3-6、呪いの解き方⑥
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カスミの眠れぬ夜はもう三週間以上続いてる。
今日は、かえで抜きで理沙の見舞いに行く予定だった。
恵美子も連れていきたかったが、恵美子は恵美子で、かえでの面倒を見るのに忙しいらしく、誘うこともしなかった。
佐奈とカスミのふたりで、理沙の家に向かう。
理沙の家は五人の中で一番遠い。
都会も都会だった。
高校から遠く、毎日の通学だけでも大変だろう。
だが、それほどまでしてあの高校を選んだのは、あの高校が理数系が強いからだ。理沙は動物看護士になりたがっている。
だから、理数の強いこの高校に進学した。
それは、カスミも同じだった。カスミもまた、この高校で得意科目である理数の勉強を深めたかった。
「理沙、こんなに時間かけて通学してたんだね」
「だね。事故ってかえでは言っていたし……これだけ乗り継ぎ多かったら、事故にあう確率も上がるよね」
バスで駅まで行ってから、電車で一時間。
さらにそこからバスに乗って三十分。がたがたと揺られると眠気が襲ってくる。
夜は眠れないっていうのに、こういう時に睡魔は襲ってくるのだから、人間の身体もあまのじゃくだ。
「ついたね」
「うん。私、こういうごみごみした町初めてだから、緊張する」
ピンポン。
チャイムを鳴らすと、ガチャリとドアが開いた。
その先にいたのは、理沙である。理沙の両親は共働きらしく、今は家にいないのだと理沙が力なく笑った。
そしてかえでから聞いた話、理沙は人魚の呪いで事故に遭ったらしいが、その割、理沙に怪我などはない。
「あれ、ふたりとも、どうしたの?」
「え、っと……お見舞いに」
「ええ、ありがとう。上がってって」
理沙が玄関を全開にして中に促すと、ようやく理沙が学校を休んでいる原因が見えた。
湿布のにおいが鼻をかすめる。
足を引きずって、理沙は器用に家へと入る。
「理沙……足……」
「ああ、これ? これね、階段から落ちて、くじいただけ。でも、通学が少し遠くてしんどいから、ある程度傷みが引くまで、一週間休む予定だったんだけど」
しかし、かえでから、今は学校に来ないほうがいいと言われたのだそうだ。
「今、人魚の呪いが……大変だって聞いてるし……正直、私も呪いの人魚のことは考えたくなかったから、この怪我は不幸中の幸いかなって」
「そう、なんだ……そうだよね、私のせいでこんなことになってごめん」
「え、なんでカスミが謝るの。あの怪奇現象は不可抗力だよ……それに、かえでも、きっと弱っていたから呪いの人魚につけこまれたんだよ」
でも、かえでから聞いた話によれば、理沙のけがは事故だったはずだ。なにかがかみ合い始めている。
かえでは理沙の怪我も、呪いの人魚の呪いのせいにしたかった? だから理沙は事故に遭って意識不明だと嘘をついた?
そもそも、かえではひとりで理沙の見舞いに来たと言っていた。
だが、今聞いたところによれば、見舞いに来たのはカスミたちが初めてのようだった。
武田先生も、理沙の見舞いには来ていない。
「かえでが弱っていたって?」佐奈が言った。
「あ。うん……勝手に話していいのかわかんないんだけど」
少し前、かえでと町中で出くわした時、かえでが母親に殴られていたのだそうだ。
「あれ、虐待っていうのかな。日常的に殴られたり、暴言、とか? なんか、かえでの家って訳ありらしくて。だから……人魚に呪われても、死を受け入れてる部分、あるじゃない」
「あー……思い当たること、あるね」
佐奈が同意を示す。
しかし、カスミはなにかが引っかかる。
なにか、というよりは、かえでがかえでたるゆえんを垣間見た気がした。
かえでがはじめ、カスミを目の敵にしていたのは、単に武田先生に特別な思いを持っていたからだと思っていたのだが、そうではない。
あれは、恋慕だけでなく父性も求めている。
だからこそ、それを独占したくて、武田先生にかわいがられているカスミに敵意を抱いていた。
「あ、ごめんね、こんな話。かえでには、内緒にしてね?」
