3-1、呪いの解き方
三
怪奇クラブが復活してから半年が経った。
すっかり怪奇現象に麻痺した五人は、とうとう真夜中の学校に侵入するに至った。
あの件依頼、五人の関係がぎくしゃくしている。
武田先生が正式に顧問に決まったのは、くしくもあの理科準備室の呪いの人魚の件がきっかけである。
怪奇クラブ発足時から頼んでいたのに、なかなか顧問が決まらなかったのだ。
だから、怪奇クラブは好き好きに活動できていたのだが、最近の目に余る行動に、ようやく顧問が決まったのだった。
怪奇クラブの面々が、しょっちゅうあの理科準備室の鏡の話をしているから、いつしか学校中に噂が立ったのもひとつの要因だ。
『あの鏡には、呪いの人魚がいる』今では、昼間でもあの理科準備室に行きたがる人間はいなかった。
武田先生がカンカンに怒って、五人を呼び出した。
「オマエら、本田先生から聞いたぞ? 夜の学校に忍び込んだって。そんなことしたら、退学なんだからな、普通は」
今日も理沙は学校を休み、しまいには恐怖からかえでまでもが学校を休みがちになっていた。
武田先生に呼ばれた佐奈、カスミ、恵美子は、シュンとうなだれて反省の色を見せた。
確かに、あれはまずかった。そのうえ、奇怪な現象が身の回りで起きているとなれば、ここはもう、大人たちの出番だろう。
誰が武田先生に事情を話すか、となって、手を挙げたのは佐奈である。
「私が部長だし。あの呪いの人魚の伝説も、私が言いだしたし」
こういうところ、佐奈は律義だなと思う。
カスミは誰かが責任をかぶることを期待していた自分に気づいて、吐き気がした。
真に恐ろしいのは呪いの人魚や七不思議なんかじゃなく、自分のあさましい心なのではないだろうか。
「タケセン、あの」
隣には、本田先生もいる。美しく、この世のものとは思えないいでたちだった。
「あなたたち。私も聞いたわよ。危ないことしてるって」
「あ……でも」
佐奈がおずおずと口を開く。武田先生が、怒りをにじませて答えた。
「なんだ」
「あの。理科準備室の鏡に、血の手形がたくさんついてて……それで、理沙が休んでるのは、その呪いのせいなんです。丑三つ時にあの鏡を見に行くと、呪いの人魚が見えるって……」
神妙な面持ちに、武田先生が頭を抱える。
ふうと大きく息を吐きだすと、武田先生は佐奈の頭をひと撫でした。
子供にするそれと同じく、武田先生は佐奈たちを幼子のように扱った。
「正直に話したから、これ以上は責めないが。呪いなんてありえない。だからもう、夜の学校――理科準備室に行くなよ?」
「わかった。タケセン、かえでは」
「ああ、かえでは単なる風邪だよ風邪。理沙も体調が悪いだけで。それ以上も以下もない。安心しろ、なにもないから」
武田先生の目の下に、クマが見えた。
聞いた話、昨日もおとといも、かえでの家に見舞いに行ったのだそうだ。
武田先生は、教師の鏡なのだとカスミは思う。
こんな風に生徒に向き合ってくれる武田先生を困らせたことが、心底申しわけなかった。
かえでは翌日も、学校を休んだ。
風邪が長引いているのだと武田先生は言っていた。
カスミは半信半疑ながらも、それを信じるしかできない。
そして、一週間してようやく、かえでは何事もなかったかのように学校に登校してきた。
「かえで、この前のあれ、覚えてる?」
前置きはしない、カスミは単刀直入にかえでに問うた。
しかしかえでは首をかしげながら、「なんのこと?」と答えるだけだ。
本当になにも知らないらしい。
かえでは保健室で呪いの人魚に憑かれて、あんな恐ろしいことを発していたというのに。
先日のあれは、カスミだけじゃない、佐奈も一緒に見ていたわけだから、見間違いや思い込みの類ではない。
人魚が確かに言ったのだ。お前たちは人魚を起こした、と。
あの意味を何日も考えた。相も変わらずカスミは夜も眠れない。今のところ自室で怪奇現象が起こらないことだけが唯一の救いだ。
「この前かえでの体に呪いの人魚が乗り移ったんだよ」
あとから来た佐奈が、かえでにはっきりと告げる。
