2-3、人魚の呪いの鏡③
翌朝、怪奇クラブのメンバーは再び顔を合わせた。
朝は八時、始業が八時四十分だから、登校にははやい時間帯だ。
クラスメイトは一割ほどしか教室にいないのに、怪奇クラブのメンバーは、みんながみんな、登校を終えていた。
「おはよう、カスミ。昨日は眠れた?」
「あ、ああ。おはよ。そういう佐奈こそ、眠れてないんじゃない? クマすごい」
お互いがお互いの顔を見て、昨夜は眠れなかったであろうとすぐに察した。
佐奈だけではない、恵美子もかえでもまた、昨夜は眠れなかったようで、ひどい顔をしている。
恵美子とかえで、理沙は隣のクラスだが、部室以外で会う時は、部長の佐奈の顔を立てて、佐奈のクラスに集まる。
誰が言い出したわけでもないが、暗黙の了解だ。
理沙はまだ、教室に来ていないから、集まったのは四人だ。
「なんかさ、今朝朝イチで私らの靴、回収しに行ったんだけど」
佐奈はカスミの机に座りながら、ひそひそ声でカスミに耳打ちする。
思いもよらない言葉に、カスミの顔が驚きに染まった。
昨夜、カスミが連絡したのを、朝になって確認したのだろうか。
だったら、朝早くでもカスミに連絡のひとつもくれたらよかったのに。
「靴、カスミが先に回収した? あと理科室のドア。カスミが蹴破ったじゃん。直したの?」
「え、私じゃない。恵美子じゃないの?」
「ううん、恵美子もかえでも違うって。理沙も違うって」
佐奈は顎に手を当てて、うーん、とうなる。
一応、部長だから責任感を感じているらしい。
カスミより早くに登校して、昨日の痕跡を消すために奔走してくれたらしかった。
でも、水臭い。運命共同体なのだから、頼って欲しいという気持ちもあった。
「だからさ、ばれるの覚悟でタケセンに聞きに行ったんだけど。私らの靴、教師が回収したわけでもないみたいなんだよね。ドアも外れてないって」
「え、なにそれ。やめてよ」
「やめてもなにも。ほんとのことなんだから仕方ないじゃん」
青ざめた佐奈の言わんとしていることは、カスミにもなんとなくわかった。
つまり、神隠しにあった、そう言いたいのだろうが、あいにくカスミはそんなことは信じない。
傍ら、恵美子はかえでと手を握りあって卒倒しそうに血の気が引いていた。
だからカスミは、みんなを安心させるために、なるべく抑揚のない声で言葉にする。
「用務員さんが片づけたんじゃない?」
今まで黙っていたかえでが、恵美子を庇うように前に出た。
まるで、アンタのせいと言いたげに、カスミを睨んで見上げている。
ポニーテールがゆらりと揺れた。
「本当にそう思ってる? 言わないだけで、私も体の節々が痛いしだるいし……昨日のアレは、じゃあなんだっていうの!」
「だから、そういうのほんとにやめて」
カスミがきっぱり言うと、かえでは素直に従って口を結ぶ。
だが、カスミだってわかっている。
仮に用務員が自分たちの靴を見つけたら、それこそ教師に告げ口されて、大問題になっているはずだ。
理科室のドアだって、蹴り破ったままで出てきてしまった。
あのドアは、異空間にでも消えたというのだろうか。それとも、蹴破ったドアがこの世のものではなった?
