第9話 夜に残る道
目を覚ました場所まで戻ると、ネレアは立ち止まってしばらく周囲を見た。
朔が倒れていた場所を確かめ、地図を見て方角を取る。
すぐに少し離れた細長い石に気づき、目を向けた。
朔はその横顔を見た。
「何か分かる?」
「古い術式」
ネレアは指を近づけて、触れない距離で石に刻まれた文字と線をなぞっていく。
それから紙を取り出し、筆記具で今なぞったものを写し取った。
石の状態を確認し、それも記録するとまた地図へ目を戻し歩き出した。
ネレアはほとんど喋らなかった。
朔はしばらく黙って見ていた。
地図そのものは大きく間違っていないらしい。
沢の位置も、斜面も合っている。
なのに、探している道が見当たらない。
ネレアは、ただ道らしい場所を探しているわけではない。
木の間隔、土の沈み方、斜面の不自然な切れ方を見る。
道そのものが消えていても残るはずの痕跡を探している。
古い道か。
朔は地図を思い出した。
今はもう使われていない。
それどころか、あった痕跡もほとんどない。
ネレアが探しているのは、たぶんそれだった。
朔も周囲を見る。
踏み固められた土はない。
植生の変化も見つからない。
木の並びも自然だ。
長く人が通ったなら、何かは残るはずだ。
少なくとも、朔の知っている範囲では。
スコープを取り出す。
電子表示は相変わらず死んでいる。
光学だけで、斜面の先を見るが、それらしい切れ目はない。
ネレアがこちらを見た。
スコープへ一瞬だけ視線が移動したのが分かったが、何も聞かれなかった。
朔も説明しなかった。
しばらくすると、ネレアが立ち止まった。
手を伸ばした先の枝がわずかに揺れ、淡い光が浮かぶ。
朔はすぐに光を見た。
投射器具は見当たらない。
反射でもない。
熱も感じない。
見えた範囲では答えに思い当たらない。
「今の何?」
「魔術」
言葉の意味だけは分かる。魔術。
今起きた現象に対しては、何一つ説明になっていない。
ネレアはもう歩き出している。
朔は一歩遅れてから後を追った。
この世界に、彼の知っている体系では説明できない現象がある。
そう仮置きする。今できることはそれだけだ。
暗い髪、丸眼鏡。同年代に見える。濃紺の上着と革のブーツ。
森を歩くことには慣れているらしい。立ち止まっては木に手をかざし、淡い光を指先に灯す。紙の束を取り出しては何かを記録し、また歩く。
眼鏡の奥の青灰色の瞳が何を見ているのか。その視線の先を追いかけるうちに、朔は途中から完全に自分でも探していた。
ネレアが何かを見れば、少し離れた場所を確認する。
地形が変われば、道が通るならどこが自然かを考える。
けれど確かに何もない。
何度か、地図の方が間違っている可能性も考えた。
ただ、ネレアは帰らない。
同じ場所を無意味に回っているわけでもない。
調べる範囲を少しずつずらしている。
「まだ探すの?」
「うん」
「地図が間違ってる可能性は?」
「ある」
朔は少し笑った。
「あるんだ」
「あるよ」
それだけ言って、ネレアはまた歩いた。
そうして、まぶしかった日差しが茜色に変わってきても道は見つからなかった。
見つからない。
だから、なかった。
とはしないらしい。
その考え方は嫌いではなかった。
朝からずっと眩しかった森が、ようやく落ち着いてくる。
朔にはこちらの方が見やすい。
ネレアはまだ帰る気配がない。
朔も今さらやめる気はなかった。
日が沈みかけた頃だった。
朔は何かが見えて、足を止めた。
最初は、影だと思った。
地面に薄い線がある。
けれど、どうにも長い。
朔は線の伸びる場所に近づき、手袋をした指で触れてみる。
何もない。
立つ場所を変えてもまだ見える。
朔は周囲を見る。
別の場所にも、ごく薄いものがあった。
こちらは木の根元で途切れている。
種類が違うのか。
そもそも本当に何かを見ているのか。
それさえも分からない。
昼間にはなかった。それだけは確かだった。
その中に、ひと際目立つものがあった。
幾重にも重なった線が森の奥へ伸びている。
朔は顔を上げた。
ネレアは少し先にいる。変わらず地図を見ている。
その線の向かう方向が合う。
今日、ネレアが何度も探していた方向だ。
「ネレア」
彼女が振り返る。
「何?」
朔は答えず、森の奥を見た。
昼には、ここに何もなかった。
今はある。
森の奥へ、一本の道が続いていた。