「うん。でも、理沙が元気そうでよかったよ」
「……でも、私もこの怪我は……呪いの人魚のせいだと……」
三人が三人、黙り込む。
そもそも、人魚の呪いにかからなければ、この怪我はしなかった、と理沙は言いたいらしい。
「この怪我したときね、実は……誰かに押されたの、階段を下りているとき」
「え……」
「それが、呪いの人魚なんじゃないかって、私、外を歩くのが怖くって。このままじゃ、学校も留年になっちゃうのに、私、呪いの人魚が、怖くて……っ!」
怖がりの理沙なりに、頑張って学校に通っていた。なのに何者かに怪我を負わされて、学校に行けなくなってしまった。
カスミは歯噛みする。
こんなこと、あっていいはずがない。
けれど実際、カスミの家でもポルターガイストが起きているのだから、それはもう、あの呪いの人魚が――
「理沙。理沙の部屋では……その、怖がらせるつもりはないんだけど、理沙の部屋では、ポルターガイスト、起こってないの?」
「え? ないよ。てか。その口ぶりだと、カスミの部屋では……?」
「あ、違う違う。私もそういうのは、ないよ」
嘘をついた。隣の佐奈までもが、不安げにカスミを見ている。そうだ、あのポルターガイストは、カスミの家でしか起こっていない。
だったら、カスミがなんらかの呪いのトリガーを引いたということだろうか。
「あんまり長居したら悪いから、もう帰ろう。ね、カスミ?」
「あ、うん。理沙、とりあえずよかった。呪いの人魚のことは、私が絶対にどうにかするから。そうしたらまた、学校で会おうね」
カスミはつとめて笑顔で理沙に別れを告げるのだった。
不謹慎であることはふたりにもわかっていたし、そんな気分でないのは百も承知だ。
しかし、佐奈とカスミは、せっかく都会に来たからと、町を散策してから帰ることにしたのだった。
ひとがあふれて、ここなら呪いの人魚も来ないだろう。
呪いの人魚はじめじめした陰鬱な場所を好む。
「わ、クレープにタピオカまである」
「だね、あ、私あの飴食べたい」
カスミが興味津々にクレープのメニューを眺めている間、佐奈は飴を買ってくる。
飴は、よくあるぺろぺろキャンディで、薄紫が佐奈の、パステルピンクがカスミの分だ。
佐奈はツナのクレープを、カスミがチョコバナナクレープを頼んで、近くの席に二人で座った。
大きな口でクレープにかじりつくと、いくばくか不安や恐怖が和らいだ気がした。
「おいしいね」
「うん……私、久々にご飯食べたかも」
「クレープはご飯じゃないでしょ」
「でも、私のツナだし」
佐奈ははあ、と息を吐いて空を見上げた。
秋の空は小雨を降らし、なのにふたりは、傘もささずに外の椅子でクレープにかじりついている。
滑稽で、佐奈が笑った。
「佐奈?」
「うん。私がさ、怪奇クラブなんて立ち上げたから、こんなことになっちゃって……理沙、ちゃんと学校来られるよね?」
「大丈夫だよ。人魚の呪いなんて……」
ないんだから、と言いたかったのに、最後まで言葉にできなかった。
カスミは、また大きな口でクレープにかじりついて、頬を熱いものが伝った。
「私、友だちなんて必要ないって、ずっとそう思ってきたけれど」
「うん」佐奈も鼻声だ。
「でも、私。友達になにかあったら心配だし、助けたいって、思うよ」
「私も。私のせいでこんなことになって。このままみんなが死んじゃったら……!」
ざあざあと、小雨が本降りになってくる。
ふたりの制服に水が染み込んで、重みを増して、沈んでいく。
雨の中、ふたりは泣きながらクレープを食べる。
制服が重くて仕方がない。リュックの中の教科書やノートは、きっと濡れてしわしわになるだろう。
それでも今は、この雨に濡れて、すべてを洗い流したかった。
雨が本降りになってくる。
ふたりは最寄りの駅までバスで移動して、電車の時間を確認する。
一時間後のようだ。
「どうする? 待つ?」佐奈がカスミに決定権を委ねた。
「一時間って微妙なんだよね……あ、ねえ。でも、かえでの家に向かうバスは、あと十分で来るみたいだよ」
「え? かえで?」
