1-9、人魚伝説⑨
武田先生に許可をもらって、工事現場に五人で赴く。
今日の工事現場は、海岸沿いにある。潮風のせいで下水道がしょっちゅう劣化するから、工事も何年かに一度の頻度で行われているのだ。
そこに、生霊が出るのだという。女の生霊だ。
ぼわっとした生霊と、その悲鳴が聞こえるらしい。
車で脇を通り過ぎると、向こうから生霊が見ているのだ。
そのせいで、この辺は事故が多い。
「でもさ、なんで生霊とか幽霊とかって、女のひとが多いんだろう」
工事現場まできて、まじまじと調べる恵美子と佐奈に、カスミが言った。
ガガ! と工事の音が耳の奥から脳みそまで響くようだった。
佐奈が、
「イメージだよイメージ。女の人の方が執念深いっていう――つまり、男尊女卑の名残かも」
「ああ、確かに。女は感情的でなにもできない、無力な存在。って、今も思っているひと多いよね」
カスミが工事の音に負けないように、声を張り上げた。
それに答えたのはかえでである。
今までいくつか怪奇現象を調べに来たが、かえでが言及するのは珍しい。
かえでの手はいまだ、カスミにべったりだ。
「でも、実際女は無力だよ。男に捨てられた女でまっとうに生きているのなんて、ほとんどいない――」
かえでの言葉には妙な真実味があった。
なにか、かえでは悟っている?
工事現場のおじさんたちが、こちらを見てげんなりしている。
カスミたちの会話は工事のおじさんたちにも聞こえていて、物好きな五人の女子高生をしっしと追い払った。
「てかさ」とカスミ。
「なに、聞こえない」
かえでが聞き返す。
隣にいるのに、かえでにすら声が届かなくなっていた。
工事現場はそれほど騒音がひどい。
おじさんたちは、耳がおかしくならないのだろうか。
いや、なにかの授業で、工事現場で働く人間が、難聴になりやすいと習ったばかりだった。
「てかさ! 生霊って、どういうときに出るの!?」
カスミの声に、佐奈も理沙も恵美子も、首を傾げた。
誰もそこは調べていなかったらしい。
五人で顔を見合わせていると、工事現場の責任者らしき、ひときわ筋肉質なおじさんが、五人の元へと歩いてくる。
のっしのっしと、まるで化け物のように威圧感を放っている。
「君ら、生霊の噂を信じてここに来たのかい!?」
「あ! はい! そうです!」
ががががが。
いまだ工事はうるさく、カスミもおじさんも怒鳴り声に近かった。
おじさんが工事のヘルメットを脱ぎ取って、こっちに来いと五人を顎で指す。
工事現場からやや離れて、しかし、みんながみんな、耳鳴りを感じていた。
きーん、と耳の奥で金属音がする。短時間でこれなんだから、工事現場のおじさんたちは、一日の終わりにはなにも聞こえなくなるだろう。
佐奈が改めて自己紹介する。
「私たち、あそこの高校の怪奇クラブの部員で」
「怪奇クラブぅ?」
おじさんが怪訝な目を向けた。
そりゃそうだ、カスミだって怪奇現象や七不思議なんて信じていない。この前の人面犬は――気にしないようにしているが。
「生霊なんてもの、うちには出ないよ」
「で、でも。目撃情報が」
「ああ、あれな。あれは」
びっと、おじさんが工事現場を指さした。
その向こうに、電灯のついた人型のロボットが見えた。
規則的に棒を振るそれは、にこやかにこちらを見ている。
男の形をしていて、その笑みは恐怖を演出する。
「あれは、最新の棒振り人形。昔はペラペラのだったんだが、うちではバルーン型の最新式に変えたばかりで。あれが幽霊に見えるんだろ」
それに、とおじさんが続ける。
おじさんの声音は低く、カスミたちを威嚇するようにも聞こえた。
「オマエらも、あそこの騒音は経験したろ? あんなとこにいたら、誰だって聞こえもしない音や声を聞いちまうんだよ」
「確かに、それはそうですね」
佐奈が妙に納得している。
向こう側には、相変わらず棒振り人形がゆらゆらとその手を揺らしていた。
あれが夜、現れたら。
