1-7、人魚伝説⑦
放課後、人面犬を探しに行って、だが、見つかった犬は単なるフレンチブルドッグだった。
人面、なのは、体の模様だ。
フレンチブルドッグが丸まると、確かに背中に人間の顔のような模様が見えるのだ。黒いぶちの犬だった。
愛嬌もあって、首輪もしている。
「あはは、なにこの子、可愛い!」
理沙と佐奈、かえでと恵美子、そしてカスミの五人で探し当てた人面犬は、公園をうろうろしていた。
目撃情報をたどってきたのだが、見つけた犬は野犬ではなく、逃げ出した飼い犬のようだった。
近づくと、理沙にじゃれかかり、撫でてと腹を出して愛想よくこちらを見上げていた。
べろりと理沙の顔を舐めて、理沙は慣れた様子でフレンチブルドッグを撫でていた。
「理沙って、動物好きなんだ」
「うん、大学は農学部志望なの。動物看護士になりたいんだ」
だからか、ことさら理沙にフレンチブルドッグがなついている。
怖がりの理沙は、動物の前だと自信に満ち溢れていて、なんだかカスミまでおかしくなって、笑った。
恵美子も佐奈もしゃがみ込んで、恐る恐るフレンチブルドッグに手を伸ばす。
なつっこく、舐められた。
唯一、かえでは動物が苦手らしく、顔を引きつらせて五歩向こうにたたずんでいた。
「もう、この黒い模様が人面なんだね」
つい、と犬をつついてやると、今度はカスミにじゃれかかる。なつっこいから、きっと飼い主も心配しているだろう。
フレンチブルドックの首輪には、住所が書かれている。
「ねえ、この子。家に届けてあげない?」
理沙の言葉だった。
普段引っ込み思案な理沙が自分から意見を求めたことに、四人が四人、顔を見合わせた。
人面犬は怖いのに、普通の犬だと知るや、じゃれ遊ぶ。
人にはいろんな一面がある。怖がりな理沙も、蓋を開けてみれば動物に優しく、きっと優しいがゆえに、怪奇現象を人一倍怖がるのだ。
「うん、いいと思う」
佐奈の同意。
そのあと、恵美子もかえでもカスミも同意して、理沙は制服が汚れることもいとわずに、その子を抱き上げた。
男の子だった。
「ふわふわだねえ」
「ふわふわってほど毛長くなくない?」
カスミの言葉に、「やだなあ、雰囲気!」と理沙はにこやかだった。
住所をたどって、なんとか家に犬を送り届ける。
住宅街の一軒家だった。チャイムを鳴らすと飼い主さんが出てきて、涙を流してフレンチブルドッグを抱きしめていた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「いえ、私たちも、この子がママに会えて、うれしいです」
名残惜しそうに、フレンチブルドッグが理沙を見上げている。
玄関先で犬を受け渡して、飼い主さんは安堵から泣き崩れてしまった。
理沙は、飼い主さんに合わせるようにしゃがみ込んだ。
理沙のそういう、何気ない気遣いがカスミは好きだ。
「あの子、人懐っこくて。よほど可愛がられて育ったんだなって。だから、私もママに会えて安心しました」
理沙の意外な一面をうかがい知る。
やりたいことがあるというのはいいことだ。理沙はきっと、いい動物看護士になるだろう。
カスミはそれが、うらやましかった。
自分には、やりたいことがまだ、見つからない。
帰路に着くと、皆無言だった。
人面犬なんてものは存在しない。そんなもの、いてたまるか。
カスミは内心で安堵していた。本当は、人面犬に会ったらどうしようかと悩んでいたのだ。
理沙が「あの犬。可愛かったね」と上機嫌に前を歩く。
そんな中、あのフレンチブルドッグを見つけた公園に差し掛かると、とある子供の群れが見えた。
「気持ちわり。なんだよこれ」
「死ねよ、気持ち悪い」
誰かを虐めているのだろうか。
咄嗟に、足が止まったカスミに対して、走ったのは意外にもかえでだった。
「コラ! 弱いものいじめは――」
蜘蛛の子を散らすように、子供たちがばらばらに走っていく。その、真ん中にいたそれは、一体なんだったのか。怪奇クラブのメンバーには、わからなかった。
『ほっといてくれよ』
人間の男の声。
しかしそこに、男性なんて存在しない。
声だけが聞こえた。あの、子供に取り囲まれていたもの――犬だ。その犬は一瞬にして走り去ってしまったから、どんな姿形をしていたのかは、わからない。
