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魔女は旅を続ける、使い魔を添えて  作者: 積極的保留


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第7話 塔の掃除

 朝食を終えたところで、ネレアは窓の外を見た。

 細い雨が、塔の向こうの景色を白く霞ませている。

「今日は暖炉を掃除するよ」

 向かいでカップを抱えていた朔が顔を上げた。

「もう?」

 秋に入ったとはいえ、まだ暖炉が必要なほど寒くはない。

「使うようになってからじゃ遅いでしょ」

「まあ、そうだけど」

 二人がこの塔に住み始めたのは春だった。夏を越し、秋になった。

 この塔で冬を迎えるのは初めてになる。


 ネレアが灰受けを外す。古い灰が、薄く底に残っていた。

「奥、見る?」

「お願い」

 朔がカップを置いた。

 暖炉の前まで飛んでいき、少しだけ中を覗く。それから羽を畳んで、奥へ入った。

「暗い」

「灯りいる?」

「出せる」

 小さな灯りが暖炉の奥に浮かんだ。

 ネレアは床に布を広げ、その上へ灰受けを置く。箒で灰を集めながら、壁際へ続く細い溝を見る。

 暖炉の周囲には、古い術式が残っている。

 火の熱を塔の中へ巡らせるためのものらしい。

 らしい、というところまでしか、春には確認していなかった。

 ネレアは指先から細く魔力を流した。

 線を一本ずつ辿る。

 使えるもの。途中で切れているもの。今の塔では、どこへ続いているのか分からないもの。

 全部を元に戻す必要はない。

 今使う場所へ、必要なだけ熱が届けばいい。

「ネレア」

 暖炉の奥から声がした。

「右側。途中で溝が二つに分かれてる」

「上?」

「片方は上。もう片方は壁の奥に行ってる。そっちは途中から見えない」

 ネレアは手元の線と照らし合わせた。

「上だけ使う」

「了解」

 しばらくして、朔が暖炉から出てきた。

 黒い髪も、黒い服も、煤であまり違いが分からない。

 顔だけは分かった。

「真っ黒」

「黒い服でよかった」

「顔」

 朔が頬を擦った。

 余計に広がった。

 ネレアは布を取った。

「こっち来て」

「自分で拭けるよ」

「見えてないでしょ」

 差し出した手に朔が降りる。

 ネレアは煤のついた頬を拭いた。

「こういうときだけ、この大きさ便利だよね」

「いつも便利だよ」

「ほんと?」

「たぶん」

 布を離す。

 まだ額に少し残っていた。

 もう一度拭こうとしたところで、ネレアは顔を上げた。

 誰かが敷地へ入った。

「人?」

 朔もネレアを見る。

「うん」

 窓へ寄ると、雨の向こうに人影があった。

 籠を抱えて、塔へ続く道を上がってくる。

「あれ、ダリオじゃない?」

 朔が窓際まで飛んだ。

 少しして、一階の扉が叩かれた。


 ネレアが開けると、やはりダリオだった。

「おはよう」

「おはよう。雨の中どうしたの」

「これ。マルタから」

 差し出された籠には、いくつもの野菜が入っていた。

 葉にはまだ雨粒がついている。

「この前の礼だって。朝、街まで来る用があったから、ついでに持ってきた」

「ありがとう」

「俺じゃなくて、マルタに言ってくれ」

 ダリオの肩も濡れていた。

 ネレアは扉を広く開けた。

「入る?」

「いいのか?」

「二階までなら」

 ダリオは一瞬だけ塔の中を見た。

「じゃあ、お邪魔します」

 ネレアは乾いた布を渡した。

 ダリオが髪と肩を拭いている横を、朔が飛ぶ。

「来る途中、分かった?」

「何が?」

「敷地に入ったところ」

 ダリオは布を動かす手を止めた。

「ああ。あれか」

「どんな感じだった?」

「なんて言えばいいんだろうな」

 少し考える。

「空気が変わった感じがした。何かに触ったわけじゃないけど、ここから先だって分かった」

 朔がネレアを見る。

「外からでもちゃんと分かるんだ」

「分かるようにしてあるから」

「嫌な感じはしなかったぞ」

「それならいい」

 二階へ上がると、ダリオは暖炉を見た。

「掃除中だったのか」

「冬になる前にね」

 ダリオは窓の外を見た。

「来る途中、煙が見えたぞ」

「朝の竈かな」

「街からも見えるぞ。この塔」

「そうなの?」

 朔が聞いた。

「煙が上がってると特にな。春頃は灯りも見えてたし」

 ダリオは椅子に座った。

「ずっと誰も住んでなかったから、最初は話になってた。魔女が越してきたって」

「俺は?」

「小さいのが飛んでるって」

 朔が黙った。

「使い魔だとは思われてなかった?」

「そのうち誰かが言ってた気はする」

「最初は小さいの扱いだったんだ」

「実際小さいだろ」

「そうだけど」

 ネレアは湯を沸かした。

 棚から、先日買った茶葉を出す。

 緑の茶葉だった。

 袋を開けるのは今日が初めてになる。

