3-3、呪いの解き方③
理沙は翌日も、翌々日も学校を休んだ。
結局理沙は二週間も学校を休み続けている。
カスミは心配になって理沙に連絡をしているが、一向に返事はない。
そしてもうひとつ、不可解なことが加速しつつある。
「ねえ、かえで」
「あん? なに? 聞こえない!」
「だから! 最近変だよ!?」
最近のかえでは、あの日を境に不可解な行動が増えた。
四人で集まる放課後の部室で各々の席に座り、だけれど、あの日のことは四人の間でも暗黙の了解で、一切触れることはなくなった。
ここまで手を尽くしてもなにも解決しない、それに、かえでの件だって呪いの人魚憑きだったのかうやむやになってしまったのだから、それ以上なにをどうする必要性もないからだ。
そもそも、誰が誰を蹴落として逃げたとか、誰がいち早く逃げ出したとか、そんなあら探しをすることさえはばかられた。
今はもう、あの日のことを思い出すだけでも身の毛がよだつ。
加えて、もう二週間も理沙が休んでいると来たから、カスミは気が気じゃなかった。
もしかすると、あの日、カスミが鏡に被せてあった布をとったせいではないだろうか。
もっと言うと、ほかの四人の静止を無視して、カスミが半ば強引に理科準備室への肝試しを決行したせいかもしれない。
カスミは自責の念と、あの日のことを忘れたい気持ちとで板挟みになって苦しんでいた。
ダメ押しに、昨日はかえでの呪いの人魚を祓おうとして、失敗した。
あの聖水では効かないのだ、あるいは、あれは本物の聖水ではなかった?
「佐奈、あの伝記、まだある?」
悩みに悩んで、カスミは『その話題』に触れる道を選んだ。
あの理科準備室に忍び込んだ後、かえでに言われた言葉がある。『アンタは呪われてない』
暗に、かえでだけでなく佐奈や恵美子、休んでいる理沙も呪われていると言いたげな言葉だった。
カスミの言葉に、かえでは耳をこちらに向けて声を大きく聞き返した。
「んえ? 電気? 点いてるじゃん」
「電気じゃなくて伝記。本。あの呪いの人魚のことが書いてあった本!」
カスミが業を煮やして、今度は佐奈に言うと、佐奈は明らかにいやそうな顔をした。
だが、カスミは佐奈をせっつくように、「早くして!」ともう一度声を張り上げる。佐奈はしぶしぶクラブの部長席の引き出しの中から、『例の本』を取り出した。
どうやっても、この伝記から話題をそらしたいらしかった。
カスミは乱暴にそれを佐奈の手から奪い取ると、ぺらぺらと流し読みしてなにかを探している。
カスミは呪いの人魚についての記載がほかにあるのかもしれない、そう考えたのだ。
しかし、それらしき記載はどこにもなく、カスミはぱたんと本を閉じた。
嗅ぎ慣れたような、古本のような、独特のにおいがあたりに舞った。
伝記のページのところどころに、黒い直線のシミが見えた。
かえでは背中をまん丸にして、震える手を握り締めてカスミの様子を見ていた。
「カスミ、気が済んだ? もうあのことは忘れよう?」
佐奈が本を自分のほうに引っ張り寄せる。
だがカスミは気づく。いつも自信満々な佐奈の表情が暗いことに。それだけじゃない、恵美子もかえでも、どこか様子がおかしい。
少しずつ、少しずつではあるが、カスミ以外の三人の様子が変化していたことに、カスミは気づいた。
耳が遠いし、体がだるそうだ。疲れから来るのか、あるいは――
「かえで、最近変じゃない?」
「え、そんなわけないじゃん」
「恵美子も佐奈も。私になにか隠してない?」
詰め寄るカスミに三人ともたじたじである。あっちにこっちに顔を動かし、しかし三人は、顔を見合わせてこくりとうなずくと、
「そういうカスミは、なにもないの?」
そう、切り出した。
「なにもないって……どういう意味?」
思い当たることといえば、最近かえではいつもうとうとするようになったこと。
きっとそれは、あの日の恐怖からいまだに夜も眠れていないせいだとカスミは思っていたのだが、どうやら話はそう簡単ではないようだ。
カスミは前のめりに、三人に詰め寄る。
「三人は、なにかあったの?」
核心を聞けば、佐奈が恵美子とかえでに目くばせする。
そうして、恵美子とかえでが「どうしよう」と弱音を吐いた。
しかし、三人の視線の先に『例の本』があることにカスミはすぐに気付く。
カスミは意を決したように『例の本』を手に取って、ぺらぺらとページをめくっていく。
今度はじっくりと、一枚一枚を端から端まで目に刻み込む。
そうして、カスミはとあるページを見開きにすると、右側のページを指さした。
「ダメ!」
佐奈が叫ぶ。
だがカスミは止まらない。
カスミは目を凝らす。よくよく集中して見ると、ページが糊付けされてくっついていることに気づく。
そこからは速かった。
