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TS転生幼女のサバイバル配信生活  作者: 瀬戸こうへい
第三章 南雲アリサの居場所

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第46話 自分のカタチ

 キーンコーンカーンコーン。


 夕方を告げるチャイムが校舎に響き渡ると同時に、教室の空気が一気に放課後の色へと変わる。


「アリサ、行くよ」


 机の横にスッと立ったウタに声を掛けられ、私は「了解」と立ち上がる。

 ヒナは陸上部の放課後練習があるため、すでにジャージ姿でグラウンドへ走っていった。


 ウタと並んで校門を抜け、私の家へ向かう。


「これ、今日の」


 不意に、ウタが片方のイヤホンを差し出してきた。

 私は受け取ったイヤホンを耳に押し込む。


「新曲?」


「そう」


 ピアノの音。

 薄く重ねられたシンセ。

 仮で打ち込まれたリズム。

 そして、ボカロの声。


 ウタの曲は、いつも最初からウタの曲だった。


 完成前でも分かる。

 音の並び方、沈黙の置き方、息を吸わせる場所。

 どこか意地悪で、けれど妙にこちらの奥へ入ってくる。


「……なあ、これ歌うの難しくないか?」


「アリサなら大丈夫」


「ボカロと違って人は息継ぎしないとダメなんだけど……?」


「大丈夫」


「無茶振りじゃない、それ?」


「信頼よ」


 ウタは前を向いたまま、短く言い切った。

 その言い方があまりに自信満々で、私は反論の言葉をなくす。


 片方ずつイヤホンを分け合ったまま、私たちは夕方の道を歩いた。


 うん、いい曲。


 ◇


 防音室に、響く私の声。

 ヘッドホンの奥で鳴るピアノに合わせて、息を吸う。


 腹に力を入れる。

 喉を開く。

 高い音へ、声を伸ばす。


 ぽえが個人名義でネットに公開している曲は、基本的に私が歌っている。


 だが、名前は出していない。

 私は別にAL1-SAの活動に歌い手としての肩書きを足したいとは思わなかった。

 中身がおじさんとされているAL1-SAが、ぽえの曲で透明感のある歌声を響かせていたら、イメージ違いも甚だしい。


 そんな事情を知らないぽえのファンたちは、いつの間にかその声をぽえ声と呼ぶようになった。

 ぽえの曲にだけ現れる、正体不明の歌声。

 本人なのか、専属の歌い手なのか、それともただの仮歌担当なのか。


 誰も知らない。

 それでよかった。


 そして、ウタが依頼されて作る楽曲でも、同じく私が声を入れている。

 ただ、私の歌が表に出ることはない。


 本来なら、私が歌う必要もなかった。

 ボカロで仮歌が入っているし、音程も、リズムも、譜割りも、それで十分確認できる。


 それでもウタは、細かい調整に入る段階になると、必ず私に歌わせた。


 ボカロでは分からない息継ぎ。

 語尾の揺れ。

 声を張った時の響き。

 歌詞が人間の口に乗った時の違和感。


 そういうものを確かめるために、ウタは私に歌わせる。


 個人名義の曲でも。

 依頼で作る曲でも。


 ウタは一度、私の声を通してから曲を仕上げる。

 私も、それを当たり前のように受け入れていた。


「はい、ストップ」


 ヘッドホン越しに、ウタの声が飛んできた。

 私は歌うのをやめ、マイクの前で肩を落とす。


「早くないか?」


「早い。けど今ので分かった」


「何が?」


「入りが少し低い。あと語尾が逃げた。もう一回、頭から」


「へいへい」


 ウタが求めるクオリティは恐ろしく高い。


 妥協がない。

 遠慮もない。

 親友に対する甘さも、当然のようにない。


「今の、また語尾が逃げた」


「逃げたって何だよ」


「逃げたものは逃げたの」


「抽象的すぎる」


「分かるまで歌って」


「パワハラがすぎる」


 文句を言いながらも、私はもう一度マイクに向かう。


 息を吸う。

 腹に力を入れる。

 喉を開く。


 自分の声が、防音室に響く。


 この身体になってから、声はずいぶん変わった。

 高く、軽く、よく通る。


 昔の俺――綾瀬恭介の声とは、まるで違う。


