第44話『中層の罠と完璧なレオニードにゃ』
地下20階層。
そこは廃坑の通路が無限に続くような場所だった。
地面には錆びついたレールが敷かれ、壁にはカンテラの跡がある。天井は高く、通路は迷路のように入り組んで続いていた。
「……静かだね」
エレナが短剣を握りしめ、周囲を警戒する。
確かに、静かすぎる。
通常、新しい階層に入れば、魔物の気配がするものだ。
だが、ここには生き物の気配が全くない。
「魔物がいない……。これは『休憩エリア』か、あるいは――」
レオニードが言葉を切り、通路の床に落ちていた小石を拾った。
そして、何もない空間へ向かってヒョイと投げる。
カチッ。
ヒュンッ!
石が床に触れた瞬間、壁から鋭い矢が発射され、石を粉々に砕いた。
「――『罠エリア』ですね」
レオニードが涼しい顔で言う。
騎士たちが息を飲む。
「ここからは私が先導しましょう。シーフのスキルほどではありませんが、多少の心得はありますから」
そう言うと、レオニードは危険を顧みず、先頭に立って歩き出した。
時折立ち止まっては、小石を投げたり、棒で床を突いたりして、罠を作動させながら進んでいく。
「危ないっ!」
天井から落ちてきた岩を、レオニードが紙一重で回避する。
埃まみれになりながらも、彼は爽やかな笑顔を崩さない。
「大丈夫ですか、レオニードさん!」
「ええ、かすり傷です。それより、お嬢さんたちは怪我をしないように」
……完璧だ。
自己犠牲の精神、卓越した技術、そして仲間への配慮。
疑いようがない。彼は本物の「英雄」だ。
(俺は……何を疑っていたんだにゃ)
俺は自分の心の狭さを恥じた。
前世で俺を殺したガーラントは、この世界にはいないのかもしれない。
そして、このレオニードも、俺が知る通りの正義の味方なのだ。
そう自分に言い聞かせようとした、その時だった。
《熟練度が一定値に達しました》
《スキル【危機察知】が Lv.4 にレベルアップしました》
《新アビリティ【罠感知】が解放されました》
不意に、脳内でファンファーレが鳴った。
レベルアップ?
次の瞬間、俺の視界が一変した。
薄暗い坑道のあちこちに、赤い光の「線」や「マーカー」が見える。
床のスイッチ、壁の吹き矢、天井の落石トラップ……。
それらが全て、手にとるように分かるのだ。
(これが、Lv.4の力……!)
レオニードが苦労しているのが見えた。
彼は素晴らしい技術を持っているが、それでも全ての罠を完璧に見抜けているわけではない。
俺なら、もっと安全に案内できる。
俺はクラウスの肩を叩き、降りる合図をした。
地面に降り立ち、レオニードの隣に並び立つ。
「おや、猫ちゃん? 危ないよ」
「にゃーん(こっちだにゃ)」
俺は尻尾で「こっちだ」と合図を送り、安全なルートを歩き出した。
赤いマーカーを避けて進めば、罠は作動しない。
俺の先導により、一行の進軍速度は劇的に上がった。
「すごい……! 猫ちゃん、罠が分かるのかい?」
「さすがはバウマン家の守護神ですね!」
騎士たちが称賛の声を上げる。
俺は鼻高々に進んでいく。
この調子なら、遭難者を見つけてすぐに帰れるだろう。
ガーラントとも和解し、すべてが丸く収まる――。
そう思っていた。
ある広大な空間に出るまでは。
そこは、複数の通路が交差する広いジャンクションだった。
その中央に、不自然なほど何もないスペースがある。
俺の目には、そこにとてつもなく巨大で、凶悪な「赤い魔法陣」が見えていた。
≪強制魔法の罠を検知。罠種別:ランダム転移≫
強制魔法。
引っかかれば、全滅の可能性すらある凶悪な罠だ。
(!? まずい!)
