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TS転生幼女のサバイバル配信生活  作者: 瀬戸こうへい
第三章 南雲アリサの居場所

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第50話 仮歌

 その日、ウタは朝から学校に来ていなかった。


 珍しい、というほどではない。

 ウタは曲を作り始めると、生活リズムが崩れる。

 寝ない。食べない。連絡が雑になる。


 ただ、今日はたぶん来るだろうと思っていた。

 弁当を家に持ってきて、という連絡がなかったからだ。


 ヒナは毎日、私たちの分の弁当も作ってきてくれる。

 よほどのことがない限り、ウタはそれを食べる。


 三時間目と四時間目の間の休み時間。

 目の下にうっすらクマを作ったウタが、ふらりと教室にやってきた。

 ウタは自分の席まで歩いてきて、鞄を置くと、そのまま机に突っ伏した。


「曲、できた」


 机に顔を伏せたまま、ウタが言う。


「オープニング? エンディング?」


「両方」


「は、早いね……」


「放課後、録る」


「今日?」


「今日」


 そこでウタは力尽きたように黙った。

 授業開始のチャイムが鳴った。


 昼休みになると、ヒナはいつものように弁当包みを三つ出した。

 前の席の机を借りて、自分の机にくっつける。

 その上に、三人分の弁当が並んだ。


 私は椅子を引き寄せ、ウタは空いた椅子に腰を下ろす。

 ウタは半分寝たような顔で箸を持った。


「うーちゃん、食べられる?」


「食べる」


「うーちゃん、えらい!」


「えらい」


 もふー、とウタが胸を張る。

 眠すぎて、少し幼児退行しているようだった。


 三人で弁当を食べる。


「うん、ヒナのお弁当は今日も美味しい」


 ヒナのお弁当には、冷凍食品が使われていない。


 前に、どうしてそんなことができるのかと聞いたことがある。


「四人分だから、作る方が早いし。その方が美味しいでしょ?」


 ヒナは、当たり前みたいにそう言った。


 当たり前ではない。


 彼氏のために毎日これができるのだから、信じられない女子力だ。

 その恩恵を私たちまで受けているのは、ありがたいというか、申し訳ないというか。


 ちなみに、私が自分で作る時は半分以上冷凍食品に頼る。


「体、大丈夫?」


 ヒナが心配そうにウタの顔を覗き込む。

 ウタの箸が、少しふらついていた。


「大丈夫……」


「昨日ちゃんと寝た?」


 ヒナはそう言いながら、ウタの水筒にお茶を注いだ。


「今日は寝る予定」


「昨日のことを聞いてるんだよ」


「夜の方が集中できる……から……」


「やっぱり寝てないんじゃん。ああ、もう。こぼれてる。こぼれてる」


 ヒナに世話されるウタ。

 小学生の頃の二人を思うと、なかなか味わい深い光景だった。


「ごちそうさま。ヒナ、いつもありがとう。美味しかった」


「こちらこそ、いつもありがとう」


「さあ、ご飯も食べたし、保健室行ってくる」


「……体調悪いの?」


「大丈夫。眠いだけ」


 ヒナは少し困った顔をした。


 授業をさぼるのはよくない。

 でも、今のウタを教室に座らせておくのも、それはそれでよくない。

 そんな顔だった。


「それじゃあ、アリサ。また放課後に」


 ウタは大きなあくびをひとつして、ふらふらと教室を出て行った。

 私たちはその背中を見送った。


 ◇


 放課後になると、ウタは保健室から戻ってきた。


 顔色は昼前よりましになっている。

 目の下のクマは消えていないけれど、足取りは少しだけしっかりしていた。


「行くわよ」


 開口一番、それだった。


「……明日にしたら?」


 どう考えても、納期にはまだ余裕があるはずだ。


「さっさと終わらせたいの。都合悪いの?」


「いや、大丈夫だけど……」


「じゃあ、行くわよ」


 ヒナは今日は部活があるらしく、少し心配そうにウタを見ていた。


「うーちゃん、無理はだめだよ?」


「寝たから大丈夫」


「午後の授業の間だけでしょ? それだけじゃ足りないよ」


「いまのところは足りてる」


 そう言い切るウタに、ヒナはやっぱり困った顔をした。


「ありちー、うーちゃんのことお願い」


「わかった」


 私たちはヒナと別れて、並んで学校を出た。


 帰り道、ウタは片方のイヤホンを私に差し出す。


「んっ」


 私は無言で受け取り、耳に入れた。


 流れてきたのは、明るい曲調の歌だった。

 多分、オープニングだろう。


 明るい。

 けれど、ただ明るいだけじゃない。


 少し不安定で、少し遠い。

 手を伸ばせば届きそうなのに、まだ届かない場所へ向かっていくような曲だった。


 音が開ける。リズムが入る。

 ボカロの歌が、三人分の場所を作りながら進んでいく。


 私は曲が終わるまで、何も言わなかった。

 ウタも黙っていた。


「……どう?」


 曲が終わってから、ウタが聞いた。


「好き」


「雑」