 南雲アリサの声。


 分かっている。

 分かっているはずなのに、歌っているとときどき引っかかる。


 この声で歌っている私は、本当に私なのか。


 南雲アリサなのか。

 ぽえの曲にだけ残る、名前のない歌声なのか。

 それとも、綾瀬恭介の記憶を抱えたまま、少女の声を借りている何かなのか。


「……アリサ」


 ウタの声で、私は我に返った。


「ん?」


「今、どっか行ってた」


「歌いながら?」


「うん」


「器用だな、私」


「茶化さない」


 ウタは譜面から目を上げ、じっと私を見る。

 その視線が、少しだけ痛い。


「最近、そういう顔多い」


「そういう顔って?」


「自分がここにいるのか、分かんなくなってる顔」


 言われて、私は返事に詰まった。


 ウタはこういうところが鋭い。

 普段はツンケンしているくせに、変なところでこちらの奥まで踏み込んでくる。


「別に、大したことじゃないよ」


「その言い方の時は、大したことある」


「決めつけるなぁ」


「付き合い長いから」


「親友を自称するだけはあるな」


「自称じゃない」


 ウタは譜面を指で叩いた。


「もう一回」


「どこから?」


「最初から」


「鬼か」


 そう言いながら、私はもう一度マイクの前に立つ。

 ウタはヘッドホンを直し、モニターを見る。


「アリサ」


「何?」


「今度は、自分の声で歌って」


 その言葉だけが、妙に耳に残った。


 自分の声。


 それがどんな声なのか、今の私にはまだよく分からない。


 南雲アリサの声。

 ぽえ声と呼ばれる、名前のない歌声。

 綾瀬恭介の記憶を抱えた私が、この身体で出している声。


 どれも間違いではない気がするし、どれも正しくないような気もする。


 いずれにしろ、歌うしかない。


 私は息を吸い、もう一度、ウタの曲を歌い始めた。


  ◇


「……今日はこれくらいでいいわ」


 ウタがモニターから目を離し、ヘッドホンを外した。

 その言葉を聞いた瞬間、私はマイクの前で膝に手をつく。


「終わったぁ……」


「一回目はね」


「嫌な言い方するなぁ」


「今のを聞いて、曲を直す。明日また歌って」


「終わったと思った私が馬鹿だった」


「うん」


「そこは否定してよ」


「事実だから」


 ウタは涼しい顔でそう言うと、録音データを保存していく。

 私は防音室の壁にもたれかかり、喉の奥に残った熱をゆっくり吐き出した。


 歌った。

 かなり歌った。


 喉も腹筋も、いい具合に悲鳴を上げている。

 このまま床に転がって、しばらく動きたくなかった。


 が、ふと壁の時計が目に入る。


「あっ……やば」


「何?」


「レッスン」


 私がそう言った瞬間、ウタの眉がわずかに動いた。


「あかりの?」


「うん。完全に時間見てなかった」


「待たせとけばいいのよ」


「よくないだろ」


「あかりが勝手にあんたを巻き込んでるんでしょ?」


「それはそうだけど……」


 たった今まで私を散々歌わせていた本人が、よくもまあそんなことを言えたものだ。

 私はスマホを取り出し、あかりにメッセージを送る。


『ごめん。少し遅れる。今から向かう』


 送信してすぐ、既読がついた。


『りょ! 先に始めてるねー!』


 敬礼するルナのスタンプが送られてくる。

 私は防音室を這い出るようにして出ると、部屋に置いていたバッグを引っ掴んだ。


 タオル。着替え。水筒。財布。


 最低限の荷物を確認し、スマホをポケットに突っ込んで玄関へ向かう。


「ウタ、悪い。鍵閉めといて」


「わかった」


 ウタは私の家の合鍵を持っている。


「体、大丈夫?」


「平気だよ。次はダンスだから、喉は使わない」


「そういうことじゃなくって」


 ウタは呆れたように、けれど少し心配そうに私を見る。


「無茶はするなって言ってるの」


「……わかってる」


「わかってない返事」


 私はスニーカーに足を突っ込み、玄関のドアを開けた。


「行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 その言い方があまりにも自然で、少しだけ変な感じがした。

