第8章 バンパイア
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黒服の執事が、恭しく主人のデスクにティーカップを置くと訊ねた。
「ミハイル様、最近とても楽しそうでいらっしゃいますね」
「あぁ、楽しいとも。あれが私のものとなれば」
銀色の髪をサラサラと揺らし、顔を上げると薄い唇の端がわずかに上がった。
「それは宜しゅうございます」
執事は一礼し、ワゴンを押して部屋を後にした。
ミハイルはティーカップを取り、ゆっくりと椅子の背に深く体を預けた。
ティーカップから立ち上る香りを吸い込むと、静かに口をつけ、椅子を回転させ窓の外に視線を移した。
「シャオイェンが捕まってしまったので、次の手を考えないといけませんね」
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「イーゴリ君、君に日本へ行ってもらいたい」
「畏まりました。ミハイル様」
イーゴリと呼ばれは男は、二メートルを超す身長に強靭な肉体を持ち、これまでミハイルの依頼は完璧にこなしてきた。冷徹なまでのやり口で。
「あれだけは無傷で採ってきてくれたまえ」
「承知しております」
「周囲の羽虫はどう致しますか」
「君に任せる」
イーゴリはミハイルに一礼すると、ツカツカと部屋を後にした。
「奴に任せておけば、いずれあれは私のものだ。
フッ、フハハ、フハハハハハハッ!
さぁ、早く早く私の元へ! フハハハハハハッ!」
*
「もっと脇をしめろ!」
あれから樹さんは、良く稽古をつけてくれるようになった。
「お前はもっと強くならないといけない。自分の身は自分で守れ」
「はい」
樹さんは僕の力のこと、覚醒したらどんなことになるか、きっと分かっていたんだ。
僕に厳しく言ってくれたのも、全て分かっていたからだ。
最初は怖い人かと思っていたけど……
分かっていたからこその厳しさだった。
今は、その優しさが身にしみる。
大燈班の面々には、樹さん以外にも、色々な身を守る術を特訓してもらい。
学校も休んでいて遅れたも、なんとか気にならずに着いていけるようになり、平穏な日々を過ごしていた。
春花ちゃんは、親元に帰すことは出来ないとの判断から、管理局から通える小学校に転校することになり、今は毎日楽しそうに学校に通っている。
出会った頃よりも、少しずつ小学生らしい振る舞いが増え、綾那と姉妹のようにベッタリだ。
一番変わったのは、ノワだ。
両手にすっぽり入ってしまうくらいの大きさだったのが、今では体のデカさも重さも三倍。いや四倍くらいあるのではと思うほどになっている。
変わらないのは、ヤンチャでイタズラばかりしていることくらいだ。
それが、良い具合に力が抜けて安心する。
<<ニュース速報:羽田空港で爆発があった模様>>
テレビのテロップが流れた。
「羽田空港で爆発だって……」
春花ちゃんと一緒にテレビを見ていた綾那が呟くように言った。
「羽田? 事故?」
僕も読んでいた本から、テレビに視線を移した。
「事故なら事故って言わない?」
綾那も首を傾げる
『番組の途中ですが、羽田空港で大規模の爆発があった模様です』
激しい炎と黒煙が上がる空港の様子が映し出された。
『えー只今、離着陸の事故ではない、との情報が入ってきました。爆発の原因は特定されていませんが、不審物が爆発したとの情報も入ってきています』
緊急放送のスタジオが慌ただしくなり、キャスターの表情が強張った。
『爆発が起きたのは、羽田空港だけではないとの情報が入ってきました。都内の数カ所で爆発が起こっている模様です』
『繰り返します。都内の数カ所で爆発が起こっている模様です』
「え……どゆこと?」
綾那がつぶやいた。
「数カ所……?」
僕もあまりのことに頭がついていかない。
『状況から見て、何者かによる犯行と思われる爆発が都内数カ所にて発生しています。まだ、爆発が起こる可能性もあります。落ち着いた行動と、不審物には近づかないよう注意してください』
そんな中、剣持さんが訪ねてきた。
ニュースの流れているテレビを一瞥し、こう告げた。
「この件で話がある。司令室まで一緒に来てくれ」
司令室に行くと、大燈班の全員がこの場に集まっていた。
そして、さらに今で見たことのない年配の男性が会議テーブルの真ん中で神妙な面持ちですわっていた。
大燈さんの説明によると、この年配の男性はCH管理局の局長で、名前を大山盛巌と言う。まぁ、要は管理局の一番偉い人だそうだ。
眉間に深い皺をさらに深く刻みながら、その大山局長が、口を開いた。
「今、報道されている通り、東京都内で爆発が起きている。この一連の爆発は採集家によるものだ。峰山蒼太君、君を引き渡すまで続けると言ってきている」
