72. 湯煙の公園と、明日の『計算』
■なつみかん劇場、先週金曜日の話
明日、この街に超巨大魔獣【タイフーン】が2体直撃する。
危険を察知したなつみかんは、明日の拠点防壁工事を延期にするため、建築職人ギルドへ伝言を残した。
――よし、これで一安心。そう思った矢先、ギルドから信じられない返信が届く。
「なつみかん様! 明日は【タイフーン】でえらいこっちゃすけど、うちのギルドの精鋭なら、なんのこれしき、問題なく対応可能ですえ。どうぞ、よろしゅうおたの申します、どすどすどす」
いやいやいや、おかしいだろぉぉぉ( *`ω´)
何その命知らずなプロ意識!?
こっちは「危ないから延期にしよう」って言ったんだよ!
なつみかんは慌てて通信水晶をひったくり、全力でギルドへ怒涛の再通信を送った。
「ストーーップ!!! 違う、そうじゃない!! 明日は危ないから『延期』にしてくれってお願いぃぃぃーーー!!!」
この世界の職人たち、たくましすぎて心臓に悪い。
エターナル・フロウの町から、清冽なシルフィード川の流れに沿って、西の山側へと15km。
なだらかな斜面を登りきった先に広がっていたのは、ここが前線地帯であることを忘れさせるほどの、息を呑むような絶景だった。
そこは『クロニクル・ゲート』を包み込むように作られた、広大な王立公園だった。
山肌を割って轟々と流れ落ちる巨大な滝。そこから湧き出た小川が豊かな緑の間を縫うように走り、温泉地ならではの白く温かな湯煙が、木漏れ日の中に幻想的なカーテンを描いている。綺麗に整備された遊歩道の脇には、天然の温泉を引き込んだ足湯スペースまで設けられており、旅の疲れを癒やす観光客や、これから迷宮に挑む冒険者たちが思い思いに足を浸していた。
だが、その平和的な景観とは裏腹に、広場へと足を踏み入れると一気に「前線」の空気が肌を刺す。
公園の芝生エリアは完全に武装した冒険者たちのキャンプ地と化しており、色とりどりの頑丈なテントがひしめき合うように並んでいた。
「すごーい! 綺麗だし、なんかお祭りみたい!」
「キュッ、キュー!」
メグが荷馬車から飛び降りて声を弾ませる。アズインの肩の上でキューちゃんも嬉しそうに羽を広げる。
「本当ですね、メグさん! どこに行っても温泉のいい匂いがします。あ、あっちの足湯、お魚の塩焼きを食べながら入れるみたいですよ?」
「えっ、本当、アズイン!? 最高じゃん! アスク、ちょっと行ってきてもいい?」
「却下だ」
アスクは荷馬車の手綱をまとめながら、振り返りもせずに冷淡に告げた。
「これよりテントの設営、および周辺の警戒網の構築を行う。未知の環境における初期行動の遅れは、そのまま生存率の低下に直結する。観光はすべての効率的なタスクを消化したあとだ」
「ぶー、アスクは相変わらず堅いなぁ……」
メグが不満げに頬を膨らませると、アズインがその袖を引いてクスクスと笑った。
「あはは。でも、アスクさまがそう言うってことは、もうテントを張る場所の『計算』は終わってるんですよね? 」
「キュイッ!」
アズインの言葉に同意するように、キューちゃんがアスクの肩へと飛び移り、早くしろと促すようにその頬を小さな嘴で突いた。アスクはため息を一つ溢すと、川のせせらぎが心地よく聞こえる一角を指差した。
手際よく即席のテントを設営した一行は、そこで一晩を明かし、明日の早朝からダンジョンへ突入するスケジュールを組んだ。
その日の夜。
キャンプサイトの中央では、シルフィード川の清流でルークとユノーが捕まえてきた、丸々と太ったアユやイワナが炭火の上でパチパチと音を立てていた。香ばしい塩焼きの匂いが、冷え込んできた山の夜気に広がっていく。
「美味いっ! 獲れたての魚って最高だな!」
ルークが熱々のイワナに齧り付く横で、ユキが古い羊皮紙のマップを広げながら、真剣な面持ちでアスクの隣に腰掛けた。
(ルークの鑑定、アスクの冷徹な計算、クロエの魔法剣、優秀なメンバーのいるこの同盟をもっと近くで見てみたい……)
ユキは湯気の向こうで、静かに胸を熱くさせていた。大陸中の伝承を詰め込んだ自分の頭脳が、この怪物のようなメンバーの手でどうプロデュースされ、世界をひっくり返していくのか。ゾクゾクするような知的好奇心が、彼女の細い指先を震わせていた。
ユキは広げたマップの一箇所をトントンと指差し、試すような、悪戯っぽい笑みをアスクに向けた。