 けれど、今はそれを考えている暇はない。

 私はバッグを肩にかけ、夕方の街へ飛び出した。


 ◇


 電車に揺られ、レンタルスタジオへ向かう。


 窓の外を、ぼーっと眺めていた。


 流れていく住宅街。

 夕方の踏切。

 自転車を押す学生たち。

 明かりの灯り始めた店先。


 頭の中では、さっきまで歌っていたウタの曲が繰り返されている。


 窓ガラスに、少女の姿が映っていた。

 ラフな格好で、少しアンニュイな顔をして、ただ電車に揺られている。

 ただそれだけなのに、窓の中の少女は妙に絵になっていた。


 電車がゆっくり速度を落とした。

 車内アナウンスが、目的の駅の名前を告げる。


 私は窓から目を離し、バッグを肩にかけた。


 扉が開いて、人の流れが動き出す。

 それに紛れるようにホームへ降り、改札を抜けた。


 夕方の人混みを歩き、古ぼけたビルに入っていく。


「来た来た! 師匠、こっちこっち!」


 重い防音扉を開けた瞬間、大音量の音楽が全身にぶつかってきた。


 壁一面の鏡。白い床。天井のライト。

 その中央で、あかりが軽やかにステップを踏んでいた。


 跳ねる。回る。

 音に合わせて、身体の向きを一瞬で切り替える。


 星空ルナ。


 五年前のあのライブから、彼女はさらに大きくなった。

 VTuberの世界で五年は長い。

 今の星空ルナは、もう十分にベテランと呼ばれる存在になっている。


 一方で、AL1‐SAは相変わらずだ。

 バ美肉おじさん。幼女先輩。

 ネットの片隅で奇妙に長く続いている、よく分からない古参V。

 五年前から、立ち位置そのものはあまり変わっていない。


「遅れてすみません」


 私はスタジオの隅にいたコーチに頭を下げる。


「大丈夫。まだアップの途中だから」


 そう返してくれたのは、あかりが個人的に契約しているプロのダンスコーチだ。


 会社のレッスンではない。

 あくまで、あかりが自分のために借りている時間。


 そこに、なぜか私も混ぜてもらっている。


 ひとりでやるとだれるから。

 3D配信も、ときどき一緒にやるから。

 どうせなら一緒にやればいいじゃん。


 あかりはそんな軽い調子で私を誘った。


 建前としては、合同配信に備えるため。


 けれど、実際に受けてみれば分かる。

 これは、片手間で付き合えるようなレッスンではない。


 ステップの角度。重心の置き方。ターンの軸。

 手足の先まで意識を通す感覚。


 どれも、素人が見よう見まねでどうにかなるものではなかった。


 正直、ありがたいとは思っている。


 プロの目で見てもらえる機会なんて、普通に生きていたらそうそうない。

 自分ひとりでは、ここまで身体を追い込むこともない。


 ただ、それはそれとして、きついものはきつい。


「アリサ、荷物置いたら入って! 次、サビのフォーメーション!」


「到着して十秒で本番みたいなこと言うな」


「大丈夫、まだ確認だから!」


「絶対嘘だ」


 文句を言いながらも、私はバッグを壁際に置き、軽く首と肩を回した。


「じゃあ、アリサちゃんは二拍目の入りを少し早めに。あかりちゃんはターンの後、肩が上がりすぎ」


「はーい!」


「はい」


 コーチの指示に、あかりは元気よく返事をする。

 私もその横で、どうにか呼吸を整えながら頷いた。


 音楽が鳴る。


 あかりが動く。

 私も遅れないように動く。


 ターン。ステップ。

 腕の角度。視線の向き。


 喉の奥には、まだウタの曲を歌った熱が残っている。

 腹筋にも、さっきまで声を支えていた疲労が残っている。


 そこへ今度は、足を使え、腰を落とせ、軸をぶらすなと身体を酷使させられるのだから、たまったものではない。


 それでも、音に合わせて動いているうちに、身体は少しずつそれらしい形になっていく。


 曲が止まった。


「うーん。やっぱり師匠、動きに華があるね」


 あかりがスポーツドリンクを片手に、鏡越しに笑う。


「身体の動かし方を分かってるっていうかさ。これなら、いつでも舞台に立てるよ」


「予定なんてないけどね。私はただの個人勢だし」


「私のライブなら、ゲスト枠くらい用意するけど?」


「馬鹿なことを。業界トップのライブに、個人Vの私の居場所なんかないだろ」


「あるよ。私のライブなんだから」


 あかりは当然のように笑った。


