2-4、人魚の呪いの鏡④
ひっついてくっついて歩いて、五人はとうとう『例の鏡』の前までたどり着いた。
鏡にはしっかりと布がかぶせてあり、しかし、どこか異様な雰囲気さえ感じる。
鏡の前に五人で立って、先頭に立つカスミがその布に手を掛けた。
赤い布にシワが寄る。
昨日、布を取り去ったはずなのに、こんなに早くまたここに来るなんて。
この布を被せ直したのは誰だろうか。
「い、いくよ……?」
「ちょ、待って。やっぱりやめようよ」
怖気づいたのは理沙である。
びくびくと体を震わせながら、カスミの後ろの後ろ、最後尾からカスミを覗き込んでいる。
先頭にカスミ、後ろに佐奈、恵美子、かえで、理沙が並んでいる。
昨日と違って、下履きを履いているから、逃げる時にも全力を出せるだろう。
みんなも、カスミと同じように、足裏の皮が剥けたのだろうか。
「今更? なら理沙は先に帰れば?」
「や、やだよ。今更ひとりで帰るのも怖いじゃん。ねえ、ねえ、やっぱり帰ろう?」
「理沙は怖がりすぎなんだよ。こんなのただの鏡。呪いの人魚もなにもない、ただの鏡だよ」
ガタタタタ!
まただ。昨日と同じだ。
理科室のほうから、音がする。部屋の中に籠るような、ポルターガイスト。
「ひいっ!?」
「なになになになに」
「や、やだ、いやー!?」
鳴り響いた音に、さすがのカスミも絶句する。昨日のは、気のせいではなかった。
カスミは、鏡に被せてある布を持っていた手を放し、四人を振り返る。
四人ともカスミの後ろにちゃんといる。
先ほどの音は隣の教室、つまり理科室から聞こえた。
やはりポルターガイストで確定だ。
だが、ポルターガイストなんて誰でも演出できる。
そう、どこかに音源を隠すとか――
「だ、誰か理科室見てきてよ」カスミの思考をかき消すように、かえでが重い口を開いた。
「や、やだよ。かえで行ってきてよ」
「も、もとはといえばかえでが持ってきた怪奇なんだから、かえでも少しは協力的に――」
ガラガラ! ガシャン!
みし、みし。
音が『近づいてきている』、気がする。ポルターガイストはまた、別日に検証が必要だ。
ひたひた、どんどん。
理科室のドアを叩く音だ。確かに今のは、ドアを叩く、生の音だ。
ひたり、ひたり。
「ね、ねえ。足音。足音してない?」
理沙が恐怖をあおる。
怖がりな人間は、いるだけでその場の雰囲気をさらに恐怖に染める。
「怖い、怖い」とつぶやきながら、理沙はその場に座り込む。
つられるように、恵美子もまた、理沙の隣に座り込み、耳をふさぎ始める。
ガタガタと身体を震わせて、まるでライオンに狙われたウサギだ。
いや、ウサギはライオンに対峙しても、立ちすくむことはない。
生き残るために必死に走るだろう。
だからカスミも、この鏡を、再び、見る。
「ちょっと、ちゃんと立ってよ」
「無理、私ここから動けない。動けないったら動けない」
「ああ、そう。じゃあ、なにかあっても私は知らない」
カスミは再び鏡に被せてあった布に手を掛ける。
カスミの手は震えている。
冷たく言い放ったものの、昨日の今日で、我先に逃げることはしまいとも思う。
逃げる時は、みんな一緒だ。
カスミは三回、深呼吸して、そうししゅるるっとその布を鏡から滑り落した。
血。ち、チ。
赤い手形だ、小さな赤い手形が、鏡の一面にびっしりとこびりついている。
小さい。子供の手形?
「ひっ」
カスミは一歩後ずさるも、恐怖から声が出ない。足も動かない。棒立ちになって、その手形を見つめ続ける。
「きゃ、きゃああああ!?」
しかし、かえでの悲鳴によって、カスミはようよう意識を現実に引き戻した。
そして、カスミは今度こそ、みんなの手を取った。
右手に佐奈、左手に理沙。
手が足りないから、恵美子とかえでには顔をふって促した。
カスミたちは、鏡の前から、理科準備室から走り出る。
後ろを振り返る、かえでと恵美子が来ない。
恵美子とかえでは、その場に腰を抜かして立ち上がれない。
がくがくと震えながら、その場に戦慄するばかりで、なにもできない。
そのうち卒倒して、恵美子とかえではもたれ掛かるようにして失神した。
ふたりを連れ出すのは不可能だと、カスミは理沙と佐奈を連れ立って理科室を出ていく。
理科室を脱出したカスミと佐奈、理沙は、迷うことなく職員室へと駆け込んだ。
そして、一番近くにいた教師を捕まえる。担任の武田先生だった。
職員室の前で、なにかを探しているようだった。
血相を変えて息を荒らげるカスミに、武田先生は首を傾げた。
「カスミ、どうした?」
武田先生はカスミの担任で、怪奇クラブの顧問の候補者だ。
候補者、というのは、もう部活が始まって半年なのに、事務手続きが済んでいないらしい。
つまり、くだらない部活などあと回しなのだ。
「武田先生、先生。出た、出たんです!」
「カスミ。落ち着け。なにが出たっていうんだ?」
面倒くさそうにする武田先生に、カスミはやきもきする。
