4-2、本当の呪い②
一刻の猶予も許されず、だけれど五人は、手分けするという考えがなかった。
そもそも、かえでの体力がもうほとんど残っておらず、かえでは寺に残ることとなった。
残りの恵美子、佐奈、理沙も、かえでほどでないにしろ『生気』を吸われているようだった。
あの作り物の理科準備室にあった伝記には、少なからず本田先生の呪いが混じっていた。でなければ、思い込みで『老化』が起こるはずがなかった。
あの伝記の呪いのページを見たことで、カスミも少なからず頭痛を感じていた。が、ほかの四人に比べて、カスミの呪いはまだ軽い。
「結局、人魚は私たち全員を殺す気、なんだ」
かえでには、だれか一人をよこせば武田先生は助けると約束したらしいが、呪いがそんな正々堂々とした取引をするはずがない。
謎解きの間、時間を稼いで、少しずつ、人魚のミイラの空気に触れたかすみたち五人を蝕んで、最後には生気を吸い取り五人とも殺すつもりだったのだろう。
呪いに当てられた佐奈、理沙、恵美子は、住職に引き止められた。
かえでと共に、畳に描かれた経文の中に押し込められる。
「多少は呪いを抑えられます。けれど、すべてが明かされた今、人魚もそう悠長には構えていないでしょう。今動けるのはカスミさんだけです、これをどうぞ」
住職から渡されたのは、経文の書かれた御札だった。
かえでたち四人は、人魚から隠れるために、この寺から出られない。
理科準備室の伝記の呪いは、まだカスミには深く発動していない。
そもそも人魚は、カスミは伝記の呪いからではなく、直に生気を吸うために、わざわざ呪わずに『とっておいて』いるのかもしれない。
「なんとしても、解かなきゃ」
カスミは重い足取りで歩く。
こういう時、友達のありがたさを知る。一人での行動は、不安が付きまとう。
けれど、みんなを救えるのもまた、カスミだけなのだ。
まずカスミは、工事現場に赴いた。工事現場の生霊、これは工事が終わる前に見に行かなかればならない。いや、確かめたかったのだ。あの日見た、生霊の正体を。
寺からは工事現場が一番近いのも理由だった。
相変わらずの騒音に耳鳴りがした。
「なんだ、また来たのか」
工事現場のおじさんが、工事音に負けない声でカスミをなじった。カスミはあたりを見渡す。
しかし、生霊なんて、どこにもいない。
生霊は、好いた男を探してさ迷っているという。ならば、夜に限らず、今、出てきてはくれないだろうか。
「おじさん、この場所に、生霊は現れませんでしたか!?」
声を大きく、聞けば、おじさんはげんなりしたように、カスミを追い払った。
「そんなもん、あるわけないって何度言ったらわかるんだ!」
しっし、と追い払われて、しかし、カスミも引かない。その場に居座って、工事の邪魔になることもいとわなかった。
ドカリと工事現場のそばに座り込む。時刻はもうすぐ四時。
太陽が傾いている。夕日が工事現場のおじさんたちを照らし出していた。
今日中に呪いを、解きたい。
しかし、おじさんもおじさんで、ないものはないのだから、カスミを無視する。
工事の終わる時間まではあと一時間。終わったら、カスミなど放って帰るつもりだ。
「あー、嫌になる。ここ最近は、生霊に見える人形なんて、撤去したのに」
「撤去したんですか?」
「ああ。だから、もうここに生霊は出ないよ」
出ない、のだろうか。いや、確かにここは一度来たけれど、生霊なんて雰囲気じゃなかった。
工事現場に居座ること三十分。午後四時半、太陽が沈み始めて、そろそろ幽霊が出てもおかしくない時刻だ。
このまま日が暮れるまで待って検証してもよかったが、ここは、『別の場所』を探すのが正解だろうとカスミは踏んだ。
すでに生霊は、カスミになんらかの『手がかり』を渡し終えた可能性は高い。一度出くわしたからといって、二度現れるとも限らない。
つまり、今までに回った七不思議は『捨てて』、検証していない、屋上の天使と花子さんに的を絞ったのだ。
一度検証した七不思議を、洗い直す余裕なんて、今のカスミには、ない。
「早く行かなきゃ」