「居場所くらい、私が用意する」


 あかりはタオルで首筋を拭きながら、鏡越しにこちらを見る。


「でもさ、機会がないみたいな言い方するけど、違うよね」


「何が」


「アリサが、そこに自分の居場所があるって思えてないだけ」


 その言葉に、返事が少し遅れた。


「……買いかぶりすぎだろ」


「そうかな」


 あかりは軽い調子のまま、けれど目だけは妙にまっすぐだった。


「私から見たら、ずっとこっち側の人だよ。歌えるし、動けるし、見られ方も分かってる」


「私はただ流されてるだけだよ」


「それでも、ここまで来てるじゃん」


 あかりはそう言って、スポーツドリンクをひと口飲んだ。


「なんかさ、本当に女の子みたいになったよね」


「……なった、ってなんだよ」


「出会った頃は、もっとなんていうか大人だった。今は、ちょっと子どもっぽくなったっていうか……」


「悪口か?」


「ううん、そうじゃない。いいことだと思うよ、私は」


「……楽しそうだな、おばさん」


「むっ……」


 あかりの眉が、ほんの少しだけ動いた。


「私はまだお姉さんですけどぉ!? 配信ではルナちゃんかわいいって毎回言われてますけど!?」


「はいはい」


 あかりは不満そうに頬を膨らませたあと、すぐに表情を戻した。


「まあ、まだ自分でそう思えないなら、今はそれでいいと思う」


「いいのかよ」


「こういうのは、自分で結論を出すものだと思うしね」


 そのタイミングで、コーチが手を叩く。


「はい、休憩終わり。次、頭から通します」


「はーい!」


「はい」


 あかりが元気よく返事をし、私も少し遅れて頷く。


 正直、きつい。

 喉も腹も足も、そろそろ休ませてほしいと訴えている。


 けれど、まだ動く。


 音楽が鳴る。


 あかりが動く。

 私も、その後を追う。


「もう少し腰を落として。腕の先まで意識して。視線、下げない」


 コーチの声が飛ぶたび、私は言われた通りに動きを直す。


 足を出す。腰を落とす。腕を伸ばす。視線を上げる。


 ただ、音に追われて、あかりに引っ張られて、コーチの声に動かされる。

 そうして繰り返しているうちに、動きは少しずつマシになっていった。


 ターンの途中で、ふと鏡の中の少女と目が合う。


 汗で前髪を額に張りつかせ、息を切らしながら、それでも音に合わせて動いている少女。

 スポーツ青春もののワンシーンみたいだな、とぼんやり思ってしまう。


 ……いや、まあ、中身がおっさんの私に青春も何もないのだけど。


 ◇


 一日を終えて、深夜の自室に戻る。

 部屋には、PCの冷却ファンが静かに回る音だけが響いていた。


 ディスプレイの向こうで不敵な笑みを浮かべているのは、3DアバターのAL1-SA。

 十年かけて作り上げてきた、もう一人の私というべき存在だ。


「……この年齢で幼女先輩ってのはどうかと思うけど」


 ため息をつき、ヘッドセットを装着する。


 喉はまだ少し熱い。

 足も重い。

 正直、今すぐ布団に倒れ込みたい。


 それでも、マウスを握り、配信開始のボタンをクリックした瞬間、私は喉の奥のスイッチを切り替えた。


「──おつありー。どうも、AL1-SAだ」


 出したのは、長年使い慣れた低めの配信用の声。

 画面には、一斉にコメントが流れ始める。


『おつありー』

『幼女先輩きちゃ』

『声が眠そう』

『寝ろ』

『開幕から疲労感すごい』


「寝ろじゃねえんだよ。今日は昨日の続きやっていくぞ。ほら、あれだ。国民的な感じの有名RPG」


『昨日めっちゃいいところで終わったやつ』

『ラスダン前だっけ?』

『寝落ちしそうな声でRPGやるな』


「寝落ちはしねえよ。たぶん……ふぁぁ」


 言ったそばから、あくびが漏れた。


『寝ろ』

『寝ろ』

『あくびたすかる』

『満場一致で寝ろ』


「うるせえ。大人にはな、眠くてもやらなきゃいけない時があるんだよ。あと、俺でたすかるな」


『幼女先輩が大人……?』

『中身おっさんだからセーフ』

『実家のような中身おっさん感』


「誰がおっさんだ。こんな美少女を捕まえて」


『自分で言うな』

『声がおっさんなんよ』

『でも十年選手だしなぁ』

『中の人の年齢……うっ』


「誰が初老だ、誰が」


 そんなやり取りを、もう十年も続けている。

