また王都へやってきました。
「俺、人食い鬼人、ゴライアス! 俺、おまえを丸かじり!」
「わーっ、出、出たーッ!」
ポッチーノは血相を変えて逃げ出したが、巨大な鬼人の手がポッチーノの胴をガッシリ握ってしまった。
「いただきます」
「やめて! ボク、食べにくいよ! 小骨が多いよ!」
「黙らっしゃい!」
抵抗むなしくポッチーノは、大きな口の中へ放り込まれてしまい──
「わーッ! たたた食べないでー!」
ガバッとポッチーノは上体を起こす。
……鬼人なんてどこにもいない。東の空が昇る朝日がポッチーノの顔を照らした。
「あれ? 夢? ……嫌な夢を見たなぁ」
と呟きながら、ポッチーノは伸びを1つ。
城壁の向こうを見ると、六聖教特区にそびえ立つ大聖堂の石レンガが、朝日を浴びて神々しく輝いていた。
未練は残るが、どうしようもない。
「ごめんね、お父さん。ボク、また来るよ」
ポッチーノは鞄を背負って、走り出した。
これで2度目の旅立ちだ。ワンコロフ孤児院から抜け出した日のことは、今やぼんやりとしか覚えていない。
雨の降る日の夜だった。当然、視界も悪い。そんな中、ポッチーノはびしょ濡れになりながら走ったのだ。
あのとき、ワンコロフ司祭から何かを預かったような気もするし、どこか明確な目的地もあった気がするのだが、今となっては忘却の彼方だ。
「行かなきゃ」
そして今日、ポッチーノはキャピタル・ヘリストンを目指して走り出した。
道なりに少し行くと、川があった。水害を防ぐための堤防もきちんと作られている。
実はかつてポッチーノは、堤防の上からこの川へ転落したのだ。雨の夜だったから、先がよく見えなかった上に、川が増水していたせいで流されたのだ。
せっかくワンコロフ司祭がポメラやフレイミーに書いた手紙も、この際に紛失してしまったのである。
しかし、これらのこともポッチーノはもはや、ほとんど覚えていなかった。それほどまでに、エンドポイントでの暮らしは悲惨なものだったのだ。
「……ボク、何だか、ここに来たことがある気がする。気のせいかな」
ポッチーノは首をかしげたが、すぐ、川辺に看板が立てられていることに気がついた。
見れば、キャピタル・ヘリストンはこの川沿いに下流へ進んだ先にあると言う。
ワンコロフ孤児院を抜け出した日は、夜だったため、この看板にも気づけなかったのだ。せめて朝になるまで木陰で雨宿りしていれば、未来は変わっていただろうに。
──走り続けること4時間。太陽が天頂に昇った頃。
全力疾走の末に、ポッチーノはキャピタル・ヘリストンに辿りついた。
意外と離れていないんだな、というのがポッチーノの正直な感想だっただろう。エンドポイントからここへ来るときの方が、もっと時間がかかったはずだ。
それはそうと、ドキドキしながら城壁の門の前へやってきた。六聖教特区では立ち入り禁止に処されているだけに、不安は付きまとう。
「そこの獣人、止まりなさい」
番兵がポッチーノを呼び止めた。まあ、分かっていたことである。
「ボク、お手紙を届けに来たんだ。入れて」
「通行許可証を所有しない獣人の立ち入りが禁じられている」
「大丈夫。今日はちゃんと持ってるから」
と、ポッチーノはハウス・ポスタルの黄銅で出来た身分証を見せる。
「……通ってよろしい。1泊2日までの滞在を許可する」
「やった! よかったぁ」
すっかり安心しながら、ポッチーノは跳ね上げ橋を渡って市内へ進む。
キャピタル・ヘリストンの街は、前回以上に活気に満ちていた。通りを行く人も多く、雰囲気もどことなくにぎやかだ。
無論、彼らの中には獣人ポッチーノに対して差別的な視線を向ける者も大勢いたが、ポッチーノは極力気にしないように努めた。前回の経験から、石を投げられるわけではないことは分かっている。実害がなければ平気だ。
それはそうと、まずはハウス・ポスタルの支店へ行かねばならない。これさえ済ませれば、今回の仕事はひとまず終わりなのだから。
支店の場所は、この前Cと来たので分かっている。ポッチーノはひとまず、そこへ向かった。
「こんにちはー。エンドポイントから手紙を届けに来たよ」
とポッチーノは受付へ挨拶しながら、手紙の入った封筒を提出する。この前に来たときと、同じ人だった。
「ご苦労様です。確かに、お受け取りしました。こちらが受領証になります」
「ありがとう」
ポッチーノは受領証を受け取り、大きな達成感に包まれたのであった。こんな心境、孤児院にいた頃に積み木のお城を建てたとき以来である。
「今日は何だか、この前より街がにぎやかだね」
「ええ。実は今日、大ネオリカ帝国の皇帝様が来訪されるんですよ。街は一昨日から、歓迎ムード一色なんです」
「へえぇ」
とポッチーノは感心の声をあげた。よく分からないが、賑やかなのは良いことだ。
「そう言えば、これからのご予定は?」
受付が尋ねてくる。
「もうエンドポイントに戻るだけだよ。でもその前に、靴を直してもらわなきゃ」
「そうですか。エンドポイントへの配達物は、今のところないですね」
と言うと、受付はポッチーノの土で汚れてしまった素足を見ながら