「しかし、局長! そんなことは」
珍しく大燈さんが声を荒げた。
「分かっている。私としてもそれは避けたいと思っている」
大山局長が大燈さんを手で制し、答える。
「私は今、君には非常に酷なことを言っていると思う。しかし、みすみす君を渡す訳にもいかない」
「でも、僕が行けば、あの爆発は終わるんですよね?」
「確証はない。
今回の件で暗躍しているのは、どうも他国でも手を焼いているというイーゴリと言う男が関わっているようなんだ。
どうにも、残忍な手口も平気で行うような輩らしい」
「残忍……じゃぁ、みなさんは僕が行っても終わらないこともあると考えているのですね?」
掌にじんわりと嫌な汗がにじむ。
「素直に退くとは思えない。それが我々の総意だ」
大山局長の声が一段低くなる。
「じゃぁ、どうしたら……」
「峰山蒼太君、君は我々と共に戦う意思はあるかい?」
「局長! 彼はまだ高校生です!」
剣持さんが身を乗り出した。
「黒木綾那君や一ノ瀬大地君も高校生だと思うが?」
大山局長は静かに答える。
「確かにそうです。しかし、彼らは、幼い頃からの実績が……」
「実績なら、峰山君にもあるだろう? 先日は自ら囮になると宣言したと聞いているが」
「局長、確かにそうでうが、彼は訓練も覚醒してからも日が浅い。実戦となると」
大燈さんが腕を組み眉をひそめる。
「僕は戦います!」
「君ならそう言うと思っていたよ」
大山局長は満足そうに一つ頷いた。
「局長……」
「大燈君、君の心配も分かる。だが、彼の能力は非常に強力だ。我らの戦力になってくれるのならば、これ以上のことはない」
「戦力と言っても……あの時以来、君は使っていないんだろ?あの力を」
樹さんが聞いてきた。
「はい……」
「うむ。君らの懸念も仕方ない。だが、私が見ている限り、峰山君が私利私欲のために力を使うこともせず、他人を支配することを恐れている。この力を得るに相応しい器だと思うが」
「蒼太君の気持ちも局長の考えも分かりました。しかし、今直ぐに実践投入と言うわけにもいかないことも理解していただけたかと思います。ブルーサファイアのCHは数が少ない上、彼のようなケースは初めてのことです。能力の事をもう少し調べる必要があります」
大燈さんが食いさがった。
「うむ。その件については早急に取り掛かってくれたまえ。
剣持君、道司君任せたよ。
それ以外のものは、採集家達の捜索に当たってくれ。
特にイーゴリの所在の特定を急いでくれ」
「はい」
大燈さん始め、大燈班の面々は行動を開始した。
「あぁ、峰山君。ただ、君には一つだけ忠告しておく。選択が必要になった時は迷うな。一番最初に思い浮かんだ事、それが君の本心だ。心の声を信じるといい」
今まで使う事をためらっていた、力を使う訓練の開始だ。
剣持さん、樹さん、大地、綾那、それに春花ちゃんまで協力すると言ってくれた。
時間が無い。
今の爆発は大燈さんが中心に動いている。
現地の対応は、警察や消防の仕事だという事だった。
とにかく今は、自分の力をしっかり見極める事だ。
「お願いします! 行きます!」
あの時を思い出し、力を解放するーー
まずは……大地。
「大地、その場で座れ」
大地の表情がすーっと消えて、その場で座り込んだ。
綾那と春花ちゃんも同じように直ぐに命令に従う。
次は、剣持さんと樹さん。
この二人は、危険なことも経験してきて精神力もとても強そうだ。
「剣持さん、その場で座ってください」
一瞬、すっと表情がなくなりかけたが持ち直した。
「危な……でも、まだ耐えられるな」
と、笑う。
「じゃ、もう少し強めにしていいですか?」
「おぅ、そうしてくれ」
強く……とは、言ったものの……
いや、そんなこと言っている場合じゃ無いんだ……
ニュースの光景が蘇った。
「行きます」
「おぅ」
剣持さんに向けてさっきよりも強く力を込めて命令する。
「剣持さん、その場で座ってください」
「蒼太……お前、もう少し真面目にやれ。さっきより弱かったぞ」
「力を込めたつもりだったんですが……」
「そうか」
剣持さんが腕組みをする。
「悪魔王子、お前力を使う事を怖いと思わなかったか? おそらく、その気持ちがブレーキになった。違うか?」
樹さんが指摘する。
「はい……」
スーーーー、ハーーーーッ。
深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
「悪魔の力を受け入れろ。何のために戦うと決めた?」
樹さんの声が響く。
スーーーー、ハーーーーッ。
力を受け入れるーー
「敵まで全てを救うことは出来ないんだぞ」
スーーーー、ハーーーーッ。
敵は救えないーー
スーーーー、ハーーーーッ。
「剣持さん、その場で座ってください」
何のために戦う?