「アスク、これが『クロニクル・ゲート』の内部構造の最新データよ。……ねえ、軍師様なら、明日のルートでどこが一番の『計算狂い』になるか、もう分かっているかしら?」
アスクは香草の入ったスープを口に運び、試すようなユキの視線を真っ向から受け止めながら、淡々と頷いた。
「……当然だ。このダンジョンに限らず、基本的なダンジョンにおける『地脈の循環周期』の法則。……『6のつく階層』だな」
その言葉に、大剣の手入れをしていたメグや、少し離れたところで串魚を突いていたクロエも耳を傾ける。
「6階層?」
「ええ、正解」
ユキは満足そうに目を細め、人差し指を立てて解説を引き継いだ。
「一般的なダンジョンというものは、6階層、16階層、26階層といった『6のつく階層』に魔力が強く出る傾向があるの。溢れ出た魔力に引き寄せられ、魔物が群れをなしやすく、出現率が跳ね上がる。ここが最初の難所になるわね」
アスクがそこに言葉を重ねる。
「逆に、その反動で『7のつく階層』は極端に魔物の出現率が低くなる。手前の階層に魔力が吸い上げられるため、一種の空白地帯になるわけだ。つまり、明日の勝負所は6階層をいかに『消費を抑えて、最短で圧勝するか』にかかっている」
「ふん……。魔力の塊が群れるというのなら、私の炎で一網打尽にして見せるわ」
クロエが細剣の柄を弄びながら、自信に満ちた、しかしどこかアスクを意識した視線を向けた。
「いや、このダンジョンの蜘蛛どもには火属性の魔法が通じない。クロエの魔法剣で焼き払う力押しは効かないから、ここはメグの物理的な突破力を主軸に、俺が敵の配置を探知で先読みして、群れの『核』だけをピンポイントで潰すのが最も効率的だ」
「なっ……!」
またしても「効率」を理由に前衛から外されそうになり、クロエが眉を釣り上げる。
「あはは、私の出番だね! 任せてよ、ガツンと道を開けてみせるから!」
メグがアユの骨を綺麗に引き抜きながら、満面の笑みで拳を突き出した。
「頼むぞ、メグ。明日の日の出と共に突入する。各自、21時までに完全消灯し、睡眠に努めてくれ」
アスクの冷徹な、しかし確かな勝算を含んだ言葉に、ルークは「よし、明日はマカロンの初陣だ。世界を驚かせてやろうぜ」と、静かに、しかし熱く燃える目で笑った。
滝の轟音と川のせせらぎが響く中、舞華恋の最初の夜は、静かに更けていくのだった。
翌朝、日の出と共にキャンプ地を発った一行を迎えたのは、初級ダンジョンならではの洗礼
すなわち、凄まじい「人の壁」だった。
『クロニクル・ゲート』の巨大な石造りの入り口前には、まだ夜露に濡れた武装姿の野良の冒険者たちが、気が遠くなるほどの長い列をなしている。
「うわぁ……。やっぱり初級なだけあって、すごい人だね。みんな朝一番を狙って並んでるんだ」
「キュゥ……」
メグが呆気にとられたように声を漏らし、キューちゃんも人の多さに圧倒されたのか、アズインの胸の中へと縮こまった。
その大行列を眺めながら、トッポが持っている杖を地面に叩いてやれやれと首を振る。
「これだけの人数が毎日潜っとるんじゃ、浅い階層の魔物はすっかり間引かれて、旨みが薄そうじゃのう。……おいアスク、あの受付の水晶玉は何じゃ? 昔はもっと泥臭く紙の羊皮紙に名前を書いておった気がするんじゃが」
「ギルドが設置した入場登録の魔導具だ」
アスクはトッポの問いに淡々と答えた。
「ダンジョンは、行ったっきり二度と戻ってこない冒険者が日常茶飯事で発生する魔境だけらな。ギルド側も、誰が潜り、誰が未帰還のままなのかを厳格に管理している。登録作業自体は、冒険者ライセンスをあの水晶玉に『かざすだけ』の単純な作業だが、これだけの人数が集まれば当然、大渋滞を引き起こす」
「なるほど、命の帳簿というわけか。便利になったもんじゃ」
トッポが納得したように頷く一方で、受付の窓口では、ライセンスの提示と同時に、入場税として一律「銀貨1枚」の支払いが義務付けられているのだ。一般の食堂で腹一杯飲み食いできるだけの金額が、潜るたびに容赦なく消えていく。
「……アスク、俺の分の銀貨だ。まとめて払っておいてくれ」
アスクの思考を遮るように、低く、しかしどこかまだ幼さの残る少年の声が響いた。
マカロンの切り込み隊長であり、絶対的なポイントゲッターである暗殺者の少年きょたんが、漆黒の暗殺衣のポケットから銀貨を弾き、アスクへと放り投げたのだ。