そして、工事現場の音が、幻聴を引き起こしていたら。
確かにそれは、『生霊』に見えるかもしれない。
だが、生霊は女と聞いている。
「でも、女の生霊だって」
「ああ。それな。それは」
以前働いていた男の話だ。
その男は、ストーカー被害に遭っていた。だから、職場を転々として、やがてこの町にたどり着いた。
男は誰とも馴れ合わず、ひとりで黙々と仕事をしていた。
度重なる引越しで、貯金は使い果たした。
それどころか、引越し金で借金が膨れて、昼夜問わず仕事をしていた。
寝る間も惜しんで、昼はコンビニ、夜は工事現場。
そのうち、工事現場の音が、女の声に空耳するようになった。
「もう、何十年も前の話らいしが。俺も、ここに勤める古株から、話に聞いただけにすぎんが」
空耳が、日に日にひどくなっていく。
ストーカーの女が自分を狙っているのだと思い込み、男は夜も眠れない。
そのうち、昼間にも空耳が聞こえるようになって、ある夜。
「うわ、うわぁ、やめてくれ! なんでオマエが!」
工事現場に、ストーカーの女の生霊が現れた。
しかし、ほかの人間にはなにも見えない。
男が工事道具を振り回す。それが、運悪く男の命を奪った。
その日から、女の生霊は、男を探して度々この工事現場に現れるようになった。
生霊は、男が死んだことを、知らないからだ。
「という話が広まった結果だな。でも、その男は単なる『作為的なノイローゼ』なだけだよ。生霊なんて、俺が働き出してから、出た試しがない」
おじさんは、慣れたように話した。
まるで、今回が初めてではないように。きっと、この工事現場の生霊のデタラメを調べに、カスミたち以外も訪ねてきているのだろう。
今日も無駄足だ。
「あ、その。私たち、帰ります」
「やんなるよ。いい営業妨害だ」
おじさんは短気に息を吐き出した。
佐奈たち五人は、縮こまって工事現場を後にする。
ふと、白い影が五人の目の前に『降りてきた』。それは女のまとうワンピースで、ふわ、と五人を包み込むと、「あいしていたの」と呟いて消えていった。
「え? え?」
五人、顔を見合せる。工事現場のおじさんを振り返ると、なにも気づいていないようだった。
かえでが脇腹を抑えて、うめいた。
「かえで? 大丈夫?」
しかし、かえでは青ざめるばかりで、なにも言わずに走り出していた。
かえでを皮切りに、残り四人もあわせて走り出す。今のはなんだったのだろう。おじさんに聞いた話と、違う。
逃げてなお、かえではカスミの手を握っていた。五人は得体の知れない恐怖から、逃げていく。
部室に帰ると、恵美子が不機嫌にかえでの手を取った。
いつもは恵美子とつないでいるはずの手が、今日はずっとカスミに絡まっていた。
それに、さっきの不可解な女の影だって。
そろそろ限界だ。
恵美子の顔が、怒りに染まっている。
「恵美子? どした?」
かえでが心配そうに恵美子の手を握り返す。
ようやく、カスミから離れたその手を、恵美子は今一度握りしめた。
恵美子の目に、涙が光る。
ぎょっとして、かえでは恵美子の顔を覗き込んだ。
恵美子の背はかえでより低いから、かえではかがんで、なるべく怖がらせないように恵美子の目を見る。
「なにかあった? 怖かったよね? あ、私がなにかした? え、恵美子、ヤダどうしよう」
いつも通りのかえでに、恵美子はおもむろにかえでに抱き着いた。
それで、カスミのほうを一瞬だけにらんで、
「かえでは私のだから」そう、つぶやいた。
カスミはここでようやく、恵美子の不安が自分のせいだと気づいた。
今日はずっと、かえでを独り占めしていた気がする。
慌てふためき、カスミは一歩退いた。
「ごめん、なんか……」
「いや、私が悪かったんだよ。ごめんね。甲斐田さんとは……別にそういうんじゃないから」
うん、と鼻声の恵美子に対し、カスミは違った。落胆、というのだろうか。
そういうのではない。
そういうのってなに。友達? 友達ではない、って意味?