けれど確かなのは、その物体がしゃべったこと。
かえでが四人を振り返った。
「今の、見えた?」
四人はふるふると首を横に振った。
見てない、決して。
「犬、しゃべったよね」
切り出したのは、理沙だった。怖がりの理沙は、その場から走り出している。学校に向かっているようだ。
「待って、理沙!」
慌てて、カスミと佐奈も理沙を追いかける。
残された恵美子とかえでは、しばらく呆然とするのだった。
学校について、部室に五人が集まった。
理沙が身震いして、怯えている。
「あれは……人面犬なの?」
誰もなにも答えない。あれを目の前で見たかえでが答えないのが、なによりの証拠だった。
あれは、確かにしゃべったのだ。
「き、気のせいだよ。あれはただの犬……空耳だよ」
カスミが必死に否定する。
かえでは、腹の辺りをおさえて、なにかを考えていた。なにか、『思い当たる』ことがあるらしい。
しかし、それがなんなのかは、最後まで言わなかった。
「私も、見間違いだと思う」
結局、かえでの言葉で、この件はお開きになった。この街には、怪奇現象が存在するのだろうか。
***
しかし、高校生にとって、一度くらいの『不可解』なんて、日常生活にかき消される。勉強に友情に忙しいからだ。
この学校には選択授業があって、佐奈も恵美子も、理沙も、カスミと同じ、理数の選択科目を選んだ。理数と文系、どちらにするとなって、話し合いでは決まらなかった。
だから、じゃんけんで『勝った』ひとの選択科目に合わせることにしたのだ。
カスミは、じゃんけんなんて勝ちたくなかったのに、悪運強く勝ち残ってしまったのだった。
本来なら自分の得意科目にするところを、友人に合わせる生徒は少なくはない。
しかし、この学校は幸いにして勉強が嫌いな生徒は少ないから、どんな科目を選択しても、適応できるのも事実だった。
六月から始まった選択科目では、カスミたちはいつも固まって席に座って、毎回楽しそうに授業に参加している。
その中でも、カスミはやはり、頭一つ抜きんでていた。
どこの学校でも、そういう人間は存在する。
頭の回転の速い人間。応用力が高く、無理難題を難なくこなしてしまうような。
「えー、今回の小テストは、平均点が低かった。だから、この小テストは全員が再試とする」
えー、とブーイングが起こる中、カスミだけは静かに席に座っている。
かえでは、カスミの後ろの席からカスミの小テストを覗き見た。
カスミのことだから、いい点数なのは聞かずともわかった。
同じ選択科目になって、かえでは嫌でもカスミの聡明さを突きつけられる。
人間関係は下手なくせに。
これでまた、カスミは武田先生に褒められるのだろうか。
だが、反面、カスミも悪い点数ではないかという期待もあった。
「え、甲斐田さん、百点じゃん」
「え、だ、誰にも言わないで!」
後ろからこそこそと声を掛けると、カスミが振り返ってかえでに懇願した。
なにも隠す必要なんてないのに。
かえでが顔をゆがませている。
行き過ぎた謙遜は嫌味にしかならない。
やはり、かえではカスミが嫌いだ。
そういえば、テストを返された時、カスミは武田先生に声を掛けられていた。原因はこれか。
「だが」選択科目の担当の、武田先生が続けた。
「今回の小テストで、満点を取った甲斐田だけは、再試はなしとする」
クラスがざわめく。
やめてほしかった。
カスミは縮こまって、居づらそうに机に突っ伏した。
みんながカスミを称賛している。
武田先生をはじめとして、佐奈も理沙も、恵美子でさえも。
かえでは、隣に座る恵美子にジト目を向けた。
かえでの視線が痛い。
カスミは、だから誰にも知られたくなかった。
目立つのは嫌だ。うらで陰口を言われるから。
「甲斐田さん、すごいね」
「恵美子は、甲斐田さんが好きなの?」
「え、好き嫌いとかじゃなくて。誇れる友人だよねって」
かえでが面白くなさそうに、小テストを握りしめた。
ぐしゃりとしわが寄って、恵美子はかえでのこれが苦手だった。
昔からかえでは気に入らないことがあると癇癪を起こす。
だから恵美子は、なるべくいつも通りにかえでを褒めた。
