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魔女は旅を続ける、使い魔を添えて  作者: 積極的保留


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3/20

第3話 水の行方

 西門を抜けると、景色はすぐに変わった。


 石造りの建物は途切れ、街道の両側に畑が広がる。低い石垣の向こうには葉の大きな野菜が並び、その先には豆の支柱が規則正しく立っている。少し離れた丘には果樹が列を作り、畑の間を縫うように細い水路が走っていた。

 荷車が一台、土埃を上げながら道を進んでいく。

 ネレアはその轍を避けて歩いた。塔を出てから、もうずいぶん経っている。街を横切り、西門を抜け、さらに街道を歩いた。普段使うギルドからならまだ近い。街の南東にある塔からとなると、話は別だった。


「遠い」

 肩のあたりから声がした。

「知ってたでしょ」

「知ってるのと歩くのは別」

「朔は歩いてない」

 小さな朔が、ネレアの肩から飛び立ち、そのまま少し飛んだところで止まった。

 街道の脇を流れていた水路が、二つに分かれている。片方は近くの畑へ。もう片方は、さらに西へ延びていた。水は流れている。ただ、ギルドで聞いた通りなら、問題はこの先だった。


 依頼は、西側の農地で使われている水路の調査。ここしばらく、下流へ届く水が減っているという。水路を共同で使う農家がギルドへ依頼を出していた。

 原因の調査と、可能なら修理。

 ネレアは昨日、依頼を受ける前に受付でいくつか確認していた。

 水路を扱える職人はいるか。

 いる。

 原因が見つかった場合、すぐ呼べるか。

 連絡はつく。

 修理に必要な材料と費用は誰が持つのか。

 水路を管理する農家側。

 ネレアたちで修理できない場合は。

 原因と場所を特定し、必要な作業を報告すれば、調査の依頼としては完了。

 それなら受けられる。ネレアは翌朝から向かうことを約束し、依頼票を持ち帰った。

 水路沿いをしばらく進むと、畑の中から一人の男性が手を上げた。

「魔女さんか?」

 日に焼けた顔に、白いものの混じった髪。ネレアよりずっと年上に見える。

「ネレア」

「ああ。俺はダリオだ。ここの連中の話をまとめてる」

 差し出された手をネレアが取る。その間に、朔は水路の縁へ降りていた。

「それが使い魔か」

「朔」

「よろしく」

 小さな手が上がる。ダリオも手を上げかけて、途中で止まった。

「……喋るんだな」

「よく喋る」

「ネレアよりはね」

「余計なこと言わないで」

 ダリオが笑った。

「まあ、こっちだ。見てもらった方が早い」

 水路は畑の間を西へ延びていた。古い石造りだった。ところどころ色が違う。新しい石が入っている場所もあれば、継ぎ目を埋め直した跡もある。

「いつから水が減った?」

 朔が聞いた。

 ダリオは一度ネレアを見た。ネレアは水路を見ていた。

「……俺に聞いてるのか?」

「うん」

「十日くらい前だな。最初は気のせいかと思った。今の時期は使う量も増えるからな」

「去年の同じ時期は?」

「こんなことはなかった」

「上から入ってくる量は?」

「変わってないはずだ」

