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魔女は旅を続ける、使い魔を添えて  作者: 積極的保留


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第4話 九つの石

「ピィー」


 朝食を終えた頃、鳴き声がした。

 朔が顔を上げる。

 ネレアはすぐに立ち上がり、近くの窓を開けた。

 白い鳥が海上の空を旋回して、ネレアが待つ窓枠に降りてくる。

 ネレアが指を差し出すと、鳥はそこへ移った。

「それ、手紙?」

「多分ね」

 左脚に結ばれた紙の結び目に触れ、わずかに魔力を流すと、紐がひとりでにほどけた。

 書かれていたのは一行だけだった。


 海辺の石工集落。境界石に異常あり。浜守が一人、戻らない。


 朔が横からのぞき込む。

「知ってる場所?」

「知ってる」

 ネレアは紙を畳んだ。

「行くよ」

「今から?」

「今から」

 ネレアが棚から調合してあった餌を取り出すと、白い鳥が、ピイ、と鳴いた。


 転移門を二つ越え、集落へ着いたのは昼を過ぎた頃だった。

 海に近づくにつれ、道沿いに石が増えていく。家の塀にも、道端にも。

 作業場の前には切り出された石が積まれ、削る音が聞こえていた。

 朔がネレアの肩から辺りを見る。

「石が多いね」

「この辺りで採れる」

「普通の石?」

「普通の石でもあるよ」

「でも?」

「魔力が馴染みやすい」

 朔は積まれた石を振り返った。

「それで境界にも使う?」

「そう」

 それ以上、朔は何も言わなかった。


 集落の向こうに、広い浜が続いている。

 朔を肩に乗せたまま、ネレアは真っ直ぐ浜までの道を進んだ。

 浜への石段を下りていくと、その浜の中ほどに大きな白い石があった。人の腰ほどの高さがある。長い間、潮風に晒されてきたのだろう。表面は丸みを帯びていた。そしてそれは右手側にもある。左手側にも。等間隔で三つ。

