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73.渋滞の観光地ダンジョン

「……なぁアスク、これ本当にダンジョンなのか?」

ルークが引きつった笑顔で呟くのも無理はなかった。

記念すべき『舞華恋マカロン』のダンジョン第一歩――そう意気込んで足を踏み入れた『クロニクル・ゲート』の第1階層は、お世辞にも命懸けの魔境とは呼べない惨状だった。

とにかく、人が多すぎる。

すれ違うのは、緊張感か皆無の野良の低ランク冒険者や、お気楽な装備に身を包んだ見物人ばかり。四方を囲む美しい鍾乳石や幻想的な光苔を眺めながら、「わあ、綺麗!」などと声をあげて写真を撮りかねない・・空気すら漂っている。魔物を討伐しに来たというより、完全に鍾乳洞の観光ツアーに紛れ込んでしまったかのようだった。

「ふん、緊張感のない雑魚ばかりね。これでは剣の錆にもなりゃしないわ」

クロエが不快そうに鼻を鳴らすと、隣を歩くユキがクスリと笑って、手元の古い文献を閉じた。

「仕方ないわよ、クロエちゃん。ここ『クロニクル・ゲート』の構造上、4階層くらいまでは魔物モンスターを見つける方が珍しいくらいなんだから」

「そんなにいないの?」

メグが不思議そうに身の丈ほどもある大剣を担ぎ直す。ユキは人差し指を立てて、その豊かな知識を披露した。

「ええ。ここは街から近くて安全だから、初心者が群がって、湧いた先から間引かれちゃうの。それに、地脈の魔力濃度自体が浅瀬のうちは薄いから、魔物のリスポーン速度も極端に遅いのよ」

「つまり、この階層に滞在し続けるのは時間的資源の浪費コストロスでしかない、ということだ。行くぞ、人を掻き分ける」

アスクの冷淡な号令のもと、一行は観光客まがいの人混みを巧みに、かつ容赦なく掻き分けながら、一気に下層への階段を駆け下りていった。

そして――。

薄暗い石造りの階段をいくつか踏み越え、彼らはついに『第4階層』へと到達した。

「おっ……一気に静かになったな」

ルークが周囲を見回す。

あれほど五月蝿かった人間の声が、嘘のように完全に途絶えていた。ひんやりとした湿った空気が肌を刺し、奥からは不気味な風の鳴く音が聞こえてくる。通路のあち非に、先ほどまでは見られなかった鋭い爪痕や、干からびた血痕が点在していた。

「ここからは、本当の『戦場』よ」

ユキの声音から、先ほどまでの余裕が消え、専門家としての真剣な響きが帯びる。

「冒険者ギルドの『ダンジョン攻略案内』にも警告として記載されているけれど、この4階層を境に魔物の基礎レベルが一気に跳ね上がるわ。個体の戦闘力だけじゃなく、ここからは知恵をつけて『群れ』をなして襲ってくるようになる。油断していると、一瞬で包囲されて圧殺されるわよ」

トッポが杖を地面に軽く叩き、目を細めた。

「ほほう、なるほど。つまり、ここからがワシらの『初陣』の本番というわけじゃな」

「その通りだ。ここからはフォーメーションを変更する」

アスクは、冷徹な、しかし確実に勝算の宿った目で前方の闇を見据えた。

「ユキの言う通り、4階層以降のエンカウント率は浅瀬の200%増。だが、敵が『群れ』を成すというのなら、それは一箇所に集約された資源に過ぎない。メグ、クロエ、前へ。オレの誘導カウントに合わせて、最短秒数で駆除するぞ」

「了解! 待ってましたぁ!」

「ふん……。やっと私の炎の出番のようね」

メグが獰猛に大剣を構え、クロエの細剣が闇の中で鋭い火花を散らす。

観光地化された偽物の迷宮を抜け、怪物の雛形たちは、ついに牙を剥く本物の深淵へと足を踏み入れるのだった。




■牙剥く未開の地

「……おいおい、こいつは骨が折れるなぁ」

足元の不揃いな岩に爪先を引っ掛けそうになりながら、トッポは髭の蓄えた顎をさすり、やれやれと首を振った。初老の彼が扱う土魔法の目から見ても、この階層の地層はひどく荒れている。

