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1-10、人魚伝説⑩

 カスミの家は、高校の向こう側にある。

 二階の部屋からは海が見える。

 カスミはこの町の出身だが、かえでは隣町、恵美子もかえでと同じ中学の出身で、佐奈はカスミと同じ町だが、少し離れた場所に住んでいる。

 理沙は、さらに遠い。

 今の高校を選んだのは、カリキュラムが充実しているからだ、と皆一様に同じことを言っている。

 確かに、カエルの解剖をいまだに行っているところをみると、やはり授業は面白いのだ。

 カスミだって、なにも考えずに高校を選んだつもりはない。

 この高校の偏差値はそこそこ高いし、進学校と言われたらそうなのだ。


「おじゃまします」

「はい、どうぞ。みんなかわいいわねえ」


 カスミの家に皆で上がる。上品な母親が出迎えた。カスミにそっくりな母親だった。

 四十代だろうか、しかししわひとつなく、髪の毛もつややかだ。口紅は薄めのオレンジを引いている。


「あ、二階の奥が私の部屋だから。先に行ってて」

「あ、うん。カスミ、お気遣いなく」紗奈が言った。

「そうもいかないし……!」


 照れ隠しに、カスミは先に三人を部屋に行かせて、自分は茶菓子の準備に取り掛かった。


「アナタ、中学校では友達出来なかったから心配したけれど……あんなに友達出来たの?」

「うん。友達っていうか……部活仲間」

「ああ、怪奇クラブ?」

「ああもう、詮索しないで!」


 盆にジュースと茶菓子を乗せて、ばたばたとカスミがリビングを出ていった。



 階段を上がって自室に入ると、かえでが部屋の真ん中に立ちこちらを見ていた。

 ほかのメンバーはどこにも見当たらない。帰ってしまったのだろうか――つまり、本当はみんな、カスミの家になんか来たくなくて、社交辞令を言っていただけなのかもしれない。

