76. 魔の16階層
ついに舞華恋の面々は、上層の最下層である第16階層へと足を踏み入れた。
ここは通称、『魔の6階層』。 ダンジョンの節目となる「6」のつく階層は、それまでとは比較にならないほど魔物のリスポーン速度と密度が跳ね上がる、冒険者殺しのエリアとして悪名高い。
案の定、視界の先にはうじゃうじゃと蠢く魔物の影。だが、舞華恋のメンバーたちに悲壮感はなかった。
襲いかかる大蜘蛛の群れを前に、ルークは剣を振るう手が徐々に重くなっているのを感じていた。鋭い爪を受け流し、何とか首元を叩き斬るものの、息は荒く、次々と押し寄せる敵の打撃を完全に殺しきれずに腕を痺れさせている。
「本当に、次から次へと湧いて出てきますね……! だが、私の風は破らせない!」
カルディアスが静かに呪文を紡ぎ、前衛たちの足元に風の結界を広げた。ルークたちの寸前の回避を支える絶妙なバフだ。
「アスクの指示通りに動けば、最短ルートでスカッと抜けられるからね! 押し通るよ!」
カルディアスの風の加護を受けたメグが、自身の身の丈ほどもある超重量の大剣を豪快に振り回す。アスクが指定した「安全地帯」へ敵の群れを叩き出し、力任せの破壊力で強引に道を切り拓いていく。
「……うん。無駄な戦闘を避けて、最短経路。アスクの通りに動く」
メグが大剣で強烈に吹き飛ばし、体勢を崩した魔物たちの死角からぬるりと滑り出してきたのはきょたんだ。二本の漆黒の短刀が暗闇で光り、敵が気づく間もなく喉元から糸を噴き出させて仕留めていく。
「カッカッカ! 押し潰すなら、まず足を止めねばな!」
老練なこと魔法使い・トッポが杖を地面に突きたてると、地脈が激しく脈打つ。
『泥沼』!
アスクの指定した狭小路の地面が一瞬で底なしの泥へ変化し、押し寄せていた魔物の大群が一斉に足を取られて身動きを振るわせた。
「さっきの階層では不完全燃焼だったからね……ここからは私の時間よ!」
霧の晴れた16階層で、火属性を存分に振るえるクロエの瞳が紅蓮に燃え上がる。細身の愛剣を炎で包み、足留めされた魔物の群れへ躍り込んで鮮やかに焼き切っていく。
メグ、クロエ、きょたん、トッポの4人が圧倒的な火力で敵を薙ぎ払う。一方、残るメンバーは苦境に立たされていた。
「っ……あいつら、泥を避けて壁を伝ってきやがった!? うわ、高所からの奇襲はズルいって――ッ!?」
ユノーが投げ放った手斧は、壁を滑るように動く高速の魔物に一筋かわされ、岩壁に虚しく跳ね返った。武器を一瞬失った隙を突かれ、ユノーの肩口に鋭い爪がかすめる。
「くっ、追いつかない……! 追い風があっても、この密度じゃ踏み込みが殺される……!」
アズインもまた、頭上のキューちゃんと連携して駆け回るものの、縦横無尽に跳び交う魔物の群れに足場を奪われ、得意の跳躍を発揮しきれずにいた。敵の皮膚は想像以上に硬く、ナイフの刃が浅く弾かれてヒヤリとする場面が続く。
「ルーク、アズイン、下がって! 聖光よ、傷と疲労を払い給え『エリア・ヒール』!」
後衛のユキがすぐさま光の杖を掲げ、傷ついたユノーや疲弊していくルーク、アズインに回復と浄化の光を降り注ぐ。ユキの必死のサポートがなければ、前線が崩壊しかねない危ういバランスだ。
そして、この混乱した戦況を脳内でミリ単位で再構築しているのがアスクだ。
「……やはり放置された階層だ、雑魚のレベルが想定より上がっているな。ルーク、右へ3歩退け。ゆのっち、斧はスキルで回収だ! アズイン、オレの魔法の射線から跳べ!」
アスクは「ニギルポーション」で限界突破した魔力を指先に集中させる。
【絶対零度】」