「測ってる?」

「ああ。毎朝な」

 朔が腰の小さな鞄から手帳を出した。

 朔の掌に収まるほどの、小さな手帳だった。さらに小さな筆記具を取り出す。

 ダリオの視線がそちらへ落ちた。

「それ、自分で書くのか」

「書くよ」

「そうか……」

「作付けが変わった畑は?」

「東の二枚が豆から葉物になった」

「今年から?」

「そうだ」

「水を取る時間は?」

 質問が続く。


 ダリオは途中から、もうネレアを見なくなった。朔に向かって答えている。

 ネレアは二人を残して、水路沿いを歩いた。

 水面に手を伸ばす。

 細い水の筋が持ち上がった。指先に沿うように流れ、細く伸びる。

 ネレアは流れを戻した。


「魔法で分からんのか?」

 追いついてきたダリオが言った。

「何が?」

「いや、水がどこに消えてるとか」

「分からない」

 即答すると、ダリオが目を瞬いた。

「魔女なら、こう……」

「便利そうだよね」

 朔が言った。

「そうそう」

「俺もそう思う」

「朔」

「はい」

 ネレアはもう一度、水へ手を入れた。

「水を動かすことはできる。でも、どこで何が起きてるかを水が教えてくれるわけじゃない」

「なるほどなあ」

「調べて、場所を絞れば使える」

「それまでは?」

「歩く」

 ダリオが笑った。

「魔女も大変だな」

「俺もいるよ」

「お前は飛んでるだろ」

 朔が黙った。


 午前のうちに、下流まで歩いた。

 確かに水は減っていた。枯れかけている畑はまだない。ただ、末端近くでは水路の底がところどころ見えている。

 畑仕事をしていた女性が、ネレアたちを見ると手を止めた。

「ダリオ、その人が魔女さん?」

「ああ」

「もっと年寄りかと思ってた」

「よく言われる」

「言われてないだろ」

 朔が横から言った。ネレアは朔を見た。

「言われる」

「今初めて聞いた」

「朔がいないところで」

「それはずるい」

 女性が声を上げて笑った。

 そこから先は、朔が聞いた。

 水が減り始めた日。畑ごとの取水時間。最近、水路を掃除した場所。雨が降った日。誰かが堰を動かしていないか。

 ネレアは途中で離れ、畑と水路の境を見て回った。

 昼を過ぎる頃には、朔の手帳にいくつもの数字と短い文字が並んでいた。

「記録を見たい」

 朔が言った。ダリオが水路の先を指した。

「管理小屋にあるぞ。古いのも捨ててなきゃ残ってる」

「補修記録も?」

「あるはずだ」

「水量の記録は?」

「何年分いる?」

「あるだけ」

 ダリオが朔を見た。

「お前、ほんとに使い魔なんだよな?」

「そうだけど」

「使い魔って、みんなこんな働くのか?」

 朔は小さな手帳を閉じた。

「俺が優秀なだけ」

 一拍置く。

「ついでに可愛い」

 ダリオが黙った。

 ネレアも黙った。

「……自分で言うのか」

「事実だから」

「行くよ、朔」

「ネレアもそう思うだろ?」

「置いていくよ」


 午後は別れて動いた。朔は管理小屋へ。

 ネレアは水路を上流側からもう一度辿った。途中で水を取り、細い流れにして石の継ぎ目へ沿わせる。流れがわずかに引かれる場所があった。けれど、それだけでは分からない。目印を残して、次へ進む。