「待って。言葉にするから」


 私は少し考えてから、言葉を探す。


「三人が最初から一緒って感じじゃないのがいい」


「そこは意識した」


「少しバラバラで始まる。でも、バラバラなままじゃない」


「うん」


「サビで揃うけど、完全には混ざらない。三人が別々の場所から、同じ真ん中を見てる感じ」


 ウタが横目でこちらを見る。


「そうね」


 ウタは少しだけ口元を緩めた。


 それから、すぐに次の曲を再生する。


「次、ルナの」


「うん」


 流れてきた曲は、オープニングとはまったく違っていた。


 静かな曲だった。


 夜の底に、ひとつだけ灯りが残っているような曲。

 近すぎず、遠すぎず。

 物語が終わったあと、まだ少しだけそこに立っている人のための曲。


「ルナっぽい」


「でしょ」


 ウタは少しだけ得意げに言った。


「こっちは、物語が終わったあとに残る余韻が欲しかったの。リミノのオープニングが三人の始まりなら、エンディングは少し離れた場所から物語を見てる感じ」


「離れた場所」


「近すぎない。けど、無関係でもない」


 私はもう一度、イヤホンの奥で流れるメロディを聞いた。


 確かに、ルナの曲だと思った。


 ルナは、物語の中に入り込みすぎない。

 けれど、冷たく突き放すわけでもない。


 少し離れた場所から、きれいな声で、終わった物語に手を振る。


 そんな声が似合う曲だった。


「いいと思う」


「それも雑」


「でも本当にいいと思う。ルナが歌ったら、とてもいい曲になると思う」


「でしょうね」


「信頼してるんだ」


「してるわよ。歌い手としては。でも、アリサの方が上」


「買いかぶりすぎ」


「そんなことないわよ」


 ウタは自信満々に言い切った。


 家に着くと、ウタはまっすぐ私の部屋に入った。


 鞄からノートパソコンを取り出し、テーブルの上に置く。

 私は録音用のマイクとオーディオインターフェースを出して、いつもの位置に並べた。


 ウタは椅子に座ると、すぐに画面を開いた。


「まずオープニングから」


「はい」


「一回、軽く」


「了解」


 ヘッドホンをつける。

 クリックが鳴る。

 ボカロの仮メロが薄く流れ、その後ろで伴奏が走り出す。


 私は息を吸って、歌い出した。


 最初は、少しだけ抑えた。


 リミノの三人を思い浮かべたからだ。


 ユキ。マユ。リン。


 三人が歌う曲。

 三人が立つ場所。


 私が前に出すぎるのは違う気がした。


「止めて」


 一番の途中で、ウタが言った。


 私は歌を止めて、ヘッドホンを片耳だけ外す。


「何?」


「遠慮してる」


「……してる?」


「してる。入りからもう薄い。サビ前でさらに引いた」


「分かるの?」


「分かるわよ」


 ウタは眠そうな顔のまま、目だけは妙にはっきりしていた。


「今はリミノの本番じゃない。あんたの仮歌。あんたが引いたら、何を基準にすればいいの」


「でも」


「でもじゃない」


 ウタの声が少しだけ低くなる。


「自分の曲にする気で歌って。そうじゃないと意味がない」


 私は黙った。


「リミノに遠慮する必要はない。誰かのために丸めた声なんか、いらない」


「……分かった」


「じゃあ、もう一回」


 もう一度、ヘッドホンをつける。


 クリックが鳴る。

 伴奏が始まる。


 今度は、引かなかった。


 ユキの強さも。

 マユの内側にある熱も。

 リンの、少し後ろに下がろうとする癖も。


 全部、私の中に一度通してから歌った。


 誰かの代わりではなく。

 誰かの邪魔にならないようにでもなく。


 今、この瞬間だけは、私の曲として。


 歌い終えると、少し息が上がっていた。


「方向性はそれ」


「褒めてる?」


「方向性は、って言ったでしょ」


「ですよね」


「二番の入りが甘い。サビ前で息が逃げてる。最後の伸ばしも雑。あと、リンのところでまだ少し引いてる」


「厳しい」


「あんたが甘すぎるの。もう一回いくわよ」


 そこからは、いつもの地獄だった。


 何度も止められた。

 何度も歌い直した。


 少しでも声が迷うと止められる。

 綺麗にまとめようとすると、違うと言われる。

 感情を乗せすぎると、押しつけるなと言われる。


「この完成度で渡したら、私だけじゃなくて、あんたもなめられる」


 ウタはそう言った。


「私はそれが嫌」


 その一言で、私は何も言えなくなった。


 仮歌だから軽くていいわけではない。

 仮歌だからこそ、最初に置く声が弱ければ、その先の曲まで弱く見える。


 ウタは、それを許さない。

 そして私も、許したくなくなっていた。


 オープニングを録り終えた頃には、喉より先に頭が疲れていた。


「次、エンディング」


「続けるの?」


「続けるわよ」


 ウタは当然のように言った。


 エンディングは、オープニングよりもっと厄介だった。


 静かな曲ほど、逃げ場がない。

 強く歌えば壊れる。

 弱く歌えば消える。