工事現場から学校までは走っても三十分。
いつも体育の授業をさぼっていたことが悔やまれる。もっと体力をつけておけば、謎解きだってスムーズにいったかもしれないのに。
学校について、カスミはまず、花子さんの出るといわれる、誰も使っていない北棟の三階のトイレに足を向けた。
東棟からは十分。
今は使われていないから、入る時は誰にも見られないようにした。
北棟は閉鎖されてはいるが、鍵はかかっていない。鍵がある建物ではないのだ。それくらい、古い建物だった。
ここから天使の屋上まではすぐであるし、もしも花子さんが出ても、きっとなんとかなる。
いや、なるのだろうか。
カスミは謎解きに必死で、実際に幽霊に出くわした時の対処を考えていなかった。
こんこんこん、と三回トイレのドアをノックする。
そこまではスムーズだった。この後、「花子さん、遊びましょ」と声をかけなければならない。
トイレは汚れていて、窓が壊れているから風が吹き抜ける。
ぎい、とトイレのドアが開いたり閉まったりしている。それだけで、怖い。
けれどカスミはめげない、引かない。
カスミは意を決して、
「花子さん、遊びましょ」
声をかけた。
目を瞑って、祈る。なんでもいい、答えをくれ。
花子さんが成功すると、花子さんは答えてくれるはずだった。
しかし、その声は、やはりというか、聞こえなかった。十分ほどトイレに立ち尽くすも、カスミの前に、花子さんは現れなかった。
相変わらず、トイレには風が吹き抜けて、ぎぃ、ぎぃとトイレのドアが不気味に音を立てていた。
ふと俯き、カスミは踵を返した。その時。きぃ、とトイレのドアが開いた。
『はぁい、遊びましょう』
「ひっ!?」
しかし、カスミは振り返ることができなかった。
出た、出たのだ。やはり、今までの七不思議の幽霊は、本物だったのだ。
走って。走って、カスミは屋上を上がっていった。
花子さんを直視する勇気なんてない。ましてや、呪いを解く手がかりを聞くなんて。
トイレを出て、カスミの足は速かった。
花子さんという不可解から逃げおおせたものの、次こそは歌のヒントをなんとしても得なければならない。
最後の七不思議、屋上の天使だ。
けれど、仮に天使が現れたとして、カスミは今度こそ逃げずに対峙できるだろうか。
屋上は、今は使われていない。しかし、鍵は壊れているから、立ち入り禁止のテープを抜けれすぐに侵入できた。
フェンスがさびて、崩れている。
屋上の風はカスミの身を切り刻むように吹きすさんだ。
屋上の天使を呼び出すには、呼び出すための儀式がある。
カスミは、七不思議を深く、正確に想起する。ひとつ、深呼吸した。
「天使さま、天使さま!」
天に向けて手を伸ばして、カスミはクルクルとその場に回る。
回りながら、手をパンパンパンパンと四回鳴らして、その手を胸の前でクロスさせて、しゃがみこむ。まるで、お辞儀をするように。
「天使さま。私のもとに、お降りください」
そうすると、呼んだ人の中に天使が降臨するのだという。
天使がどんな姿かはわからない。わからないけれど、本田先生よりも人間らしくあってほしかった。
天使は、その人に降り立つと、その人の願いをなんでもかなえてくれるのだという。
空から聞こえる、神の声が合図だ。
しかし、空からの声なんて一つも聞こえない。天使が降りてきた感覚もない。
泣きたかった。
天使なんているはずがない。でも、人魚は存在したのに。
花子さんだって、怖くて逃げてきてしまった。なにか歌についてヒントを聞かねばならなかったのに。
いや、逃げてしまったから確証はないが、花子さんは空耳だったかもしれない。
カスミは立ち上がり、空を見た。
雨が、降り始めている。
「ああ、もう。嫌になる」
ザァザァ。ざぁざぁ。
屋上から、グラウンドを見下ろす。背中に羽根を生やしたなにかがこちらを見て、笑った。それは空を駆けて屋上に来ると、カスミを見て、無邪気に「なんでも申せ、叶えて見せよう」と声をあげたのだった。
カスミは思わず腰を抜かす。立つことも叶わず、しかし『天使』がカスミにまた、迫り来る。