「それ、この前の?」

 朔がすぐに気づいた。

「うん」

 湯を注ぐと、柔らかな香りが立った。

 ダリオが部屋の中を見回している。

「中は普通なんだな」

「何を想像してたの」

「もっと魔女っぽい何か」

「暖炉に術式あるよ」

 朔が言った。

「十分魔女っぽい」

「水も地下から上げてる」

 ネレアがカップを置く。

 ダリオが床を見た。

「井戸があるのか?」

「地下に水源がある。水を上げる仕組みも残ってた」

「元から使えた?」

「水源はね。使えるようには直した」

 暖炉も同じだった。

 残っているものを調べて、使えるところを残す。

 分からないところには触れない。

 必要なところだけ、今の暮らしに合わせる。

 ネレアは焼き菓子も皿に出した。

 ダリオが茶を一口飲む。

「これ、うまいな」

「ネレアが選んだ」

 なぜか朔が答えた。

「茶が好きなのか?」

「好き」

「マルタも好きそうだな」

「持って帰る?」

 ネレアが茶葉の袋を持ち上げる。

「いいのか?」

「まだあるから」

 小さな袋へ分ける。

 その間に、朔は野菜の籠を覗き込んでいた。

「いっぱいある」

「お前、その大きさでそんなに食うのか?」

「俺の分だけじゃないよ」

「分かってる」

 皿の焼き菓子が残り一つになった。

 朔が見る。

 ダリオも見る。

「それ食べないの?」

「マルタに持って帰る」

「……そっか」

「なんで残念そうなんだよ」

「別に」

 ネレアはもう一つ焼き菓子を出した。

 朔がこちらを見た。

 何も言わなかった。

 ダリオが笑った。


 雨が弱くなった頃、ダリオは帰っていった。

 籠は空になり、代わりに茶葉と焼き菓子を持っている。

 扉を閉める。

「塔、街から見えてるんだね」

 朔が言った。

「塔だからね」

「そういう意味じゃなくて」

 ネレアは二階へ戻った。

 暖炉の掃除を終わらせる。

 古い術式のうち、読める線だけをもう一度確認した。

 途中で途切れているところを繋ぐ。

 今は使わない場所へ向かう線は閉じる。

 熱を上へ運ぶための流れを組み直す。

 朔は壁際を飛びながら、線の続きとネレアの手元を交互に見ていた。

「そこ、さっき中で見た線と同じ」

「こっちに出てたんだ」

「じゃあ、これが上?」

「たぶん。試す」

 暖炉に薪を入れた。

 火をつける。

 しばらく待つ。

 火は静かに燃えた。

 ネレアは術式へ魔力を流した。

 暖炉の周囲から、ゆっくりと熱が広がっていく。

 二階。

 その上。

「行ってみる?」

「うん」

 朔が先に飛んだ。

 上の階を順に確かめる。

 急に暖かくなるわけではない。

 それでも、術式を通った熱が少しずつ上へ届いている。

 五階まで上がった。

 そこだけは、他の階と様子が違う。

 広い床には、方角を示すような線が刻まれている。

 その間を、地形にも見える古い線が走っていた。

 壁際には、用途の分からない器具が残されている。

 ネレアにも、まだ全部は分からない。

 朔が床へ降りた。

 線の上を歩く。

「これ、下の術式とは違うね」

「違う」

「方角?」

「それは確認した」

 朔は床を見たまま少し進んだ。

「じゃあ、この線は?」

「分からない」

「今の地形とは違う?」

「そう見える」

 朔はしゃがんだ。

 触らずに、近くから線を見ている。

「動いてないんだよね」

「今はね」

「直さないの?」

「何をするものか分からないから」

「そっか」

 朔が立ち上がった。

 それ以上は触れなかった。


 ネレアは部屋の奥へ進んだ。

 海側には扉がある。

 開けると、冷たい風が入ってきた。

 雨はまだ細く降っていた。

 外へ出る。

 石造りのテラスから、海が見えた。

 灰色の空と海の境目は、雨に霞んでいる。

 街側も見える。

 濡れた屋根が並び、その向こうに道が伸びていた。

 さっきダリオが帰っていった道も見える。

 上から見ると近い。

「ほんとに近く見える」

 朔が隣へ飛んできた。

 風が吹いた。

 雨粒が横から、ネレアの頬に触れた。

 朔が少しだけ内側へ寄る。

「冬になったら、ここ寒そう」

「寒いだろうね」

「海、見に来る?」

「来るよ」

「寒くても?」

「海は見たいから」

「じゃあ俺も来る」

 ネレアは海を見た。

 雨の向こうで、波が白く崩れていた。


 夕食には、ダリオが持ってきた野菜を使った。

 暖炉には小さく火が残っている。

 試しに組み直した術式も、そのまま静かに熱を運んでいた。

 朔はテーブルの上で、切り分けた野菜を食べている。

「おいしい」

「よかった」

 窓の外では、もう日が落ちていた。

 雨はまだ降っている。

 冬が来るのは、もう少し先だった。



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