 さらに、波打ち際にもほとんど等間隔で三つ、同じような石があった。波が引くたび姿を現し、寄せるたび足元を海に隠している。

「六つ?」

「九つ」

 海中にも同じように石が三つ、置かれているらしい。今はその存在は確認できない。

「全部でひとつの術?」

「そう聞いてる」

 ネレアは陸の石に手を触れた。刻まれた線を指先でなぞる。

「古いね」

「うん」


 浜にいた男性が、二人に近づいてきた。浜守の一人だという。魔女が来ることを聞いていたらしい。

 男は、戻っていない男の名をロアンと告げた。長くこの浜を見てきた浜守で、その前は石工だったという。

「昨日の夕方まではいたんだ」

 男は海を見ながら言った。

「真ん中の石を見てくるって出て、それきりだ」

「真ん中?」

「潮の中の三つだ。ロアンが、ひとつ傾いてるって」

 ネレアもそちらを見る。潮はまだ高い。

「ほかの人は?」

「皆で探してる。浜も崖も、沖も。でもいない」

「石には触った?」

「いや。誰も」

 ネレアは頷いた。

「そのままでいい」

 朔が肩から飛び降りた。翼を広げ、潮間帯の石まで飛んでいく。

「朔」

「触らないよ」

 三つのうち、中央の石がわずかに傾いていた。

 ネレアは、ブーツを脱ぐと、足を濡らして石まで近づき、その前にしゃがみ込んだ。

 砂を払う。石の根元に刻まれた術式の一部が欠けていた。

「これ?」

 朔が肩に降りてくる。

「直せそう?」

 ネレアは答えず、そこから残りの石を見た。

 陸に三つ。潮の中に三つ。海の中に三つ。

「先に全部見る」

 浜守に小舟を出してもらい、海中の三つを確認する頃には、日が傾き始めていた。

 ほかの石そのものには大きな損傷はない。欠けているのは、潮間帯の中央の石だけだ。

 ネレアは、自分の周囲に魔力を広げ、薄く伸ばしていく。九つの石による境界術式は今でも動いているが、それでも海側には歪みがある。

「昔からここ?」

 ネレアが浜守に尋ねると、浜守は首を傾げた。

「石は動かしてないはずだ」

 ネレアは記録に何かを書いたが、朔は何も聞かなかった。


 夜を待った。

 ネレアと朔は、浜の中央で海を見た。

 ロアンを探していた浜守たちも浜に戻ってきて、後ろで集まって海を見ている。

 陸の三つは暗い影になり、潮間帯の三つは波の間に見え隠れしていた。

 朔が浜へ降りた。

 夜になれば、昼間とは違うものが見える。

 残された魔力の痕跡。古い道や足跡。

「どう?」

 ネレアが聞く。

「すごいな」

 朔は目を細めた。

 九つの石から、それぞれ細い痕跡が他の石へ伸びている。

 何度も繰り返し使われ、重なった魔力の跡。

 その下にも、何かがある。古すぎて、形まで拾えないもの。

 朔がネレアの肩に戻ってきた。

「切れてるね」

「切れてるな」

 傾いた石。そこから伸びる魔力の痕跡が、一部途切れている。

 ネレアは眉を寄せた。

「違う」

「なに?」

「続いてる」

「どこに?」

「それは分からない」

「新しい足跡が見える」

 朔が潮間帯の中央を指さしながら言った。

 砂浜を歩き、潮間帯へ入る。足跡は傾いた石の前で途切れていた。

「ロアンかもしれないな」

 ネレアはしばらく石を見た後、外套を脱ぎ、浜守へ渡した。再びブーツを脱ぐと、飛び上がっていた朔がネレアの肩に着地する。

「朔」

「うん」

「道、見失わないで」

「分かった」

 ネレアは海の中に進み、傾いた石の前に立った。両手を胸の前で組み、目を閉じる。


 最初に光ったのは、陸の三つだった。刻まれた術式が一斉に青白く光る。

 その陸の三つから、砂の上を細い光が走り、潮間帯の石へ届いた。波が寄せても、光は消えなかった。水の下を走り、その先へ伸びていく。

「海の石まで繋がった」

 朔がネレアの耳元で言うと同時に、沖の暗い海で光が灯った。

 夜の海に九点の光が浮かんだ次の瞬間、互いを結ぶ線が一斉に走り、九つの石はさらに光を強めていく。

 巨大な術式が、夜の海辺に浮かび上がった。

 朔は息を呑んだ。

 ネレアの髪が風に舞う。

 波が光の上を通るたび、海面が青白く輝いた。

「朔」

 ネレアの声が飛ぶ。

 朔は我に返る。

 契約を通して、朔の知覚がネレアに重なる。

 途切れていた痕跡が、少しずつ近づいてくる。

 ネレアは、歪んだ境界を支えながら、少しずつずれを合わせていく。

 ネレアの額に汗が浮かぶ。

「来る」

 波に重なるように、人影が見えた。

「ロアン!」

 浜守たちが叫ぶ。

 声が届いたのかは分からない。けれど人影がこちらへ踏み出し、その足が波を踏んだ。

 次の瞬間、老人が海の中へ倒れ込んだ。

 浜守たちが駆ける。

 ネレアが目を開けると、九つの石から一斉に光が弾けた。

 光は、海辺の輪郭をなぞるように走っていき、やがて消えていった。

 浜に夜が戻った。

 波の音だけが残った。


 ロアンは生きていた。

 疲れ切ってはいたが、怪我はほとんどない。

 温かいものを飲ませ、しばらく休ませると、ようやく話せるようになった。

「浜にいた」

 ロアンは言った。

「ずっと?」

 朔が聞く。

「集落は?」

「見えんかった」

「ほかに何かあった?」

「何も。浜と海と石」

 それから首を振る。

「いや。分からん。暗かった」

 ネレアはそれ以上聞かなかった。

「そしたら石が光った。慌てて海に入ったら、皆の声が聞こえてな」

 ロアンの目がほんの少し潤んだ。

 浜守たちは、かわるがわるロアンの背中を擦った。



 翌朝。

 潮が引いた浜で、ネレアと朔は、ロアンと一緒に傾いた石を見た。

「石を直さないと」

「お願い」

 ネレアが言う。

「石工の仕事でしょ」

 ロアンは一瞬黙ったあと、笑った。

「元、だ」

「じゃあ、元石工の仕事」

「人使いが荒いな」

 ネレアは返事をしなかった。

 ネレアと朔は、ロアンとほかの浜守たちが石を起こすのを見守った。


 この土地で採れた石だった。境界を留める術によく馴染む石。長い間、ここで海を見てきた石。

 位置を戻したあと、ネレアが欠けた術式を繋いだ。

 九つの石は、また機能した。少なくとも、今は。

 帰る前、ネレアは記録をまとめた。

 ロアンが消えた場所。石の損傷。昨夜の術。九つの石の状態。

 最後に、観測したことを加える。

 海側に境界の歪みあり。古い記録と現在の海岸線にずれあり。

「何か問題?」

 朔が聞いた。

「まだ分からない」

「調べる?」

「記録は送る」

 ネレアは紙を畳んだ。

 少しして、昨日の白い鳥が姿を現した。

 来た時と同じように、脚首に結び付け、魔力を通す。胸ポケットから持ってきていた餌を取り出すと、鳥はしばらく啄んでから舞い上がった。

「俺も働いた」

 ネレアが朔を見る。

「何かくれる?」

「考えとく」

 白い鳥は、頭上を旋回してから、ピイ、と鳴き、海の向こうへと消えた。


 昨日と同じように波が寄せている。九つの石も、昨日と同じ場所にある。


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