第46話『繋がりし魂と、逆転の咆哮にゃ』
「はぁっ……! 魔力撃!」
ミアが鋭い呼気と共に踏み込み、右掌を突き出す。
純粋な魔力を乗せた掌底が、ザイードの腹部に突き刺さる。
ドォンッ!
衝撃音が響き、ザイードがたたらを踏む。
だが、同時にジュウッという嫌な音がした。
「くっ……!」
ミアが苦痛に顔を歪め、バックステップで距離を取る。
攻撃を当てた彼女の右手は赤くただれ、皮膚が焼け爛れていた。
「ヒャハハ! いい様だなぁ! 殴れば殴るほど、テメェの手が腐っていくぞ!」
ザイードが愉快そうに笑う。
彼の身体を覆うのは、紫色のドロリとした液体魔力――『毒の鎧』だ。
今のミアには武器がない。直接触れる「魔力撃」でしかダメージを与えられないが、触れればカウンターで猛毒を受ける。
攻撃するたびにミアが弱っていく、最悪の消耗戦だ。
(まずい……このままじゃジリ貧だにゃ)
俺はミアの足元で、焦りを募らせていた。
ミアの魔力も体力も限界に近い。対してザイードは、多少のダメージは受けているものの、毒の鎧で急所を守っており、まだ余裕がある。
「チッ……しぶといアマだ。兄貴たちと早く合流してぇのによ」
ザイードが苛立たしげに舌打ちをした。
彼はミアの粘りにしびれを切らしたようだ。
その視線が、ふと下を向く。
俺と、目が合った。
「……さっきからその猫をかばいながら動いてるな。じゃあ、これはどうだ?」
ザイードが下卑た笑みを浮かべ、湾曲刀を構え直した。
切っ先が、ミアではなく俺に向けられる。
「死ね!」
「ッ!? させませんッ!」
ミアが悲鳴を上げ、俺の前に立ちはだかる。
ザイードの猛攻が始まった。
左右からの斬撃、そして毒液の飛沫。
ミアは俺を庇うため、回避行動が取れない。すべてを正面から受け止め、防戦一方に追い込まれていく。
(ダメだ……! 守りに徹したら、嬲り殺しにされるだけだ!)
このままでは二人とも死ぬ。
この局面を打開するには、奴が攻撃に集中した瞬間の「隙」を突くしかない。
たとえ、それがどのような代償を払うとしても。
(――やるしかない)
俺は冷徹な決断を下した。
俺はザイードを見据え、そしてミアの意識に強く干渉する。
≪思考誘導』発動≫
(俺に構わず、ザイードの攻撃に合わせて反撃にゃ!)
「ッ……!?」
ミアの瞳に靄がかかる。
ザイードが大きく振りかぶり、俺を目掛けて剣を振り下ろした瞬間だった。
通常なら、ミアは身を呈して俺を庇うはずだ。
だが、俺の思考誘導がその行動を強制的に書き換えた。
ミアは俺を庇わなかった。
がら空きになったザイードの胴体へ向けて、全霊の魔力撃を放ったのだ。
「なっ!?」
ザイードが驚愕に目を見開く。
まさか、猫を見捨ててカウンターに来るとは思わなかったのだろう。
ミアの掌底が、ザイードの無防備な脇腹に深くめり込んだ。
「ガハッ……!!」
ザイードが血を吐く。
だが、奴の振り下ろした刃は止まらなかった。
ザシュッ――。
「――みゃっ!?」
鋭い痛みが俺の腹を走った。
回避が間に合わず、俺の身体が斬り裂かれ、宙を舞って地面に叩きつけられる。
熱い。腹から大量の血が溢れ出し、視界が明滅する。
「ノ、ノワール様……ッ!?」
我に返ったミアが、血まみれの俺を見て絶叫する。
彼女は自分が何をしたのか理解し、顔面蒼白になっていた。
俺を守らず、敵を攻撃してしまったという事実に、震えていた。
(狼狽えるな! まだだ、まだ終わってない!)
ザイードは今、強烈な一撃を受けて体勢を崩している。
膝をつき、苦悶の表情を浮かべている。
最大のチャンスだ。ここで畳み掛ければ、勝てる!
≪思考誘導』発動≫
(追撃しろ、ミア! トドメを刺すんだ!)
