3-2、呪いの解き方②
帰路につき、海辺に四人が集まった。
今日も理沙は学校を休んでいる。
聖水を手に、かえでがふうと深呼吸する。
どこで聖水を試すか話し合って、周りに人がいない海辺を選んだ。
教会から近かったし、なにかあったら教会に引き返せる距離だからだった。
結局、カスミたちは呪いの人魚に対抗する手段を持たないし、万が一があったら大人に頼らなければ生きていけない。
悔しい。早く大人になりたかった。
「かえで、大丈夫、だとは思うけど」
佐奈がかえでの手を握る。
かえでも泣きそうな顔でその手を握り返した。
聖水の入った小瓶がちゃぷんと揺れる。
かえではそれを握りしめて、佐奈から手を離した。
佐奈とカスミ、恵美子から距離を取ったカスミが、かすかに笑った。
強がりのようにも見えた。
「もしも私が人魚に乗っ取られたら、その時はさっきの教会の人に殺してもらって」
かえでの覚悟は固い。
目に涙をためて、かえでは聖水を頭からかぶった。
波がざばんと音を立てて、そのままなにもかもを飲み込んでくれたらいいのに。悪いものを持ち去って、全部が海にかえればいいのに。
カスミは、足元に寄せては引く波を見てから、かえでの方に目を向けた。
かえでは頭から肩までびしょぬれで、だけどそれ以外は、なにも、『ない』。
つまり、かえでの体に変化はない。
ならば。
「ん……なんとも、ない?」かえでが自分の両手を見る。
そういえば、かえでは教会から出てくるときに、トイレに寄っていたけれど。その時カスミも一緒にトイレに行って、かえでは心を落ち着かせるためか、なにかを口に含んで、嚥下していた。
赤いもの。
「本当に? 本当にかえでなの?」
恵美子はことさらかえでと仲がいいから、先ほどから言葉に詰まっていた。
ようよう振り絞った声音は震えている。
恵美子がかえでに近づく。
かえでは恵美子を、避けなかった。
二人が抱き合う。
かえでは恵美子と佐奈、そしてカスミを見て、うなずいた。
「大丈夫、だいじょうぶだ!」
かえでがその場に跳ね上がり、そうして海辺を走っていく。
恵美子の腕を離れて走って、波打ち際を全力で駆け抜ける。
秋雨の合間の晴れ間、今日は湿度はあるが日差しが強く、波が涼やかですがすがしい。
その波際を、靴を脱いでかえでが走り抜けていく。恵美子がそれに続き、佐奈も走る。
かえでと犬猿の仲のカスミですら、その海岸を走り抜けていた。
ざあざあと海が歌っている。
美しい歌だ。
かえでの耳に、美しいメロディが流れている。
海の向こうで、誰かが呼んだ。
おーい、おーい、ここにいるよ。
「あはは、なんだ、なにもない! 呪いの人魚は消え去った!」
そのうち、浅瀬に足をつけて、四人は海水を掛け合ってじゃれあった。
じゃぱじゃぱと水を頭からかぶって、四人で無事を喜んだ。
この後、理沙にも連絡を入れるつもりだ。
もう、呪いの人魚はいなくなったと。
小一時間、あっちに走ってこっちに走り、四人が四人、油断していた。
突如、かえでの息が上がり、その場にうつむいた。
「かえで?」
恵美子がすぐさまかえでに走り寄る。
かえでが口からなにかを吐き出した。それは赤色をしていた。どろりとしたそれが、かえでの口からしたたる。
かえではえずき、苦しそうに目に涙を浮かべていた。
「血!? え、血!?」
吐しゃ物は波にさらわれ、困惑する恵美子がかえでの体をゆする。
かえではその場に倒れ込む。息が苦しいのか喉をかきむしっている。体には、赤い発疹。
波がかえでをさらおうとする。
すんでのところで、カスミが駆け寄って、かえでを海から奪い返した。
「え、え?」
佐奈はその場に立ち尽くし、恵美子もなにもできない。
しかし、カスミはすぐさま動いた。
かえでを浅瀬から砂浜に背負って移動し、その体をつぶさに見る。
赤い発疹。これは。
「蕁麻疹?」
「ああ、あああ。おまえら、ころしてやる、ころして……!」
「きゃああ! 呪い! 聖水を掛けられて怒った呪いの人魚がかえでを殺そうとしてる!」
取り乱す恵美子のせいで、カスミも冷静ではいられない。
そうだ、救急車を呼ばなければ。
かえでの口元に、赤い液体がついている。吐しゃ物の残りだ。
血ではない……赤い食べ物? そういえば、教会のトイレで――
思考がまとまらない。
カスミは考えるよりも先に、佐奈に叫んだ。
「佐奈、救急車を呼んで!」
「だ、だって、呪いの人魚の仕業なら、救急車なんて」
「これは、アレルギーだよ。食物アレルギー……」
だとして、赤いもの……トマトや唐辛子か、あとはイチゴやそのゼリー?
