1-5、人魚伝説⑤
すでにミイラはご本尊から出してあり、それは人間一人分ある大きさのミイラだった。
普通、ミイラと言ったら小さくて、こと、人魚のミイラとテレビで取り立たされるものは猿くらいのものが主だったため、みんながみんな、面食らっていた。
「大きいですね」
佐奈がスマホを取り出す。そうして住職に、
「写真撮っても、呪われませんよね?」
「御仏だからねえ。あまりお勧めはできません」
スマホのカメラを起動した佐奈だが、しばし考えたあと、アプリを消してスマホをポケットにしまい込んだ。
ミイラは茶色く、干からびている。干物のような、油の乾いたにおいがする。
カスミはうっと口元を抑えて、一歩ミイラから距離を取った。
理沙は佐奈の後ろに隠れて、恵美子とかえではしげしげとミイラに見入っている。
武田先生は、数センチの距離まで近づいて、その肌質を余すところなく見つめている。
物好きな教師だ。本当は、怪奇クラブの活動にかこつけて、武田先生がミイラを見に来たいだけだったのではないだろうか。
その時、奥の部屋から電話の音が聞こえた。みんな、肩を震わせて音の方を見た。
間の悪い。
「すみません、わたしは少し離れます。壊さないように、絶対に触れないでくださいね?」
言い残し、住職は電話を取りに行った。
本来ならば、この場を離れるべきではないが、教師が同行しているから、きっと住職は安心してこの場を離れたのだろう。
住職は音もなく立ち上がって、袈裟の衣擦れの音だけが畳の間に響いた。
しゃり、しゃり、と住職の歩く音が、このミイラの不気味さを助長させる。
「ねえ、ダメだって」
「いいの、恵美子は黙ってて」
住職の背中を見送るのに夢中で、カスミも佐奈も、理沙も、武田先生も。
一瞬だけミイラから目を離す。
その時、かえでと恵美子がなにやら話している言葉が耳をかすめたが、カスミにはそんなことはどうでもよかった。
このミイラが偽物だということは、この町の誰もが知っている。
きっと、人に似た動物と魚を継ぎ合わせたのだ。その継ぎ目が、見えないことはない。
不自然に繋がっているように、見えなくもない。
なのに、ここにあるミイラが偽物であると誰もが断言できなくて、結局住職が帰ってきてすぐに、カスミたちは寺を後にすることになった。
「今日はありがとうございました」
「いえ。わたしはなにもしておりません」
住職がカスミたちを見て、顔を顰めた。
「怪奇クラブ、でしたか」
「はい」
武田先生が答える。カスミたちもうなずいて、住職の言葉に耳を傾けた。
「今後は、七不思議を見に行くといいですよ。念のため。です」
不思議な住職だ。怪奇クラブのことを馬鹿にしないし、なぜだか親身になってくれる。
カスミたちは武田先生の車に乗り込む。
向こうで、住職が車が見えなくなるまで頭を下げていた。
帰りの車はみな無言で、しかし、学校につくや、かえでが鼻高々にそれを掲げた。
干した魚の肉のような、茶色い物体。二センチくらいの干からびたそれ。
「なに、ごみ?」
佐奈が茶化すと、かえではみんなを手招きする。輪になって、耳を寄せ合う。
そのなかには、カスミもいた。
武田先生は仕事が残っているから、先に職員室に帰っていった。
カスミたちは、怪奇クラブにあてがわれた狭い部室に歩いて、そこに着くや、かえでの出した物体に、みんながみんな、首をひねった。
「これは、あの人魚のミイラです」
「え、ちょっと、触っちゃダメって住職が」
「なに、甲斐田さんは水差さないで。ねえ、人魚の伝説は知っているでしょう?」
「不老不死になるってやつ?」佐奈は乗り気なようだ。
「そう! 私、これ食べたら超人になれるかも!」
かたわら、心配をあらわにしたのは理沙だった。
理沙は臆病で、なのに怪奇クラブに入部した。怖がりを克服したいからだと言っていた。
だが、怖がりな理沙がいると、恐怖が周りに伝播する。
「や、やめなよ……不老不死になることで、不幸になるかもしれないし」
「不幸? 不老不死が? もう、畑野さんは臆病だね。ほら」
あん、と口を開けて、その舌の上にミイラの肉を乗せたのち、かえではそれを飲み込んだ。
脂の焼けたにおい。よくある、身欠きにしんなんかは、あれは本当に臭い。油臭いのだ。乾燥してなお、動物の脂はにおう。
それを、かえではなんら臆することなく口に入れて飲み込んだ。悪趣味だ。
「うげ、まず」
「あ、あ。ダメだって!」
理沙は最後まで怖がっていたが、かえではぎゃはは、と笑ってカスミを見た。
「甲斐田さんは、どう思う?」
「どう?」
「人魚の肉を食べた私は、不老不死になったと思う?」
