1-4、人魚伝説④
いざ放課後、昇降口に五人がそろったところに、武田先生がスーツ姿で現れた。
昼休みはジャージだったのに、着替えたなんて几帳面だ。
武田先生がスーツのネクタイをくいっと締め上げた。
「ええ、タケセンの車、めっちゃ大きい」
「だろ。生徒を連れて運転することもあると思って、大きいのにしたんだ」
海の傍までは、歩いたら一時間はかかる。
だから、武田先生が車を出してくれたのだ。
ワゴン車で、運転席、助手席と、後部は二列シートになっていて、五人ちょうどが乗れる大きさだった。
車に乗るとなって、助手席に誰が乗るかは、ひと悶着あった。特に、かえでが譲らなかった。
かえでは恵美子と仲がいいから、てっきり後部座席で恵美子の隣に乗るのだと思っていたのだが、どうも聞いた話、かえでは要領がいい。
つまり、先生に取り入ろう、という魂胆が透けて見えて、カスミはかえでのそういうところが好きになれそうにない。
この先、怪奇クラブのメンバーが増えたら、カスミはさっさと退部してやろうと思っている。
特にこの、かえでという人間はカスミを敵対視しているから、だったら自分がいなくなるのが最も簡単で衝突も少ない。
助手席のかえでは、運転する武田先生に上機嫌に話しかけている。
「人魚のミイラとか、怖そうですよね」
「そうか? 俺は楽しみ」
「ええ、先生って本当はオカルト好きなんです?」
そこにひょっこり顔を出すのは、やはり佐奈だ。
ウェーブがかった髪を揺らしながら、ふたりの会話に自然に入っていく。
そういうところは、やはり佐奈の才能なのだと思う。
武田先生も、佐奈のこの才能を伸ばせばいいのにと言っていたのは記憶に新しい。
「なになに、かえでって、怖がりなの?」
「そんなわけないじゃん。雰囲気だよ雰囲気。夜のガッコならともかくさあ」
武田先生に話しかける時はワントーン声が明るいのに、佐奈に話す声はいつも通りの、やや低めのアルトだった。
低いけれど嫌ではない。歌を歌ったらきれいだろうなと思う。
そういえば、人魚の歌には人を惑わす力があるんだった。
きっとかえでのようなきれいな声なのだろう。
ソプラノでもいいが、かえでのアルトは心地いい。
カスミがかえでの唯一好きな部分は、それくらいだが。
「でさ、タケセン。そのミイラって、年に一回公開しているヤツだよね」
「そうそう。でも、一般人でも申し出があれば見られるんだよ。先生も一度じっくり見てみたかったんだ。ここに赴任してきたからには、人魚伝説は見たいしな」
武田先生は、聞いた話、二年前にこの町に赴任してきた。
もとは隣の町の高校教師だったが、自然が多いこの学校で経験を積みたかったのだそうだ。
だとしても、いい大人が人魚を見たがるなんて変な話だ。カスミは窓の外を見やる。
ビュンビュンと景色が後ろに流れていく。
まるで映画のエンドロールみたいに速くて、なにも目に入らない。
「あ、見ろ。あそこだ!」
武田先生があからさまに嬉しそうに声を上げた。
カスミもかえでも佐奈も、恵美子も理沙も、その場所を見やる。
だいぶ立派なつくりの寺院が見えてきて、間もなく武田先生の車がその寺の境内の隣の砂利道の駐車場に止められた。
高校よりもさらに海の近くだからか、木造の寺は潮風にさらされてお化け屋敷のようだった。
来年、建て替えを予定しているらしい。
今日も少しではあるが、部費からお布施をすると武田先生が言っていた。
寺に降り立つと、なんだか不気味さをはらんだ空気が肌にまとわりつく。
松の林を抜けてくる潮風が、制服を引っ張るようだった。
「なんだか怖いよね、お寺って」
「朝葉さんは、雰囲気に酔うタイプなんだよ」
「甲斐田さん?」
カスミは、寺の境内を見渡して、大きく深呼吸した。
そうだ、ここはなんにもおかしなところはない。
幽霊なんて存在しないし、ミイラなんてものも存在しない。怪奇現象なんてただの錯覚で、だからこそ、カスミはこの場所に来て、大きく息を吸い込めた。
ほかの四人は身を縮こませて、息をするので精いっぱいだというのに。
そうやって丸まっていたら、出ないはずの寺に幽霊だって出てしまうだろう。
酸素が脳にいきわたり、カスミは佐奈たちをまっすぐに見た。
「人は昔から、闇を恐れてきた。だからそこに、幽霊が集まった。っていう話があるの。つまり、恐れの念が、居もしないものをそこに集めるの。幽霊がいるから暗闇が怖いんじゃなくて、暗闇が怖いから、その理由を幽霊に見出したの」
「なん、えっと」
佐奈には難しかったようで、武田先生が笑いながら説明してくれた。
「卵が先か鶏が先か、って話だね。最初から暗闇に幽霊がいたのか、あるいは、暗闇を恐れる人間の念が、暗闇に幽霊を具現化させてしまったのか。そういう話だよね?」
武田先生がカスミに笑いかける。
どきっとして、カスミはコクリと控えめにうなずくだけだった。
武田先生の眼鏡の奥の顔が丹精だということに、今更気づいた。
が、気づいたところでどうこうするつもりもない。武田先生が教師であることに変わりはないのだから。
しかし、かえでは違うようだ。
かえでが「きゃ」と声を出して、転びそうになるふりをして武田先生にしがみつく。
「大丈夫か?」
「はい……」
しおらしく、かえでが武田先生を見上げた。
「ああ、ようこそいらっしゃいました、ここの住職の臼井です」
頭を丸め、手に数珠を持ったお坊さんが、こちらに向かって出迎えてくれる。
安堵したように武田先生はやんわりとかえでの手をほどいた。かえでが不満そうに口をとがらせている。
その気持ちは、なに?
カスミは出かけた言葉を飲み込んだ。
武田先生は、生徒から一歩前に出て、住職に頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。今日は突然にもかかわらず、快諾していただき感謝いたします」
「いえいえ。ここらの人はもう、人魚のミイラなんて見飽きてしまって。こうやって訪ねてくれる人も、少なくなって」
そりゃあそうだ、科学が発達した現在において、人魚のミイラなんて信じる者はほとんどいない。
それらは、猿と魚のミイラをつぎはぎしたものだというのは、誰もが知るところなのだから。
テレビではさかんにこの寺のミイラを放映するが、みながみな、見飽きて、やがてその好奇心は、カスミたちが通う高校にまで及んだ。
つまり、人魚の末裔が、この学校にいるのだという。
そんな馬鹿な話、あるはずがないのに。
「では、こちらへ」
五人の生徒とひとりの教師は、寺の本尊へと通されるのだった。




