと思ったら……農具も持てないんじゃねえのか」
「てめえぶっ……一応持てますよ」
スラムならこいつは半殺しになっていた。
ラフテノはもう一度俺をジロジロと観察した後、鼻も鳴らしてアテナの方へと行ってしまった。
そして俺への態度とは打って変わり、弾けるような笑顔でアテナへと話しかけていた。
しかしよく見ると、所々で男らしさを強調するように腕まくりしたり、力こぶを見せてはしゃいでいる。
あいつはあれか、アテナに惚れてるのか。だからと言って俺に噛みついてくる理由はわからないが。
「懐かれたな」
俺が青筋を立てていると、今度はピエールがやってきた。
「あ? あれのどこが懐いたんだよ」
「ケイたちがいない間、家に新しく来たケイのことをよく話していてな。気になるらしい」
「……気分が悪い。寝るわ」
「仕事だ」
それからは慌ただしい日々が続いた。
春の仕事始めにやる事は山程あった。
雪に乱された水路の整備、まだ抜けていないぬかるみの除去、放牧地を囲む柵の整備、畑の耕作エトセトラエトセトラ。
日課になっていた鍛錬の時間が取れないほどの過密っぷりに、俺は早くも嫌気が差し始めた。今までは、のんびりぬくぬく異世界スローライフと言ってもいいくらいの緩さだったのに、忙しい時期は仕事が減るどころか雑草さながらに増えていく。
もちろん、体は憎たらしいほどに弱音を吐かない。が、前世を彷彿とさせる精神状態になってしまうのは、俺が生粋の怠け者だからだ。
全部ほっぽり出して人間関係リセットしたい。
加えて、俺の精神を削ってくるのがラフテノだ。忙しいにも関わらず、ラフテノは事ある毎に俺に噛みついてくる。具体的には、
「おい、ここ耕せてないぞ! これくらいちゃんとやれよ!」
とか、
「すぐ錆びるんだから、ちゃんと手入れくらいしてくれよ!」
とか、
「はん、体をキレイにするなんて女々しい奴だな」
とかだ。
これの何が頭に来るかって、全部アテナが近くにいる時の出来事な事だ。鼻の穴を広げながらちらちらとアテナの様子をうかがい、俺が我慢していると悦に入って胸を張る。不愉快この上ない。
体感年齢的に二周り以上年下に大人気ない? そんな事言われたら歯がなくなるほど殴り続ける自信がある。
そんな態度を表に出しているつもりはなかったが、人間何となく感じる事ができるらしい。グラウコーピスに働きに来た連中からは話しかけられる事が激減した。元々一人でいる事は多かったが、輪をかけてそうなるようになった。
そんなある日、仕事が一段落して少し時間ができた。
俺はストレス発散とばかりに鍛錬へと繰り出した。
アテナもそんな俺を目ざとく見つけて金魚のフンのようについたきた。
犬たちといつものかけっこ、雑草の生い茂った鍛錬場を踏み鳴らすようにいつもの筋トレ、アーサーとのいつものシャドー、いつもの栄養補給。長年の習慣になっていた作業を終えると、やや気持ちが落ち着いた気がした。
が、事が起きたのはその後だ。
アテナがいつものように組手をして欲しいと申し出てきたので、いつものように家の前で組手をやっていた時の事だった。
「おい、女をいじめるなんて何考えてんだよ!」
と、怒りの表情でやってきたラフテノ。それに対してアテナがきょとんとした表情で首を傾げた。
「違うよラフくん、これは私が頼んでやってもらってることだよ」
「アテナ、無理する必要なんかないんだぞ! そんなことする必要ないんだから!」
アテナは少しむっとした表情をしたが、ラフテノは気づかない。
「オマエ、恥ずかしくないのかよ。女相手にそんなことして……最低な野郎だな!」
「あー……待て少年。これはいつもやってる事で、つまりだな」
アテナの顔が赤くなっていくのを見ながら、俺はのろのろと言葉を探った。
「いつも? いつもアテナを殴りつけて楽しんでるのか? この野郎!」
ラフテノは、叫びながら拳を振り上げてこちらに突進してきた。
素人丸出しの喧嘩突進だ。その気になればカウンターで殺す事もできる――それができたら気持ちよさそうだ――が、そんな事をしてしまってはこれまでの努力が無駄になる。
ラフテノの気持ちがわかってしまうのも厄介なところだ。前世では、俺も人並みに恋をした事があって、似たような感情を持った事があるからだ。好きな女には庇護欲が自然と湧き上がるってもんだ。
しかしだからといって、ラフテノに対していい感情を持てるかと聞かれたら、それはまた別の話だ。こちとらいいだけ噛みつかれてるんだ、ちょっとくらい痛い目を見せてやってもいいだろう。
そう思った俺は、反撃してしまわないように注意しながら、ラフテノの拳を大人しく顔面で受け止めた。
アーサーに良いだけ殴られて顔も鍛えられている俺には痛いくらいで済むだろうが、さてラフテノはどうかな。
案の定、ぴくりとも動かない俺を見て怯み、次に拳に痛みを感じたのか顔をしかめた。ざまあみろクソガキ。
仄かな仕返しに多少溜飲を下げられた。
と、思っていたが、思わぬ反撃はアテナから放たれた。
側で見ているとよくわかる、見事で無駄のない体捌きからの平手打ち。腹に力を入れて体全体を上手く使った平手打ちだ。
その証拠に、平手打ちを食らったラフテノは二メートルは吹っ飛んだんじゃなかろうか。
「ラフくん、ケイに謝って」
アテナは機械的に言った。
「あえ……アテナ?」
「私が、お願いしてるの。強くなりたいから」
「いや……でも。え?」
「謝って」
脳みそが揺れているのか状況が理解できていないのか、ラフテノは困惑した顔をしている。
「いや、だって、俺はアテナを守りたくて」
「謝って」
アテナが詰め寄ろうとしたところで、騒ぎを見ていた大人たちが仲裁にやってきた。
事情を聞かれたので鍛錬の事から話すと、ジャックは深い声で唸り、ラフテノの親に目をやった。
確か名前は、旦那がビノスで、嫁がマタリアだったか。二人がラフテノを叱る様子はなかったが、ビノスはラフテノの首根っこを掴んでテントの中へと引きずり込んでいった。
アテナはふくれっ面をして話そうとする様子がなく、ジャックとイザベルは顔を見合わせて困ったようにため息をついていた。
騒ぎが収まった頃、ラフテノの姉に声をかけられた。
確か名前は、ソアラだったか。
「あの、すみません。ラフが失礼なことをして……ちょっとこちらへ来て話をしませんか」