現状、カスミたちになにもお咎めがないのは、靴が消えた、なおかつ理科室のドアがひとりでに直ったということ以外に、理由は思い当たらない。
カスミが身震いする。
「おはよう、カスミ。それに佐奈も……」
憔悴しきった顔で挨拶をしてきたのは理沙である。
この一日ですっかりやつれたようにも見える。
たった一日、されど一日。
あの恐怖を考えれば自然なことかもしれないが、それにしても、顔は土色であるし、いつもリップクリームでふっくらしていた唇も、今日はカサカサでどこか青い。
理沙はことさら怖がりだから、登校自体をためらったようだった。
いつもなら八時二十分にはカスミのクラスに来るのに、今は始業ギリギリの八時四十分だ。
怪奇クラブのメンバーと顔を合わせたくなかったのは明らかだった。
「理沙、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
理沙の力ない返事に、カスミは思わず理沙の背中をさすってやる。
理沙の体が震えていた。
カスミを責めるように、かえでが恵美子を後ろに隠した。
かえでにとって恵美子は特別で、カスミなんかには計り知れない絆がある。
「なんか、すごく疲れた顔してるじゃん」
「うん、まあ……今朝ね、佐奈とあとかえでも恵美子もなんだけど、四人とも朝早くの学校に登校してさ。四人で靴探したり、理科室のドアを直そうと思ったんだけど……」
そこまで言って、理沙は口を結んだ。
これ以上はなにも言いたくない、そんな雰囲気に、カスミまでもが飲まれてしまう。
そもそも、カスミ以外は昨夜の不法侵入の形跡を消そうと朝早くに学校に来ていたことに、カスミは居心地の悪さを感じた。
四人で示し合わせたわけではなさそうだが、自分にも一言声をかけてくれたらよかったのにとも思う。
それに、さっき佐奈と話した時、佐奈はほかのメンバーも朝早くに登校したことを黙っていた。
カスミだけが蚊帳の外で、悔しくて唇を噛み締めた。
確かに、カスミは怪奇現象を信じていないと常々言ってきたが、だからって、隠しごとをすることはないじゃないか。
佐奈は気遣ったつもりなのだろうが、カスミの胸が曇っていく。
「カスミ?」
「……佐奈、さっきの話で、かえでと恵美子と理沙も、朝早くに来てたこと、なんで黙っていたの」
「ご、ごめんって。だって、なんか悪いし……昨日、カスミが靴をひとりで回収してくれたのかなって思ったし」
佐奈を責めているのは、自責の念から逃れるためだ。
カスミがかえでに乗せられたとはいえ、あの鏡を見に行くなんて言ったせいで、怪奇クラブのメンバーがぎくしゃくしてしまっている。
しかし、結果的に靴は見つからなかったわけだし、理科室のドアもどういう理由かはさておき、教師にばれなかったのだから、万事うまくいっているとカスミは思うことにした。
かえでが佐奈に視線をやり、しかし佐奈が小さく首を横に振る。
それがなにを意味していたのか、カスミは深く考えなかった。
きっと、昨日のことを思い出しているだけだろう。
佐奈はかえでとも仲がいいから、昨日家に帰った後、ふたりで一晩中ラインをしていたに違いない。
そのラインで、一目散に逃げたカスミや、恵美子や理沙が必死に逃げ惑うさまに、ふたりで文句を言っていたのかもしれない。
女の友情なんてそんなものだ。カスミはすうと息を吸い込む。
大丈夫、自分は上手くやれている。
勘ぐりすぎなのはわかっている。
だが、カスミ自身も、昨日のことは不本意であった。
我先にと逃げた自分自身をあさましくも思ったし、しかしそのことについて、恵美子も佐奈も理沙も触れない。
あのかえですらカスミを責めないのだから、カスミは黙り込んで俯くしかなかった。
昨日のことは忘れたい、それは五人に共通する思いだ。
だから三人は、それ以上の会話をやめたのだった。
放課後の部室、部員は五名、しかしその顔は暗く沈んでいる。
今日一日、昨日の鏡のことが頭から離れなかった。
あの声はなんだったのだろう。ドアが開かなかった理由は。
考えれば考えるほどドツボに嵌って、思考が停止してまた、考える。
カスミ以外のメンバーは、早朝の学校ですでに顔を合わせていたからか、妙な結束感があるようにカスミは感じた。
それがなんなのかまではわからないが、どうにも釈然としない四人に、とうとうカスミは怒りをあらわにした。
どん、とわざと音を立てて、部室の机を叩くように立ち上がる。
畳張りの部屋には、背の低いテーブルが置いてある。
壁際のラックには、元書道部の雑用品が山積みにされていた。
「ねえ、私が今朝、靴を回収しに来なかったのは悪かったけどさ。なんか、みんな私になにか隠してない?」
いきなり本題に入るのはカスミの悪い癖である。
単刀直入に切り出され、佐奈は気まずそうにしながらも、「そんなはずないじゃん!」とつとめて明るくふるまう。
しかし、その顔は引きつっており、嘘をついているのはカスミにもわかった。
佐奈は嘘をつくとき、目が三日月みたいに笑う。
もう半年の付き合いだから、嘘か本当かくらいは見分けがつくつもりだ。
理沙も恵美子もかえでも、次いで同意を表すように首を縦に何回も振った。
