第5話「まだまだー」
第5話「まだまだー」
二〇二五年、東京ドーム。
開演前の場内には、低いうねりのようなざわめきが広がっていた。五万人を超える観客の熱気で、巨大な空間がゆっくり呼吸しているみたいだった。白いタオルを首に掛けた男たち。革ジャン姿の老人。若いカップル。親子連れ。髪の白くなった昔の不良たち。
みんな、同じ方向を見ていた。
ステージだ。
大型スクリーンには、五十年前の映像が映し出されていた。
一九七五年、日比谷野音。
燃え上がるステージ。
暴れる観客。
若き日のキャロル。
その映像が最新技術で鮮明な4K映像になり、巨大スクリーンの中で蘇っていた。
「うわぁ……」
若い男が声を漏らす。
隣にいた父親らしき男が、目を細めながら言った。
「これ、生で見たんだよ俺」
「マジで?」
「あの日、野音、燃えたんだ」
息子が笑う。
「盛りすぎじゃね?」
父親は首を振った。
「いや、本当に燃えたんだよ。キャロルってのはな……時代そのものだった」
スクリーンの中で、若い矢沢永吉が叫んでいる。
リーゼント。
革ジャン。
痩せた身体。
鋭い目。
燃え盛る炎の前で歌う姿は、まるで命を削っているみたいだった。
客席のあちこちで、年老いた男たちが静かに涙を拭っていた。
「懐かしいな……」
「俺たちも若かったな」
「永ちゃん、変わんねぇなぁ」
すると場内が突然暗転した。
悲鳴みたいな歓声が上がる。
「うおおおおおっ!!」
ドラムが鳴る。
レーザーが走る。
火柱が天井へ吹き上がった。
その瞬間、ステージ中央に一人の男が立っていた。
白いスーツ。
白いマイクスタンド。
七十六歳の矢沢永吉だった。
「ようこそ!!」
ドームが揺れる。
「永ちゃーん!!」
「E.YAZAWA!!」
矢沢は笑った。
若い頃の鋭さとは違う。だが、その代わりに凄まじい“生きてきた重み”があった。
「東京ドーム!!」
歓声。
「まだまだ行けるかー!!」
五万人が叫ぶ。
「うおおおおおっ!!」
その声を聞いた瞬間、矢沢は少しだけ目を細めた。
五十年前。
野音で燃えていた頃。
まさか七十六になって、まだステージに立っているなんて思わなかった。
曲が始まる。
重低音が腹に響く。
矢沢は花道を歩く。
ステップは軽い。
汗がライトに光る。
観客は熱狂していた。
ある席で、一人の老人が立ち尽くしていた。
七十八歳。
かつて暴走族だった男だった。
革ジャンの背中には、色褪せた「CAROL」の刺繍。
隣には車椅子の妻がいる。
妻が笑った。
「泣いてるの?」
老人は鼻をすすった。
「泣いてねぇよ」
「嘘」
「……永ちゃん見てるとさ」
声が震える。
「まだ終わってねぇ気がするんだよ」
妻は静かに夫の手を握った。
ステージの上で、矢沢が汗を飛ばしながら叫ぶ。
「行くぜー!!」
七十六歳とは思えない動きだった。
その姿を見て、若い観客たちが驚いている。
「え、バケモンじゃん……」
「こんな七十代いるの?」
「カッコよすぎるだろ」
だが矢沢は、自分を特別だとは思っていなかった。
楽屋では、開演前にこんな会話をしていた。
若いスタッフが言った。
「永ちゃん、本当に大丈夫ですか? 今日かなり長丁場ですよ」
矢沢は笑った。
「なんだよ、“年寄り扱い”か?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「お前さ」
矢沢はタオルで汗を拭きながら言った。
「年取ると、みんな勝手に終わらせようとすんだよ」
スタッフは黙る。
「もう無理だとか、休めとか、静かにしろとか」
矢沢はニヤッと笑った。
「でもな、ロックに定年なんかねぇんだよ」
ステージに戻る。
歓声。
レーザー。
火柱。
その光景を見ながら、矢沢はふと思う。
日本は変わった。
街には老人が増えた。
元気のない顔も増えた。
電車の中では、みんな疲れた顔でスマホを見ている。
「もう遅い」
「今さら無理」
そんな空気が、この国を覆っている気がした。
だからこそ、叫びたかった。
まだ終わっていないと。
まだ立てると。
まだ走れると。
曲が終わる。
大歓声。
矢沢は息を切らしながらマイクを握った。
汗が顎を伝う。
「みんなさぁ!」
観客が静まる。
「七十過ぎたジジイが、こんだけやってんだから!」
笑いと歓声。
矢沢は叫ぶ。
「お前らも、まだまだ行けるだろー!!」
ドームが爆発した。
「うおおおおおっ!!」
白いタオルが宙を舞う。
その光景は、まるで巨大な波みたいだった。
ステージ脇のモニターには、五十年前のキャロルの映像が流れている。
燃え盛る野音。
若き日の矢沢。
そして現在。
白いスーツの七十六歳。
二つの時代が重なる。
若い頃の矢沢は、怒りで走っていた。
金が欲しかった。
自由が欲しかった。
誰にも負けたくなかった。
だが今は違う。
今は、生きるために歌っていた。
誰かに「まだ大丈夫だ」と伝えるために。
ライブ終盤。
「止まらないHa〜Ha」が始まる。
観客全員が飛び跳ねる。
七十代の男たちも、二十代の若者も、一緒になって叫ぶ。
汗。
涙。
笑顔。
人生そのものみたいな光景だった。
曲が終わる。
矢沢は肩で息をしながら、静かに客席を見渡した。
五万人。
その顔を、一人一人見るみたいに。
そして低く呟いた。
「……ありがとう」
その声には、五十年分の人生が滲んでいた。 ([thefirsttimes.jp][1])
[1]: https://www.thefirsttimes.jp/report/0000717470/?utm_source=chatgpt.com "【ライブレポート】矢沢永吉、76歳国内最年長記録で東京ドーム ..."