 そう思うと、途端に不安とみじめが襲ってくる。


「あ、……、畑野さんと倉さんたちは……?」声が上ずっている。かえでが「大丈夫」と笑った。カスミの不安を見透かすかのようだった。


「なんかあれ。トイレ行った」

「三人で?」

「うん。恵美子はトイレ行ってて、佐奈は電話、畑野さんは外に犬を保護しに」


 よかった、と頷いて、カスミはローテーブルにジュースと茶菓子を置いていく。

 かえではローテーブルの前に座り直す。かえでは立ち上がって、なにをしていたのだろう。箪笥の方を見ていた気がするけれど。

 茶菓子を並べ終わった折に、佐奈と恵美子、理沙が帰ってくる。


「佐奈、お帰り」

「あ、ごめんねカスミ。なんか、イタ電来てて」

「そうなんだ」


 次いで、恵美子がトイレから帰ってきて、理沙が家の外から帰ってくる。

 部屋の外から母の声が聞こえる。

 玄関口で、母が理沙を引き留めたようだった。


「外に行っていたの?」

「すみません、おばさん。迷子犬がいたみたいで」

「まあ、見つかったの?」

「いえ……気のせいみたいです」


 そのまま、足音がして、理沙が二階のカスミの部屋に入ってくる。

 理沙が、「迷子犬の声がするって、かえでが言ってたんだけど、気のせいでよかった」


「そうなんだ。前の人面犬みたいに、飼い主さんが困っているといけないもんね」


 カスミは四人にジュースを促した。オレンジジュースだ。

 ストローを口に入れて、五人でそれを胃に流し込む。カスミの家まで歩いたからか、氷の浮かんだそれが染みわたるようだった。

 一気にコップすべてのジュースをかえでが飲み干す。

 カスミは半分。ほかの三人は二口ほど飲み込んだ

「っは。おいしいね」かえでの満面の笑み。よほど喉が渇いていたのだろう。だいぶ潤ったようだ。

 体も、心も。


「うん。なんか……なんだか、不思議な感じ」


 カスミがはにかむように笑った。

 佐奈が「なんで?」と聞き返すと、照れくさそうに、


「友達、ってこんな感じなんだなって」

「なによそれ、カスミったら!」


 佐奈が声を出して笑っている。恵美子もかえでも、理沙も。


「てか、カスミ、って呼んでいい?」


 かえでの振り絞った声。見れば、顔が真っ赤に染まっている。

 カスミは少しだけ逡巡する。

 照れくさくて、素直になれない。が、佐奈には名前で呼ばせているのだから。


「じゃ、じゃあ。私もかえで、って呼んでいいかな?」

「いいよお!」

「え、じゃあ私もカスミって呼ぶ!」理沙の穏やかな声。「私も私も」恵美子も同意する。

「でさ。さっきの生霊だけど」


 切り出したのは、かえでだった。カスミも理沙も、佐奈も恵美子も耳を傾ける。


「工事現場の騒音。あれって、難聴だけでなく、視界にも影響与えるんじゃないかな」

「視界にも?」

「そう。音によって。ノイローゼ起こす人もいるんだって。だから」


 つまり、一時的に五人はノイローゼにった、ということだろうか。

 五人同時に?