「いや……なんかさ。理沙が事故で意識不明って、なんで嘘ついたのかなって。聞いてみたくて」
「……呪いの人魚に呪われたから、理沙のことも呪いの人魚にそそのかされて、間違った情報になっちゃったんじゃない?」
それにしては、おかしい。
かえでは理沙の事故のこと以外は、いたって普通に情報を処理出来ている。
恵美子の話によれば、授業は普通に受けているのだとか。
「じゃあ、私ひとりで行こうかな」
「ええ、行くよ。私も行く」
佐奈が「水臭いな」とカスミを肘で突っついた。
もうだいぶ、ふたりは友達で親友で、相棒になれたようだった。
隣駅の電車に乗って、カスミと佐奈はかえでの家を目指す。
佐奈が、入部届けに書いてあった住所をメモしていたのだ。
「さすが佐奈。人望と責任感は誰にも負けないよね」
「まあね。部員になにかあったら、家に知らせるのも私の役目だし」
そうして、たどり着いたのはとあるアパートである。
そのアパートの外観は、
「えーと、すごい、古いね」カスミの遠慮のない物言いに、佐奈は小さくうなずいた。
「うん……ひと、住んでるのかな」
二階の二〇二室がかえでの部屋だ。どうにも、ここに本当に人が住んでいるのかも怪しい。
『この、役立たずが!』
『お母さん、落ち着いてください』
『なんだい、こんな男連れてきたって、なにも変わらないんだからな!?』
二階の部屋――かえでの住んでいるであろう二〇二号室から争う声が聞こえた。
カスミと佐奈は顔を見合わせて、しかし、物を投げつける音に、ふたりはその部屋に駆け付けた。
鍵がかかっておらず、開け放ったドアの向こうには、かえでの姿があった。
その隣には、武田先生が正座をして、おそらくかえでの母親であろう人物に頭を下げている。
「タケセン……?」
「な……!? なんでカスミと佐奈が!?」反応したのはかえでである。かえでの手に、あざができている。
見れば、うまく顔や足などは避けて、かえでの体に『暴力の』痕が見て取れた。
武田先生は、かえでが風邪で休んでいる間、毎日かえでの見舞いに行っていた。
それはおそらく、かえでが『虐待』を受けていると知ってしまったからではないだろうか。
憶測にすぎない。そう、決して武田先生は――
「かえで、逃げよう」
「逃げる? ここが私の家なのに?」
「だって、かえでのお母さん、かえでを殴って――」
カスミの正論が、かえでは大嫌いだった。
愛されて育っためでたい人間。
カスミはかえでの手を取る。
しかしかえでは、その手を振り払った。
「見下すなっ!」
「かえで?」
「お母さんは、怒るとこんなんだけど、普段は優しいんだから!」
そんなこと、聞いてもいないのに。
それが虐待の典型的なパターンだって、かえでも知っているはずなのに。なのにかえでは、見栄を張った。
誰かに助けてもらうほど、自分は落ちぶれていない。
「武田先生も……今日は帰ってください」
「かえで、だが」武田先生がなんでこの家にいるのか、カスミと佐奈にはわからない。
しかし、武田先生はそっと立ちあがって、カスミと佐奈を連れ立ってかえでの家を出ていった。
「オマエたち、電車か?」
「はい」
「じゃあ、車で送ろうか?」
武田先生の、あの大きなワゴン車が駐車場に見えた。
佐奈とカスミは顔を見合わせて、しかし首を横に振った。
「あと三十分もしないで、電車が来るので。電車で帰ります」
「そうか。気を付けるんだぞ」
「あの」カスミが武田先生を引き留める。
「なんだ?」
「武田先生は、なんでかえでの家に……かえでとはどういう関係なんです?」
しかし、武田先生はなにも言わない。
一拍おいて、またカスミが口を開きかけて、佐奈に止められた。
「タケセンもショックでなにも言えないでしょ……かえでが決心しなきゃ、誰も助けられない」
ここからは、海が見える。けれど、カスミの家ほど近くには見えない。
なのに今日は、その海がみんなを慰めるように、清らかな声で歌を歌っていた。
帰りの電車は、無言だった。
無理もない、あんなものを見たえら、なにも言えなくなって当然だった。
「わっ、スズメバチ!」