そこは、これまでのエリアとは完全に一線を画す世界だった。

天井や壁からは、まるで獣の牙のように歪な形をした岩石がそこかしこに突き出している。ランタンの明かりがそれらの岩に遮られるたび、壁面には不気味な濃い影が幾重にも伸び、視界を最悪の形に遮っていた。

「あーあ。3階層までは『観光用』に綺麗に舗装されてたんだな、って今さら気づかされるわ……」

手斧を肩に担いだ人懐っこいユノーが、ぼやきながらも周囲を警戒する。

だが、そんな劣悪な環境など、突撃していく前衛陣にはお構いなしだった。

「おらおらぁ! 邪魔だぁ〜、ぶっ飛ばすッ!」

最前線を突き進むのは、身の丈ほどもある大剣を豪快に振り回す少女・メグ。彼女が強引に抉じ開けた隙間へ、烈火の如く飛び込む影があった。

「そこ、焼き尽くす――!」

魔法剣士のクロエだ。その剣から放たれる炎魔法が、暗がりに潜む魔物を鮮やかに照らし出す。さらにその影から、小柄な少年が恐るべき速度で飛び出した。

「お、俺だって負けねぇぞぉぉ!」

暗殺者としての本領を発揮し、一瞬で魔物の急所を切り裂くきょたん。

視界の悪さをものともせず、出現する魔物を文字通りガンガンとなぎ倒していく3人の猛攻。その戦いぶりを少し後ろから見守りながら、この臨時の大所帯を率いる青年アスクは、冷静に戦況を分析していた。

「効率がいい。メグが引き付け、クロエが炙り出し、きょたんが仕留める。これならオレがサポートするまでもないな。ルーク、カルディアス、そっちの警戒は?」

「俺の『鑑定』の目にも、今のところ奇襲の兆候は映ってないよ。これなら安心だ」

盟主であるルークが微笑むと、副盟主でありアスクの良き理解者でもあるカルディアスも、深く頷いて応じる。

その後方では、従者である獣人のアズインと、その頭の上にちょこんと乗った聖獣の鳥・キューちゃんが、のんびりと戦いを見守っていた。

「やれやれ。これじゃあ、全くワシの土魔法の出番がないようじゃな」

完全に手持ち無沙汰になったトッポが苦笑いすると、その隣で杖を構える冷静な回復術士、ユキが小さく肩をすくめて微笑む。

「ふふ、いいじゃないですか。私たちは『力を温存』ってことで。アスクさんの言う通り、効率的に進めている証拠ね。……本番は、もっと下の階層になってからですよ」

頼もしすぎる前衛たちの背中と、それを支える頼れる仲間たち。

大人数の賑やかな足音を響かせながら、一行はさらに暗い洞窟の奥へと、確実に歩みを進めていくのだった。




■ クロニクル・ゲート6階層

群れをなす魔物たちの咆哮が、薄暗い迷宮の通路に響き渡る。

いよいよ6階層。ここからは、これまで牙を研いできたアスクたちの本領発揮――。

「よし、ここからはオレたちの出番だ。みんな、油断するなよ!」

アスクの冷徹な指揮のもと、マカロンの面々が効率的な連携で魔物を蹂躙していく。

その最前線。大剣を振るっていたメグの動きが、ぴたりと止まった。

戦いの喧騒の中、彼女の耳が奇妙な音を捉えたのだ。

(……なんか、変)

風の音がする。

四方を岩に囲まれた、行き止まりのはずの場所。そこから、ごく微かな、しかし確実に「冷たい風」が吹き抜けて、メグの頬の汗をなぞった。さらに、彼女の鋭い嗅覚が、魔物の血生臭さとは違う、古びた埃の匂いを嗅ぎつける。

脳で考えるより先に、メグの身体が動いていた。

「そこだ――ッ!!」

「おい、メグ!?」

ルークの制止の声が鼓膜を叩くのと、メグの右脚が爆発的な踏み込みを見せたのは同時だった。全身のバネを乗せた強烈な前蹴りが、ゴツゴツとした岩壁の『一点』に突き刺さる。

――ズガァァァンッ!!