 私は何度も、ルナの声を思い浮かべそうになった。


 そのたびに、ウタが止めた。


「ルナを歌わない」


「でも、ルナの曲でしょ」


「本番はね。今はあんた」


「……分かった」


「綺麗に逃げない」


 その言い方が、少し刺さった。


 私はまた、息を吸った。


 夜の底に残る灯り。

 終わった物語に、少し離れた場所から手を振る声。


 それを、私の声で歌う。


 ルナではなく。

 あかりでもなく。

 AL1-SAでもなく。


 南雲アリサの声で。


 何度も歌った。

 何度も直された。


 ようやくウタが「これで一旦いける」と言った時には、喉は少しかれかけていて、体の奥に重い疲れが残っていた。


 ◇


「疲れたぁ」


「おつかれさま」


「お腹空いたぁ。ご飯作る。食べてくでしょ?」


「食べる」


 ウタは短く答えると、ノートパソコンに向き直った。


「オープニングはリミノ側へ確認。エンディングはルナ側へ確認。咲夜さんにも共有」


「もう送るんだ」


「送るわよ。何のために録ったの」


「分かってる」


 けれど、自分の声が誰かのところへ届くというのは、何度やっても少し変な感じがする。

 特に今回は。

 私の声は、リミノのところへ行く。

 ルナのところへ行く。

 どちらも、私にとってただの仕事相手ではなかった。


 ウタが作業をしている間に、私は簡単な晩ご飯を作った。


 冷蔵庫にあった豚肉と野菜を炒めて、味噌汁を温める。

 ご飯は冷凍してあったものをレンジに入れた。


 凝ったものを作る気力はない。

 それでも、温かいご飯はやっぱり食べたい。


「できたよ」


「ん」


 ウタはデータを送信し終えたところだった。


 テーブルに並べたご飯を、二人で食べる。


 ウタは箸を持っている。

 持ってはいるのだけれど、途中から明らかに頭が揺れ始めた。


「……ウタ」


「何」


「寝ながら食べてない?」


「食べてる」


「食べてはいるね」


 返事だけはする。

 けれど、まぶたはほとんど落ちかけていた。


 それでもウタは、どうにか最後までご飯を食べきった。


「ごちそうさま」


「はい、お粗末さま」


 食器を流しに運ぶ。

 洗うのはあとでいいとして、ひとまず水につけておいた。


 その間、ウタは座ったまま、ぼんやりとテーブルを見ていた。


「……ウタ」


「何」


「今日、泊まっていきなよ」


「大丈夫」


 そう言いながら、また目が閉じかけている。


「ほら、もう寝かけてる」


「寝てない」


「寝てる人の返事だよ、それ」


「でも、迷惑でしょ」


 ぽつりと、ウタが言った。

 眠気で判断力が落ちているせいか、変なところで遠慮している。


「迷惑じゃないよ。ヒナに頼まれてるし」


「それは……」


「ありちー、うーちゃんのことお願い、って言われたから」


「ヒナを出すの、ずるい」


「ずるくない。だから今日は泊まり。はい決定」


「横暴」


「ウタにだけは言われたくないなぁ……」


 ウタは反論しようとして、結局あくびに負けた。

 なんだか、手のかかる娘を見ているような気分になる。


 いや、娘ではない。

 同い年の相方である。


「お風呂入ってきなよ」


「面倒」


「入って」


「……はい」


 私は来客用に買ってある下着とパジャマを出して、ウタに渡した。


「これ使って」


「ありがと」


 ウタを浴室に押し込み、私はその間に自分の部屋へ戻った。


 ベッドはウタに使わせる。

 私は横に布団を敷けばいい。


 押し入れから布団を出して、ベッドの横に敷く。

 それだけで、もう今日の自分を褒めていい気がした。


 しばらくして、お風呂上がりのウタが戻ってきた。


 髪は濡れている。

 そして、目は半分閉じている。


「ドライヤー」


「自然乾燥でいい」


「風邪ひくよ、もう」


 洗面所の椅子に座らせて、私がドライヤーを当てることになった。


 ウタは最初こそ文句を言っていたけれど、すぐに黙った。

 温風に負けたらしい。


「歯磨き」


「した気がする」


「気がするだけね」


 歯ブラシを渡すと、ウタはそれを持ったまま目を閉じかけた。


「口開けて」


「子ども扱い」


「子どもより手がかかってる」


 結局、私はウタの歯磨きまで手伝うことになった。


 やれやれである。


 部屋に戻ると、ウタは何も言わずにベッドへ倒れ込んだ。

 数秒後には、静かな寝息が聞こえてくる。


「寝てるときはかわいいのに」


 傍若無人の相方に、私は小さく苦笑した。


「ふぁぁ……最低限だけやって、今日はもう寝よっと」


 さすがに配信する元気はない。

 お風呂に入って、流しに置いた食器を洗う。

 それだけでも、今の私には十分すぎる仕事だった。


 それでも、ベッドを占拠したウタの寝息を聞いていると、不思議と仕方ないなぁという気分になる。


「本当に、手のかかる相方だなぁ……」


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