2.この先
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ピーター食堂は常連客が多いため、食堂として暖簾を下ろす頃には色々な物で汚れている。食べかすはもちろん、持ち込まれた泥やら痰やらでぐちゃぐちゃになる。
食堂で働き始めてからはそれらを掃除すると大層喜ばれ、軒下の掃除までするとぜひここにいてくれと頼み込まれたものだ。他にやる事もないし金をもらえるならとやっていただけだが、これも前世の習慣のおかげと言えばその通りかもしれない。異世界無双と言われると微妙な気持ちになるが。
そうやって普段から可能な限り清潔を維持していた店内だったが、魔族に荒らされたのか掃除をする気もおきない有り様だ。並べられていたはずの椅子やテーブルは乱雑に散らばり、血と小便の臭いが立ち込めている。どっちの小便なんだろう。
そんな店内に、生き残った椅子とテーブルを持ち寄って奇妙な一団が顔を突き合わせている。その場にいるほとんどが重苦しい空気を漂わせていた。殺した魔族や魔法使いの女が死んだ時の状況を聞かせろ、という話だけならともかく、オディオ夫婦について聞かせろと言われたら立ち止まってしまうくらいの情はある。
出ていきたくても出ていけない、という状態だ。
それぞれが軽い自己紹介をした時に、さっき死んだ女が巷で噂の最強の魔法使いである事を知った。ウルターからもよく話を聞かされていたため、コレット・ギーズという名前は知っていた。それを殺したあのトラウマ男こそ最強ってか。面白くもない。
次いでメソメソと泣いているのはその部下のアリウム・オミネム。オールバックの髪に脂と疲労が滲んでいる。俺に突っかかってきて返り討ちにされて泣いていると思えば、少し同情する。
それからサブルディ・ウヌム。こいつの自己紹介によれば宗教だか国だかの騎士団らしく、アリウムの部下らしい。もっとも、他の騎士の名前は多すぎたため覚えるのを諦めた。
オディオ一家が襲われている時に偶然居合わせた家族は、娘のアテナに寄り添うようにしている。
旦那のジャック・グラウコーピスはガタイが良く、背筋をびっちりと伸ばして腕を組んでいる。が、もっさりとしたヒゲと眉毛を心なしかしんなりとさせている。気がする。
その妻イザベル・グラウコーピスは、泣きべそをかいているアテナとその兄ジャンの背中を擦りながら、小さな声で大丈夫だと言い聞かせている。茶色とアッシュの中間のような髪色をしており、アテナと同じ髪色で母子だなと思った。拾い子や托卵が当たり前なご時世なもんで。
俺の気を滅入らせているのは、この兄妹とアリウムとの三重奏だ。しゃくりあげる声を聞くとむずむずしてしまう。
で、やたらと美形な黒髪黒目の偉そうな女。こっちはどこかの国の王女――こんな所に王族がいるわけないので信じていないが――らしく、マリアと紹介された。まるで聖母だな、とは言わなかった。ムカつくから。
俺に耳打ちをしてマリアを紹介してきたのが、付き人のアリス。金髪青目で出るところが出ているため、前世の欧米人を彷彿とさせる女だ。スラムにいたら迷わず犯して肉便器にしているところだ。
俺の話を聞いて、気力を振り絞りましたとばかり口を開いたのは、サブルディだった。
「つまり、時系列としては、コレット様とケイくんが魔族を追い始め、僕たちが荷造りを終えている頃、ピーター食堂が二名の魔族に襲われた。通りがかったケイくんが魔族を制圧。そこへどこからともなく現れた男が、接触人物がいて魔法の使えないコレット様を殺した……これで合っていますか?」
「ああ、合ってる。亜人は放置したけどな」
俺の答えに、サブルディは眉間を揉んだ。
「獣人については、兵士団へ使いを出した。僕たちにとってそれは……いえ、それよりも重要な任務があるので一先ず置いておきましょう」
サブルディはそこで一拍置いてから、俺を睨みつけてきた。
「ところでケイくん、君はあの男と知り合いなのですか?」