「……馬鹿らしい。そんなことあるわけがない。そもそも、人魚の肉を食べた八尾比丘尼も、八百年で死んだんだって」
「八百年かあ。私、不老不死になっちゃったかもね」
かえでがふんと笑い、カスミはかえでにそれ以上はなにも言わなかった。
カスミはかえでに嫌われる理由がなんとなくわかった。今回の校外活動で、嫌というほどに。
かえでは、武田先生に思い入れがある。
確かにいい先生だし、歳が近いのもあるのだと思う。
それが生徒としてなのか、異性としてなのか、どちらにせよ、特別に目を掛けてほしいと思ってしまうのは、決して悪いことではない。
だからこそ、カスミはなにも言えなくなった。
佐奈に聞いた話、武田先生はカスミを褒めていたのだという。武田先生が理科担当で、カスミも理数系だったから、なおさら。
だけど、それだけだ。
カスミは自分から頼み込んで武田先生に目を掛けてもらったわけではないのだし、そういう余計な人間関係が鬱陶しくて、友達を作らずに来たのに。
「朝葉さん、私、ほかの入部者が来たら、いの一番にやめるからね」
「いいよ、きっとやめないと思うけど」
「なんで?」
「なんで。だって、甲斐田さん――カスミってきっと、お人よしだから!」
結局カスミもカスミで、本当は一人でなんか居る勇気はなくて、怪奇クラブに入部したことがきっかけで、クラスでは佐奈とよく話をするようになった。
そしてそこから友達の輪が広がって、カスミは一人ぼっちではなくなった。
「あれ、誰かイヤホンのモデリング切れてない?」
かえでがぽつりと、つぶやいた。
初日から波乱万丈であったから、カスミは早く別の部員が入部することを願っていた。
そうはいっても、佐奈と一緒に過ごす時間も、大事に思い始めていた。
「甲斐田、オマエら、また怪奇現象調べるのに、放課後校外に行くんだって?」
「はい。人面犬が出たらしいです」
住職に言われたから、というのもあるが、怪奇クラブでは今、空前の七不思議ブームなのだ。
相変わらず、武田先生は忙しそうにコロコロ走り回っている。
そこに通りかかったカスミが手伝いに駆り出されて、生物の標本を理科準備室から出しているところだった。
「そういえば、副顧問、候補者いたぞ。保健室の本田先生」
「本田先生……誰でしたっけ」
「あんまり保健室には行かないか。女性の先生だよ」
武田先生が荷物を運びながら頬を赤らめている。心なしか、鼻の下も伸びている。さぞ美人なのだろう。
理科準備室は独特のにおいに包まれている。
ホルマリン液が少し白く濁っていて、だから余計ににおいたつ。理科準備室の汚さは、武田先生だけが原因ではないだろう。
歴代の理科の教師たちがためにためたガラクタたちが、所狭しと並んでいる。
中には古い本もあって、カスミはそれらを後で読ませてもらおうかな、なんてことを考えながら、理科準備室と理科室を行ったり来たりだ。
「うげえ、私、生物の標本って好きじゃないです」
「俺もそう。でも、こうやって命張って人間の勉強を手伝ってくれる動物には感謝だな」
動物にそんな感情は無意味だと思った。人間のために自ら進んで死ぬ動物なんていないだろう。
カエルに蛇、なにかの腸や臓物。
人体模型なんかも、佐奈は好きそうだなと思った。
夜中に人体模型が動くとか。
あとは、音楽室の音楽家の肖像画も、夜になると動くらしい。モナリザなんかも。
そう考えると、学校という場所は恐怖の宝庫なのだと思う。
「甲斐田は、理数が得意だから、人間の体展とか行かないのか?」
「いやいやいや、人体の標本とか、……無理ですって。動物で精いっぱいなのに」
ホルムアルデヒドの独特のにおいが、ただでさえ鼻にこびりついて離れそうにない。
今日の昼食は母にお弁当を作ってもらったが、食べられそうにない。あとで連絡して、今日のお弁当を夕飯にしようと思った。
今日は母の特製から揚げだっていうのに。
「あ、その筒、カエル入ってるから注意しろ」
「げ、もしかして解剖やるんです?」
「そうだよ。ちゃんと麻酔はするし」
「そういう問題じゃないですよ」
「そう? でも、カエルも光栄だろうよ。その辺でげこげこ鳴くよりは、人間さまに役立つんだから」
先もそうだが、武田先生は命の重み、のようなものを少しはき違えている気がする。
カスミは人間であろうと動物であろうと、その命を奪うことに賛成はできない。
カスミがうんうんうなりながら準備を終えると、折よくクラスメイトが理科室に集まる気配がする。
「あれ、甲斐田さん。手伝いなんて偉いね」クラスメイトの一人に言われた。いまやカスミも、クラスメイトとなんなく話せるようになっていた。
「いや、無理矢理だって」
「そう? って、げえ、今日カエルの解剖?」