俺は魔法陣の縁で急ブレーキをかけ、爪を立てて踏みとどまった。
すぐ背後には、レオニードが迫っている。
このまま進めば、彼は罠を踏み抜くことになる。
『フーーッ!!(止まれ!)』
俺はレオニードの方を振り返り、全身の毛を逆立てて激しく威嚇した。
行く手を阻むように、彼の足元で立ちはだかる。
「おっと?」
レオニードが足を止めた。
そのつま先は、魔法陣の起動エリアまであと数センチのところだった。
「おや、どうしたんだい? 何かあるのかい?」
彼は不思議そうに首を傾げ、一歩、また俺の方へ近づこうとする。
(そうか、レオニードは経験で物理的な罠は感知できるが、魔法陣の罠は見抜けないのか)
俺は彼を見据えながら、「ここから先へは行くな」という意思を込めて、喉の奥で低く唸った。
同時に、後方のクラウスへ【意思伝達】を送る。
「ッ……! レオニードさん、動かないでください!」
俺の警告を受けたクラウスが、後方から叫んだ。
「ノワールが警告しています! 貴方の目の前に、強力な罠があります!」
その声が、静寂な坑道に反響する。
その必死の訴えに、ようやくレオニードは足を止めた。
罠の魔法陣の縁、ギリギリのところで。
「……罠、ですか」
レオニードの声が、どこか楽しげな響きを帯びる。
「ええ。そこを踏めば、ただでは済みません。迂回しましょう」
クラウスが呼びかける。
だが、レオニードは動かない。
彼は俺を見下ろし、そしてゆっくりと視線を上げ、クラウスたちの方を見た。
「君の猫は優秀だね。……まさか、これが見えるとは」
その顔には、先ほどまでの爽やかな笑顔が張り付いている。
しかし、その碧眼は、凍り付くほどに冷たく、昏かった。
「え……?」
「ちょうどいい罠を見つけましたね、レオニード殿」
不意に、後ろから声がした。
ガーラントだ。
彼は先ほどまでの「反省した男」の顔をかなぐり捨て、口元を醜悪に歪めていた。
「ここまで計画通りだと拍子抜けですが。始めましょうか」
「ふふ、そうですね。名残惜しいですが」
レオニードが、ニッコリと笑った。
周囲の騎士たちも、一斉に無表情になり、剣の柄に手をかけた。
誰も驚いていない。
「実は私、シーフのサブ職持ちでしてね。……最初から見えていたんですよ」
時が、止まった。
最初から、見えていた?
なら、なぜ今までわざわざ石を投げて確認したり、危険を冒したりしていた?
まるで、俺たちを信用させるためだけに演技をしていたかのように――。
「――ポチっとな」
レオニードが、軽い調子で足を上げた。
そして、俺が止める間もなく、その凶悪な魔法陣を踏み抜いた。
カッッッ!!!!
視界を埋め尽くす、まばゆい閃光。
床に描かれた複雑な幾何学模様が、赤黒く発光し、俺たち全員を包み込む。
「きゃあああああっ!!」
「くっ……! 私としたことが……こんな見え透いた罠に……ッ!」
エレナの悲鳴と、ミアの悔しさに満ちた叫びが重なる。
「あーあ、騙すのが簡単すぎて欠伸が出そうでしたよ。……それでは、楽しいパーティー(殺し合い)の始まりですね!」
光の中で、レオニードは髪をかき上げ、恍惚とした表情で笑っていた。
その言葉に、俺は戦慄した。
そして、光に飲み込まれる寸前、見えた。
レオニードの背後で、ただ一人、驚くこともなく――醜悪な笑みを浮かべて俺たちを見下ろしているガーラントの姿を。
(――畜生ッ! やっぱり、奴らはグルだったのか……!)
俺の警戒は正しかったのだ。
ガーラントの改心も、レオニードの正義も、すべては俺たちをこの死地へ誘い込むための、極上の猿芝居。
俺は悔しさに歯噛みしながら、薄れゆく意識の中で叫んだ。
(みんな……死ぬなよ……ッ!)
そして、俺たちは暗闇へと散り散りに消えていった。




