3-7、呪いの解き方⑦
カスミは教室に戻る。途中、廊下を走るなと教師に叱られたが、今はそれどころじゃない。
「カスミ? どうしたの?」
「佐奈。この呪い、解けるかもしれない」
家で起きたポルターガイストだって、きっと理由があるはずだ。
例えば、あの部屋になんらかの音源があったとか、ちょっとお高いトランシーバーを仕掛けておけば、『どこからともなく』声や音を聞かせることができる。
そして、それらを『怪奇現象』と信じていれば、子供だましなそれも立派な『心霊現象』に仕立てることができる。
とはいえ、それが成立しない可能性も、カスミにはわかっている。
人間は暗闇を恐れた。ゆえにそこに、幽霊を作り出した。
つまりこの人魚の怪奇現象は、意図して作り出されたもの。
そう、思いたかった。だけれどそれは、カスミにある事実を突きつけることになる。
「……佐奈、放課後、私の家に来てほしいんだけど」
「うん? なにかわかったの?」
「わかったと言えばわかったし……かえでも恵美子も理沙も呼んで、種明かしをしようと思う」
カスミには知識がある。
科学へのあくなき探求心。人間は目に見えないからこそ幽霊を怖がる。
だったらそれらを、白日の下にさらしてやればいい。
放課後になって、老化したかえでが亀の歩みでカスミの家に歩く。あとから、武田先生と本田先生も合流予定だ。
かえでを心配するように、恵美子がかえでの肩を支えている。
カスミは、かえでを盗み見る。
なにが動機か、なんて、なんとなくは察しがつく。けれど、『隠されたなにか』まではわからない。
だからって、いつまでもこのままでいいわけがない。
カスミの家について、さてカスミは、部屋中をくまなく見て回った。
この部屋に、かえでが遊びに来たことがある。
その時はさして気にも止めていなかったのだが、あの日からかえでは、カスミを『陥れる』算段をしていたのだろうか。
タンスの裏から、トランシーバーが出てくる。
「これが、私の家で起きた、ポルターガイストの正体」
「え? なに? 聞こえない!」かえでが恵美子の腕を引っ張る。恵美子が声を大きく、「あれがポルターガイストなんだって!」とかえでの耳元でどなった。
ここまで来て、『演技』する必要なんてない。かえでの老化は、おそらく――
ふうとカスミは深呼吸する。
「もう少ししたら、武田先生も来る。本田先生も。そう、かえで。この怪奇現象は、かえでが仕組んだ――いや、本田先生が仕組んだものに、かえでが乗っかった」
カスミは、怪奇現象なんて信じていない。
だからこそ言える。これまでの『伝記の』怪奇現象は、一つをのぞいて科学で証明できる。
最初の、鏡についた血の手形。
あれは、透明なビニールのテーブルクロスに手形をかいて、鏡の上にかぶせておいたのだ。
夕日がまぶしかったから、鏡に手形があったと見間違えてもおかしくはない。
その後、武田先生を呼びに行っている間に消えたのは、そのビニールのテーブルクロスをはがして隠したからだ。
セロファンテープのあとがあったのはそのためだ。だとして、あの場に残っていたたのは気絶した恵美子とかえでだ。
二つ目、聖水のアレルギー。
あれは、食物依存性運動誘発アナフィラキシーショック。
これは、普通に食べた分にはアレルギーは起こらないが、ある食べ物――トマトなどの場合が多い――を食べた後に激しい運動をすると、重篤な食物アレルギーが出現するのだ。
かえではそれを利用して、あたかも聖水を被ったがゆえに、体に異常が出たように見せかけた。自分が『本当に呪われている』と周りに信じ込ませるためだ。
となれば、保健室で呪いの人魚に体が乗っ取られたというのも、かえでの芝居だ。
問題は、なぜそのとき、ポルターガイストも起きたか、だ。
「理科準備室で聞こえた声……それは、本田先生が、武田先生と秘密裏に付き合っていたから……あの場所は、いつも鍵がかかっていないから。逢瀬には、ちょうどよかった」
それを、かえでは知ってしまった。知ってなお、武田先生の秘密を守ろうとした。
「かえでは、武田先生に最初から思い入れが強かった。だからこれは、本田先生に強制されたんじゃなく、進んであの理科準備室に人間を近づけさせないように、私たち怪奇クラブを利用した」
それに、かえではカスミが嫌いだった。
どんなに勉強を頑張っても、かえではカスミのようにはなれなかった。武田先生は成績のいいカスミをかわいがった。
魔が差した。
「理科準備室の呪いの人魚の伝記。あれを用意したのは、本田先生。だけど……ある呪いは本物。私もにわかに信じがたいけれど」
カスミの予想外の言葉に、恵美子も佐奈も、かえですらも言葉を失ったようだった。
カスミは、先ほど回収したトランシーバーを手に持つ。