青紫色の水球が、アズインとユノーを押し潰そうとしていた魔物の群れをまとめて凍り付かせていく。
「ふぅ……間一髪助かったよ、アスク。助かった……!」
「うぐぐ……オイラとしたことが、不甲斐ない……!」
冷汗を流すルークや悔しがるユノー、息を整えるアズイン。
メグやクロエたちの無双と、ユキ・アスクのサポートで何とか死者を出さずに突破できているものの、長期間放置された16階層の魔物の「数と質の過剰さ」は、舞華恋の体力を確実に削り取っていた。
「――見えてきたぞ」
アスクの言葉に、舞華恋の面々は足を止めた。
通路の最奥に鎮座するのは、上層の終わりを告げる重厚な巨木と鉄でできた大扉。だが、その扉の前には、異様な光景が広がっていた。
引き返そうにも、後ろからは倒しても倒しても湧き出してくる魔物の大群。
「はぁ……はぁ……! ちょっと、いくらなんでも数が多すぎない!?」
クロエが剣についた魔物の返り血を拭いながら、肩で息を吐く。
「おかしいな……。第16階層は上層の最下層とはいえ、ここまで魔物のリスポーン速度が異常なエリアじゃなかったはずだけど……」
カルディアスも剣を構え直しながら、眉をひそめた。
その疑問に、アスクが冷静に、しかしどこか苦々しい表情で答える。
「……計算外だったな。原因は『魔導昇降機』と、ここが観光地ダンジョンだということだ」
「ええ……そのようね」
ユキが頷くと、アスクは手帳のダンジョンデータをめくりながら説明を続けた。
「このダンジョンを訪れる高レベルの冒険者や観光客は、みんな1階から魔導昇降機に乗って、中層以降へ一気にスキップしてしまう。わざわざ歩いて上層を攻略する物好きなんて、ここ半年から1年の間、一人もいなかったんだよ」
「――ッ! ということは……!」
トッポが目を見開く。
「そう。約1年間、誰もこの第16階層の魔物を間引いていない。生態系が飽和し、倒しても倒しても溢れ出てくる状態になっているんだ」
放置された階層。それは、長期間誰も挑まなかったことで過剰に魔力が溜まり、「階層ボスそのものも、本来のスペック以上に強化されている」ことを意味していた。
雑魚の怒涛のラッシュによって、メンバーのスタミナと資材は想定以上に削られている。
さらに扉の向こうからは、通常の上層ボスとは一線を画す、禍々しく膨れ上がった魔力のプレッシャーが漏れ出していた。
「……参ったね。雑魚の相手でかなり消耗させられた上に、中身は熟成された強化ボスか」
ルークが引きつった笑みを浮かべる。
「あはは! でもアスク、ここに来るまでにいっぱいレベル上げたじゃん! やってやろうよ!」
メグが大剣を担ぎ直し、敵を睨みつける。
「応よ! 熟成されてようが、オイラたちが叩き潰すだけだ!」
ユノーも手斧を握り直して意気込んだ。
アスクはポーチに残った『ニギルポーション』の数を手探りで確認すると、口元に不敵で冷徹な笑みを浮かべた。
「……確かに、オレの事前試算からは少し外れた。だが、効率的なハックのやりがいは増したというものだ。全員、武器を構えろ。――上層ボスを討伐し、中層への扉を開けるぞ」
アスクの合図とともに、重厚な扉が重い音を立てて開き始めた。
広大なボスエリアの中央に、その「異常」は鎮座していた。
「……デカい。資料にあったサイズと、まるで違うぞ……!」
ルークが息をのむ。
そこにいたのは、漆黒の光沢を放つ巨大なサワガニ型の魔物――『ブラックシェル』。
通常ならば体長3メートルほどの個体だが、半年以上放置されダンジョンの魔力を吸い上げ続けたこの個体は、倍以上の10メートル近くまで巨大化していた。
ドスン! ドスン!