 しかし、そう思い込まなければ、怪奇クラブのメンバーは『本当に』ノイローゼになってしまう。


「かえでの言う通り、なんじゃないかな」


「カスミが言うなら」佐奈が渋々といった風に返事した。恵美子も理沙も、リアリストのかえでとカスミの言葉ならと、同意を示すのだったのだった。



 奇怪なうわさを検証するのは、正直今も半信半疑だ。あんなことがあってなお、不可思議なんて信じられない。人間は意外と保守的で、確信がなければ見えないものは信じない。

 だけど、友情というものに関しては、心を開いても――信じるに値するものなのだろうかと、カスミはそんなことを思うのだった。



 早いもので夏休みが来る。カスミは夏休みを楽しみにしていた。

 勉強漬けの毎日を送れるからだ。

 しかし、どうにも『気が乗らない』。

 いつの間にかスマホに目が行き、連絡がないかと何度も確認してしまう。

 夏休みの宿題は、一週間で終わってしまった。

 今から受験勉強に励んでもいいのだが、まだ一年生だ、余裕もある。

 珍しく、カスミから連絡を入れた。


『最近どう?』


 すぐに返事が来る。佐奈だ。『暇すぎて死にそう』

 次いで、恵美子がニコニコのスタンプ、理沙もまた、『やることなさすぎ』と返事をよこした。

 かえでの返事はなく、カスミたちはかえで抜きで話を進める。


『ねえ、最近私の家の近くにカッパが出るって噂があるの』恵美子だ。

『なにそれ。くわしく』佐奈がスタンプと共に送ってきた。

『うん。近くに川があるんだけれど。そこに、夜になると水浴びしているカッパが』


 もう、生霊も人面犬も、みんな忘れているようだった。

 いや、忘れたいから、次なる七不思議を検証するのだ。あれは見間違いだと確証を得るために。

 四人であれよあれよと話が進み、そこにようやく、かえでが入ってくる。


『私抜きで、楽しそうだね』

『あ、かえで。今から恵美子の家に集まるんだけど、かえでも来るでしょ?』カスミの誘いに、かえでの返事に間が開いた。


 すかさず、恵美子が『来るに決まってるじゃん。だって、この話教えてくれたの、かえでだもん』

 そうやって、夏休みの暇に飽かして、恵美子の家へとお邪魔することになる。




「佐奈、久しぶり~」

「カスミ、全然日焼けしてないね」

「だって、家の外に出たくないもん、暑すぎ。佐奈は……焼けたね」


 佐奈は元気が取り得の女の子だから、きっと海にでも行ったのだろう。真っ黒に日焼けしていた。

 だとしても、カスミだったら念入りに日焼け止めを塗るだろうけれど。


「これね、日焼け止め塗ってこれだもん」

「え、そうなんだ。夏ってそんなに?」

「カスミって、海とか行ったことない? 普通、海に行ったら日焼け止めなんてとれちゃうし」


 そんなに黒くなったかなあ、と佐奈はスマホを取り出してインカメで自分の姿を確認した。

 佐奈とカスミは同じ町に住んでいるから、最寄り駅で待ち合わせた。

 時刻は午後二時。

 ここから、恵美子の家までが三十分。

 恵美子の家で勉強会をしてから、日暮れに川に向かう予定だ。

 今日は夏休みだし、怪奇クラブの活動でもないので武田先生や大人にはなにも言わずに出かけるつもりだ。

 カスミが重そうなバッグを右肩に担いでいる。

 一方で佐奈は、まるで荷物なんて持っていなかった。

 カスミが佐奈を指さす。


「荷物少なくない?」


 スマホを入れられるくらいの、小さなショルダーバッグだけだった。

 佐奈はさも当たり前のように、カスミを笑った。


「本当に勉強会のつもりだったの?」

「え、そうでしょ。そういう話だったじゃん」

「あはは、そうだよね。でも、多分そのノートや参考書は、使わないと思うな」


 折よく、電車が来る。カスミは笑われたことに憤慨するより先に、首を傾げた。

 だって今日は勉強会をして、そのあとカッパを見に行くという話だったはずだ。


「まあ、行けばわかる」


 佐奈の言葉は、カスミには理解できなかった。



 隣の駅まで着くと、恵美子が駅まで迎えに来てくれていた。隣にはかえでの姿もある。かえでは夏なのに長袖にタイツを履いていた。日焼け対策だと前に聞いたことがあった。

 佐奈とカスミはふたりに手を振った。すでに理沙も合流している。


「理沙、早かったね」

「うん。お父さんが車出してくれたの」

「そっか。理沙んち遠いもんね」


 五人がそろって、佐奈が理沙に相槌を打った。

 そうして足並みそろえて駅を出て、川を横目に恵美子の家を目指す。

 カスミが、向こう側に見える川を指さした。


「あれが、カッパの川?」

「そうそう。あんまり地元の人は見に行かないんだけど。川辺で釣りする人もいるんだよね。あとで目撃情報聞かなきゃ」


「目撃情報って……カッパなんてありえないって笑われるでしょ」カスミがあきれたように言った。

 恵美子はそれでも笑顔で、「相変わらず固いよね」と隣にいるかえでの手を取った。

 今日もふたりは仲良しだ。


「まあ、目撃情報はいいとしても。まず、調べなきゃだよね」かえでが言う。いつもはかえでも怪奇現象に消極的なのに、今日は否定しない。なぜか、と考えて、かえでの隣にいる恵美子が目に入った。