あのカスミでさえも気を使って言うか言うまいか躊躇していたというのに、佐奈はまるでためらいもなく、かえでに真実を告げた。
かえでの顔が恐怖に染まる。
隣にいた恵美子が、かえでの手を握っているからかろうじて倒れずに済んでいるようだった。
「待って、じゃあ、私の中に人魚がいるってこと? 待って……」
「佐奈! かえでが困惑してるじゃん。かえで、そういうのじゃないと思う、多分だけど」
フォローを入れるカスミだったが、カスミにその確信があるわけでもない。
口からでまかせだ。もっと言えば、自分が安心したいだけだ。
もしもかえでの中に呪いの人魚がいるとすれば、それこそどうすることもできない。呪いの悪魔憑き、という言葉は聞いたことがあるが、人魚憑き、なんて言葉はしらない。だとしても、エクソシストかなにかに頼まなければ、呪いの人魚を祓うことは不可能である。
カスミたちは無力だ。
一介の高校生に、呪いをどうこうする力なんてあるはずがない。
「でもさ……私、調べたんだ。魔のものを祓うには、聖水を掛けるといいんだって。だったら、呪いの人魚も」
「聖水……?」
佐奈は自分のスマホを取り出すと、昨夜一晩かけて集めた情報の中から、『呪いを祓う方法』というページを開き、カスミとかえでに見せる。
恵美子は変わらず献身的にかえでを支えて、四人で佐奈の小さなスマホを窮屈に見ている。
ブルーライトが目にいたい。
一度画面が暗くなったから、佐奈が画面を何度か撫でつける。
「聖水……って、どこで手に入るの?」
カスミがつぶやく。
そもそも、それを手に入れるには、お金が必要ではないか、とも。
「教会でわけてもらえばいいじゃん」
「教会か! さすが佐奈、よく見つけたね」
「うん。ネット全盛期だもん、それくらい見つかるでしょ」
「え、え。私、その聖水を飲めばいいのかな?」
恵美子は自分の携帯を取り出して、『呪い』『聖水』『飲む』で検索を掛ける。
かえでは今度は恵美子のスマホを覗き込んだ。
恵美子のスマホの待ち受け画面は、かえでと一緒に行った遊園地の一枚が据えられている。
かえでの口がかすかに笑った。
こういう時に不謹慎かもしれないけれど、恵美子が怪奇クラブのメンバーの写真や、道のきれいな花や芸能人ではなく、自分とのツーショットを待ち受けにしてくれていることがうれしくてたまらない。
独占欲の強いかえでにとってそれは、ある種の快感だった。
「あ。飲まなくて大丈夫みたい。かければオッケー」恵美子の声に、かえではまた、現実に引き戻される。
今は喜んでいる場合じゃなかった。聖水を、体に掛ける必要があるらしい。
「そう、なんだ。じゃ、じゃあ、教会、行こう」
かえでは自身の中の呪いの人魚を祓うのに必死である。
カスミも佐奈も恵美子もまた、聖水を手に入れるために教会に赴くことに、なんの異論もない。
早くこの不可思議な現象を終わりにしたい。
その一心で、四人の心は団結していた。
放課後、クラブ活動だと称して四人は教会に赴く。
武田先生は、今日も忙しいから同伴できないようだった。
いつもコロコロ動いていて、せわしない人だ。
だが、武田先生は呪いの人魚なんて信じていないから、本当のことを言ったら教会になんて行かせてくれなかっただろう。
五人が向かったのは、この町でもかなり有名なカトリック系の教会だ。荘厳なつくりに、屋根には十字架が鎮座している。
「あのぉ」
大きくきらびやかな教会のドアを開け、先頭を歩くのはカスミである。
教会までの道中は、なんやかんやで大変であった。
まず、佐奈が五分ごとに息切れし、休憩を要求してきた。
佐奈だけではない、恵美子の歩く速度もまた、いつもと違って歩みがのろい。
そしてかえでもかえでで、背中を丸めて歩くものだから、まるで町内会のおじいちゃんおばあちゃんの付き添いをしている気分であった。
それがなにを意味するのか、カスミだけが『知らない』。かえでもそうだが、佐奈も恵美子もまた、なにかが不可解だ。
しかし、今日はなにより、かえでのことが最優先だった。
「いらっしゃい。これはまた、お若い女性が来ましたね」