理沙は怖がりゆえに、やはり嘘がうまくない。言葉が棒読みになる。
恵美子は、嘘をつくとき、必ずかえでのほうを見ながら言葉を紡ぐ。
かえでは嘘が上手いから、カスミにはそれを見抜けないけれど。
なのに今日は、かえでの嘘が透けるように見えた。
頷きながら、目を左右に泳がせている。
かえでも、不測の事態に対する嘘は、隠し通せないらしい。
四人が四人、嘘をつき通すつもりらしく、カスミはだんだんと頭にくる。
かっと頭に血が上って、きっと顔は真っ赤だろう。
「ねえ、あの鏡、もう一回見に行こう」
結果的に、カスミはすべての元凶であるあの怪奇現象の正体を突き止めさえすれば、この険悪な雰囲気も、靴が消えた謎も、理科室のドアが直っていた謎も、解決すると踏んだのだ。
しかし、当然カスミ以外の部員は猛反対である。あの場所にまた行くなんて、死にに行くも同然だ。
かえでがため息混じりにスマホを取り出した。たたた、とタップして、なにかを打ち込んでいる。
「や、やだよ……またなにかあったらどうすんの」
いつもは強気な佐奈だが、今日は反論する声すら弱弱しい。
恵美子はかえでの背中に隠れ、理沙もしり込みして動く気配がない。
「私も嫌。もう怖い思いする必要ないじゃん、それに……」
「理沙!」
「……っ! ごめん」
理沙がなにかを言いかけて、佐奈がそれを制止する。
見れば、恵美子もかえでも理沙を止めようと身を乗り出して、理沙の口元を抑え込んでいる。
かえではスマホから目を離して、カスミに向き直る。
そのかえでに、恵美子がこそこそと耳打ちした。
少しだけ聞こえたのは、「伝記」「呪い」「話しちゃダメ」
やはり、自分以外のメンバーは自分になにかを隠している。
それならば。
カスミは畳の間から降りて下履きを履き、後ろ手に言い放つ。
「私は行くから。ひとりで、今から行ってくる」
「ま、待ちなよ……なにもまた、怖い思いしに行かなくても」
理沙は怪奇クラブに所属しているものの、クラブで一番の怖がりだ。
今もぶるぶると震えているし、声だって上ずっていた。
かわいそうになるくらいに震えあがっていて、だけどカスミは止まらない。
あの鏡がなんだというのだろうか、あんなもの、ただの鏡だ。
それに、聞こえた声だってラップ音だって、夜の闇による恐怖心から、五人が各々に作り出した幻だったのかもしれない。
カスミは怪奇現象を信じていない。
なぜなら、それを信じてしまえば、この世のあらゆる不可思議な現象が、幽霊やそのたぐいの仕業だと認めることになるからだ。今までの七不思議が、本物だと証明されてしまうからだ。
それだけは断じてできない。
カスミは、呪いの人魚なんてものを、幽霊なんてものを、信じない。
あれらは人間が作り出した恐怖そのもの、闇から生まれた幻なのだ。
だからカスミは、なんとしても証明する必要があった。
昨日のあれは、単なる気のせいで、呪いの人魚なんてものは――七不思議なんて存在しないのだと。
「行ってくるから」
ガタタと椅子から勢いよく立ち上がって、カスミは大股で歩き出す。
本当は、後ろから誰かが着いてきてくれることを願っていた。
いや、カスミはずるい。
ここまで言えば、みんながカスミに従うことを知っている。友達、というよりは、人間関係。ここでカスミをひとりで行かせれば、みんな、カスミに逆らえなくなる。
弱みを握られることは、スクールカーストでは致命的だ。
「待ちなって。ひとりじゃ心配だし、私も行くし」
佐奈もまた、立ち上がる。
理沙と恵美子とかえでは、顔を見合わせて迷っていたようだが、だが、カスミの言う通り、このままあやふやに終わらせては、きっと昨日の現象が本当に呪いの人魚のせいになってしまうのではないかと、意を決して立ち上がる。
カスミがバレないように安堵の息を吐き出した。
想定内だ、正義感の強い佐奈なら、そう言うと思ったし、佐奈が申し出れば、ほかのメンバーも行かざるを得なくなる。
カスミは自分の浅ましさに泣きたくなった。
友達になりたかったのに、カスミはみんなの善意を利用した。
だから、人間関係を避けてきたのに。
「わ、私も行く」理沙が泣きながら立ち上がる。
「ま、待ってよ、行くからぁ」恵美子はかえでを引っ張った。
「……仕方ないなぁ」最後はやはり、かえでだった。
五人でひと固まりに、カスミを先頭にして理科室までの廊下を歩く。
怪奇クラブのメンバーにべったりとくっつかれて、カスミは少しだけ身動きがとりづらい。
しかし、これくらいでちょうどいい。
恐怖を紛らわせるには、どうやっても仲間の存在は不可欠だ。
こんな風にけしかけたくせに、カスミは佐奈たちのことを仲間だと、思いたい。
本当を言えば、カスミだってひとりであの鏡を見に行くのは怖かった。
いくらまだ夕暮れで、辺りに明かりがあるとはいえ、夕暮れには夕暮れの不気味さがある。
怪奇現象を信じていなくたって、他者と同じように不可思議なものは怖いし、暗闇だって恐怖する。
傾いたオレンジ色の光が、廊下を照らし出している。
まるで理科室への道案内をするように、長く伸びる自分たちの影すら恐怖を演出するには十分だった。