今は説明している時間すら惜しい。
カスミは武田先生の手を取って、職員室を飛び出す。
武田先生は、カスミたちと七歳しか歳も違わず、弱気な先生だ。
例えば、頼み事は断れないし、例えば、誰かに迫られたら交際を断れないような。
「おい、カスミ?」
「先生、出たんです。呪いの人魚が、呪いの人魚が出たんです」
「鏡の呪いの人魚なんです、手形が女の子で」
カスミの抽象的な説明に対し、あとを追いかける佐奈までもが錯乱状態で補足する。
理沙に至っては口をパクパクするばかりでなにも言葉が出なかった。
理科準備室に置いてきてしまった恵美子とかえでは無事だろうか。
無事でいてくれ、と祈るしかなかった。
「理科資料室の鏡に、血の手形がびっしり、血なんです、手形が」
理科準備室を目指しながら、カスミが息も絶え絶えに訴えた。
はあっと武田先生は嘆息する。
確かカスミと佐奈は怪奇クラブなんて、そんなくだらないクラブに所属していた。
その顧問になる話だって、武田先生は快く受け入れた。
まだ許可が降りないとはいえ、武田先生は度々怪奇クラブに顔を出していた。
だからこれは新手のどっきりかなにかなのだと、相手にもしなかった。
果たして、理科資料室に帰ると、そこには気を失った恵美子とかえで、それから。
「消えて……る?」
「ほおら、お前ら、悪ふざけもいい加減にしろ」
まるで何事もなかったかのように、垢まみれの鏡面の鏡が、そこにあるだけであった。
夕日が鏡に反射して、その表面がうまく見えない。
冷静になってみると、鏡は夕日が反射して、表面に手形があったなんて、見間違いかもしれない。
カスミは鏡に駆け寄って、その表面をペタペタと触る。
確かに先ほど見たときは、無数の赤い手形があったというのに。やはりあれは見間違いだろうか。
いや、ここにいる怪奇クラブのメンバー全員が、同じ幻覚を見たにしてはおかしすぎる。
それに、あの手形がものの数分で消えるなんてこと、ありえるのだろうか。
鏡に顔を寄せ、撫でつけるカスミに、武田先生はふうっとため息をついた。
「クラブ活動もほどほどにしろ。先生は忙しいから、帰るぞ?」
証拠がなくなってしまってたのでは、なにも言い返せない。
カスミは渋々武田先生に頭を下げて、そうして鏡の前で気を失っている恵美子とかえでを揺さぶり起こす。
恵美子の体温は冷えきって、対照的にかえでの体温は高かった。
「恵美子。かえで」
「ん……はっ、呪いの人魚は!?」
目を覚ますなり、かえではカスミの肩をつかんで問いただす。
しかし、カスミは首を横に振った。
「手形はもう、消えてる」
「消えた……? うそでしょ。なんで?」
「わからない。かえでと恵美子は、気絶してたの?」
「うん……」
「気絶してた間、なにか変なことは?」
カスミがかえでに詰問する。
あまりの剣幕に恵美かえでは後ずさるも、カスミはさらにさらにかえでに顔を近づける。
なんでもいい、呪いの人魚の情報が欲しかったのだ。
「カスミ。かえで泣きそうじゃん。気絶してたんだから、なにもわかるわけない」
「でも、佐奈。私は呪いの人魚なんて信じない」
「わ、私!」
カスミと佐奈で意見が割れる中、意を決したようにかえでが声を張り上げた。
その声に迷いはなく、みんながみんな、その先を待った。
「夢、見た」
「ゆめ……?」
「うん。私たち五人が理科準備室に閉じ込められて、そこに人魚が現れるの」
意識を取り戻した恵美子も加わり、怪奇クラブのすべてのメンバーが、かえでの言葉に耳を傾ける。
かえでの顔がどんどん青ざめるのがわかる。
だが、誰も話を止めようとはしない。
最後まで聞かなければならない、そんな気がして、誰もがかえでの話に聞き入っていた。
「その人魚が、自分は呪いの人魚なんだって、笑って。それで次々に私たちをこ――」
「あーやめやめやめ! そんな話ナンセンスよ!」
かえでの話は、最後まで聞かずとも結末はわかりきったことであった。
ゆえに、その話を遮ったのはカスミである。
カスミはいまだ、怪奇現象に懐疑的だ。
先ほどの赤い手形の件は確かに不可解ではあるが、それはもしかしたら、この理科準備室が薄暗いのに加え、今が夕刻でさらに理科資料室に影を落としていたからかもしれない。夕日のいたずらかも。
カスミは恵美子を立ち上がらせる。
かえでは佐奈が立ち上がらせた。
理沙はふたりのスカートを綺麗に直してやった。
ひらりとスカートを翻して、五人は鏡に背中を向けた。
「もう帰ろう。呪いの人魚なんていない」カスミの言葉。
「で、でも」
「でもなに? 理沙、ほかに私に言ってないことでもあるの?」
「あ……ううん。そんなこと、ない」
「あ、そ。じゃあ、今日はもう解散ね。五人で帰ろう」
だがしかし、カスミの足が震えていることに、全員が気づいていた。それを指摘しないのは、カスミ以外のメンバーもまた、震える足をようよう動かして歩いていたからかもしれない。