グラウコーピス一家やウルターもその場にいたため、しらばっくれる事はできない。できないが、説明をするにも面倒だ。
俺はスラム出身だ。スラムの悪辣さはこの時代から見ても最悪らしく、あのトラウマとの関係を説明するにはスラム出身である事の説明も必要になる。人間らしい最低限の営みを求める俺としては、スラム出身である事は隠し通したい。つまり、醜聞が悪いわけだ。
「答えてください。君は……君が、コレット様の暗殺を企てたのですか?」
サブルディは鼻息を怒りを混ぜてさらに詰めてきた。
さて、どうしたもんか。
「ケイ、答えろよ」
俺が思案していると、横からウルターの低い声が割って入ってきた。
「ケイ、俺さ、よく話してたよな。コレット様のこと。ケイは興味なさそうだったけど、父さんや母さんもよく話してたよな」
ウルターの言う通り、ウルターの家族ときたら何かにつけてコレット・ギーズの話題に触れたがった。人づての人づてのそのまた口伝や噂だけで盛り上がっている様子が、芸能人の事を話すミーハーな連中と重なっていい気分じゃなかった。だからそんな話は右から左ではあったが、聞いてはいた。
「ケイ、どう思ってるんだよ。父さんと母さんに世話になったろ? よく面倒見てもらっただろ? みんな死んで、どう思ってるんだ?」
ウルターは苦しげだ。まだ体力が戻っていないというのもあるだろうが、それよりも今の感情が原因の大半だろうというのは想像に難くない。
「死んじまったんだから、しょうがねえだろ」
ウルターは弱々しく叫びながら俺に掴みかかるが、力が戻りきっていないせいで俺に抱きつく形になった。
「ケイにとって、父さんと母さんはそんなもんだったのか。俺はもっと……」
俺はウルターを支えながらため息をついた。
「ピーターさんにも、ウェンディさんにも、感謝してる。お前にだって感謝してるよ」
だったらもっと怒れよ。悲しめよ。ウルターのくぐもった呻きはそう聞こえた。
サブルディをちらりと見ると、相変わらず視線で殺さんばかりの目つきをしている。
俺はもう一度ため息をついて、諦めたというか開き直ったというか。
「昔な、いつもつるんでた奴がいたんだよ。梟っぽい亜人でさ、羽があるくせに飛べねえんだよ、そいつ……まあ、そんな顔しないで聞けよ。お互い友情とかそういうのはなかったけど、一緒に仕事はしてたから仲間意識みたいなもんはあった」
仕事と言っても、誰を殺すとか食料を盗むとか、そういう物騒なのばかりだったが。
「で、ある日仕事で失敗したんだよ。ある所に忍び込んで、バレて、半殺しにされた。その亜人なんか片方の翼が千切られてたな。その日から俺はそいつに毎日半殺しにされたよ。隠れても逃げても何してもな……それがあいつだよ」
「……どういうことですか?」
サブルディは困惑を滲ませた。
「どういう事も何も、そういう事だよ。あいつは俺の敵。最終的には、一緒に育った亜人と殺し合わされた。死ぬとか生きるとかが身近にあって、悲しいとか辛いとか、そういうのは無駄だった……それで納得してくれ」
俺はウルターの背中に語りかけたが、ウルターは顔を伏せたまま嗚咽するだけだった。
「……あの男について知っていることは?」
「魔族も亜人も魔法使いですらあいつに勝てなかった事くらいしか知らない。あんたらの方が知ってると思ったんだけどな」
「何を……」
サブルディは怪訝な顔をした。
「あの女……コレットとかいうのはあいつをアーサー様って呼んでたぞ」
サブルディは一瞬耳を疑うような仕草をした後、まさかと呟いた。
同様に、取り巻き連中もざわつきだした。どうやら知っているようで安心した。
経緯の説明から始まり、取り乱しているウルターに言い聞かせて……この世界に来てからこんなに喋った事がなかったから、前世ぶりに気疲れした。
苛立ちを抑えるために、コインを取り出して手で回す。スマホもテレビも活字すらない日常で、手持ち無沙汰になるとコイン回しがその代替になっていた。おかげで下手なマジシャンよりも上手い自信はついた。