ただの怪力ではない。風の通り道、つまり岩壁の一番もろくなっていた「結合部」を、メグの直感は見事に打ち抜いていた。パラパラと崩れ落ちる土砂の向こうから現れたのは、地図にない真っ暗な空洞だった。

「ん、隠し通路みっけ。なんかワクワクする!」

「ちょ、ちょっとメグ!?直感で突入するのは危険じゃね!?」

きょたんが慌てて服の裾を掴むが、メグの猪突猛進ぶりは止まらない。ユノーやトッポが呆れ声を上げる間もなく、マカロンメンバー全員がズルズルと彼女に引っ張られる形で隠し通路へ突入する羽目になってしまった。

走りながら、アスクの脳内はフル回転で警戒のシグナルを鳴らし始める。

(クソ、未開拓の隠し通路かよ……! 迷宮のセオリー通りなら、こういう場所にはまず間違いなく…『レアな魔物の群れ』が潜んでいるはずだ)

新米の探索者たちがよく陥る罠だ。「珍しいルートを見つけた」と浮かれ、警戒を怠った結果、想定外の強敵に奇襲されて全滅する。そんな悲惨な話を、アスクはゲームで何度も経験してきた。

ましてやここは6階層。ただでさえ魔物の数が膨れ上がり、初級者パーティにとっては命の瀬戸際となる場所なのだ。ここでレア種、それも下手をすれば群れにでも遭遇したら…

(……いや、待てよ。しっかり警戒して、不意打ちさえ食らわなきゃ、今のオレたちなら対処できるはずだ。とにかくまずはメグに追いついて、陣形を整えさせないと――!)

「おいみんな、すぐに陣形を組め! メグを一人にするな!」

背後の仲間に向かってそう鋭く指示を飛ばし、アスクが角を曲がった、その瞬間だった。


だが、通路を抜けた先で一同を待ち受けていたのは――異様な光景だった。

「ッ……! アスク、これは……!」

カルディアスが鋭い声を上げる。

そこに広がっていたのは、禍々しいオーラを放つレアな魔物の大群。その数、およそ100。


「う、嘘……後ろからも来てる!? 囲まれた、の……っ!?」

隠し通路の暗がりの中、クロエが悲鳴を上げた。

ごつごつとした素掘りの岩壁。その全方位から、鼓膜を不快に震わせる『キチキチキチキチ――』という無数の翅音が爆音で響き渡っている。

前方から、左右から、天井から。

闇の奥から、数え切れないほどの巨大な複眼と、トゲの生えた跳躍脚が迫ってくるような錯覚。冷や汗がクロエの頬を伝う。耐えかねて剣を突き出そうとした彼女の肩を、アスクは強い力で掴んで引き戻した。

「動くなクロエ。火を放つな」

「でも、アスク!この数に囲まれたら…」

「落ち着け、これは全部『幻聴』だ」

アスクは目を閉じ、脳内に展開された【探知】のマップに意識を集中させる。

だが、そのノイズの凄まじさに、アスクの奥歯が自然と軋んだ。

(……チッ、想像以上だな。思考が持っていかれそうだ)

視覚と聴覚から入る情報は、完全に狂わされている。耳元で聞こえる翅音は、まるで100匹の怪虫が目の前に迫っているかのように生々しい。脳の処理能力が、偽の警告アラートで埋め尽くされていく。

冷徹を気取ってはいるが、背中を冷たい汗が伝うのを止められない。このままアスクの探知が完全にノイズに呑まれれば、パーティは全滅する。明確な焦りが、胸の奥でじわじわと広がっていた。