「よろしければ、オススメの靴屋を紹介しましょうか?」
「ううん、大丈夫。ボクの友達が靴屋で働いているんだ」
ポッチーノはワンコロフ孤児院にいた頃の親友、トリバー・ワンコロフのことを思い浮かべながら答えた。
──大通りに出たポッチーノは、この前の記憶をもとにトリバーのいた靴屋を捜す。
人々の、どことなく蔑むような視線を浴びながら、懸命に捜すポッチーノ。
ようやく見つけたその店では、見知らぬ少年が店番をしていた。
「ねえ。今日はトリバーいないの?」
と、ポッチーノは少年に尋ねたが、少年は目もあわせようとはしない。
「ねえってば」
「うっせーな。うちは獣人に構ってやるほど暇じゃねえんだよ。さっさと失せろ」
と、どう見ても暇そうな少年が罵りの言葉を吐き捨てる。
ひどい対応だが、ポッチーノはこの程度ではめげない。ある程度は分かっていたことである。
ところが次の瞬間、頭の上から大量の水が降ってきた。これではひとたまりもない。
「きゃんっ」
気づいたときには既に、頭から爪先までびしょびしょになってしまっていた。
「こん畜生が! 次来たら、肉屋に売りつけるよ!」
靴屋の夫人が、2階から桶でポッチーノに水を浴びせたのだった。気づけば、道を行く人もポッチーノに見世物同然の視線を向けている。
「それに、トリバーならもう追い出してやったからね。うちとはもう何の関係もないよ」
「ええっ!?」
「勝手に靴を獣人なんかにくれちまう奴のことなんか、置いてられるかい。せっかく雇ってやったのに、あいつはとんだ恩知らずだったよ」
「そ、そんな……」
ポッチーノはうなだれた。
周りから聞こえる忍び笑いを背中に浴びながら、とぼとぼ歩き出そうとした、そのとき。
「通り雨にでも降られましたかな、お嬢さん」
そんな、柔らかくしわがれた声がポッチーノを呼び止めた。
そこにいたのは……
「えーと、ンディーヤの家のおじいちゃん?」
「覚えていてくださいましたか。使用人のセブールと申します」
と、マハジャーラ家に仕える初老の使用人、セブールはにこやかに述べた。
そんなことを何も知らない靴屋の小僧が
「なんだ、じいさん。あんたの家の奴隷か? 困るんだよなぁ、犬はちゃんと鎖で繋いどいてくれねえと」
と生意気にこぼす。
「奴隷ですと? とんでもございません。マハジャーラ家の主がお招きした、大切なお客様ですぞ。この仕打ち、旦那様には報告させていただきますぞ」
「な、何だって? いや、俺が悪いってのかよ。違うだろ」
言い訳がましく何かを言おうとしている小僧へ背を向け、セブールは
「さ、行きましょう」
とポッチーノの手をとった。
「……ボク、招待されてたの? 知らなかった」
「どんな嘘でもバレるまでは真実ですぞ。いやはや、年をとると、こんな悪知恵ばかり思い浮かんで困りますな、ほっほ」
きょとんとするポッチーノに、セブールは茶目っ気ある笑いをこぼした。
が、ポッチーノの顔色は晴れない。
「この程度、旦那様に申し上げるまでもございますまい。──どうかしましたかな? お困りのようですが」
「ボクのせいで、トリバーが……」
いつも明るい彼女らしくない、しょんぼりとした様相で呟く。
すっかり、青息吐息だ。
「ボクのせいだ」
「良ければ、少し詳しく聞かせてもらえませんかな」
とセブールが乗り出す。
ポッチーノは、トリバーのことや、ここまでの経緯を簡単に説明した。
「──なるほど。確かに、穏やかな話ではありませんな」
「うん。ボク、どうしたら良いんだろう」
ポッチーノはまだ萎れている。
「なあに、そう悲観的になる必要はありませんぞ。そのような真心のある勤勉な少年なら、必ず引く手はあるでしょう」
「本当?」
「世の中と言うものは、案外、巧くできているものです」
セブールは太鼓判を押すような口調で答えたので、ポッチーノも少しは不安が和らいだ気がした。
あの靴屋から少し離れた所まで歩いてきた。ここは、大通り同士がぶつかる広々とした交差点である。
「さて、申し訳ありませんが。実はこれから、“本物の”お客様がお越しになられますのでな。私はお迎えに伺わねばならないのです」
と、セブール。
「そうなの? じゃあ、ここでお別れだね。ありがとう、励ましてくれて」
ポッチーノはにこやかに礼を述べた。
「なあに、大したことはしていませんぞ」
と、セブールも朗らかに手を振って、船着き場の方へ行ってしまう。
船着き場もまたいつも以上に賑わっており、シップマン海運の大型商船が2艘も並んで停泊していた。隣に停泊していたコンパニア=ルポの小型船がおもちゃの舟に見えるくらいの迫力だ。
そう言えば、ガンマは元々シップマンという姓だったはずだけど、シップマン海運と何か関係があるのだろうか。ポッチーノはそんなことをふと思った。
それはそれとして。
「トリバーを探さなきゃ」
と、ポッチーノは駆け足で街中の靴屋に聞き込みをしようと決めた。だが、決心早々にして、最初の一歩目でガラスの破片を踏んで、とても痛い思いをしてしまう。
──やっぱり、裸足は厳しい!
