2-5、人魚の呪いの鏡⑤
翌日、理沙は学校を休んだ。いつも通りに登校したカスミは、昇降口で恵美子に出くわしたのだ。
そこで、理沙が学校を休むことを聞かされた。
理沙はカスミと違って怖がりで怪奇現象を強く信じているから、学校を休んだのは予想内といえば予想内だった。
嫌でも昨日の出来事と関連付けてしまい、カスミはふるふると首を横に振った。
「おはよ。ねえ、理沙が休みって本当?」
朝の挨拶とともに、そう聞いて来たのは佐奈である。
自席に座ってぼうっとしていたカスミは、佐奈の言葉に目をぱちりとしばたたかせた。
「恵美子に聞いたの? なんか、休みらしい。かえでは聞いてるかな」
「さっきかえでに聞いたけど知らないって言うから。知らせたけど」
佐奈はそのままかえでのクラスへと歩いていく。
カスミもまた、席を立ってかえでのクラスへと移動する。
普段は部長である佐奈のクラスにみな集まるが、今日はそれどころではない。
理沙と同じクラスのかえでや恵美子なら、なにか詳しいことがわかるかもしれない。
だから、はやる気持ちを抑えきれず、ふたりのクラスに歩いたのだ。
「かえで。今日理沙休みだって聞いてる?」
「あ、うん……担任が話してるの聞いた感じだと、多分」
かえでは心なしか沈んだ声である。
無理もない、昨日おとといと、不可思議な現象に襲われて、今日は今日で理沙が学校を休むとなれば、おかしな想像をしても不思議ではない。
カスミは嫌な雰囲気を察したが、あえて明るい声で、
「理沙、疲れてたみたいだし。風邪かなにかでしょ」
場の雰囲気を和ませるつもりでそう、軽く言ったのだが、それがかえでのなにかに触れた。
ガタタ! と立ち上がったかえでは、ずいっとカスミに詰め寄って、カスミをにらみ見て、ため息をつく。
「カスミは怪奇現象とか信じてないからいいけどっ! わたしらは違うんだからね!?」いつもなら、かえでだって怪奇現象なんて信じないのに。
「……なん、なんだよ、なんだよ、あんなの、呪いの人魚なんているわけないでしょ!?」
ピリピリしているのはお互い様だ。
なにしろ、あのカスミでさえ、この二日、ろくに寝ていない。
眠ろうとするとあの鏡のことが思い出されて、おちおち眠ることもできないのだ。
ほぼ徹夜に近い状態が二日も続けば、普段なにに対しても他人事なかえででさえ、荒々しい声を上げるに至ってしまう。
疲れ切った顔で、かえではその場に頭を抱えると、ガシガシガシガシと頭を掻きむしって、ぐちゃぐちゃに乱れた髪の毛で、再び顔をあげてカスミをにらんだ。
その目は尋常ではなく、カスミは気圧されて一歩下がった。
「アンタはいいよね、『呪われてない』」
「は? ちょっとなにそれ」
「だから! アンタはアレを――」
かえでが核心に触れかけた時、その場にいた恵美子がかえでの口を右手のひらで覆い隠す。
そのせいで、かえでがなにをいわんとしていたのか、カスミにはわからずじまいである。
だが、かえでの口を必死にふさぐ恵美子と、はっとしたように目を潤ませてカスミを見ていた佐奈の表情から、カスミはただならぬ雰囲気を感じ取っていた。
なにかがおかしい。
昨日の朝から、四人はカスミになにかを隠している。
「カスミ。私、かえでを保健室に連れてくから。代わりに謝るよ。かえでは理沙とも仲良かったから、神経質になってるんだよ、きっと」
「あ、ああ、そうだよね。私のほうこそ、ごめん」
カスミは、代弁する佐奈の優しさに、取り乱すかえでとは対照的に冷静な佐奈のおかげで、自身もようやく精神的な余裕を持てた。
昼休み、佐奈と理沙とカスミは、連れ立ってかえでの様子を見にいくことになった。
これは恵美子からの提案であるが、カスミは恵美子のこういう、何気ない優しさが好きだと思った。
佐奈は、いつものような闊達な様子はなく、けだるげにカスミと恵美子について歩くだけだ。
「失礼します」
「ああ、ちょうどよかったわ」
保健室に入ると、本田先生がほがらかに三人を迎え入れた。
本田先生は看護師の資格を持つ、保健室の先生だ。
いつもにこやかで、人望がある。
本田先生はパタパタと立ち上がると、三人ににこりと微笑みかける。
「私、今からちょっとお昼に出るから。かえでちゃんの面倒、頼めるかしら?」
「あ、はい……」
カスミが小さく返事をすると、本田先生は、「ありがとう」と、また柔らかく笑って、そうして弁当が入ったランチバックを片手に、保健室から出ていった。
残されたのは、怪奇クラブのメンバーのみである。
カスミたちは、かえでが寝ているベッドに歩く。パリッとした白いシーツに、消毒液の匂いが鼻につく。
かえでの他に生徒は寝ておらず、カスミと佐奈、恵美子はかえでのベッドのカーテンに手をかけた。
「かえで、少しは良くなったかな」
「まあ、寝れば少しは良くなったんじゃない?」
恵美子とカスミの会話に、佐奈は混じろうともしない。
ただぽうっと宙を眺めて、なにか考え事をしているようだった。
「かえで! お見舞い来た……」
「かえで!?」
シャッとカーテンを開けるまではよかった。