「あ」

「え、なに、カスミ」

「いや、なんでも」


 そうか、かえでは恵美子に合わせているのだ。

 恵美子の言葉を、なにひとつ否定したくないのだ。

 かえでにとって、非現実的なものを否定するより、恵美子の体面を保つことの方が、大事なのだ。

 でも、人面犬や工事現場の生霊は、否定的だったけれど。でも、否定したのにあれらは五人を惑わす結果になったけれど。


「かえでって、恵美子のこと好きだよね」カスミの心の声が、口からもれた。「なにそれー」かえでが上機嫌に笑っている。隣の恵美子も、まんざらでもないように笑っていた。


「さ、ここが私の家」


 そうこうするうちに、恵美子の家に到着する。

 大きな一軒家だった。海からやや離れているからか、劣化を気にすることもないようだ。

 きれいに塗られたペンキが、目に鮮やかだった。


「ささ、入って」


「お邪魔します」カスミの声が、緊張で上ずった。誰かの家に上がるのは初めてだ。ともだち、って感じがする。

 続いて、佐奈と理沙が入っていく。

 最後に、恵美子の手を離して、かえでが家に上がった。


「まあ、友達が来るって聞いていたけれど」


 そこに顔を出したのは、恵美子にそっくりな女性だった。母親だろう。

 四人の来客に顔をほころばせた――かと思うと、最後のひとり、かえでを見て、その顔が一瞬曇るのがわかった。


「ああ、かえでちゃんも」

「お、お邪魔します」

「恵美子、友達は選びなさいって何回――」「あーあー! お母さんうるさい! 私が誰を好きでいようが、勝手じゃない!」


 恵美子が母親に口答えしている。カスミは面食らった。

 母親と娘って、こういう関係もあるのか。

 カスミは母親に反抗したことがない。

 反抗期を逸してしまったのだ。というよりは、友達がいなかったカスミの味方は母親しかおらず、だからカスミと母親は、滅多なことで喧嘩なんてしない。


「じゃあ、部屋に案内するね」


 恵美子が先導を切って二階に上がっていく。

 その後ろにかえで、佐奈、理沙、一番後ろがカスミだった。

 どたばたとにぎやかな来客を、恵美子の母親は苦々しく見ていた。



 恵美子の部屋に入って、かえで以外の三人は、物珍しそうに部屋を見渡していた。


「恵美子って、デスクトップのパソコン持ってるんだ」

「すごいでしょ。うちの親、過保護なんだ」


 ノートパソコンならわかるのだが、デスクトップはそれなりに値が張る。

 恵美子はその、パソコンの前に座ると、電源を立ち上げて検索画面を開いた。


「見て、カッパ伝説」


 カスミはここにきて、荷物の多い自分が間違っていたことを痛感した。

 佐奈の言ったとおりだった。

 つまり、勉強会なんてものは口実で、これは単なる、怪奇クラブの延長線なのだ。

 カスミは恥ずかしくなって、抱えていた大きなバッグをみんなから見えない場所に置いてから、恵美子のパソコンを覗き込んだ。

 カッパ伝説。

 カッパはしりこだまを抜くとか、相撲が好きだとか。カッパを倒すには、カッパの頭の皿に塩を掛けるといいらしい。

 カッパの弱点は、頭の皿だ。

 どんなに怪力だろうと、そこを攻めればひとたまりもない。


「でも、しりこだまって結局なんなの?」カスミの至極まっとうな疑問に、四人が四人、首を傾げた。

「調べてみるね」恵美子がタッチタイプで文字を打ち込む。流れるような指の動きに、カスミは見惚れてしまう。

 カッパはしりこだまを食うとされている。

 昔々、とある大工のしりこだまを抜こうとカッパが家に忍び込んだ。

 しかし、大工のしりこだまを抜くことに失敗する。

 大工がしっかりとふんどしを締めていたからだ。


「なんで、ふんどししっかり締めるだけでカッパ撃退できるの!」佐奈がけらけら笑っている。

 しりこだまを抜くのに失敗したカッパが再び来ることを見越し、大工はとある罠を仕掛ける。

 案の定、カッパはまた、大工の家に忍び込む。

 ふんどしがきついのなら、しりごと食べればいい。カッパは大工の布団にもぐりこみ、その尻にかぶりついた。しかし、


「なになに。大工が自分の代わりにお地蔵さまを布団に入れていて、カッパは知らずにそれにかじりついて、口を怪我した? ええ、これもう、カッパってすごくおバカじゃん」佐奈は相変らずころころと笑い転げている。