ぐりぐりコインロールをやりながら、改めてざっと周りを観察した。
取り巻きはひそひそと眉間のシワを突き合わせている。あれだけメソメソとしていたアリウムですら、アーサーの名前を聞いた途端に表情を変えていた。泣いている時よりも顔面蒼白になっている。あいつは騎士団とやらで有名人だったんだろうか。
あれだけ強ければそれも納得できるが、どうせバイオレンスすぎて悪目立ちしていたんだろうな。
グラウコーピスの父親と母親もその名前に心当たりがあるようで、複雑そうな顔をしている。
「あんたらも知ってんのか」
俺がジャックに向かって問いかけると、ジャックは低い声で唸った。
「ああ……昔マルム・ギーズ様の暗殺と内乱を企てたことで、指名手配の張り紙が俺たちの村にも回ってきた」
「ハ、とんでもない凶悪犯だな」
「君は、運がいい。そんな男といて生きていられたのだから」
ジャックの返しに、俺は返事をしなかった。
言われてみれば、あいつは俺の事をいつでも殺せたはずだ。今でこそ戦いと呼べるものになるが、昔は虫のように殺されてもおかしくなかった。
生かされたのか? なんで生きてるんだ、俺。なんのために……
「状況の確認は終わったか?」
俺が疑問に耽ろうとしていたところに、マリアが声を上げた。
「で、魔族との戦争の最前線で会合するという大望は果たされなくなったが、貴様らはこれからオレをどうする?」
「予定通り王都へ護送します」
即座に答えたのはサブルディだ。
「コレット様は仰っていました。この任務の最大の目的は両国の繋がりを強くすることだと。ならば僕らがそれを無駄にすることはできません」
「ほう、一万よりも大きな戦力を失ったこの国に、何の対価もなく協力しろと、そう言っているのか?」
「それは……しかし」
「オレにとってこの遠征の目的は使えそうな駒を見に来ただけに過ぎない。その駒を失った国に、セプタントは大量の兵士を送り込んで戦場で死なせるわけだ。自分たちが悲しいからそちらの身を削って慰めろと、そう言いたいわけか?」
そこで、マリアはなぜか俺をちらりと見た。俺は目を逸らした。
「……それは、この場で話すことではありません」
「ハ、ボスが駒扱いされて顔が赤くなっているぞ。言っておくが、オレはデュナリスにも同じ事を言うだろうな」
「……庶民のいる所で話すことではありませんので」
マリアの言う通り、サブルディの顔は怒りで紅潮している。が、それをコントロールし、かつ重要な話を漏らさないようにしている滅私ぶりに、俺は素直に感心してしまった。
それはともかくだ。
「事情聴取が終わったんなら、お前らそろそろ帰れよ」
俺はこの後この店の片付けしなくちゃいけないんだ。お国の無駄なお話に付き合っている暇なんてない。
「ほう、貴様は気にならないのか。今この場はこの先の未来に繋がる重要な分岐点だ。本来なら、貴様ら庶民が触れる事などない話だぞ」
「興味ない。それよりもこの店の片付けだ」
マリアが意外そうな顔をした。
「例の男から逃げないのか」
マリアの言葉は、俺の意表をついていた。正解不正解に関わらず瞬時に答えを出す習性を身に着けたはずなのに、一瞬頭が真っ白になった。
考えてみれば、俺はあのトラウマから逃げてここに来たんだ。だとしたら、見つかってしまった今ここにいると危ないはずだ。
ああそうか。俺は俺が思っていたよりも、この店での生活が気に入っていたらしい。
「……ウルターもいるし、この店もあるからな」
独り言みたいにそう言ってみると、より実感が湧いた。俺は、鬱陶しいくらいに楽しげに話しかけてくるウルターが好きだし、無口な俺の代わりに喋り続けているウルターの話もそれなりに好きなのか。
もっとも、ウルターがそう思っているかどうかは別の話だが。
「……この店? この店って、なんだよ。ないよ、ケイ。ないんだよ。ピーター食堂は終わりだ」
ウルターの弱々しい声が、やけにはっきりと響いた。