カスミは佐奈の静止もむなしく『例の本』のとあるページの糊を慎重にはがしていく。
ベリベリ、ベリ。
紙をはがす音が部室に響く。妙な緊張感と不気味さを醸し出しながら。
「え……血……?」
はがし終わって、カスミは一瞬たじろいで、『例の本』から手を放す。
べっとりくっついていたのは糊のせいではない、血のような赤い液体のせいだったようだ。
カスミはその真っ赤なページに書いてある、血文字を読み上げる。
「丑三つ時……理科室の鏡を覗いたもの、は……? ええと……呪いの人魚に生気を吸い取られ……」
「人魚の呪いによって死ぬだろう」
最後まで読まずとも、佐奈が代わりに結末を暗唱した。
「っ!?」
バッとカスミは『例の本』を床に払いのけた。
バササ、と広がり落ちるその本を見て、カスミの息が上がっていく。
かえでがあきらめたように笑っている。かえでだけじゃない、佐奈も恵美子も。
「カスミはまだ、体に変化ないんだね。変なことも起きてないの? そりゃあそうか。このページを最初に見たのは、私だもんね」
かえでが不安げに言う。
佐奈と恵美子もまた、不安げな面持ちでカスミを見ていた。
そんなはず、ない。これはなにかの間違いだ。このページの血は、きれいな赤色をしている。血ならば、乾くと茶色みを帯びるはずだ。鉄臭くもない、これは、血ではない。そうだ、それを証明できれば、この三人も、正気に戻るはずだ。
正気? そんなもの、とっくにカスミだって失っている。
呪いの人魚の鏡を見にいったあの夜から、カスミたちは誰一人として正気なんかじゃない。
「ねえ、このページ、私調べてみたいんだけど」
「調べる? この伝記は本物だよ。もうやめようよ、なんでカスミは、なんともないの? なんで私だけ、こんな目に遭うの?」
かえでが怒り、カスミの胸倉をつかんだ。
だって、そうだ。せめてカスミだけでも正気でいなければ、誰がこの悪夢を終わらせるというのだろう。
カスミはかえでをまっすぐに見る。
かえでは敵意に満ちた目をカスミに向けていた。
「これが血だったら、色が鮮やかすぎる」
「そういう呪いなんだよ」
「違う。呪いなんて存在しない。ルミノール液って知ってる? よく推理ドラマで、血痕を調べる薬液。あれを武田先生に頼もうと思う」
つまり、ルミノール液と消毒液と血液を混ぜると、血液の成分が反応して光るのだ。
しかし、かえでも恵美子も、佐奈までも、カスミに白い眼を向けている。
どうやったって、この伝記を信じている三人と、唯一信じていないカスミ。
最終的に折れたのは、佐奈だった。
ふうと息を吐き出して、仕方ないな、とつぶやくのだった。
「そうだね。こういう時のために、カスミを怪奇クラブに誘ったんだし。気が済むまでやればいいよ」
その足で、武田先生に薬液を頼みに行くのだった。
「ルミノール液? なら、理科準備室にあるが……なにがあった?」
「あ、あの」
伝記のことを言い出せず、カスミが答えあぐねていると、かえでがにこやかに武田先生に耳打ちした。
まるで先ほどまでの呪いなんてなかったかのように、かえでの顔色が、よくなっている。気がする。
「怪奇クラブの活動です。血の付いた伝記のそれが、本物の血なのか、調べるんです」
「……まあ、いいが。俺も立ちあいでやることが条件だぞ?」
かえでの口利きで、武田先生の立ちあいの下で、伝記の血の検証が行われる。
「うそ……光っている」
しかし、カスミの行動は、結果的に三人の不安を助長させただけだった。
血糊のついたページを破いてビーカーに入れて、そこに消毒液とルミノール液を入れる。
混ざるとそれは、うっすらとした光を放っているのだった。
「なんで……」と言ったのは、かえでである。
「動物の血かな? そもそも、理科準備室の伝記も、きっといわくつきなんだろうな」
武田先生が用具を片しながら、何の気なしに言った。
血だったからと言って、人間のとは限らない。
だけれど、ここまで出そろってしまったら、この伝記は『本物』だとカスミが証明したも同然だった。
カスミの身体が震える。
この世には、目には見えないものが本当に存在するのだろうか。
そう、怪奇クラブで赴いた、ほかの七不思議のように。カッパも人面犬も、工事現場の生霊も。あれらは確かに、本物だったのだ。
「カスミ、行こう」
「佐奈、私。怖がらせるつもりは、なくて」
「わかってる。わかっているよ。みんな、カスミが本当は友達思いだってことくらい」
だけれど、ルミノール液は如実にそれが血液だということを物語っている。
それが心底恐ろしくて、なのにカスミは、どこか引っ掛かりも感じるのだった。
ルミノール液に光るには、血だけ、なのだろうか。血だから、光ったのだろうか。血だとして、人間の?