佐奈がうろたえてなにもできないため、カスミが立ち上がってスマホで救急車を呼ぶ。
その間、かえでは呪いの人魚に乗っ取られたように、意味不明な言葉をつぶやき続けていた。
病院に搬送されて、武田先生が駆け付ける。
かえでの母親は、来なかった。
恵美子に聞いた話、かえでは母親との折り合いがよくない。
だからか、とも思う。
かえでがあんな風に、カスミに突っかかったのは。
無条件に愛されるカスミを、疎ましく思ったのだろう。
自分は母親の愛情すら確信できていないのに。
「なにがあったんだ!?」
武田先生は真っ青な顔で、かえでを心配そうにのぞき込んだ。
今では、かえでは武田先生の気に入りらしく、よく休み時間にも無駄話をする中になったのだと聞く。
だから、かえでが風邪で休んでいる間、武田先生は毎日お見舞いにも足を向けた。
「あ、本田先生も来てくれたんですね」
「ええ、体調が悪いと聞いたから……見るに、アレルギーかしら?」
しかし、かえでにアレルギーの既往はない。
さっきも、アレルギー検査をしたのだが、かえでに食物アレルギーなどひとつも見つからない。
医者も疲れが出たのだろうとの見解だったが、本田先生もわからないようで、ベッドに横になるかえでの頬を、心配そうにひと撫でした。
「かえでさん。最近おかしかったものねえ」
「本田先生?」
「呪いの人魚とか……アナタたち、夜の学校に忍び込んだ後ろめたさから、自己暗示にかかっているのかも……いいえ。これはきっと、やっぱりなにかよくないものを呼んだのかもしれないわね。だからもう、理科準備室に行っちゃだめよ?」
前に武田先生にも念を押された。
夜の学校――理科準備室に行っちゃだめ。
そう、ただの親切心から来る注意だ。
なのにカスミは、一抹の不安を感じている。
なにかが、不自然だ。
「武田先生、と、本田先生。は、こんな遅くまで、仕事ですか?」
「ん? ああ、オマエたちから連絡があって、たまたま本田先生も仕事で残っていたから、一緒に来てもらったんだ」
「そうなんですね……かえで、大丈夫でしょうか」
カスミの言葉に、武田先生はカスミの肩を抱いた。
本田先生は、カスミの肩を抱かなかった。
「大丈夫、すぐに良くなる」
しかし、かえでは呪いの人魚憑きで何日も学校を休んでいたし、聖水をかけてアレルギーのような症状が出るなんて。
なぜ、かえでばかりがひどい目に遭うの、と恵美子が涙を流しているのが妙に頭に残った。
各々帰路につくも、やはりどこか不可解だ。
カスミを除く怪奇クラブのメンバーは、なにかカスミに秘密を持っている気がする。
もしかすると、呪いの人魚に関する情報なのかもしれないし、それ以外の怪奇現象根本に関する情報なのかもしれない。
カスミの足取りは重い。
のろのろと歩いて、みんな、家に帰りたくなかった。
帰ったところで親にも信じてもらえないし、だったらもう、怪奇クラブのメンバーと一緒にいた方が安全だ。
なのに、カスミたちはまだ子供だから、家に帰るほかに道はない。
分岐点に着て、カスミが小さくつぶやいた。
「また明日」
「うん、あしたね」佐奈が手を振る。力がない。
「ばいばい」恵美子の声は消え入りそうだった。
「またね」最後にもう一度、カスミが言った。
カスミもカスミで憔悴しきっているが、佐奈と恵美子はそれ以上だった。
ふたりは、なにかをカスミに隠している。
そう、確信しているのに、その違和感の答えを聞くことができない。聞いてはならない気がしたのだ。
なにより、もうこれ以上余計な恐怖を知りたくない。
カスミは怪奇現象を信じていない。はずだった。
だが、今となっては、クラブの誰よりも率先して、この現象を解決しようとしている。
なぜなら、あの日理科準備室への肝試しを強行したのは、ほかならぬカスミだったからだ。