僕はみんなを守りたい。
綾那も大地も、春花ちゃんも。
ノワだって。
ノワ……あんな小さいのに勇敢だった。
管理局の人たちだって、僕が守りたいなんて思うのもおこがましいけど……だけど、傷つけられるのは嫌だ。
敵と戦う。
「……イ……蒼太! オイ! 止めろ!」
大地に腕を掴まれて、ビクリとした。
剣持さんが、床に倒れ込んでいて、樹さんが抱き起こそうとしていた。
「え?! 何? どうしたの?」
「”どうしたの”じゃねーよ。こっちが聞きてーよ」
「悪魔王子、悪魔の力を受け入れろとは言ったが、本当の悪魔になるのはまだ早いぞ。そのうち非情にならなければいけない時もくるかも知れんが、今じゃない。まぁ、覚悟だけはしておくといい」
「すいません……」
「蒼太、焦りすぎだよ! もう少しリラックスしろ!」
大地のデカイ手がガシッと肩を掴んだ。
「いてて。ひどい目にあったぜ」
剣持さんがニッと笑って、立ち上がった。
「それにしても蒼太君、すごいパワーじゃないか! それだけの力があったら、複数の人たちも従わせることが出来るかもしれないな」
「複数の人ですか?」
「複数か。確かに集団をコントロールできたら、やれる事が増えるな」
樹さんが眼鏡をクイと上げる。
「集団を……、何だかちょっと怖い感じもするな〜」
綾那が首をすくめる。
「そうだな。使い方を誤れば恐ろしい結果になるだろう」
剣持さんが綾那に同意する。
「タカの言う通りだ。だが、パニック状態の集団を落ち着かせコントロール出来れば、逆に大勢を救う事が出来るかも知れない」
「ま、使い方次第ってことだな」
剣持さんがニヤリと口角を上げる。
「蒼太っち、変な事に使わないでね〜」
「えぇ?! そんな事しないよ!」
「蒼太にそんな事できる訳ないじゃん。なぁ!」
大地が肩を組んで笑う。
「ほらほら! お前ら続きやるぞ!」
「はい、すいません……」
「悪魔王子、今度は俺にやってみろ」
「はい」
「樹さん、その場で座ってください」
樹さんの表情を確認しながら、少しずつ力を込めるように集中した。
元々、表情の変化が少ない樹さん、少しの変化も見逃さないようにしていたのが、功をそうしたのか、座らせることに成功した!
「やった!」
「おぉ! 上手くいったな!」
剣持さんがニッコリした。
「じゃ俺にも、もう一回試してみろ」
「はい」
「剣持さん、その場で座ってください」
樹さんの時と同じように、剣持さんの表情の変化に注意しながら力を込める。
少しすると、剣持さんの顔から表情が消え、ストンとその場で座った。
「ヨシ。少しコツが掴めてきたようだな」
樹さんが言った。
「でも、も、もう少し練習しないと、凄く難しいです……」
「そりゃそうだよ〜! いきなり何でもは出来ないよ〜。あたしとかはさー、もっと小さい時からちょっとずつやってきたけど、蒼太っちは使えるようになったばっかじゃーん」
綾那が笑う。
「あぁ、そうだよ、蒼太君。これだけ出来るようになったのも凄いことだ」
「でも僕、早く力を使えるようにならないと……あの爆発事件……」
「確かに、悪魔王子、君には早く力のコントロールを完璧にしてもらいたい」
「あまり時間はかけられないのは、すまないと思う」
剣持さんは眉間に皺を寄せる。
「もう一度お願いします!」
「おおよ! 蒼太、来い! いくらでも付き合ってやる!」
大地は快く答えてくれた。