「あ、カスミ!」佐奈が、部室を走り出るカスミを呼び止める。
しかし、カスミはドアを開いて一度足を止めて、振り返らずに、鼻をすすった。
「ちょっと、息抜きしてくる。私が生霊にならないように」
別に、かえでの言葉に他意はない。
わかっている。カスミは人間関係が下手だ。
それに、かえでが今日、カスミに優しくしてくれたのは、なにかの気まぐれだということも知っている。
かえでは、武田先生に特別扱いされるカスミが嫌いだ。
大嫌いとまではいかないかもしれないが、虫の好かない人間だと思っているのは知っている。
だって、カスミも同じ気持ちだから。
それでも、人間は優しくされればうれしいし、それが嘘だったと知ったら、それ以上に悲しい。
走り行くカスミを、佐奈だけが追いかけた。
もう、工事現場の女を気にかけるメンバーはいなかった。
カスミは、ひとけのない空き教室に駆け込んで、しゃがみ込むとさめざめと泣いた。
友達なんて必要ないと思っていた。なのに、こうやって人間関係でやきもきして、馬鹿みたいだ。
ず、と鼻をすすると、後ろにひとの気配がした。
「カスミ、大丈夫?」
「……佐奈! ……なんでもないから、帰って」
しかし、佐奈はカスミの隣にしゃがみ込むと、カスミの体をきゅっと抱きしめた。
あったかい。かえでとはまた違う、体温。
今日一日で、カスミは一生分の感情を経験した気がする。
友情と嫉妬。人間が人間たる所以である、汚い感情。
「かえでもさ。悪気はなかったんだと思うよ」
「うん。でも、平野さんってさ。私のこと敵対視してるとこあったじゃん。だから、今日はそれがなくて、うれしかったの」
「うん、うれしかったんだね」
佐奈が繰り返す。
うれしかった。そうだ、自分はうれしかったんだ。友達ができて、うれしかったんだ。
ひとりでいるときよりも、誰かといるときのほうが、心がポカポカする。誰かと食べるお弁当は、何倍もおいしい。部室で怪奇現象について調べるときも、一緒に宿題をするときも。その隣に誰かがいることが、こんなにもうれしかった。
「私、友達ができたから、うれしくて。初めてだから、距離感もわからなくて」
「うん」
「でも、もっと、みんなのこと知りたいし、みんなと仲良くしたい。いま、すごく楽しいの」
「うん。それをさ、みんなに言えばいいんだよ」
佐奈の声は、優しい。
佐奈には人望がある。
いつも笑っているし、ひとを引っ張っていける力がある。
そういう佐奈を、まぶしく思う。
「でも、こんなこと言ったら、迷惑じゃない?」
「まさか。照れはするだろうけど。好きだって言われて、悪い気持ちになる人間はいないよ」
だから、カスミは、夏休みが差し迫った今も、怪奇クラブを辞めなかった。
新しい部員が入ったら辞めようと思っていたのに、新しい部員は一人も来ない。
それでいい、もう少しこのまま。
カスミとかえでは、時々けんかもするけれど、佐奈も理沙も恵美子も。
みんながみんな、お互いを大事な友人だと思っていた。
***
「ねえ、甲斐田さんの家、行きたくない?」
帰り道、何の気なしにかえでが言った。
恵美子がかえでを特別だと知るや、かえでは目に見えて上機嫌になった。
その帰り道だから、みんなかえでに気を使うこともない。
突拍子もない提案に、驚いたのはカスミだけではなく、恵美子も理沙も同じだった。
なぜ、とカスミが首をかしげると、
「ほ、ほら……親睦も兼ねて……さっきの工事現場のも……私と甲斐田さん、初対面が最悪だったから、その……あーもう、私だって、悪いと思ってんの! 同じ部活に入ったんだから、仲良くしたいって言うか」
そんなこと言われるとも思っていなくて、カスミの目が真ん丸に見開かれる。
そして、悪意を抱いた自分を恥じた。動物好きな理沙に意外な一面があるように、かえでにもそれはあるようだった。
「いいよ、お母さんに連絡してみる」
「よ、よかった~。断られるかと」
かえでがほっと肩を脱力した。
それほど真剣だったのだろう、カスミはこの先、かえでとうまくやっていこうと、そんな決意を胸にする。
かえでは恵美子に手をからませて、「楽しみだね」と柔和に笑っている。
カスミが母に連絡すると、片付けるから三十分後に、と返信が来た。
「行こうか」
「わ、私も楽しみ」
佐奈が笑った。
恵美子と理沙もつられて笑って、カスミの案内で自宅へと歩く。