 いつもは怖がる理沙も、カッパ伝説には笑いを禁じ得ないようだった。

 そもそも、カッパは怪奇現象というよりは、妖怪の類だ。だからみんな、それほど恐怖を感じていない。


「まあまあ、笑い声が聞こえると思ったら」


 パソコンに夢中で、恵美子の母親が部屋に入ってきたことに気づかなかった。

 お茶菓子を置いて、恵美子の母親は、「勉強、頑張ってね」なんて、笑った。

 恵美子の母親も、今日のことは勉強会と聞かされていたらしい。

 だけれど、こうなることを見越したかのように、恵美子の頭をひと撫でして、部屋を出ていった。


「子供じゃないのに」恵美子がごちる。

「別に、いいじゃない。仲良くて」カスミがジュースに口を付けながら、つくえにノートを広げた。

「げ、カスミ。本当に勉強するつもり?」かえでが責める。「違う違う。カモフラージュ」

 カスミは自分が『みんなと同じ』悪い子になったようで、胸が躍り、自然と顔がほころんでいた。


「カスミもやるじゃん」


 佐奈が恵美子のベッドに横になる。ふかふかで気持ちよさそうだ。

 かえでもまた、恵美子のベッドに横になった。ポニーテールが背中に挟まる。


「ねえ、それでさ、カッパの目撃情報によると、出るのは六時くらいなんだって」

「へえ、じゃあ。少し時間あるね」

「そうそう。だから、もう少し色々調べようよ」


 なにをしても楽しかった。

 カスミの頬の筋肉が、笑いすぎて痛むほどだった。



 六時近くになって、カスミたちは町に繰り出した。夏だから、まだ太陽は沈み切っていない。

 夕焼け空に向かって、五人で歩く。


「ねえ、カッパって本当に、緑なのかな」カスミがつぶやくと、恵美子がすぐさま、

「そうなんじゃない?」

「でも、見た人はいないんでしょ? 本当は、ピンクだったらどうする?」


 げえげらと五人で笑う。カッパがピンク色なんて、ファンシーすぎる。

 行きかう人々が、汗をぬぐっている。カスミもまた、白いハンカチを額に当てた。


「ねえ、じゃあさ。私はカッパの写真撮るから、見つけたらすぐに教えて」


 乗り気に、カスミがスマホをカバンから取り出した。どうせカッパなんて現れない。

 重いノートや参考書は、恵美子の部屋に置いてきた。

 カッパが嘘だと確かめたら、一度恵美子の家に帰るのだ。

 スマホのカメラを起動して、カスミたちは河川敷に降りた。



 夕暮れだからか、釣り人は帰り支度をしている。

 そのまま、高校生五人組に悪趣味な視線をよこしながら、河川敷を上がっていく。

 周りには、誰もいなくなった。河川敷に街灯はないから、少し薄暗い。


「ねえ、なにか見えた?」カスミの確認。

 佐奈がカスミのスマホを覗き込んだ。川が映るだけだった。

 恵美子とかえで、理沙が手をつないで三人で横並びになる。その時、


「わ、え?」


 ぽちゃん、と音が聞こえた。

 川の水に誰かが入っていく音だった。


「え、なになになに」


 カスミは、スマホを落としそうになりながらも、音の方にスマホを向けた。

 なにかが、いる。

 恵美子とかえでが、あたりを見渡す。「あそこ!」かえでが叫んだ。

 カスミは、かえでの指さす方に、スマホのカメラを向けた。

 ズーム、ズーム、ズーム。

 人影が、写る。


「や、いる、いるいるいる、なにかいる!」


 興奮気味に、カスミがシャッターを切っている。

 理沙が恐怖からその場にしゃがみ込む。

 しかし、カスミは、


「……ん、あれ?」


 シャッターを切りながら、しかし、その物体に違和感を覚える。

 色は緑じゃない。それに、頭に皿もない。

 それがこちらに泳いでくる。

 やがて、ざばんと水音を立てて、現れたのは、痩せこけたおじいさんだった。


「っは……カッパじゃ、ない?」佐奈が『安堵』している。カスミはスマホのカメラを消して、直にその人物を見た。

 向こう岸に、その人物のものらしき『自転車』が見える。自転車には、毛布やラジオなど、薄汚れた『生活家財一式』が積み込まれている。

 この河川敷に住む、ホームレスのようだった。


「なん、だあ……やっぱり、カッパなんて存在しないんじゃん」


 やはり安堵したカスミに対し、しかしかえでが、ものすごい剣幕でそのホームレスをにらみ見ていた。


「早く行くよ、病気移される。こいつはカッパよりも悪質じゃん。人間じゃない、こんなやつ」


 かえでの言葉に、恵美子も理沙も、佐奈も、差別意識を感じ取ったに違いない。

 誰だって、好き好んでホームレスになるわけじゃない。

 正義感と言ったらそれまでだ。