 日が傾き始めた頃、朔が戻ってきた。

「ネレア」

「うん」

 それだけで、ネレアはしゃがんだ。

 朔が手帳を開く。

「上から入ってる量はほとんど変わってない。畑で使う量は去年より少し増えてる。でも、下で減ってる分には足りない」

「補修は?」

「三年前に上流。去年ここ。その前は七年前」

 朔が小さな指で、水路の先を示した。

「七年前のところから見たい」

「分かった」

 ネレアは立ち上がった。ダリオが二人を交互に見る。

「……それで分かるのか?」

「まだ」

 朔が答えた。

「分からないから見るんだよ」


 七年前に補修された区間を調べ終えた頃には、空が赤くなっていた。原因らしいものは見つからなかった。

「違った」

 朔はそれだけ言って、手帳に一本線を引いた。

「戻るか」

 ダリオが言う。

 ネレアは街の方を見た。ここから西門まで戻り、街を横切り、さらに塔まで。

 ダリオも同じ方向を見た。

「……お前ら、どこから来たんだ?」

「街の反対側」

「今から帰る気か?」

「そのつもりだった」

「やめとけ」

 即答だった。

「うちに泊まれ。部屋なら余ってる」

 ネレアは少し考えた。明日もここへ来る。

「じゃあ、借りる」

「そうしな。そっちのちっこいのくらい増えても変わらん」

「俺も一人に数えてよ」

「だったら一人分食うか?」

「それは無理」

「都合いいな、お前」


 ダリオの家は、畑から少し離れた場所にあった。石と木でできた、古い家だった。

 玄関を入ったところで、ネレアは外套の留め具を外した。濃紺の布を脱ぎ、壁際へ掛ける。

「あらまあ」

 奥から料理を運んできた女性が、足を止めた。昼間、水路の下流で会った女性だった。

「マルタだ。俺の嫁さん」

 ダリオが教えてくれる。

「魔女さん、ずいぶん可愛らしい人だったんだね」

 ネレアは丸眼鏡の奥から女性を見る。

「外套を着ていても同じ顔だけど」

「そういうことじゃないよ」

「俺は知ってた」

「朔には聞いてない」

「知ってることは共有した方がいい」

「しなくていいこともある」

 マルタが笑った。

「さあ、座んな。魔女さんの口に合うか分からんけど」

 食卓には、大きな鍋が置かれていた。

 豆と根菜を煮込んだもの。焼いた芋。まだ温かいパン。

「ここの畑の?」

「ほとんどね。パンの麦は少し北の畑だけど」

 ネレアは椅子に座った。

 朔も卓上へ降りる。

 マルタが朔を見る。

「……あんた、何食べるんだい?」

「同じもの」

 小さめの皿が朔の前に置かれた。

「それは多い」

「同じものって言っただろ」

「種類が同じって意味」

「面倒な使い魔だねえ」

 言いながら、マルタがさらに小さめの器に豆を移し替えた。

「切ってくるかい?」

「大丈夫。食べられる」

 昼間、水路の数字を並べていた使い魔が、今は豆一粒と向き合っている。

 ネレアはパンをちぎった。

「笑った?」

 朔がこちらを見る。

「別に」

「今、笑った」

「食べなよ」

 食事の間にも、水路の話は出た。

 ダリオが昔の補修について話し、マルタが畑の変化を話す。

 朔は手帳を出さなかった。ただ聞いていた。



 翌朝。

 まだ朝露が畑に残るうちから、朔は管理小屋へ向かった。

 ネレアは別の農家を回った。

 昼前、二人は水路の中ほどで合流した。

「三年前の補修箇所、違う」

「うん」

「去年も違う」

「こっちも取水の増加だけでは合わない」

「じゃあ下」

 ネレアは向きを変えた。

 説明はそれで足りた。

 午後になって、一つ見つかった。

 石の継ぎ目。表から見れば、わずかな隙間しかない。

 朔が記録から区間を絞り、ネレアが水を細く流して確かめた。水は継ぎ目へ寄り、その一部が石の向こうへ消えた。

「ここだな」

 ダリオが息を吐いた。

 連絡を受けて来た職人は、年配の男だった。石を叩き、継ぎ目を見て、周囲の土を確かめる。

「開いてるな。これなら直せる」

 ネレアは場所を譲った。

「水、止めた方がいい?」

「全部はいらん。ここだけ外せるか?」

「できる」

「なら頼む」

 ネレアが手を上げる。水路の流れが二つに分かれた。

 作業する部分だけを避け、細い弧を描いて先へ落ちる。

「便利だな、魔法ってのは」

 ダリオが言った。

「こういうのは便利」

「水が消えた場所は分からんのにな」

「万能だったら職人いらないでしょ」

「そりゃ困る」

 職人が笑った。

 修理が終わるまで、ネレアは水を支えた。

 朔は近くの石の上で記録を取っている。

 やがて職人が立ち上がった。

「よし。流してくれ」

 水を戻す。

 継ぎ目を越え、下流へ流れていく。

「これで戻るな」

 ダリオが言った。

「戻らない」

 朔だった。

 ダリオが振り返る。

「何が?」

「水」

 朔は水路を見ている。