ブラックシェルが六本の太い脚を動かすたび、地響きとともに湿った岩肌の振動が足裏からズシンと身体を揺らす。
「ルーク、腰が引けてるぞ! オイラの斧でもあの甲羅は割れそうにねえが……やるしかねえ!」
ユノーが包帯を巻いた腕で手斧を握り直すが、敵の圧倒的な重厚感に汗を流す。
「物理が駄目なら、焼き蟹にしてあげるわ! 『紅蓮進撃』!」
クロエが剣を振ると、ゴオッと鼓膜を揺らす重厚な爆風とともに高熱の炎がブラックシェルを包み込んだ。洞窟内に一瞬で熱気が充満し、肌を焼き焦がすような温度が広がる。
しかし、炎が晴れたあと、漆黒の甲羅には焦げ跡ひとつついていなかった。それどころか、甲羅の表面に浮かぶ透明な魔力の膜が、炎をすんなりと霧散させてしまったのだ。
「……っ!? 魔法が消された……!?」
「くそっ、魔法防御までついてやがるのか!」
カルディアスが刃も、甲羅に弾かれて甲高い金属音(キンッ!)を鳴らすだけだった。強力な物理耐性と、高レベルの魔法抵抗。
直後、ブラックシェルがギチチチ……と甲羅を擦り合わせる耳障りな不快音を響かせ、丸太のように太いハサミを勢いよく振り下ろした。狙いは、疲労で動きの鈍っているルークとアズインだ。
ドガァァンッ!!
「ぐあぁっ!?」
間一髪、カルディアスが巻き起こした風の支援で直撃こそ免れたものの、叩きつけられたハサミが床を打ち砕いた爆風と石礫の衝撃だけで、ルークとアズインは壁際まで吹き飛ばされた。
「ルーク、アズイン! 下がって!!」
ユキが悲鳴のような声を上げ、すぐさま二人へ駆け寄る。
後方でその光景を目撃したアスクの背筋に、一筋の冷や汗がすっと背中を伝い落ちた。
(――まずい、完全に計算が狂った……!)
心臓がドックン、ドックンと早鐘のように高鳴り、喉の奥がカラカラに乾いていく。
物理も無効、魔法も半減。雑魚戦で消耗したパーティのスタミナは限界に近い。正攻法では全滅する――焦燥感が脳内を黒く塗り潰そうとしてくる。
(落ち着け……焦るな……! 思考を止めるな……!)
アスクは奥歯をガチリと噛み締め、口内に広がるかすかな鉄の味で強引に冷徹さを取り戻した。
スキル「探知」を用いて、索敵視界を極限まで加速させ、ボスの挙動を穴が開くほど観察する。
恐怖を冷たい計算で上書きするように、頭をフル回転させる。ブラックシェルの巨体、動き、魔力の流れ、関節の隙間、そしてあの異常な魔法抵抗のバリアの構造――目に入る全ての情報を、限界まで加速した頭脳へぶち込んでいく。
どんなに鉄壁に見えるゲームのボスでも、システム(物理法則)の上に成り立っている以上、完璧な存在などあり得ない。必ずどこかに、開発者の意図しない『仕様の穴』が存在するはずだ。
(甲羅全体を覆う魔力膜……だが、関節の可動部、そして泡を吹く口元……! あそこは魔力膜の循環が薄い! 外側がダメなら――)
わずか数秒。地獄のような焦燥の末、アスクの頭脳に「解」が閃いた。
だが、敵の追撃は待ってくれない。
「……シャアアアアッ!」
アスクがハックの答えに辿り着いたその瞬間、ブラックシェルが倒れ込むルークとアズインに向けて、巨木のようなハサミを容赦なく振り下ろそうとしていた。ユキの回復も間に合わない、絶対絶命の絶望的な距離。
「みんなに、手出しさせるかぁぁぁッ!!」
その時、重厚な大剣を構えたメグが、スキル「迅速」の踏み込みで二人の前に躍り出た。
「メグ、ダメだ! 物理は弾かれる――!」
カルディアスが叫ぶ。
「うおおおおおっ!!」
メグの身体から、バチバチと青白い激しい火花が弾け飛んだ。
仲間のピンチと極限の感情の高ぶりによって、彼女の体内に眠っていた特殊魔法――『雷属性』が無意識に一気に覚醒したのだ。
「えっ……なにこれ、ピリピリする……!?」
メグ本人も何が起きたのか分からず一瞬戸惑うが、溢れ出る魔力をそのまま大剣へと注ぎ込む。身に纏ったのは、雷魔法の初期技術――『翔雷』。
疾風のような雷光を脚に纏わせて地を蹴り、メグは大剣を携えてブラックシェルのハサミの関節――甲羅の薄い弱点に向けて跳躍した!