だが、ベッドの上のかえでは、まるでなにかに憑りつかれたかのように、ガタガタガタガタと体をけいれんさせ、ぶつぶつとなにかをつぶやいている。
背中を反らせて、目は白目を剥いている。
まるで人間とは思えない、低くまがまがしい唸り声を上げていた。
「ちょ、なにこれ。本田先生呼んできて!」
「わ、わかった!」
カスミが恵美子に指示し、慌ててかえでの体を押さえつけるも、かえでの体は相も変わらずけいれんし、がくがくとベッドが壊れそうなほどに体を震わせている。
さすがの佐奈も、かえでに駆け寄って、カスミに倣ってその体を押さえつける。
しかし、そのけいれんは止まらない。そして、かえでの体の一部が『固い』。
白目をむくかえで、そして、
『あはは、ふふふ』
聞こえてきたのは、あの日の少女の笑い声。
それから、かたかたと響く謎の鳴動。
保健室が、突如として怪奇につつまれた。
昼も夜も関係ない、その怪奇現象はどうやら、決まった時間に起こるわけでも、理科室に限って起こるわけでもないようだ。
もしかしたら、カスミはとんでもないものを相手にしているのかもしれない。
「あああぁぁぁぁああ」
「かえで!? かえで!?」
ぶつぶつとかえでの唇が勝手に動く。
カスミの呼び掛けには答えず、ただ身体を震わせて、無機質な声が唇に合わせて保健室に響いた。
「ワタシはニンギョ。オマエタチはワタシをオコシタ」
「かえで、ちょっとなに言ってんの? ふざけないでよ」
カスミは相も変わらずかえでの体を押さえつけている。
佐奈もまた、震えながらもかえでの体に手を押し当てている。
ガタガタと揺れるかえでの体は、かえでのものではなくなってしまったのだろうか。
かえでの力は尋常ではなく、佐奈はかえでのふるった手によって、跳ね飛ばされてその場にしりもちをつく。
「ぁああああぁ、ワタシ、は、にんぎょ」
「やだ、やだぁ、ねえ、やめてよ、しっかりしてよ」
とうとうカスミも、かえでから手を離した。
ベッドのわきに座り込んで、涙をこぼして泣きじゃくる。
その間もかえではがくがくとけいれんし、もはや女子高生ふたりではなにも対処のしようがない。
カスミは佐奈と体を寄せあって、人目もはばからず泣きわめいた。
「うぅ、ひっく」
「カスミ、私もうやだぁ」
「私だってやだよぉ」
カスミと佐奈は身を寄せ合ってむせび泣く。
ガタガタ、ドドドド。
『あははは、うふふふ』
相も変わらず保健室の鳴動も、あの少女の声も止まらない。どこからか聞こえる。
いや、保健室のドアが音を立てている?
恵美子が本田先生を連れてくるまでの数分が、果てしなく長く感じられた。
「かえでさん!?」
勢いよく保健室のドアが開け放たれる。それと同時。
シン……。
今の今まで雑然としていた音たちが、本田先生の到着とともに一気に凪いだ。
泣きじゃくるカスミと佐奈、血相を変えて自分を呼びに来た恵美子、そして、すうすうと眠るかえで。面食らったのは本田先生のほうである。
「カスミさん、佐奈さん……? かえでさんが大変だって聞いて来たんだけど、どういうこと?」
本田先生は、ベッドのわきにへたり込むふたりに合わせるように自身もしゃがみ込んで、優しい声色でふたりに問う。
カスミは本田先生に泣きつこうと――しかし、かえでが目を覚まし、カスミを呼んだ。
「カスミ、いるの?」
「かえで!?」
本田先生から離れて、カスミも理沙も、かえでに抱きついた。
本田先生がため息をついている。
「悪ふざけだったの?」
カスミは、少しだけ冷静になって、本田先生を振り返る。
「私たち、深夜の学校に忍び込んで。呪いの人魚が出るっていう鏡を見に行ったんです」
「カスミさん? 鏡? 忍び込んだ?」
「それで、その鏡を見てから、毎日怪奇現象が起きてて。かえでも、がくがく震えて、呪いの人魚が乗り移ってて」
「……はあ。カスミさん?」
本田先生は、カスミの瞳をじっとみる。
優しい瞳に、カスミはだんだんと落ち着きを取り戻す。
しかし、本田先生は困ったように、
「少し疲れているのかもしれませんね。病院に行ったほうがいいですよ?」
まるで取り合ってもらえなかった。
悔しい、と思うよりも先に、この問題は、怪奇クラブのメンバー全員でどうにかしなければならないのだと、カスミは思った。
それは佐奈も同じようで、カスミが佐奈に視線をやると、佐奈はただ、こくりとうなずいた。
大人たちに頼っていては、なにも解決しない。自分たちでどうにかしなければ。
「先生、ごめんなさい。先生の言う通り、私たち疲れてるかもしれないです」
「そう。今日は早退しなさい? 私から担任の先生に言っておいてあげるから」
「はい。あ、でもかえでは」
「かえでさんも、目が覚めたら親御さんに迎えに来てもらいます。今日はもう、自分たちの心配だけして、ね?」
大人は信用できない。信じられるのは、ただただ友人のみだ。
カスミはそんなことを思いながら、家への道のりを友と歩いた。
カスミも佐奈も恵美子も、憔悴しきってなにもしゃべらなかった。沈黙が重苦しくて、足が上手く上がらなかった。




