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インカーネーション  作者: 時雨
第二章

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2.カルチャーギャップ

 

 2

 

 素早く、鋭く大腿へと迫るナイフ。


 重心移動と足捌きで内側に避けると、簡単に隙ができるはずだった。


 俺の大腿があるはずだった場所の数センチ手前。ギョロリと方向を変えたナイフが、今度は脇腹へと肉薄する。


 俺は用意してあった腕を、相手がナイフを持つ腕に叩きつけた。今度こそバランスを崩したのか重心を失った相手は、そのまま俺の腹筋に頭をぶつけた。


 差し出されたうなじを掴んで軽く投げてやると、無様に転がっていった。


「ふぐう……」


 アテナは悔しげなうめき声を上げて、手足をじたばたと暴れさせた。もうあまり力が残っていないんだろうな。


「フェイントなんてむりぃ」


「今日のはそれなりだったが」


「バカ。ボケ。タコナスビ」


「どこで覚えてくるんだそんな言葉」


「ケイが言ってた」


「俺がそんな事言うわけないだろ」


「言ったもん」


「……お前はもっと嘘つけ」


「ウソじゃないもん。え、覚えてないの?」


 それこそウソでしょ、みたいな顔をされてしまった。ムカついたのでアテナの隣に座って頭を引っ叩いた。


「嘘を通したり本当がどうかわからない事を言うんだよ……うるせえなツバつけて治せやそんくらい。嘘で騙す感じがわからないから、それがケンカにも反映される。戦術未満の猪突猛進にしかなってない。敵を騙して脅して有利をとって不利を押し付ける。戦いってのはその積み重ねだ」


「でも、ウソはよくないよ」


「敵は嘘だらけでお前を殺そうとしてくるぞ。死んだら記憶も記録もできない。生きてる人間の記憶と記録が、知恵と経験になる。死んだお前の綺麗事なんて消えてなくなる」


「ケイってたまに難しい言葉使うよね。どこで覚えたの?」


「わかった。続きやるから早く立て」


 最近は俺がアテナの体力の限界を推察して、一段落したと判断したところで訓練を終えている。元々体力がないわけではないから、パフォーマンスが落ちてもいいなら一日中続けていられるんだろうが。


「ごめんなさい」


 アテナの腕を掴んで強引に上体を起こしてやると、アテナはいたずらっぽく笑った。


「でもね、最初よりも短くなってるから、なんか……弱くなってるのかもって」


「違う、そうじゃない。戦い方がわかってきたから、その分エネルギーがそっちに持っていかれてるだけだ。最初はただのお遊びだったのが少し進歩したから、エネルギーを使うべきところで使われてる。そこで必要になるエネルギーが、不良品のヘナチョコ……水車だったって話だ」


 エンジンなんて言いそうになったから、代わりの言葉を見つけるのに少し苦労した。


「ケイ、疲れた!」


 アテナはいつものように満面の笑みで両手を広げる。抱っこだかおんぶだかをせがまれているんだが、俺もいつものように無視した。


「ふんだ。意地悪タコナスビ」


 俺は拗ねるアテナを放置して、さっさと歩き出す。


 徐々に雪解けが始まっているとは言え、それでも汗に濡れた服が凍るくらいの寒さだ。仕事がなければとっとと暖炉の前にいたいのに、ただでさえ面倒なコイツの世話ともなると一層暖炉が恋しくなる。風の子元気な子の戯れに付き合うってのは、どれくらいの給与になるんだろうか。他の仕事はともかく、こればっかりは給料が欲しいくらいだ。


 家に入ると、すぐに香ばしい香りが鼻腔を満たした。イザベルが夕飯の支度をしているのだろう。雪を溶かして貯めた用水で身体を拭いていると、それに気づいたイザベルがぱたぱたと足音を立ててやってきた。


「おかえんなさい二人とも……しっかしねえ、それ本当に意味あるのかねえ」


 溜水を見ながら首を傾げるイザベル。


 知識がない文明の衛生観念が遅れている事を、前世の情報社会で浅い知識として知っている。浅い情報で触れた中世文明でも、こうした衛生観念がなかったとされている。現に、街中でクソを垂れ流しにしているような時代だからな。


