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記憶の封印

その日はオルガさんが急に準備できたわよと執務室にやって来て鈴を連れ出した。連れられたのは治療室。オルガさんに与えられた仕事部屋だけどほとんど使っていないと言っていた。


そもそもオルガは神出鬼没でよく街に繰り出していたりとどこかに出かけていることが多く、救助要請が来たときはオルガさまの下僕(自称)が人海戦術で探し出しているらしい。前に自称オルガさまの下僕の方が自慢げに教えてくれた。

人海戦術と聞いてオルガさんに下僕ってどのくらいいるんですかと尋ねたらあっけらかんとと下僕って何と言った。



治療室はまんま保健室のような作りをしている。部屋の中には女性が一人いた。


「その娘が依頼の?」

「えぇそうよ。お願いできる」

「任せて」


「初めまして、わたしは夢魔族のタースィーよ。オルガから依頼されてあなたの望む記憶を閉じ込めるわ」

「初めまして、鈴です。よろしくお願いします」

「こちらのベッドに横になって」


ベッドに横になったら仕切りのカーテンが閉められた。


「緊張しなくていいわ、肩の力を抜いて楽にしてね。今から行うのは夢魔族に伝わる記憶封印術。主に忘れたい記憶を思い出さないように頭の奥底の片隅に閉じ込めるの。無くなったわけではなくて思い出しにくくなるだけだからそこは誤解しないでね。術をかけてる間はその記憶があなたの頭に流れてしまうからそこは先に謝るわ。覚悟が出来たら始めるから声を掛けてね」


あの光景が頭に流れるというのにドクンと心臓が鳴る。過呼吸気味になってしまったがタースィーさんは静かに待っている。先に言ってくれたのは有難い。心の準備が整うまで何度も深呼吸を繰り返す。


恐い。思い出すのが恐い。けれど、いつまでもあの部屋にとらわれているのは嫌だ。いい加減、断ち切りたい。自力で乗り越える自信がないからこうして頼んだんだ。一歩踏み込む、それだけでいいんだ。


「タースィーさん、お願いします」

「ええ。目を瞑って」


結構待たせてしまった気がするがそれでも嫌な顔一つせずに微笑んでくれた。それだけで緊張が少し解れた。


「ーー、ーーーー♪ ~~~~♪」


不思議な声が聞こえる。聞いたことがない言葉が歌うように紡がれる。


脳内が鮮明になる。これまでの記憶が次々と流れてくる。ああ、嫌だ。見たくない。やめて、思い出させないで。抵抗するために体が勝手に動く。暴れるように手を足を動かす。するとすぐに抑えられる。その間でも不思議な声は頭に入る。いやだ、嫌だ助けて。


声が止んだ。名を呼ばれて目を開けるとタースィーさんが覗き込んでいる。上体を起こして辺りを見渡すと他には誰もいない。抑えられた気がしたんだけど。


「お疲れさま、大丈夫?」


水を渡されて受け取る。


「ありがとうございます。特に、大丈夫です」

「そう、良かったわ。リンさんのあの部屋での記憶は封じたわ。わたしにもあなたの記憶が見えたのだけど決して誰にも言わないから安心して。先に言わなくてごめんなさい。これを聞いて拒否する人がいるから後出しで伝えることにしているの。騙したと詰めてもいいわ」

「いえ、それを聞いたら私は後退りしてしまうと思うのでその心遣いは有難いです」

「そう、そう言ってくれて嬉しいわ。一つ聞いてもいい?」

「? はい」

「あなたの哀しい記憶、両親のことだけど、その記憶はそのままでいいの?」

「はい、両親の死は私が、自分で乗り越えたいんです。逃げずに受け止めたいんです」

「そう、いい心がけね。そんなリンさんに一つ。亡くなられて者は生き返りません。それはどんなに願っても。決して叶う事のない願いです。死は誰にでも訪れる絶対の事象であり回避できないもの。死者蘇生なんて夢物語はありえない。でも死んで終わりではありません。その方が生きたという過去があります。あなたの心の中に存在し続けています。本当の死は誰の記憶からも忘れ去られること。だから、あなたがご両親のことを忘れない限り、死ぬことはないんです。ここに確かにいるのです」


そう言って、鈴の左胸に指を当てる。ちょうど心臓がある場所。胸を抑えて、生きている、と呟くように零れた。


「説教みたいになってしまったわね。ごめんなさい」

「いえ、ありがとうございます。お陰で少し心が軽くなった気がします」


カーテンを開けられると治療室にはオルガの姿は見当たらなかった。


「あれ、オルガさんは……?」

「リンさんを連れてすぐにどこかに行ったわよ」


いつの間に……。本当に神出鬼没なんですね。


「それじゃあわたしはこれで失礼するわね」

「ありがとうございました。あの、また私と話をしてくれますか……?」


タースィーさんには会ったばかりなのになんでも話せるような、そんな雰囲気がある。カウンセラーさんに話しているような。相手の心情を察することが出来る聡さに寡黙な様。知らない人だと自分の気持ちを素直に吐露できるというし、自分の記憶を共有したのも大きいのかもしれない。


「ええ、もちろんいいわよ。わたしは魔界で暮らしているからオルガ経由で連絡してくれたらいいわ。気軽に連絡していいからね」


そう言って、タースィーさんは部屋を出て少し歩いて消えた。


魔界へと渡る道はあちらこちらに存在していて、その道を使って人間界と魔界とを行き来している。もちろんその道は魔族にしか見えずヒト族のわたしは見ることが出来ない。魔族の者が急に見えなくなったら魔界に渡ったということだから驚いて慌てなくても大丈夫よとウラルさんが教えてくれた。


今のが魔界に渡ったということか、とウラルさんが前に教えてくれたことが頭に思い浮かんだ。一瞬にしていなくなるのだからこれを慌てるなというのは無理難題ですよ。

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