出迎えた神父は、日本人だ。黒い髪をきれいに切りそろえて、美しい純白の衣装を身にまとっている。あれが神父服というものだろうか。見ているだけで神々しささえ感じてしまう。
カスミは物おじせず、ずんずんと教会の大理石の上を進んでいく。
後に続く佐奈たちも、恐る恐る中を進む。
神父の首から下がった十字架が夕日を反射してきれいにきらめいている。
あの十字架で、かえでのなかの人魚を祓ってもらえないだろうか。いや、そんなことをしたら、かえでごと消えてしまうかもしれない。
ここはなんとしても、呪いの人魚だけを祓う方法を聞きださなければ。
「どうしましたか」
「あの、ゆうじ――知り合いが呪われたかもしれなくて」
「それは大変だ」神父が笑いをこらえている。
「はい。それで、聖水を別けていただこうかと思いまして」
「聖水を? ああ、それは構わないけれど。それよりも、その呪われた人を教会に連れてきたら早かったんですけれど」
「え……?」
神父は聖書をぱたんと閉じると、カスミのほうに柔らかな笑みを向けた。
それだけでカスミは、この神父が『本物』であると、なぜか思ってしまう。怪奇現象を信じなかったカスミが。
それだけの神々しさが、神父にはあった。
寺の住職もそうだが、徳を積んだ人間は、他とは違う雰囲気がある。
「呪い憑きは、教会には入れないからね」
「えっ!?」
「ここは聖なる場所だから、悪しきものは入れないんだよ」
神父の言葉に、カスミはかえでを振り返る。
かえでには なんら変化はなく、しかしかえでの表情がみるみる安堵に染まっていく。
ほうっと息を吐き出して、かえでは神父にぺこりと頭を下げた。
「……? 少し待っていて。聖水を持ってくるから」
「あ、あの!」
もう聖水は必要ない。
それはカスミもわかっていたし、ほかのメンバーもそのままカスミが断りを入れるのだと思っていたのだが、
「聖水って、怪奇現象にもきくんですか?」
「怪奇現象……?」
「はい。ラップ音とか、少女の声とか……」
佐奈はカスミの手を引っ張る。
カスミが佐奈を振り返ると、佐奈は首を横に振る。
これ以上言ってはいけない。言ったとしても、真剣に取り合ってくれるはずがない。
佐奈の言わんとしていることはカスミにも痛いほどわかったが、それでもカスミは、一縷の望みにかけたかった。
泣きそうな高校生四人に、神父は今度は隠すことなく口元をゆがめた。
高校生の戯言だと思っているのか、真剣に取り合ってもらえない。
こんなことなら、無理にでも武田先生を連れ出せばよかった。
高校生は、子供にしては年齢がいっているし、大人にしては年齢が低すぎる。中間にいるカスミたちは、大人にも子供にも属せない。
だったら自分たちは、何者なのだろうか。
「ポルターガイストか……残念ながら、そういうのはエクソシストの案件ですね」
「あ……そうなんですか」
「うん。でも、もしかして、さっきの呪いの話といい、被害を受けているのは君たちなのかい?」
神父の顔がまた笑っている。
まるで子供のいたずらに話を合わせるように、まるでそんな現象あるわけないと言いたげに。
神父が胸から下げた十字架を無意識に撫でた。
救いを求める人間に、大人も子供もないはずだ。
なのにこの神父は、カスミたちが高校生というだけで、話を信じてくれない。
寺に行ったときは、武田先生が一緒だったから住職も大人の対応をしてくれたが、きっとカスミたたち―――いち高校生が人魚のミイラを見たいと申し出たところで、きっと即日来ていいとはならなかっただろう。
カスミは 歯噛みする。
いたたまれなくなって、カスミは挨拶もそこそこに、教会のドアへと足を進める。
ずんずんと大股で歩く。
「待ってよカスミ。あ、ありがとうございました」
佐奈はカスミの代わりに神父から聖水を受けとり礼を言って、恵美子もかえでもまた、神父に頭を下げると、カスミに続いて歩いていく。
大人は信用できない。
教会の人間も所詮は大人である。
カスミたちの言葉を信じるものなど、きっとこの世界には存在しない。




