第42話『動かないイグニスと正義のギルドにゃ』
応接室を出た俺たちは、すぐにミアとエレナを招集し、裏庭へと向かった。
歩きながら、クラウスが手短に事情を説明する。
「――というわけで、ヴァイスハイト伯爵たちの案内で、ダンジョンの中層へ降りることになった」「中層へ救助、ですか……」
話を聞いたミアが、眉をひそめ、顎に手を当てて考え込む。
「話が出来すぎていますね。採掘権の契約を持ち出して責任を回避しつつ、人命救助を盾に同行を強要する……。あの方々(ヴァイスハイト家)の評判は聞いていますが、とても部下思いには見えませんでした」
「ああ。罠の可能性がある。だが、万が一本当だとしたらと思うと、動かざるを得ない」
「……そして、動かない場合はバウマン家の評判が下がる、と」
ミアの一を聞いて十を知る洞察眼に、俺は心の中で舌を巻いた。彼女の「鑑定眼」は、商品だけでなく人の本質も見抜き始めているらしい。
「受けて立つしかない、ということですね」
「ああ。だからこそ、万全の戦力で行きたいんだが……」
クラウスが困ったように視線を向けた先。
裏庭の広大な芝生の上で、小山のような巨体が上下していた。
赤竜イグニス。
人化を解き、本来のドラゴンの姿で、日向ぼっこをしながら豪快にいびきをかいている。
「Zzz……ムニャ……我は……最強……肉……よこせ……」
『にゃあ!(おい、起きろトカゲ! 出番だぞ!)』
俺はイグニスの鼻先を、肉球でペチペチと叩いた。
だが、イグニスは太い尻尾をパタンと揺らすだけで、目を覚ます気配がない。
鼻提灯が膨らんだり縮んだりしている。
昨晩の宴会で、俺から魔力を吸いすぎたのが原因だ。完全に「魔力酔い」で潰れている。
『ニャー、ニャニャッ!(敵が来てるんだ! ヴァイスハイト家だ! 起きろってば!)』
俺は耳元で精一杯叫び、事情を訴えた。
すると、イグニスが片目だけをうっすらと開けた。
「人間同士の争いに……我は関与出来ん……ムニャ……」
また寝た。
関与出来ない、か。関与しないのではなくて、"出来ない"。
(くそ、何か手伝えない理由があるのか?)
俺は深いため息をついた。
最強戦力が、まさかの欠席。
これは、かなりまずい状況だ。
ヴァイスハイト家が連れてきている護衛とやらが、どれだけの実力者なのか。不測の事態に備えたかったが、当てが外れてしまった。
「ノワ様、大丈夫だよ!」
不穏な空気を吹き飛ばすように、元気な声が響いた。
エレナだ。
彼女は既に二振りの短剣を腰に差し、準備万端で胸を張っている。
「何かあっても、私が全部斬っちゃうから! ノワ様には指一本触れさせないもん!」
「にゃあ(頼もしいな)」
その無邪気な自信に、少しだけ心が軽くなる。 そうだ、俺たちにはエレナがいる。剣聖の卵である彼女がいれば、多少の戦力差は覆せるはずだ。
「ああ。頼りにしてるぞ、エレナ。……だが、油断はするなよ」
クラウスも気を引き締め直し、俺たちを見回した。
その瞳に迷いはない。
「行こう。たとえ罠だとしても、バウマン領のダンジョンで好き勝手はさせない」
俺たちは頷き合い、ヴァイスハイト伯爵たちの待つ玄関へと向かった。
◇
屋敷の前には、伯爵とガーラントが待っていた。 そして、その背後に整列していたのは、俺が想像していたような薄汚いゴロツキたちではなかった。
「……え?」
クラウスが思わず声を漏らす。
そこにいたのは、磨き上げられた白銀の鎧に身を包んだ、眩しいばかりの騎士団だった。
全員が金髪碧眼で整った容姿をしており、礼儀正しく整列している。
その先頭に立つ男は、絵本から飛び出してきたような美青年だった。
「お待たせしました。今回の捜索任務の護衛を仰せつかりました、Bクラン『白銀の黎明』リーダー、レオニードと申します」
レオニードと名乗った男が、爽やかな笑顔で一礼する。
その姿からは、一片の悪意も、不穏な空気も感じられない。
むしろ、神聖なオーラすら漂っている。
(――レオニード!?)
俺は驚愕に目を見開いた。
知っている。
いや、知っているどころではない。前世の記憶にある、未来の英雄の一人だ。
『白銀の黎明』。
彼らは、常に民のために戦い、弱きを助ける「正義の象徴」として、後にSランクにまで上り詰め、国中から称賛されることになる英雄クランだ。
(な、なんでこいつらがここにいるんだにゃ?)
ヴァイスハイト家のような没落寸前の貴族が雇えるような相手じゃない。
それに、こいつらは「正義」を掲げるクランだ。もしガーラントが何か悪さを企んでいるなら、こんな実直なクランに依頼するはずがない。
ということは……本当に、ただの遭難救助なのか?
「へぇ……かっこいい人たちだね」
エレナが珍しく感心したように呟く。
ミアも、少しだけ警戒を解いたように見えた。 レオニードは、そんな少女たちの視線に気づくと、優雅にウインクをして見せた。
「おや、こんなに可愛らしいお嬢さんたちが案内役とは。今日は運がいいようだ。……全力でお守りしますよ、お姫様」
「あ、ありがとうございます……」
ミアが頬を染めて会釈する。
完璧な振る舞いだ。どこからどう見ても、理想的な騎士様だ。
(おかしい……。俺の記憶では、こいつらは英雄のはずだ)
未来では、彼らの悪評など、一度も聞いたことがなかった。彼らが同行するのであれば、俺たちの警戒は杞憂に終わるかもしれない。
むしろ、疑っている俺の方がおかしいのか?
「どうしたのかね? 猫君がずいぶんと強張っているようだが」
不意に、ガーラントが心配そうに声をかけてきた。
彼は俺の様子を見て、眉を寄せている。
「ダンジョンの空気に怯えているのかな? ……もし怖がっているようなら、屋敷に置いていった方がいいんじゃないかい? 可哀想だろう」
その言葉には、茶化すような響きはなく、純粋な気遣いのような色が滲んでいた。
今のガーラントからは、悪意を感じない。
(……もしかして、こいつはまだ『悪党』じゃなかったのか?)
未来であのような外道に堕ちる前の、まだまともだった時期なのか?
俺の知るガーラントは数年後の姿だ。今はまだ、性根が腐りきる前だという可能性があるのか……?
いや、そんなはずは……。
「……いえ、大丈夫です。少し人見知りをしただけですから」
クラウスが俺の背中を優しく撫で、ガーラントに答える。
その手つきに、俺の強張りが少しだけ解ける。
そうだ、今は迷っている場合じゃない。相手が誰であれ、クラウスたちを守るのが俺の仕事だ。
「そうか。それならいいんだが。……では、行こうか」
ガーラントが穏やかに頷き、先を促す。
俺たちは並んで歩き出す。
目指すはダンジョン中層。
(……分からないにゃ)
俺はレオニードの輝くような背中を見つめた。
空は突き抜けるような青空だったが、俺の心には、晴れない霧がかかったままだった。