「ちゃんと沸騰させて、特に手を入念に洗えば、体調が悪くなりにくくなりますよ」


 もう何度目になるかもわからない定型文を返すと、使った水を窓から投げ捨てていく。


 詳しく説明したところで、教育という概念が希薄な連中に理解できるとも思えない。


「ケイはできる男なんだから、もっと男らしくしたらどうなんだい。ほら、背筋伸ばして、シャンとしなよ」


 俺の背中を強く叩くイザベル。イラッとした顔をしてはいけない、世話になっている身分だ。死ぬ確率を圧倒的に下げてやっているとしても、家の中の衛生水準を上げてやっているのだとしても、俺は世話になっている身分だ。


「男ってのはね、堂々としてなんぼだよ。シャキッとしてる男には女がわんさと寄ってくるもんさ。ほら、言われたそばから背中曲げんなさんな」


 つまりこいつは俺が女々しいと言いたいのか。お前がスラムにいたら犯しもせずにアレしてソレしてコレしてやるのに。


 体の汚れた部分をある程度綺麗にしてからリビングに行くと、ピエールとジャンが弓の手入れをしていた。


「お疲れ様です。俺の分やってくれて助かるよ、ジャン」


 二人に挨拶をして矢の作成に加わろうとした。が、すでに十数本は矢が積まれているのを見て手を止めた。


「大丈夫だよケイ。多めに作ってあるから、アテナの分ももうできてるよ」


 末っ子であるジャンの笑顔は、まだ少しぎこちなさを感じる。ウビンインチにいた時はおどおどとして気弱に思っていたが、単なる人見知りだったらしい。


 ドムレディレへ来てから数ヶ月過ごして、最近ようやくぎこちなさの残る笑顔を向けるようになった。もっとも、俺が積極的に打ち解けようとしていないだけで、例えばウルターなら数日で仲良くなれるに違いない。


 ジャンの作った矢を一つ手にとって観察する。歪みのない鏃に、寸分の狂いもない長さ、均一に埋め込まれた羽。いつどんな時に見た物も、全てため息が漏れるくらいの出来だ。風切羽ばかりを用意するわけにもいかず、柔らかすぎるのは玉に瑕だが。


「相変わらずはえーな」


「ありがとう。でも、ケイが作るのもいい出来だったけど」


「俺は昼時までに三本作れりゃ上出来だ。出来良く短時間じゃ、ちょっと無理だな。無理です」


 出来が悪ければそれこそ数十本でも作れるんだけどな。


 ジャンは少し照れたように笑っているが、こいつの器用さはちょっとしたものだ。

「ケイ」


 ピエールが差し出してきた弓を手にとって確認するが、こっちは見た目に良し悪しがわからない。スラムじゃ弓なんて上等な物を使っていなかったし、そもそも俺の基準が前世の物となると判断が難しい。


 俺の力に合わせるため、アテナの身長ほどもある太く硬い竹で作られている厳つい一物だ。


「でかすぎだろ……じゃないですか」


「その分威力はある。距離次第で熊の頭蓋を貫けるかもしれない」


 どんだけ誇張してんだ……


 一度狩りへ連れ出された時に、うさぎを何頭が狩れてしまったのがまずかったのだろうか。そもそも弓が得意じゃないと言っても取り合ってもらえず、才能があると言って弓を教え込まれた。それからは狩りへ行くたびに付き合わされるため、扱いには慣れたが。