「え? さっきの靴屋の話ですか?」
ハウス・ポスタルのキャピタル・ヘリストン支店に、ポッチーノは戻ってきていた。
この受付が、“オススメの靴屋”の話をしていたことを思い出したのだ。
「うん。もう友達がボクに靴をくれたせいで、追い出されちゃったんだ。ボク、獣人だから」
「あー……。確かに、そういう意味では息苦しい街かもしれませんね」
受付は嫌な顔をせず、同情してくれた。
「だから、さっき言ってた“オススメの靴屋”のこと、教えてくれない?」
「ああ、すみません。その話でしたね」
と、こうして話題は元に戻る。
「この街の海から最も遠いエリアに、ヘリストン・ハンターギルドという組織の本部があるのですよ」
「そこが靴屋なの?」
「いえ、そこによく腕利きの装備職人たちがいるのです。ブルドン一味という名前で、とにかく腕は一流ですが、少し気難しいのが玉に瑕でしょうか」
「へえ。ありがとう」
ポッチーノはその名前をトモダチ備忘録へ書きこみながら、受付へ礼を述べた。
「私も昔は、そこに属する狩人のはしくれだったんですよ」
と、受付がふいに世間話を始めた。
「あの頃は『私もあの名誉分隊長みたいなすごい騎士になってやる』って気概で、騎士の登竜門とも言われるヘリストン・ハンターギルドの狩人になったんです」
「狩人だったの? かっこいいね」
「いえ、すぐ現実を思い知らされましたよ。あんなの、命がいくつあっても足りません。ヘル・ハウンドの群れに追い回されたとき、私は『帰れたら、失敗しても死なない職に転職する』と決めたものです。その結果がここなのですが」
「うわあ……。でも、良かったよ、生きて帰れて」
ポッチーノは、この受付の身の上話に同情した。
なお、ヘル・ハウンドというのは、この付近の森林地帯に生息する野犬である。とにかく獰猛で、縄張りに踏みこんだ者を執拗に追いまわす習性がある。しかも牙に毒を持つ凶悪な猛犬で、害獣の代名詞、新人狩人の死因ナンバー1という恐怖の勲章をいくつも持っている。
その点、ポッチーノは歯に毒もないし、追うか逃げるかと言われたら逃げる方なので、何十倍もおとなしい。
「ですから、私は外回りの配達員のことを尊敬しているんですよ。よくあんな荒野を駆けまわれるなって。……まあ、たまには対処に困る方もいますけどね。あのナンパ野郎とか、嫁自慢野郎とか、本当に」
Cとガンマのことかな、とポッチーノは思った。
「まあ、それは置いておくとして。特にあなたなんて獣人とは言え私より年下の女の子なのに、よく配達員が勤まるな、というのが本音です。靴探し、上手く行くと良いですね」
「ありがとう。なんだか照れくさいな」
ポッチーノは鼻先がかゆくなったような気がして、恥ずかしがりながら鼻をこすった。
それにしても、この受付の女性、元は狩人だったようだ。どうりで、ヘリストン・ハンターギルドについて詳しいはずである。
「じゃあ、今からさっそく行ってみるよ」
ポッチーノは支店を出ると、駆け足で街を縦断し始めた。広大な城壁都市なので、移動するだけでも時間がかかる。
しかし駆け足で移動すると、周りの視線が大して気にならないし、嫌な冷笑も耳にしなくて良いので、かえって楽で良い。
──ヘリストン・ハンターギルドの建物は、まるで砦のように強固そうな作りをしていた。
「ここがギルドかぁ」
感心しながら、ポッチーノは開かれていた入り口からそっと中へ入ってみた。