だけど、それだけだ。
七不思議は、人間を害さない。
カスミはそろりと立ち上がる。
いよいよ不可解に慣れてしまったのか、あるいはカスミがおかしくなったのか。カスミの心臓は、思ったよりも静かに鼓動を刻むだけだった。
「歌を、教えて」
天使が、首を傾げる。そのまま、上を見上げた。
カスミもならって天を仰ぐ。
光の玉が、浮かんでいた。それはカスミに向かって、笑った。顔はないのに、確かにそれは、笑ったのだ。
まるで『希望なんてない』と言いたげに。
カスミはそれが薄気味悪くて、今更になって鼓動が速まる。
あれは、異質だ。
気づいた途端、カスミは屋上を走り出て、階段を降りて、北棟から東棟へとひたすら走った。
花子さんも屋上の天使も、実在した。けれど、対峙なんかできない。怖い。
「はぁ、は。ここまで来れば」
七不思議を反芻しながら、カスミは考える。
歌を歌うのは、かえでの役割。人魚は歌で人間を惑わす。
そういう言い伝えは、セイレーンにもあった。セイレーンは人魚だとも鳥だともいわれている。
それらに対抗するには、耳栓をして、歌を聞かないことが一番なのだという。
海の男たちは、蝋で耳栓をして、セイレーンをいなしたのだという。
「でも、歌がわからない」
東棟に戻る。トボトボと廊下を歩いていると、川田先生に出くわした。
相変らずはきはきと歩き、背筋はまっすぐ伸びている。
川田先生がカスミに気づき、声をかけた。
「どうした、甲斐田。元気がないな」
「あ、はい……」
よもや、呪われているからとは言えなかった。とはいえ、そういえば川田先生は、この学校の卒業生だとも聞いていた。
川田先生ならば、人魚の誘惑になんか負けなかっただろうに。
武田先生は、本田先生の偽りの美しさに魅入られ、生気を奪われてしまった。
「川田先生……あの。この学校の七不思議って、知ってますか?」
「七不思議? 知っているさ。人魚伝説、工事現場の生霊、人面犬、カッパ伝説、屋上の天使、花子さん、それから、町を守る歌」
「え?」
「ん? どうかしたか?」
「あ、いえ……今と昔では、七不思議って違うんですね」
「そりゃあ、時代とともに変わるからな」
だったら。
人魚を封じる歌がある。そう、住職の伝記には書いてあった。
しかし、七不思議はひとつだけ、川田先生とカスミたちが知るものに相違がある。
町を守る歌。つまり、元々この学校には、人魚の呪いを解く歌、が七不思議のひとつとして存在したのだ。
だったらそれは、なんだというのだろうか。
「川田先生。町を守る歌って、なんですか?」
「それは俺にも……あっ。確か、七不思議の全てを手に入れた勇気ある生徒にしか分からない、って、噂だったな」
「そう。ですか。ありがとうございます」
カスミは川田先生とわかれて、校舎を出ていく。
七不思議の歌、というのは、幽霊が教えてくれる、『キーワード』ではないだろうか。それこそが、人魚の恐れるものなのだ。
だとして、カスミはある仮定を組み立てた。
今まで出会った七不思議。その現場の、霊たちの声をつなぎ合わせる。
どこの現場でも、それらの七不思議に付随する『メッセージ』があった。
工事現場の生霊は、「あいしていたの」
カッパ伝説では、「もう人間なんて信じられない」
人面犬は、「ほっといてくれ」
花子さんは、「はあい、遊びましょう」
屋上の天使は、「なんでも申せ、叶えて見せよう」
呪いの人魚の鏡は、人魚が作り出した偽の七不思議だ。だから、これにだけ、メッセージがない。人魚伝説にも、同じく。
これらをつなぎ合わせて、一つの歌にすれば。
「試してみる価値は、ありそう……」
カスミはいったん、寺を目指すことにする。
雨が本降りになってきた。海は大荒れだ。
カスミの家で本田先生と別れてからだいぶ時間がたつ。
本田先生は、武田先生の生気を吸い取って、もう海に帰ってしまうかもしれない。もしくは、代わりにかえでがミイラになってしまう。
かえでの身体も、もうだいぶミイラ化している。今日が山場だ。
人魚に屈する、それだけは避けなければ。