ドガァァァンッ!!
「グガアァァッ!?」
激しい衝撃と青白いスパークが走り、あの鉄壁のブラックシェルが初めて悲鳴を上げて体勢を大きく崩した。慣れない雷魔法の反動でメグも少し痺れに顔を顰めるが、一撃の効果は抜群だった。
「すごい……! メグ、特殊魔法の雷を……!?」
ルークが目を見開く。
覚醒したメグの『翔雷』。そして、体勢を崩して泡を吹くブラックシェルの開いた口元。
アスクの脳内で、全てのパズルが一瞬で組み上がった。
「メグ、ナイスだ! 全員、オレの指示通りに動け!」
アスクが『ニギルポーション』を喉へ流し込み、潤沢な魔力とともに指揮を飛ばす。
「トッポは泥沼で脚を固定! ユキはルークたちの回復! メグはもう一度その『翔雷』を構えろ!」
「応よ! 『泥沼』じゃ!」
「聖光よ、傷を癒やし給え『エリア・ヒール』!」
「よく分からないけど、やってみる!」
仲間たちの声が一つに重なり、指揮と行動が完璧に噛み合っていく。
「クロエ、ゆのっち、アズイン、きょたん! 奴の顔面に攻撃を集中させて口を開けさせろ!」
「任せなさい!」クロエの炎の斬撃!
「ウチの斧も喰らいやがれ!」ユノーの投擲斧!
「急所はここです!」アズインの双剣突き!
「……影から、縫う」きょたんの闇の刃!
四人の怒涛の連続攻撃が顔面に突き刺さり、鬱陶しさに耐えかねたブラックシェルが、怒りで威嚇するようにガバッと大きな口を開けた。
「今だ! ——『水壁』!」
アスクの放った大量の水壁が、狙い通りブラックシェルの開いた口の中へと大量に流れ込んでいく。外側は魔法防御で守られていても、身体の内側(粘膜)は無防備な生の肉だ。
「メグ! その『翔雷』で、口の中の水目掛けて跳べ!!」
「いっけぇぇぇぇッ!! 『翔雷』!!」
メグが青白い雷光を爆発させて地を蹴り、アスクの送り込んだ水流の渦へ大剣を深々と突き立てた。
バチバチバチイィィィッ!!!
水は最高の電導体だ。水流を伝って高圧の電流がブラックシェルの体内へ一気に駆け巡り、ジュウジュウと内臓が蒸発する音と白煙が口から吹き出した。
「ギョエエエエエエエアアアアッッ!?」
外側の強固な甲羅が裏目に出て、体内に閉じ込められた電流と熱気がブラックシェルの内臓を完膚なきまでに破壊(茹で上げ)していく。
やがて、内部から白煙を吹き出しながら、10メートルを超える巨躯がドッシーンと音を立てて倒れ伏した。
沈黙。
「……討伐成功だ」
アスクが静かに息を吐くと同時に、16階層のボスエリアに、舞華恋の勝利の歓声が響き渡った。