「で、でも。見てよ、私なんて三十点。みんなもそうでしょ? 『異端』なのは、甲斐田さんだよ」
「……異端、異端。そうだよね、みんなと足並みそろえられなくて苦労するのは、甲斐田さんのほうだよ」
かえでが恥ずかしそうに机に突っ伏すカスミの背中を突っついた。
びく、とカスミの体が震えた。
かえでと同じくらいの背丈のカスミが、今は果てしなく小さく見える。
カスミは振り返ることなく、「なに」と返す。消え入りそうな声だった。
「甲斐田さん、もっとうまくやりなよ。満点取れるの自慢してるみたい」
「うまくって?」
ようやく起き上がったカスミが、かえでを今一度振り返った。
かえでは自分の答案をひらひらとカスミに見せてやる。五十八点。
このテストに及第点はないが、普段のテストならば及第点は六十と決まっている。
そして、今回の小テストは、武田先生が生徒を試した部分は大きい。
習った部分の応用。
今回のテストはことさら難しかった。
だから、カスミのように満点を取るほうがおかしな話なのだ。
カスミは理数の人間、しかも限られた『秀才』。
「私みたいにさ、みんなに合わせなきゃ。答えがわかってもさ、平均点に合わせて点数とらないと、そのうち皆に嫌われるよ?」
「そ、そんなあ……平野さんは、満点取った私が嫌いってこと?」
思いのほか効いたらしく、カスミが不安げにかえでを上目遣いに見ている。
まるで、『貴方に嫌われたくない』そう言いたげな言葉に、かえでは先ほどまでの不機嫌などどこ吹く風である。
はたで見ていた恵美子は、ホッと胸をなでおろした。
かえでは機嫌が悪いと、下手をしたら一週間は口をきいてくれない。
そんなのごめんだ。
佐奈やカスミはクラスが違うからいいが、理沙や恵美子はかえでと同じクラスだ。
一日のほとんどを共に過ごすのに、なにを言っても返事をしないかえでの機嫌を一週間もとり続けるのは、いくら仲が良くたってこぼしたくなる。
恵美子の心などつゆ知らず、かえでが恵美子に笑いかけた。
「嫌うなんて、無いでしょ。友だちじゃん」
「そっかぁ。友達、なんだ、私たち」
「なに。甲斐田さんは友達とは思ってなかったの? 勉強ができないから見下してたり?」
また、不穏な面持ちになって、しかし、カスミが泣きそうな顔でかえでに懇願した。
しわくちゃな顔を見ると、かえでの背中がゾクゾクした。
愉悦で歪む顔を悟られないように、かえでは顔の筋肉に力を込める。
「逆だよ、逆。私みたいのが平野さんとか……佐奈とか倉さんとか、畑野さんとか。みんなの友達だなんておこがましいっていうか……私みたいのが友達だなんて言ったら、平野さんの株が下がって迷惑かなって思っていたから……正直うれしくて、うまく表現できない」
自尊心の低い人間を見るのが、かえでは好きだ。無意識だとしても、こうやって勉強のできるカスミが、『なんのとりえもない』かえでに平身低頭で接してくると、自分がまるで尊い人間になれたような錯覚に陥る。
にへら、とかえでが笑った。もう、笑い顔を隠すことはなかった。
「私たち、もうとっくに友達じゃん。同じ怪奇クラブだし」
「そ、そうなの? よかった~。私、平野さんみたいに明るくもないし、積極性もないから」
でも、かえでは尊大で、少し他者を見下すところがあることを、カスミだって知っている。
かえでがカスミを目の敵にしていることだって知っている。
でも、こうやって同じ選択科目の授業を受けて、一緒に怪奇現象を検証して、そうやって過ごす時間は紛れもなく『青春』で、カスミはただ、みんなと仲良くやりたかった。
「じゃあ、今日の授業はここまで」
「先生!」カスミが手を挙げて、武田先生の言葉を遮った。
武田先生がカスミを見る。
武田先生だけじゃない。クラスにいる誰もがカスミに注視していた。
「なんだよ、あの秀才。なにか文句でもあんのかよ」「一人だけ満点とか、すごすぎ」「マジでどういう頭してるのよ」
カスミが立ち上がって、「今回の追試、公平に私も受けさせてください」
後ろで、かえでがちっと舌打ちした。
武田先生は、眼鏡をくいっと人差し指で持ち上げて、「わかりました。殊勝な心掛けですね」とカスミを称賛した。
かえでの顔が曇るのを、隣の席の恵美子だけが見ていた。