「かえで、普段通りにふるまっているけれど、人魚の呪いが進んでいるみたいで。体がだるくて、今も苦しいんだって」佐奈がカスミに耳打ちする。
「そん、な……どうやったら、人魚の呪いは解けるの?」
「それは私にも」
言われてみれば、ずっとずっとこの三人はおかしかった。
あの日の翌日から、日に日に行動がおばあちゃんのようになっていた。
だが、それがよもやあの日のことと関係しているだなんてカスミには思い至らなかった。
でも、ひとつ引っかかる。この人魚の呪いだけが、ほかの七不思議とは違って、カスミたちに直接害を及ぼす。
カスミは怪奇現象を信じていない。はずだった。
「かえでは、あの日の翌日にこのページに気づいてて……どうやら、このページに気づくことが、呪いの発動条件みたい……だから黙ってた」
そんなこと、もっと早くに言ってくれたら。
そう思うも、佐奈の静止を無視した手前、カスミはなにも言い返すことができない。
だったらカスミもまた、生気を吸われて死んでいくのだろうか。
いや、しかし。
恐怖で眠れぬ日が続けば、おのずと生気もなくなるものではなかろうか。
例えばその体調不良を、呪いの人魚のせいだと思い込んでいたり。
そう、暗闇を恐れるがゆえに、人間がそこに幽霊を作り出したように、この呪いもまた、思い込みでできたものではないのだろうか。
悪あがきと言ったらそれまでだ。だけれどカスミは、最後まで希望を捨てたくない。
「実は、これはカスミには言わないって恵美子とかえでと決めてたんだけど」
佐奈は言いにくそうに、だけれど、ここまで知ってしまったからには、もうどうにでもなれとでもいう気持ちで、すべてをカスミに打ち明けることにした。
「理沙。ずっと休んでるでしょ。あれ、実は事故に遭って意識不明なんだって……」
「え? そんなはずないじゃん。だって武田先生は体調不良で休みだって」
「それは表向きにはね。でも、理沙と連絡取れないからおかしいなって、かえでが、理沙の家に行ったんだよね。そしたら――」
「わ、私のせいじゃないからねっ!?」
追い込まれたとき、ひとは本音を漏らすというが、今がまさにそれである。カスミは思わず、理沙の心配より先に、自分の保身に走った。
佐奈も恵美子もかえでも、冷ややかな視線をカスミに向けている。
カスミはいたたまれなくなってくる。
もしも理沙の事故があの日の呪いだとしたら、まぎれもなくそれは自分のせいだ。あの時素直に引き返していれば、こんな思い、しなくて済んだ。
なにより、これから先、自分の体にも佐奈や恵美子、かえでのような生気がなくなる――老化現象や怪奇現象が起こるのかと思ったら、いてもたってもいられなくなった。
悠長にクラブ活動をしている場合ではない。
カスミは鞄を乱暴に肩にかけて、部室を走り出た。
なんとか呪いを解く方法はないだろうか。
神社のお祓い、あるいは霊能力者に頼む?
だとして、カスミにはそんな大金用意できるはずがない。
このことを親に相談するにしても、信じてもらえないに決まっている。
どうすれば、どうすれば。
家に帰り、自室に駆け込む。
この場所は落ち着く。カスミだけの部屋だ。ここには大好きな音楽もあるし、心霊現象が起きるようなじめじめした間取りでもない。
なにより、今まで一度もそういった怪奇現象をこの部屋で経験したことがないわけだから、自分は自覚がないだけで、霊を跳ね飛ばすなにかがあるのではとさえ思った。
怪奇現象はいまだに続いている。
しかしそれは、学校に限ったことである。
それはいつも、怪奇クラブの誰かと一緒にいるときに起こった。
つまり、呪われているのは自分ではなく、ほかの誰かなのだ。
そもそも、この『呪いの人魚』の七不思議だけが、不可解なのだ。唯一害を及ぼすし、伝記という形で伝承されている。
ほかの七不思議は、カスミたちに危害は加えなかったし、伝記なんてものも存在しない。つまり、この呪いを解く手がかりもまた、伝記。
「大丈夫、大丈夫」
布団にくるまって自分に何度も言い聞かせる。
カタタ、ヒュウウ。
急に部屋のなかが寒くなったように感じた。それに、音だ。あの日、理科室で聞いたのと同じ、あの不可解な鳴動。
『うふふ、あははは』
昨日までカスミはこの部屋で、一切の怪奇現象を経験したことがなかった。
それなのに、なぜこのタイミングでこんな『声』が聞こえてくるのだろうか。
やはり、『例のページ』を見てしまったからだろうか。
布団を頭からかぶり直す。
しかし、音は止まらない。
カスミの耳に聞こえるそれは、カスミを恐怖へといざなった。
「やめて」
『ねえ、ねえ。あなた、本当は見えてるんでしょ』
「やめてってば!」
布団を放り投げ、カスミはベッドを降りる。
そうして部屋の中を荒らすように、声の出所を探していく。
「どうせ、どっかに隠れてるんでしょ!? 出て来なさいよ!?」
『こっち、こっちだよ』
「う、ぁあああああ!」
あまりの騒ぎに、カスミの両親が部屋に駆け付ける。
取り乱したカスミは、布団にくるまって、ただただ恐怖におびえていた。