片目で列の進み具合を測りながら、きょたんは腰に帯びた複数の短剣の柄に、そっと細い指先を這わせる。
「新しい暗器の仕込みも、刃の研ぎ出しも完璧だ。前衛の獲物は俺が一番に狩り尽くす。……安心しろ、入場税の銀貨数枚ぶんの『利益』は、最初の数階層で俺がすぐに叩き出してやる」
若くも冷徹なプロの目を輝かせる少年に、アスクは投げられた銀貨をスマートに受け止め、フッ、と口元を緩めた。
(……必要経費、だな)
この税金がダンジョン内のインフラを維持するための重要な原資になっていることは理解している。何より、今回の潜行は、新しく結成された『舞華恋』の連携と、きょたんという最高峰の火力を実戦で検証するための、言わば未来への先行投資だ。
(1階層や2階層の浅瀬で右往左往している野良どもにとっては手痛い出費だろうが……我々は違う。このダンジョンの上層部を最速で制覇し、そこに眠る希少資源を入手すれば、この程度の入場税など誤差の範囲。確実に、かつ劇的なリターンとして元を取る算段はすでにできている)
だが、クロエはその一般の長蛇の列から少し離れた、別の場所へ冷ややかな視線を注いでいた。
「……気に食わないわね」
クロエが不快そうに細剣の鞘を鳴らす。
「あちらの者たちは、登録の列に並びもせず、別のゲートへ通されているわ。聖騎士団の遠征ならともかく、同じ冒険者の身分で露骨な特別扱いを受けるなど、規律に反するのではないかしら?」
「いや、クロエ。あれは規律違反ではなく、単に金を払っているだけだ」
アスクが冷徹な目でそのゲートの奥に鎮座する「巨大な鉄の檻」を見つめた。
「あれが『魔導昇降機』の利用枠を買い叩いている上級の同盟どもだ」
「魔導昇降機?」
ユノーが不思議そうに首を傾げる。
「ああ。ダンジョンで採取した魔石を直接動力に変えて、指定の階層まで一気に垂直移動するための装置だ。いわば、ダンジョン専用の昇降機だな。オレたちのように一階層から泥臭く階段を下りる必要がない。一瞬で中層や下層の攻略前線へ到達できる」
その言葉を聞いて、カルディアスがニヤリと狡猾な笑みを浮かべた。
「なるほどね。時間を金で買っているわけだ。だが、あれの維持費と魔力触媒の費用は確か、目が飛び出るほど高額だったはずだが?」
「その通りだ。利用料は一回ごとに、一般的な野良冒険者の月収が吹き飛ぶほどの額を要求される。コストパフォーマンスの面だけを見れば、お世辞にも効率的とは言えない。だが…」
アスクは脳内の算盤をパチリと弾き、冷徹な計算値を提示した。
「上級同盟にとっては、それが『必須アイテム』となる。下層へ移動するための数時間を完全にカットできれば、それだけ攻略の試行回数を増やし、他より先に入手困難な希少資源を独占できるからな。時間対効果を極限まで突き詰めれば、あの高額な利用料を払ってでもお釣りが来る計算になる。……我々『舞華恋』も、上のリーグへ上がれば嫌でも常用することになるシステムだ」
「へえー! 凄いじゃんそれ! 階段下りなくていいなんて楽ちんだね!」
メグが能天気に目を輝かせる。しかし、クロエはツンとそっぽを向いた。
「ふん、文明の利器に頼りきって、足腰を鍛えることを怠るなど怠惰の極みよ。私たちは無名同盟なんだから、地道に階段を駆け下りるのが筋というものだわ」
「ほほう、クロエは若いのに殊勝な心がけじゃのう。ワシのような年寄りには、その金で買える時間とやらが、喉から手が出るほど羨ましく見えるがの」
トッポがカカカと笑いながら、自分の腰をトントンと叩く。
「今は、余剰資金がないが、すぐに使うことになるさ」
アスクは二人の会話をスパリと断ち切った。
(先行投資の優位性を活かせているのは今だけだ)
アスクは魔導昇降機に乗り込んでいく上級同盟の背中を、静かに見つめた。
「今回は当然…一階層から、自慢の脚力で最速突破する。……ルーク、同盟のライセンスを出してくれ。登録を済ませよう」
「おう、分かった! よしみんな、マカロンの記念すべき第一歩だ。気合入れていくぞ!」
ルークの号令とともに、一行は水晶玉の待つ受付へと歩みを進める。
金で時間を買う上級同盟たちの優雅な姿を横目に、無名リーグの怪物の雛形たちは、その圧倒的な実力を証明するための『初陣』へと、静かに、しかしギラギラとした闘志を秘めて足を踏み入れるのだった。




