第47話『女王の鞭と、毒蠍の断末魔にゃ』
「ヒッ……な、なんだその魔力は!?」
ザイードが腰を抜かし、後ずさる。
彼の目の前で、ミア・ヴァレンタインという少女の存在が変質していた。
可憐なメイドの仮面が剥がれ落ち、そこにあるのは、万物を平伏させる絶対的な支配者のオーラ。
ミアは冷たい瞳でザイードを見下ろすと、ゆっくりと右手を掲げた。
その掌から、漆黒の魔力が溢れ出す。
魔力は生き物のように周囲へ伸びると、地面に転がる鉄骨や、崩れた岩石、瓦礫を次々と巻き込んでいく。
ガガガガッ!
瓦礫同士が魔力で強制的に繋ぎ合わされ、圧縮され、一本の長大で凶悪な「構造物」へと変化する。
「な、なんだ……瓦礫が集まって……?」
ザイードが呆気にとられる。
だが、俺には分かった。
(……『鞭』だにゃ)
身の丈を超える巨大な瓦礫の鞭。
環境をすべて武器に作り替えることが出来、圧倒的パワーで敵をねじ伏せる。
未来で見た、女王の姿そのものだ。
「さあ、跪きなさい」
ミアが手首を軽く振るう。
それだけの動作で、瓦礫の鞭がうねりを上げ、音速でザイードへと襲い掛かった。
「クソがッ! 俺には『毒の鎧』があるんだよぉッ!」
ザイードは自身の最強の防御を信じ、ドロリとした紫色の魔力液を前面に展開して受け止めようとする。
腐食性の液体装甲。触れるものすべてを溶かす絶対の盾。
だが。
ドォォォォォンッ!!!
「ギャアアアアッ!?」
防御など、紙切れ同然だった。
漆黒の鞭は、毒の粘液ごとザイードを弾き飛ばし、背後の岩壁へと叩きつけた。
「がはっ……! 俺の、毒液が……弾け飛んだ……?」
ミアが一歩、また一歩と近づいていく。
その背後で、瓦礫の鞭が大蛇のように鎌首をもたげ、シュルシュルと音を立てている。
(……すごい。これこそが、ミアの本来の戦い方だにゃ)
俺は傷の癒え始めた体で、その光景に見惚れていた。
これまでは武器がなく、不慣れな格闘術(魔力撃)で戦うしかなかった。
だが、今の彼女は違う。
間合いを支配し、敵を寄せ付けずに一方的に粉砕する、中・近距離のファイター。
これこそが【女王】の真骨頂だ。
「ふざけるな……! 俺は『黒蠍』のザイードだぞ! こんなガキに!」
ザイードが血を吐きながら吠える。
遠距離では分が悪いと悟ったのか、彼は狂乱の形相で地面を蹴った。
「懐に入っちまえば、長い武器なんざ無意味なんだよぉッ!!」
捨て身の突撃。
ミアの振るう鞭を、紙一重で回避する。
瓦礫が頬をかすめ、耳が削ぎ落ちるが、ザイードは止まらない。
殺意のみを原動力に、ミアの喉元へと肉薄する。
「死ねェェェッ!!」
毒液を滴らせる湾曲刀が、ミアの心臓へと突き出される。
届く――俺が一瞬、息を呑んだ瞬間。
ドゴォッ!!
ミアの足元から跳ね上がった「黒い影」が、ザイードの顎をカチ上げた。
「ガッ……!?」
脳を揺らされ、ザイードの身体が宙に浮く。
俺には見えていた。
ミアの背後にあった鞭とは別に、彼女の足元から新たな瓦礫が隆起したのを。
「……もう一本、だと……?」
ザイードが宙で体勢を立て直しながら、驚愕に目を見開く。
そこには、ミアの足元から伸びる、もう一本の瓦礫の鞭があった。
「あら。そんなこと言いました?」
ミアが冷酷に微笑む。
次の瞬間、彼女の足元の影が沸騰したように膨れ上がった。
ズズズズズ……ッ!
一本ではない。二本でもない。
三本、四本、五本……。
黒い魔力を纏った瓦礫の奔流が、幾重にも重なって立ち昇る。
まるで、処刑台を取り囲む棘の檻のように。
「な、なんだよ、それ……」
ザイードの顔が絶望に染まるのが見えた。
近づくことさえ許されない。
触れることさえ叶わない。
格が、違いすぎたのだ。
「私の大切な方を傷つけた罪……万死に値します」
ミアの瞳が、断罪の色に輝く。
「終わりです」
彼女が指を振り下ろすと同時。
殺到する鞭の嵐が、ザイードを飲み込んだ。
ドガガガガガガガガガガッ!!!