「でも、ケイって武器なんてなくっても、熊くらいなんとかなりそうだよね」


 俺の持っていた弓を奪い取ったアテナが、弓を引こうと挑戦しながら話に加わってくる。


「いくらなんでもそれは無理だよアテナ。父さんですら会ったら良くて大怪我だって言ってるんだよ? 僕らが勝てるわけないよ」


 ジャンの少し呆れた反論に、アテナはしかし笑顔で応えた。


「でもねジャン、ケイったらすっごいんだよ。なんかね、こう……ズバッと動いてバリッとやっちゃうんだから」


「あー……そういえば、魔族を」


 ジャンとアテナの議論を無視して、木ヤニで矢を仕上げていく。


 さっきまで熱心に矢の作成をしていたジャンが、今は熊に人間が勝てるかどうかの議論に熱くなっている。それがジャクマンならわかるんだが、相手がアテナってのがしっくりこないところだ。


 アテナには、こういう男っぽいところがたまにある。家の中の事よりも外の事に興味を持ち、またそれを突き詰めようとする。身近な同性が母親だけっていうのもあるだろうが、それにしたって格闘術を教えてもらいたがるなんてのは変態のそれだ。


 この時勢の価値観として、女は弱いから地位が低いというのが一般的だ。普通の家庭を知らなくても、スラムにいた連中の女の扱い方はほとんど奴隷みたいなものだったし、ウビンインチにいた頃も地位の高い女の話は聞いた事がない。


 これは前世と同じく、男に比べて女が肉体的に劣っているというのが大きいだろう。俺が生きていた時代は地位をテクノロジーで補っていたが、それでも競技では男女で分ける区別が必要だった。


 競技なんていう娯楽のないこの世界では、無理して戦場に行こうなどと思う女はほとんどいない。


 狂気的と言ってもいいほどの何かを持っていない限りは。


「だからあ、ジャンはお父さんに抱っこされて見てなかったけど、ホントなんだってばあ! ねえケイ、あの時みたいにやれば、熊だって倒せちゃうよね!」


 ジャンと議論していたアテナが、むくれた顔をして俺に話を振ってきた。


 眉根を寄せて頬を膨らませるアテナ。世の中の汚い事嫌な事なんて何一つとして知らなさそうな平和な面をしている。


 そりゃあ、そうだ。コレットやマリアを交えて議論したあの場でも、こいつの口からは綺麗事しか出てこなかった。正しい事を真っ直ぐに行えば平和になると信じている、世間知らずな小娘だ。どうして人が正しくない事をするのか、本質的に理解できていない。


「……嘘つくなら、もっとうまくやれ」


 説明するのも面倒だし、あの時の戦闘をジャンが見ていなかったのなら手間が省ける。


「ほら、ケイもこう言ってるよ。熊をそんなに甘く見ちゃだめだよアテナ」


「違うもん! ケイもそれがウソじゃん! 熊の攻撃なんて簡単に躱せるもん……」


 と、アテナがすね始めたが俺は無視を続行した。他人のご機嫌取りなんてしたくない。


 アテナはこんな感じで鬱陶しいが、ジャンもジャンでネガティブ思考故に行き過ぎた発言をするきらいがある。


 さっきもジャンの作った矢を褒めたが、言ってもないのに自分で勝手に悪かったところを見つけて、後になって謝ってくるかもしれないという遅効性の毒が盛られている。例え褒めたとしても油断のならない男だ。


 それに比べてピエールは居心地がいい。うるさいのが半分を占めるこの家族の中で、酒を飲んだ時以外は寡黙で必要最低限の事しか話さないピエールだけとの空間は天国のように思える。何も喋らなくていいという事のなんと素晴らしきかな。


 ジャンとアテナの議論を聞くともせずに過ごしているうちに、ジャックとジャクマンが帰ってきた。


 ドムレディレは、地球で言う北欧圏のように太陽の滞空時間が長いように感じる。前世の体感時間を思い出せなくなって久しいし、時間の刻み方なんてぼんやりとしか知らない。棒を立てて季節ごとの傾きをどうたら……なんて覚えるつもりもなかったのだから覚えているわけがない。ので、寝る少し前に日が沈むからそんな気がするだけかもしれない。


 しかし、ジャックたちが家へ戻ってくるのは、その日が終わりかけているというサインになる。


 明日からはしばらく山での狩り生活が始まる。喧しい同居人の世話焼きを、まだ少し耐える事になりそうだ。

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