 単なる正義感。人間はみな、等しく尊い。カスミはそう、思っている。

 かえでを無視して、ホームレスのおじいさんに声を掛ける。


「大丈夫ですか?」

「ああ、ああ。魚を取ろうと思って……もう二日も食べてなくて」


 それで、このホームレスは、この河川敷に暮らして、時折この川で人知れず魚を取っていたのだ。

 釣り竿なんて持っていないから、川にもぐって。

 うげ、とかえでがホームレスに親指を立てて、下に向けた。

 そんなもの、どこで覚えてくるのだろう。


「かえで、このおじいさんだって、訳があるんだよ」

「私、こういう甘えた人間が大嫌いなの。もっとつらいことあっても、まっとうに生きている人間はごまんといるのに」


 かえで自身のことだ、とカスミは直感する。

 けれど、詳しくは聞けなかった。

 かえでの目が、すべてを拒絶していたからだ。

 かえでが河川敷を上り、次いで恵美子、理沙、佐奈も続く。

 カスミも仕方な河川敷を上がっていって、帰り道の話題がない。

 コンビニが見える。


「あ、私、少し買い物してから行くから、先に行ってて!」

「カスミ?」

「大丈夫、すぐに恵美子の家に行くから!」


 結局今日の怪奇現象もガセだった。だったら、生霊も人面犬だって、あれは気のせいだったのだ。

 みんながそう安心しているのに、カスミは別のことを考えていたのだ。



 コンビニで、なるべく日持ちしそうな総菜を買って、カスミは河川敷に戻った。

 先ほどのホームレスが、服を着替えて焚火をしていた。


「あのう」

「ひっ、許してください、許してください」


 驚かせてしまったようで、カスミはそっとしゃがみ込む

 頭を抱えるホームレスに、そっと先ほど買ってきた惣菜を手渡した。


「少しですけど」

「……! ……!?」


 ホームレスのおじいさんは、なにも言わずにそれを受け取った。

 腹がきゅっと鳴って、おじいさんはおにぎりを取り出すと、フィル厶をぐしゃぐしゃにはぎ取って、無造作におにぎりを口に頬張った。

 涙を流して、「ありがとう、ありがとう」とおにぎりはものの数秒でなくなった。

 おじいさんが、カスミの手を握る。

 その手は、まごうことなき、人間だった。


「ありがとう、こんなおいぼれに」

「いいえ……私には、これくらいしかできないけれど」


 中途半端なほどこしは、このおじいさんのなにを変えるわけでもない。

 おじいさんがホームレスから脱せるわけでも、おじいさんが人間に戻れるわけも。

 なのにカスミは、放っておくことが、できなかった。

 ホームレスにかかわって襲われないか、不安がなかったわけじゃない。

 本当なら、誰かと一緒に来るべきだった。

 カスミは、甘いのかもしれない。

 その時、カスミの背後から声が聞こえた。


「なにしてるの、心配して来てみれば」


 かえでの声だった。

 かえでだけじゃない、理沙も恵美子も佐奈もいる。

 みんなかえでと同じく、カスミに白い目を向けていた。

 こんな社会の落ちこぼれに、関わるな。

 そんな、雰囲気に満ちていた。


「で、でも。このままじゃ、死んじゃう」

「そういう中途半端な施しのせいで、こいつらは働かなくなるんだから!」


 かえではカスミの手を握った。そのまま、ホームレスのおじいさんに背中を向ける。

 背後で、ちゃぷん、と音がした。


『もう人間なんて信じられない』

「え?」


 カスミだけが振り返った。そこにおじいさんは、いなかった。代わりに、川の中を泳ぐ、緑とも青とも取れない『なにか』。


「あ、あれ見て!」


 カスミの叫びに、四人が川を見た。すぃ、すぃ、となにかが泳いでいる。こちらを見て、にたりと笑って。


「きゃあぁあ!」


 カスミたちは、勢いよく走って河川敷を離れた。

 それきり、おじいさんがどうなったのか、あれがカッパだったのか、カスミたちにはわからなかった。

 恵美子の家に戻って、五人はふうと息を吐き出す。


「結局、なんだったんだろう」


 カスミが恐る恐る呟く。


「あれは……暗かったから、私にはなんとも」


 かえでがやんわりと否定した。「だよね」とほかのメンバーも言葉を濁して、もう、七不思議なんて関わりたくなかった。

 そんな風に、五人の関係は続いていた。時折、不可思議に出くわしながらも、五人の間には、確かに友情というものが存在した。

 秋になって、かえでが佐奈に、『面白い伝記が、理科準備室にあるらしいよ』そう、言い出すまでは。


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