「アスクの言う通りだ、皆惑わされるな!【鑑定】の結果、奴らの真名は『黄金蝗(ゴールドコースト)』。音で精神を崩壊させる魔虫だ!」

後方から声を張り上げたのは、盟主のルークだった。彼はその【鑑定】スキルで、狂気的な翅音の奥にある敵の正体と特性を必死に読み解き、全員に共有する。

「だが、視覚的にも完全に座標がズレている……! これじゃ、狙いが絞れない!」

ルークの焦燥混じりの叫び。鑑定で敵の能力が分かっても、五感を狂わされている以上、攻撃の当てようがないのだ。

「いや、敵の実際の数は九十七。奴らは一歩も近づいていない」

アスクは自分の頭を指先で強く叩き、無理やりノイズを思考の隅へ追いやった。

「天井の岩の隙間に張り付いたまま、翅を特定の周期で同調させて音響結界を作っているだけだ。オレたちの感覚をパニックに陥れて、同士討ちによる混乱を狙っている」


「ふむ……ならば、やるべきことは一つだな」

アスクのすぐ隣で、副盟主のカルディアスが低く落ち着いた声で応じた。

彼は乱れる地脈と狂う五感の中でも、一切の動揺を見せずに愛剣の柄に手をかけている。カルディアスはアスクの【探知】の精度を、誰よりも信頼している男だ。

「アスク。お前の『目』には、既に視えているのだろう? どこを断てば、この耳障りな演奏が止まるかを」

「ああ。クロエの火属性魔法は、この狭いダンジョン内だと音響結界の熱膨張でさらに反響を強めてしまう。発動効率が下がるどころか、オレたちの精神が先に焼き切れる。ここはメグの物理的な突破力を主軸にする」

「……ってことは、あたしの出番ね?」

隣で大剣を肩に担いだメグが、不敵な笑みを浮かべた。

幻聴のノイズに頭を振ってはいるが、彼女の戦意は微塵も衰えていない。

アスクは目を見開き、暗闇の天井、その『一箇所』を指差した。

「メグ、オレの指す指の方角だ。高さ4メートル、三つ並んだ鍾乳石の真裏だ。奴らは音を増幅させるために、群れの『核』となる大型の個体を中心に陣を組んでいる。そいつを叩けば結界は瓦解する」

「場所は分かったけど……あたしの身長じゃ、天井の裏までは届かないよ?」

「オレが地面から氷魔法で運んでやる。跳躍のタイミングを合わせろ。いくぞ――3、2、1、今だ!」

アスクの声と同時に、メグの地面から氷の床が突如現れて、彼女の身体を天井へと跳ね上げる。

「いっけええええええええーーーっ!!」

空中で、メグが大剣を大振りに薙ぎ払う。

重い鉄塊が、狙い違わず鍾乳石の裏側へ、遠心力を乗せて叩き込まれた。

グシャアッ! と、肉厚な甲殻が文字通り粉砕される嫌な音がダンジョンに響く。

直後、耳を塞ぎたくなるほど狂っていた100近い翅音が、ピタリと止んだ。

「――消え、た……?」

クロエが呆然と声を漏らす。

視界を覆っていた不気味な虫の気配が、霧が晴れるように消えていく。


次の瞬間、脳内を埋め尽くしていた不快なノイズが完全に消失し、クリアな視界が戻ってきた。

強敵を完璧な連携でハメ倒した感覚が、血の巡りを一気に加速させる。心臓がドクドクと熱く脈打ち、全身に強烈な高揚感が駆け巡った。

(よし……! 思惑通りだ!)

「見事だ、アスク、メグ!」

ルークが興奮した声を上げ、カルディアスも満足げに口元を綻ばせる。

天井からボトボトと力なく落ちてくるのは、主軸を失って統率を失った、ただの大きなキリギリスの群れだった。

「残りはただの雑魚だ。総員、全力で殲滅する。――一匹も逃がすな」

アスクの号令一閃。

メグの大剣が、クロエの細剣が、きょたんの刃が、アズインのナイフが、そしてユノーの手斧が、文字通り嵐のようにレア魔物の群れを細切れにしていった。

終わってみれば、文字通りの圧勝。

100近いレア魔物の死骸と、大量の高級素材の山を前に、トッポは肩をすくめて笑うのだった。

「やれやれ。メグの直感が、大金星を化けさせるもんじゃな」



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