「ギギィ、アガ、ギャアアアアアアアッ!!」
四方八方からの滅多打ち。
毒の鎧は瞬時に砕け散り、骨が砕け、肉が弾ける音が響き渡る。
それはもはや戦闘ではない。一方的な蹂躙であり、処刑だった。
やがて、嵐が止む。
そこには、手足があらぬ方向へ曲がり、泡を吹いて気絶したザイードの姿だけが残されていた。
「……ふん。汚らわしい」
ミアは興味なさげに瓦礫を捨てると、魔力を霧散させた。
そして、すぐに表情を崩し、俺の方へと駆け寄ってくる。
「ノワール様! お怪我は!?」
『平気だにゃ。すっかり治ったよ』
俺は立ち上がり、念話で答えた。
傷は塞がっている。それどころか、以前よりも力が漲っている気がする。
これが【眷属化】によるパスの力か。
「え……?」
ミアが足を止めた。
彼女は目を丸くして、俺の顔を凝視している。
「い、今……ノワール様のお声が、頭の中に……?」
『え、聞こえてるのかにゃ?』
これも眷属化の力の一つか。クラウスにしか使えなかった意思疎通が拡張されたらしい。
「ぁ……あぁ……っ!」
ミアの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
彼女は俺を抱きしめ、顔を埋めた。
「ノワール様の……お声……! ずっと、ずっと聞きたかった……! 言葉が分かるなんて、こんな……こんな幸せなことがあっていいのでしょうか……!」
『苦しいにゃ、ミア。……でも、よくやったにゃ』
俺は涙で濡れる彼女の頬を、舌で舐めてやった。
意思疎通ができる。それだけで、彼女はこんなにも喜んでくれるのか。
『ところでミア。あいつ、殺さなかったのかにゃ?』
俺は視線を、瓦礫に埋もれたザイードに向けた。
あれだけの攻撃を受けたが、まだ微かに息がある。
殺そうと思えば殺せたはずだ。
「はい。……殺すのは簡単ですが、それでは『証拠』が残りませんから」
ミアが涙を拭い、キリッとした「商人」の顔に戻る。
「彼を生きたまま冒険者ギルドに突き出せば、ヴァイスハイト伯爵家の不正の動かぬ証拠になります。暗殺未遂、ダンジョン法違反……彼らの家を取り潰すのに、最高のカードになりますから」
『さすがだにゃ』
俺は感心して喉を鳴らす。
怒りに我を忘れて殺すのではなく、冷静に相手を社会的に抹殺する道を選ぶ。
やはり、ミアは敵に回したくない女だ。
その時、俺とミアの脳内に、熱い波動が流れ込んできた。
この感覚は――エレナと、クラウスだ。
魂のパスが繋がったことで、二人の状態が手に取るように分かる。
だが、伝わってきたのは苦痛、焦燥。
そして、圧倒的な格上を前にした、命がけの抵抗の気配だ。
「……ッ! これは……!」
ミアの表情が凍り付く。彼女も感じ取ったようだ。
(なんだ、この感覚は……!)
映像が見えるわけじゃない。敵が誰かも分からない。
だが、伝わってくるのは「圧倒的な恐怖」と「焦燥」。
そして、身体が引き裂かれるような「幻痛」だ。
エレナからは、壁にぶつかったような無力感と、焦りが。
クラウスからは、一方的に蹂躙される肉体の悲鳴と、折れそうな心が。
(二人とも、とんでもない苦戦を強いられているにゃ……!)
相手は恐らく、残りの二人――レオニードとガーラントだろう。
あの時、俺たちを嘲笑っていた連中だ。
この伝わってくる絶望の深さが、敵の実力差を物語っている。
「ノワール様……クラウス様の命の灯火が、揺らいでいます……!」
ミアが悲痛な声を上げる。
リンクを通じて、場所はおおよそ分かる。
だが、遠い。
この入り組んだダンジョンの、別々の区画に飛ばされている。
『急ぐにゃ、ミア! このままじゃ二人とも殺される!』
俺は叫び、駆け出した。
勝利の余韻など吹き飛んでいた。
ザイードは倒した。だが、残る二人はさらに凶悪だ。
間に合ってくれ。
俺は祈るような気持ちで、暗い坑道を疾走した。




