3-8、呪いの解き方⑧
あの日――カスミが小テストで満点を取った日に、かえではその気持ちを、武田先生に吐露した。武田先生がかえでの悩みを聞いてくれて、だったらかえでも、武田先生の味方になりたかった。
「武田先生。私、武田先生が女の人と理科準備室で一緒にいるの、見ちゃったんです」
「……!? かえで、それはっ!」
「大丈夫ですよ。私、武田先生の味方だって、さっきも言いました」
かえでが力無く笑っている。武田先生は弱気な先生だから、かえでの言葉がどこまで真実かわからなかった。
武田先生の車の中で、かえでは武田先生の手を握る。泣いたからか、体温が高い。
「ゆ、許してくれ! 本田先生とは本気なんだっ!」
武田先生がおもむろに頭を下げた。かえでが首を右にかたむける。なにを許せと言うのだろうか。
そもそも、本田先生とは怪奇クラブの副担任の、名前だ。知らないような、知っているような。どちらにせよ、『会わなければ』となにかが叫ぶ。
けれど、かえでの心が満たされていく。自分は、武田先生の弱みを握った。確かにかえでは、主導権を握ったのである。
くい、と口を綺麗に引き上げて、かえでは武田先生の頭を上げさせた。
武田先生は泣き出しそうな顔をしている。ああ、本当に、こんな顔を向けてもらえるなんて。
武田先生は、今だけはかえでのものだった。
歪んだ家庭で育ったから、自分も歪んでいる自覚はかえでにもある。父親は浮気して、母を捨てて出ていった。母親は今も不倫相手を憎んで、捨てられたショックから心を病んで働くことも、ましてやかえでの子育ても、まともにできやしない。
なのにかえでは、いつだって母親の味方だった。自分がいなければ、お母さんは本当に壊れてしまう。だからかえでは、殴られても蹴られても、なにも言わなかった。
母親は、計算高くかえでの顔や足は殴らなかった。かえでの服の下には、無数の痣があるのに、周りの人間はそんなことひとつも気づかない。
上手く隠せる自分が誇らしかった。
お母さん、私、アナタの醜態を周りにうまく隠せるのよ。
だから、かえでは、自分を保てた。子供を殴る出来損ないの親の、尻拭ができる出来た娘。痣を隠すことが、かえでのなによりの誇りだった。
その痣の異変に気づいたのは、人魚のミイラを見に行ってしばらくした頃だった。
ちょうど、人面犬を見に行った時だ。人面犬の言葉に、腹がじわりと痛んだ。帰ってからそこを見ると、茶色く固く、なっていた。
それは、『怪奇現象』だった。
かえではすぐさま、あの寺に行った。あの寺に行ったあとからこの異変が起きていたからだ。
そして住職は、かえでに『あること』を助言した。
だからかえでは、怪奇クラブを利用した。七不思議こそが、かえでを救う、唯一の道だった。
今はもう、なにからなにまで、自分の体が自分のものではなくなってきている。『あの日』から。それらはまだ、誰にも話していない。
それなのに、かえではさっき、母親のことを武田先生に話した。だから、武田先生に対して後ろめたい気持ちがあった。助けて欲しい気持ちは本当だ。だけれど、他者に弱みを握られっぱなしは、不安だった。
「武田先生、大丈夫です。私は誰にも言わないし。……本田先生?も呼んで、話しませんか」
「な、なにを?」
なにを。
本当は、本田先生という女性を牽制したいだけだった。あの真面目な武田先生を惑わすなんて、どれだけの人間か。それに――
しかし、本音は隠して、かえでは取り繕った建前を述べた。
「理科準備室。武田先生と本田先生の声が外に漏れてるみたいで。クラスメイトが、あそこは幽霊が出るって噂してて。誰も寄り付かないように、怪奇クラブで噂が本当だって、流してあげます」
武田先生は、かえでの言いなりだった。ポケットからスマホを取りだして、本田先生に連絡をする。放課後に、かえでと本田先生のふたりでで話し合いが持たれることになった。
それに、かえではただ、武田先生を惑わす本田先生という存在に、疑問を抱いた。本田先生はいつからこの学校にいたのだったか。
武田先生は、本田先生の誘惑に負けて、関係を持つに至った。
かえでは最初から、武田先生が気になっていた。だから、いつもその姿を探していた。それがよくなかった。
ある日の放課後、かえでは理科準備室で武田先生と『女のようなもの』が逢瀬をしているところに出くわしてしまった。
そしてかえでは、本田先生の違和感に、最初から気づいていた。
本田先生はこの学校の人間ではない。そのことにすら、武田先生は気づいていなかった。
「あら、まだアナタ、人間なのね」
本田先生を見た瞬間、かえでの違和感は確信に変わった。これは、『誰だ』?
