第48話『神速の剣と、堕ちた英雄にゃ』
(……速い。見えない……ッ!)
バシャッ!
水飛沫と共に、私の視界が傾いた。
肩に走る鋭い痛み。また、斬られた。
「はぁ、はぁ……ッ!」
私は膝まで水に浸かったまま、剣を杖代わりにして身体を支えた。
身体中が切り傷だらけだ。
白い騎士服はボロボロに裂け、冷たい水路の水が赤く染まっていく。
「おやおや、もう限界かい? 剣聖の卵と聞いて期待していたんだけどね」
目の前で、レオニードが優雅に剣を振るい、血糊を払った。
彼には、傷一つない。
息一つ乱していない。
圧倒的な実力差。同じ【音速剣】の使い手でありながら、彼の剣は私のそれよりも洗練され、無駄がなく、そして残酷だった。
「君の剣には『迷い』がある。殺意が足りないんだよ。だから軌道が読める」
レオニードが嘲笑うように近づいてくる。
「君たちみたいなのを見ると、反吐が出るね」
彼は私の顔を覗き込み、蔑みの視線を向けた。
「猫なんかと仲良しごっこをしているから、そんなに弱くなるんだ。この世は弱肉強食。弱ければ食われる。それを理解していなかったことが、君の敗因だよ」
「……ノワ様を、悪く言うな……」
「事実だろう? あの猫も、今頃ザイードに切り刻まれてミンチになっている頃かな」
「――ッ!?」
その言葉に、心臓が凍りついた。
ノワ様が、死ぬ?
嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ。
「さあ、楽にしてあげるよ。君のその才能、ここで終わりだね」
レオニードが剣を振り上げる。
私は動けない。恐怖と絶望で、足が竦んでしまっている。
ごめんなさい、ノワ様。
私、守れなかった――。
その時だった。
ドクンッ!!
心臓が、破裂しそうなほど大きく跳ねた。
直後、脳内に無機質なシステム音が鳴り響く。
《条件達成を確認。対象[ノワール]との【眷属化】が確立されました》《魂のパスを接続。マスターからの魔力供給を開始します》
「……ぇ?」
視界が明滅する。
そして、流れ込んできたのは――とてつもない『痛み』だった。
(がはっ……! 熱い……腹が……!)
お腹が焼けるように熱い。毒に侵される感覚。
そして、誰かを必死に守ろうとする強い意志。
「……いや、これは私の痛みじゃない。ノワ様の……ッ!?」
分かった。
これはノワ様の痛みだ。
ノワ様が、斬られたんだ。私たちを守るために、その身を犠牲にして。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
私は絶叫した。
恐怖じゃない。悲しみでもない。
自分への怒りと、レオニードたちへの殺意で、視界が真っ赤に染まる。
「おや、発狂したかい? 可哀想に」
レオニードがつまらなそうに鼻を鳴らす。
「絶望のあまり壊れたか。……まあいい、恐怖に怯えて死ぬよりは幸せだろう」
違う。
私は壊れてなどいない。
むしろ、かつてないほど鮮明だ。
ノワ様の痛みが、私の臆病な心を焼き払ってくれた。
恐怖している暇などない。
(守らなきゃ。私が、ノワ様を)
その強烈な想いが、私の内側にある「何か」の殻を突き破る。
ドクン、ドクン。
心音が早くなる。
五感が研ぎ澄まされ、視界が広がる。
水滴が落ちる音。
空気の揺らぎ。
レオニードの呼吸、筋肉の収縮、そして――彼から放たれる殺意の方向。
全てが手に取るように分かる。
(……見える)
目で見ているんじゃない。
心で、魂で、世界の動きを感じ取っている。
恐怖を克服し、ただ一人のために剣を振るう覚悟を決めた時、私の感覚は限界を超えた領域(第六感)へと踏み込んでいた。
「お楽しみの時間はここまでだね。……さようなら、天才剣士」
レオニードの姿がブレた。
先ほどまでは反応すらできなかった、神速の踏み込み。
――けれど。
(……遅い)
私の目には、はっきりと見えていた。
いいや、本当は初めからから「分かって」いた。
恐怖で目が曇っていただけ。
殺気が描く軌道。剣が通る未来。
それが、赤い線のように空間に焼き付いて見える。
《精神干渉による限界突破を確認》《スキル【音速剣】が上位スキル【神殺剣】へ覚醒します》
私は静止した時間の中で、一歩を踏み出した。
迷いはない。恐れもない。
ただ速く、誰よりも速く。
「死ねッ!!」
レオニードの剣が、私の首筋へと迫る。
私はそれを、最小限の動きで――首をわずかに傾けるだけで躱した。
風圧が頬を撫でる。
レオニードの目が、驚愕に見開かれるのが見えた。
――ここ。
すれ違いざま、私は長剣を一閃させた。
ザンッ――。
乾いた音が響き、私はレオニードの背後へと抜けた。
遅れて、水飛沫がバシャリと落ちる。
時が動き出す。
「――は?」
レオニードが間の抜けた声を上げた。
彼の手から、愛剣がカランと水の中に落ちる。
そして、右腕の肘から先が、だらりと力なく垂れ下がった。
大量の鮮血が噴き出す。
「あ、あれ? 僕の、腕が……動か……ぎゃああああああああッ!?」
遅れてやってきた激痛に、レオニードが絶叫し、水の中に転げ回った。
「なんで!? 僕の【音速剣】が見切られた!? ありえない、ありえないッ!」
「……遅いよ」
私は冷たく言い放ち、血糊を払って剣を納めた。
「貴方は言ったね。猫と仲良しごっこをしているから弱いって」
「ひっ、ひぃッ! くるな、くるなァ!」
レオニードが、動かない右腕を抱えて後ずさる。
その顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れていた。
さっきまで得意げに語っていた「弱肉強食」の哲学など、どこにもない。ただの怯える敗者だ。
「違うよ。誰かのために戦うから、人は強くなれる。貴方には、それがなかっただけ」
「た、頼む、助けてくれ! 金ならやる! だから殺さないでくれぇ!」
「……貴方の言う通りだよ。この世は弱肉強食」
私は彼を見下ろした。
そこにはもう、一欠片の情けも湧かなかった。
「貴方が私より弱かった。それだけだよ」
――ガッ!
「かはッ!?」
剣の腹でレオニードの頭を打つ。レオニードは昏倒し、そのまま倒れた。
……腐っても高レベルの剣士だ。命は助かるだろうが、二度と剣は握れないだろう。
それよりも、行かなきゃ。
傷ついたノワ様のもとへ。
(待ってて、ノワ様。……今すぐ行くから!)
私はダンジョンの奥へと駆け出した。