俺は痛みをこらえ、再び『思考誘導』を送った。
自分を助けに来るな。
俺を見捨てて、目の前の敵を殺せ。
これは、生き残るための最善手だ。
だが。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
ミアは、俺の命令(思考誘導)を拒絶した。
彼女はトドメを刺す絶好の好機を捨て、ザイードに背を向け、俺の元へと駆け寄ってきたのだ。
(馬鹿な……!? 俺のスキルを、精神力だけで弾いたのか!?)
ミアは俺を抱き上げると、ザイードから大きく距離を取った。
震える手で、俺の傷口を押さえる。
その目には涙が溢れていた。
「死なないで……! ごめんなさい、私、なんてことを……!」
俺は薄れゆく意識の中で、悔しさに歯噛みした。
勝てたのに。
俺の命と引き換えに、ザイードを倒せたのに。
「ヒャハハハ! 惜しかったなぁ、おい!」
ザイードがふらつきながら立ち上がる。
脇腹を押さえているが、その目には嗜虐的な光が戻っていた。
「あと一発貰ってたら死んでたぜ。だが、もう終わりだ。猫を助けるために勝機を捨てやがったな」
ザイードが毒の魔力を練り上げる。
もう、ミアに反撃する力は残っていないだろう。俺も、出血多量で意識が消えそうだ。
万事休す。
「諦めろ。そして、仲良く溶けて死ね」
ザイードが最後の一撃を放とうとした、その時だった。
脳内に、けたたましいアラートが鳴り響く。
《スキル経験値が規定値に達しました。固有スキル【魅了】がLv.6に上昇》
《Lv.6に到達したため、スキル【眷属化】を取得しました》
《眷属化対象を検索……3件ヒットしました。ミア・エレナ・クラウスを眷属化します》
《魂のパスが確立されました。マスターの生命力が危険水域のため、眷属からの魔力供給を開始します》
ドクンッ!!
俺の心臓が、今までとは違うリズムで鼓動を打つ。
ミアを抱いている腕から、莫大な「何か」が流れ込んでくる。
それは温かく、そして恐ろしいほどに濃密な生命力。
俺の腹の傷が、急速に塞がっていく。
(な、なんだ……? 魔力が、繋がっている……?)
俺は目を開けた。
そして、見てしまった。
俺を抱きしめるミアの姿……いや、未来で見た、あの姿を。
世界が、軋む。
ミアを中心に、光が吸い込まれていく。彼女の全身から噴き出したのは、夜の闇すら生ぬるい、絶対的な『黒』だった。
ダンジョンの空気が凍りつき、重力が倍増したかのような重圧が場を支配する。
「……下賤な羽虫が」
ミアが呟いた。
その声は、いつもの彼女のものではない。
冷徹で、傲慢で、万物を跪かせる絶対的な支配者の響き。
《転職条件を満たしました》
《隠し職業:【女王】が再活性化しています》
「死ねぇぇぇッ!!」
異変に気づかず、ザイードが必殺の刃を振り下ろす。
毒を滴らせた切っ先が、ミアと俺の脳天へ迫る。
だが。
ガギイィィィッ!!!
硬質な音が響き、火花が散った。
ザイードの剣は、ミアの頭上数センチのところで「見えない壁」に阻まれ、停止していた。
「な、に……ッ!?」
ザイードが驚愕に目を見開く。
ミアは指一本動かしていない。
彼女の背後からのたうつ漆黒の魔力が、物理的な障壁となって刃を受け止めていたのだ。
刀身に塗られた猛毒が、黒い魔力に触れた端からジュウジュウと音を立てて無効化されていく。
ミアがゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、美しいアメジストから、底なしの深淵へと変貌していた。
そこに慈悲や理性はない。あるのは、所有物を傷つけられた暴君の憤怒のみ。
「誰の許しを得て、私のノワール様にその汚い刃を向けているのですか?」
ドオオオオオッ……!!
黒い魔力が爆発的に膨れ上がり、ザイードの剣ごと彼を強引に弾き飛ばした。
鎌首をもたげる大蛇の如きオーラが、尻餅をついた哀れな獲物を見下ろしている。
「ヒッ、ひぃッ……!? お、俺の剣が……通じねぇ……!?」
ザイードが、本能的な恐怖に顔を引きつらせ、後ずさる。
圧倒的な格の差。
それは、未来ですべての男に恐れられ、世界を跪かせた【女王】が、この時代に顕現した瞬間だった。