「そう。カエルの。班ごとに一匹だから……じゃんけん弱い子は損だね」
カスミが困ったように笑った。
入学から三か月、だいぶカスミも友達というものに慣れてきた。
入学したばかりのころには考えられないことだった。
カスミは、自分に友達なんて必要ないと、かたくなになっていただけで、ひとと話すと、存外人間は悪いののではないのだと知ったのだ。
それもこれも、佐奈という存在のおかげだった。佐奈はどう思っているかわからないが、カスミは佐奈を親友だと思っている。
おこがましいかもしれないが。
「あ、佐奈。今日カエルの解剖」
カスミは人差し指を立てて、自分のお腹を切るしぐさをした。
理科室に入っててきた佐奈は、カスミの言葉にうげっと舌を出した。
今日は佐奈とカスミは同じ班だ。真ん中のブロックの一番前の席に座って、佐奈とカスミは教科書を広げる。
「マジ最悪なんだけど」
「だよね。あ、武田先生来た」
「今日も準備手伝ってたの?」
「だって武田先生に捕まっちゃって」
それでも、今日の三限に生物の実習があるのを知っていて、その周辺に足を向けるカスミもカスミだった。
カスミのクラスから購買に行くには、どうしてもここを通らなければならない。ワンフロア上の、端っこにある購買で、喉を潤すためにジュースを買いに来たところだった。
今日はブドウのジュースを買おうと意気込んだのだが、カエルのせいでジュースすら喉を通りそうにない。カエルの匂いなのか、理科室がじめじめして気持ちが悪い。
「まあ、こうなるのわかっていて購買に来たところはあるし」
「でしょうね。カスミは人見知りするだけで、実際人望あるよ」
「ええ、初めて言われた!」
武田先生が準備室から理科室に入ってくる。その手にはあらかじめ麻酔をかけたカエルがはりつけにされていた。
ぷんぷくりんのお腹を丸出しにして、喉がゲコゲコ動いている。クラスメイトが悲鳴を上げた。
「はい、じゃあ授業を始めます」
「げえ、俺解剖とか嫌なんすけど」
「解剖は順番に行うように。では、先生がまずお手本を見せますね」
手元をカメラで映して、スクリーンに転写する。大きな画面にカエルが映った。すでに腹は開いてあり、手足は針で固定されている。
とくとくとく、と心臓がまだ動いている。生きているのだ。
うげえ、とひとりの男子生徒が理科室を走り出た。
命を、奪う。これからここにいる生徒たちは、みな等しく命を奪う。
「きゃあ!」
「え、なに?」
どたん! という音とともに今度は悲鳴が聞こえた。女子生徒が卒倒したようだった。
あらかじめ控えていた副担任が、倒れた生徒を抱え上げる。
「ほら、こっちに集中」
「武田先生、いつもはふんわりしてんのに、授業では厳しいよな」
「だよな。卒倒したの見てもなにも言わないし」
佐奈とカスミと同じ班の男子二人が、無駄口をたたいている。
カスミは内心で同意しつつ、そこが武田先生の長所なのだとも思う。
武田先生はこの学校に来て二年だけれど、どの先生よりも真剣に生徒と向き合っている。
カスミにかまうのだって、最初はきっと、カスミがクラスで浮いていたからだろう。
「はい、では、ひと通り説明したので、各々カエルの解剖を始めてください」
「っし。じゃあ、甲斐田、朝葉。じゃんけんでいいよな?」
「そういうと思ってた。私はいいよ。カスミは?」
「私はじゃんけん弱いから、順番でやるのが良いんだけど。それに、順番でやれって先生も言ってたじゃん」
カスミはすっかりクラスになじんで、自分の意見を言えるまでになっていた。
だが、カスミの正論など聞く者はいない。むしろ、生物の成績のいいカスミに、解剖をやれと男子がせっつく。
しかし、カスミだってこんなこと進んでやりたいわけがない。
結局、じゃんけんで負けた人が解剖を担当することになった。
その間に、針で手足をはりつけにされたカエルが配られる。
このカエルは、動物実験用に買ったのか、武田先生が裏の田んぼで見つけていたのか。
そんなことに思いをはせる。
カエルが「げこ」と鳴いた。まるで助けを求めるみたいに。
「ほら、じゃんけん、ぽん!」
男子の掛け声とともに、カスミはパーを出した。佐奈と男子ふたりは、チョキだ。カスミの背中に汗が流れた。
本当に、嫌になる。
「げえ、私?」
「やった。カスミはご愁傷様だけど」
「ええ、カエル触りたくない、ねえ、代わってよ」
「いくらカスミの頼みでも、それは聞けないな」
佐奈が両手を上げて、カスミから距離を取った。ぐう、と喉を鳴らして、カスミはメスを手に取った。
かえるの黒目がこちらを見ている。助けてくれ、死にたくない。
かえるが、げろ、と力なく泣いた。