しかし、電車内に紛れ込んだ虫に、乗客が慌てふためき避難する。佐奈とカスミも慌てて立ち上がって隣の車両に移動した。
スズメバチは、乗務員さんが捕まえて外に逃がしていた。
「スズメバチって、危ないよね。あれ、アナフィラキシーで死に至るから」
カスミはどこか他人事だった。
「アナフィラキシー?」
「うん。一回目は大丈夫なんだけど。スズメバチの毒に一度犯されて、二度目にその毒に刺されると、ショックが起きて命にかかわるの」
「へえ。食物アレルギーみたいなもの?」
「まあ、そうだね。あれも免疫反応だから。食物が関係したアナフィラキシーも存在するし」
例えば、あまり知られていないものでは、食物依存性運動誘発アナフィラキシーショック。
これは、トマトなど特定のものを食べた後に、激しい運動をすることで発症する、食物のアナフィラキシーだ。
「うん?」
「どうかしたの、カスミ」
「いや、なんでもない。疲れているのかな」
人間の体は面白い。
アナフィラキシーもアレルギーも、人体の不思議に他ならない。
だからこそ、カスミは理数の勉強が好きだ。
そして、この知識をもってしても、呪いの人魚の正体が、暴けない。
翌日、カスミはスマホをかじりつくように見ながら、登校してきた。
教室に入っても、佐奈に目もくれずに、カスミはただひたすらスマホを見ている。検索するのはただひとつ、『人魚の呪いを解く方法』。
昨夜も家の中に『不可解な』音が響いた。
頭がぼんやりする。
そういえば、あの怪奇現象は、かえでや佐奈と一緒にいるときは起こらない。いや、学校でも怪奇現象は起きたことがある。
保健室でのことだ。あそこでかえでは呪いの人魚に体を乗っ取られ、カスミたちに言ったのだ。『呪いの人魚を起こした』と。
「かえでは?」
カスミが張りのない声で佐奈に聞くと、佐奈はカスミよりも消沈した声で、
「隣のクラスの席に座って、机に突っ伏しているよ。もう、立ち上がるのもしんどいみたい」
だが、かえでは隣のクラスだから、どういう症状なのか、実際に見ていない。
恵美子に又聞きするか、かえでの申告でその呪いの状況を知るのみである。
頭がしんしんする。
人間は暗闇を恐れ、だからそこに幽霊が出るようになった。その考えは、今も変わらない。だとしたら、かえでに起こっていることも、佐奈の不安も、思い込みであるはずだ。
しかし、科学がそれを否定した。ルミノール液は、あの伝記のあのページを、血であると強く証明してしまっている。
「それは誰の血?」
「え、カスミ、ひとりごと大きいよ」
「ごめん」
気になるとおとなしくしていられない性分で、カスミは部室に走り、あの伝記を開いた。本当は、触れることすら忌々しいそれ。赤い血がべっとりついたページを探す。
秋雨のじめじめした空気のせいで、ページが濡れてよれている。
「あのページは……」
開いて、もう一度よく読んでみる。しかし、呪いの人魚の記述以外になんら手掛かりはなさそうだ。
もう一度読む。うむ、と腕を組むと、伝記がはらりと閉じられる。
昔の人は、本を読むのに文鎮を使ったのだよな。
そんなことを考えながら、カスミは部室にあったふるびた文鎮を伝記の上に置いた。
ページは血のほかに、古ぼけて茶ばんでいる。雨の湿気で文鎮が濡れる。
「ん……?」
よほどいいものなのだろう、これは南部鉄の文鎮だろうか。文鎮がしとって、ページをぬらす。
そのページに触れた部分が、黒く変色していくのがわかった。
「え……?」
鉄は、タンニンと反応すると黒く変色する。お茶に釘を入れると真っ黒になる実験をしたことがあった。
それと同じ原理だとしたら。
この文鎮が黒く変色する理由が、この伝記が『意図的に』古びた色をしているのだとしたら――紅茶染めという手法がある。手っ取り早く、新しい本を古い色に仕上げる手法だ。
ほかのページにも、同じような黒い直線は、あった。
カスミは確信する。
この伝記は作り物の古びた色だ。文鎮が黒く汗をかいている。
「なんだ、この伝記は……偽物……!」
だったら、ルミノール液の反応に、なぜかえでは反応したのだろうか。