 配信を始めたばかりの頃、この場所は、転生した私が社会と繋がるための窓口だった。


 学校では南雲アリサとして女の子をやって、画面の向こうではAL1-SAとして俺に戻る。

 あの頃の俺という一人称は、もっと自然に口から出ていた。


 でも、今は違う。

 口から吐き出す俺という言葉が、どこかわざとらしく響く。

 それでも私は、求められる通りの俺を喋りながら配信を続ける。


「まあ、とりあえず続きやるぞ。昨日は確か、魔王城の手前でセーブして……」


 そこまで言ったところで、玄関の方から、がちゃりと鍵の開く音がした。

 次いで、廊下から聞き慣れた声が響く。


「アリサちゃーん。ただいまぁ。プリン買ってきたよぉ」


 私は固まった。

 コメント欄が、一瞬で加速する。


『ん?』

『先輩ママ?』

『先輩ママきた』

『プリン』

『また酔ってる?』

『今日は軽そう』

『親フラ助かる』


 助かるな。


 いや、親フラ自体は初めてではない。


 十年も配信していれば、こういう事故は何度か起きている。


 そのために、活動名はAL1-SAにしていた。

 画面上では記号めいた名前でも、口に出せばアリサになる。


 母親がうっかり名前を呼んでも、リスナーには活動名を呼ばれただけに聞こえるように。


 もちろん、美結の名前を出したこともない。


 それでも、酔って帰ってきた母親が、買ってきたアイスの報告をしに来たことはある。

 アプリの使い方を聞きに来たこともある。

 なぜか配信中に夕飯のリクエストをされたこともある。


 そういうことを繰り返すうちに、リスナーたちはいつの間にか母親のことを先輩ママと呼ぶようになっていた。

 過去の親フラだけをまとめた切り抜き動画まである。


 玄関の鍵が開いた時点で少し嫌な予感はしていた。


 帰宅した美結は、だいたい少し酔っている。

 酔っている時の美結は、悪気なく、そして遠慮なく、こちらの日常に入り込んでくる。


 私の部屋のドアが開いた。


「アリサちゃーん? プリン冷蔵庫入れとくー?」


「ちょっ! かあさん! 私、いま、配信してるからぁ!?」


 思わず叫んだ。


 低めに作った配信用の声ではない。

 家で美結に返事をする時の、今の自分の素の声だった。


 自分で聞いても分かるくらい、さっきまでの声より高くて、柔らかい。


「ああ、ごめんねー」


 美結は悪びれた様子もなく、軽い足取りで廊下の向こうへ去っていった。


 コメント欄が爆発した。

『!?』

『今の声なに?』

『私!?』

『いま私って言った?』

『いつものおっさん声じゃなかったぞ』

『かわいすぎて草』

『誰?』

『おっさんどこ行った』

『美少女捕まえて、が急に真実味を帯びた』

『先輩ママ、爆弾だけ置いて去っていった』


「あ」


 しまった。


「……今日はここまでだ」


『逃げた』

『逃げるな』

『今の声でもう一回』

『プリン食べてからにしろ』

『アリサちゃんおやすみ』

『先輩ママ切り抜き更新か?』


「切り抜くな。忘れろ。全員忘れろ」


『無理』

『忘れられない夜になった』

『おっさん美少女説、補強される』

『幼女先輩、ついに幼女成分を出す』

『今の声でおつありーして』


「やめろ、俺に萌えるな」


 私は最後に、できるだけ低い声を作って言った。


「いいか。今日の配信は事故だ。以上、解散。おつありー」


『おつありー』

『おつありー』

『アリサちゃんおつありー』

『プリン食べて寝ろ』

『先輩ママによろしく』

『事故配信たすかった』


 配信終了ボタンを押す。


 画面が暗くなった瞬間、私は椅子の背もたれに沈み込んだ。


「はぁ……」


 喉が熱い。

 足が重い。

 頭も眠い。


 そのうえ、最後に素の声まで拾われた。


「……疲れた」


 私が呟くと、部屋の外からまた母親の声がした。


「アリサちゃーん、プリンどっちがいいー?」


 私はしばらく天井を見上げたあと、諦めたように答えた。


「……カラメルが多いやつ」


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― 新着の感想 ―
カラメル多めのプリン好きな毎日多忙な女子中学生(おっさん)、渋いですね。
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