そのボタンを押しても、なにも音がしない。
「このトランシーバーを設置してから、もう何か月もたつ。電池はとっくに切れているんだよ。それでも、かえでは私のポルターガイストは、本田先生が演出したと思っているんでしょう?」
焦りを見せたかえでが、はっとしたようにカスミの背後を見た。カスミの部屋の入り口で、本田先生が笑っている。
カスミが理科準備室に武田先生を探しに行ったことがあった。あの日、あそこには『人ならざる』気配があった。
武田先生と本田先生は、理科準備室で逢瀬を繰り返していた。そこに幽霊が出るという噂は、あながち嘘ではない。
武田先生は、理科準備室に『ひとりで』いた。
「本田先生……私は」かえでの声は、消え入りそうだった。
「あら、気づかれちゃったの。ねえ、かえでちゃん。かえでちゃんはもう、時間がないじゃない」
あの雨の日に、宙に浮いていた顔は、本田先生が鏡を抱えてグラウンドを写していたのだ。
グラウンドという代わり映えしない景色だからこそ、鏡でその姿を『消す』ことができた。
あれは、目の錯覚だ。あの日、保健室に濡れた鏡があったのがその証拠だった。
本田先生は、ポルターガイストを演出できても、七不思議は再現できない。その理由は、かえでにしかわからない。
そのタイミングで、武田先生も部屋に入ってくる。
「なんだ、カスミ? かえで? 本田先生がなんだって?」
「武田先生、本田先生から離れて!」
かえでが叫ぶも、しかし本田先生が武田先生の手を握ると、武田先生はふ、と気絶したのだった。
「かえでちゃん、早く『アナタの代わり』を見つけてこないと、アナタも、武田先生も、いなくなっちゃうわよ?」
本田先生の言葉が、カスミたちにはわからなかった。
わからなかったが、カスミはかえでに詰め寄って、その腕を強くつかんだ。
「かえで! なんで!」
かえでは、武田先生を助けるために、カスミたちを欺いていた。
武田先生は、生徒たちに隠れて本田先生と付き合っていた。
しかし、本田先生なんて教師は、この学校には存在しない。
クラスメイトも、ほかの先生も。みんな、本田先生のことを、『知らなかった』。
「仕方なかったんだよ、私は本田先生に言われて……」
「なんで!」
「なんでもなにも! こんなことになるなんて思わなかったのよ!」
かえでが、制服のシャツをめくって、おなかを見せる。
茶色く、干からびている。まるでそう、まるで。
「人魚の呪い。私だけ、『本当に』かかってるんだ」
カスミも佐奈も恵美子も、なにも言えなかった。
かえでの体は、あの日見た、人魚のミイラと同じく、干上がってきている。
なぜ。
「あのミイラは本物だったんだよ。ご住職も、くれぐれも触らないでって言っていたじゃない……あれは、『触ると人間の正気を吸い取って、人魚が復活する』からなんだって……」
だったら、嘘の伝記を佐奈に教えたのは、かえでが『本当に』呪われていて、その呪いを解くために、怪奇クラブを利用したということなのだろうか。
いや、それならば、最初から事情を話してくれれば、喜んで協力したのに。
そこで、カスミは本田先生のほうを、見た。ぬくい風が頬をなぜる。
本田先生の声が、歌を口ずさむ。
「聞いちゃダメ!」
かえでの言葉に、四人が四人、はっとした。今、なにかに引きずり込まれるところだった。
勘のいいカスミは、それだけで、本田先生の正体を、知った。
「にんぎょ……」
本田先生こそが、かえでから生気を吸い取って生き返った、人魚なのだ。
最初から、この学校に本田なんて名前の先生はいなかった。本田先生の歌――人魚の歌にくらまされていたのだ。ここにいる、武田先生を含めた四人は、あの人魚のミイラをじかに見たから。
かえでが涙を流す。
本田先生が高笑いを漏らしている。
「さあ、残り時間はもう少ないわ! 早く代わりの人間を見つけることね!」
ばち! と電気が一気に消える。
ずる、ずる、とぬめったなにかが階段を降りていく音がする。
武田先生を引きずって、その気配はどこへともなく消えていった。
「かえで、詳しく話してくれるかな」
カスミが放った言葉に、かえではカスミをにらみ見た。
「本当に嫌になる。ここまでやって、人魚の呪いが解けなかったんだから、もう無理よ」
しかし、かえでは、これまでのいきさつを話し出した。
かえでは母親と上手くいっていない。というよりは、不健全な親子関係だ。
母親はかえでを殴り、生活保護だからかえでの肩身は狭い。中学までは、それが理由で周りから陰口を叩かれていたらしい。
そんな中でも、恵美子は唯一、かえでの味方でい続けた。
その恵美子ですら、今回のことに閉口し、なんなら侮蔑の目を向けている。
かえではただ、武田先生の秘密を知ってしまった。