「そういうアナタは……誰。保健医は今は空席のはず……」
「あは。やっぱりアナタは気づいていたのね。初めまして、ではないわよ、私たち」
本田先生は保健室の窓に寄りかかって、背後から海の歌が、聞こえた。
その歌は、波のものでもあったし、本田先生のものでもあった。
「人魚……」
「あは。そう、当たり。アナタが私に生気をくれたから。私は生き返って、代わりにあなたが」
指さされ、かえでは確信を得る。本田先生の指の先、自分の腹のあたりをまさぐると、『固い』。
母に殴られた痣は、いちいち確認しない。けれど最近、殴られても痛みを感じにくかった。
極めつけに、工事現場の生霊を見に行った日にじわりと痛んだそれは、なんらかの『異変』を、体に宿したことを物語っていた。
それがなんなのか、住職でさえ教えてくれなかった。ただ、『呪い』だからと言われただけだった。
それが今、ようやくかえでの中で合点がいく。
かえでの体が、一部『ミイラ化』している。あの、人魚のように。
「私をどうする気!?」
「だから、アナタは私の代わりになるのよ。次の子が来るまで。人魚の呪い。私はアナタの生気を吸って人魚に戻る。代わりにアナタが、あの寺の人魚になる」
「待って。待って。じゃあ、私はこのまま、何年も、何十年も、あの寺でミイラとして……」
「ふふ。そうね。そのころには私は、武田先生と一緒に、海の底でゆっくり暮らしているわ」
かえでの体中の毛が、逆立った。
いま、なんて。
かえでのことは、百歩譲って良しとしても、武田先生を道連れにするのは、許せない。
「ねえ、本田先生の目的は、本当はなんなの?」
「さあ」
しかし、かえでは気づいた。本田先生が『まだ』この学校から離れられないのは、かえでだけの生気では、人魚の姿に戻れないからではないだろうか。
「どうせ、人魚には戻れないんでしょ? 生気が足りずに」
「そうかしら? アナタたち六人、私を見に来た六人は、少なからず私の呪いがかかってるのに?」
「……! だ、だったら、甲斐田カスミだけにして!」
口から出たのは、そんな薄情な言葉だった。
かえでは、少なからず責任感を感じていた。自分がミイラを目覚めさせたばかりに、ほかの五人まで呪わせてしまった。
だからかえでは、本田先生の言いなりになるしかなかった。
怪奇クラブでかえでの人魚の呪いを解く方法を探すために、あの嘘の伝記の人魚の呪いを解かせた。そして伝記の真実にカスミが気づけば、カスミが絶望し、人魚の生贄にすすんで命を差し出すこともできて一石二鳥だ。
しかしその伝記には、確かに呪いがかかっていた。本田先生が作った嘘の伝記には、生気を吸い取る呪いがかかっていたのだ。あの血文字は、紛れもなく人魚の血で書かれていた。だからかえで、ルミノールの実験で驚いていたのだ。
昔はよかった。人魚がご開帳となれば、沢山の人が見に来た。だから人魚は、何回も何百回もそれに耐えて、人魚に戻ることができた。人間から少しずつ生気を吸い取れたからだ。
だが今は、誰も人魚に見向きもしない。だから人魚は、強く、強く、人間を呪った。呪いで蝕み、ひとりの人間の命と引き替えに、自分が再び海に戻れるように。
はたで聞いていて、カスミはなんとも言えない気持ちになった。かえではそんなに前から、カスミを陥れようとしていた。
でも、カスミだって 五人の命とひとりの命なら、ひとりの犠牲を選ぶ。
かえではひとりで悩み、本田先生と取引していた。だったら、カスミだって本気でかえでの呪いを解きたい。
カスミはうつむく。
しかし、隣の紗奈が、カスミの手を取った。恵美子もまた、カスミを見て、うなずいた。
かえでにだって、いい所がある。
かえではただ、母親からの暴力で、自分という人間の存在価値がわからなくなっただけだ。だからカスミと衝突した。
他より優位に立つことだけを考えていたのなら、幼なじみの恵美子との縁なんてとっくに切っていただろう。
かえでの後暗い過去を知る恵美子なんて。
「でもかえでが、恵美子のことも、私たちのことも大切に思ってるの、わかるよ」
「あーあー! 本当に目出度い子。私のせいで呪われたんだから。嫌いになってよ!」
海が遠くで歌っている。
カスミの顔が悲しみに染まる。
今更、嫌いになんてなれるはずがない。友達なのだ、誰がなんと言おうと。
「でも……一緒に過ごしていくうちに、私、もうどうしたらいいのかわからないの!」
かえでがとうとう、本音をこぼした。
カスミをミイラにする気ならば、呪いの伝記なんて解かせずに、最初から本田先生に『触れさせれば』いい。
佐奈の怪我の際、かえでは本田先生に手当をさせず、かえで自身が代わりにガーゼを当てた。
かえでが保健室でけいれんした時だって、本田先生が理沙やカスミに触れないようにしていた。
それらは、かえでの本心ではないだろうか。かえでだって、誰かを自分の代わりに差し出したくなんか、ない。
「かえで。寺に行こう」
「でも……もう、私は一回行っていて……」
「それでも。まだなにか、住職も話してくれるかも」
かえでがカスミの目をまっすぐに見る。涙がにじんでいた。
「なんでカスミは、私の味方でいてくれるの? ミイラ化の話だって、なんで信じてくれるの?」
それは、確かにかえでのお腹がミイラ化したのを見たからでもあるが、この半年の付き合いで、カスミはもう、かえでとは他人ではなくなった。
友達なのだ、陥れる算段だったのならば、かえでだってもっと、カスミに情が移らないように、冷たくできたはずだ。
「かえで。私がかえでの代わりに本田先生に生気を渡す方法って、具体的にはどうやるの?」
「……ミイラのかけらを……私と同じように、ミイラのかけらを、飲み込むの」
ぞ、とカスミの背中が粟だった。
あの軽率な行為が、かえでを苦しめている。
ミイラはあの寺で、ずっと、ずっと生贄が来るのを待っていた。自分に生気を与えてくれる、愚かな人間が現れるまで、ずっと。
「でも、いいの。カスミの生気がなくたって、本田先生は私の生気と、あとは武田先生から生気を……男女の交わり――それで武田先生を誘惑したみたい」
結局、この呪いを解くほかに、みんなが助かる道はなさそうだ。
秋は一層深まって、木枯らしが校舎の外に吹きすさぶ。今年の冬は、思ったよりも早く訪れそうだ。