「ここから抜けてた量じゃ、足りない」

「でも漏れてたぞ」

「漏れてた。でも全部じゃない」

 職人も水路をのぞき込んだ。

「どのくらい足りん」

 朔が答える。

 今度は誰も、なぜ使い魔に聞くのかとは言わなかった。

 職人はしばらく考えてから頷いた。

「なら、まだあるな」

「たぶん」

「場所は?」

「まだ分からない」

 朔は手帳を開いた。

「だから調べる」


 二日目の夕食では、朔の前に最初から小さな器が置かれていた。

「朔」

 ダリオが鍋から芋を取りながら言う。

「明日はどこを見るんだ?」

「まだ決めてない」

「決めてないのか」

「今から決める」

「飯食ってからにしろ」

「食べてる」

 朔は小さく切られた芋を口へ運んだ。

 マルタがネレアの皿にも煮込みを足す。

「ネレアも、もっと食べな」

「もう充分」

「若いんだから食べられる」

「若いかは分からないよ」

 女の手が止まった。

「……魔女ってのは、そういうもんなのかい?」

「ネレアは年齢を聞かれると面倒だから煙に巻いてるだけ」

「朔」

「はい」

 ダリオが笑う。

「お前、魔女さんの言うこと何でも分かるんだな」

「一緒にいるからね」

「便利だな」

「だいたい通訳できる」

「頼んでない」

「今のは『余計なことを言うな』って意味」

「それは誰でも分かる」

 マルタまで笑った。

 ダリオがしばらく朔を見てから言った。

「しかし、使い魔ってそんな感じで動くんだっけ?」

 朔は芋を置いた。

「俺が優秀なだけ。ついでに可愛い」

「また言ってる」

 ネレアは煮込みを食べた。

「否定しないんだな、魔女さん」

「すると長くなるから」

「それは肯定と受け取るよ」

「朔」

「はい」

 食事が終わる頃、マルタがふと思い出したように言った。

「そういや、下の方は昔、今みたいな水路じゃなかったよ」

 朔が顔を上げた。

「どこ?」

「果樹畑の手前。あそこは土の水路だった。石になったのは……いつだったかねえ」

「俺が子どもの頃にはまだ土だったぞ」

 ダリオが言う。

「今の図面だと?」

 ネレアが聞いた。

「全部同じ水路になってる」

 朔は少し黙った。

 それから席を立った。

「記録見る」

「飯食ってからにしろって言っただろ」

「食べた」

「今から行く気か?」

「手帳に写してある」

 朔は自分の鞄から小さな記録帳を取り出した。

 ダリオが呆れたようにネレアを見る。

「いつの間に」

「朔だから」

 その夜、朔は長いこと手帳を開いていた。

 ネレアは邪魔をしなかった。



 三日目の朝。

 朔は昨日までとは違う場所へ向かった。果樹畑の手前。ネレアもついていく。

「ここ?」

「もう少し先」

 古い水路図。補修記録。現在の図面。過去の水量。

 朔はそれらを何度も見比べていた。

 やがて、一箇所で止まった。

「ネレア、ここ」

 ネレアはしゃがんだ。水へ指を入れ、昨日と同じように、細い水の筋を作る。

 石の底を這わせる。一度。二度。三度。

 場所を変える。一本が、わずかに揺れた。

「もう少し広く」

 朔が言った。

 ネレアは水を増やした。今度は分かった。

 一箇所ではない。古い区間の底で、いくつもの小さな流れが石の隙間へ引かれている。

「これか」

 後ろからダリオの声がした。

 職人も来ていた。水路の底を確かめ、石を見ていく。

「一つ一つは小さいな」

「だから見つからなかった?」

 ネレアが聞く。

「それもある。上から見ただけじゃ分からん。昔の造りも関係してるかもしれん」

 職人はしばらく周囲を見てから、必要な作業を挙げ始めた。

 石を外す場所。埋め直す場所。必要な材料。

 ネレアは聞いた。

「水は?」

「しばらく外へ回したい」

「どのくらい?」

 職人が示す。

「分かった」

 そこからは、職人の仕事だった。

 農家から何人かが集まり、石と道具を運ぶ。

 ネレアは水を迂回させた。

 朔は古い図面と現在の位置を照らし合わせ、必要な場所を伝える。

 誰かが土を運び、誰かが石を組む。

 昼を過ぎた頃、職人が最後の継ぎ目を確かめた。

「流していいぞ」

 ネレアが手を下ろした。

 迂回していた水が、本来の水路へ戻る。石の間を抜け、果樹畑を過ぎて、さらに下へ。

 皆で水路沿いを歩いた。

 昨日まで底の見えていた場所を、水が覆っていく。ダリオがしゃがみ、水へ手を入れた。

「戻ったな」

「今日はね」

 ネレアが言う。

「明日も見ろってことか?」

「しばらくは」

 ダリオがため息をついた。

 朔が横から言う。

「『直した後も確認した方がいい』って」

「そこまで言ってない」

「でもそういう意味だろ?」

「……朔」

「はい」

 職人が笑った。

「魔女さんより、そっちの使い魔の方がよく喋るな」

「だから俺が通訳を」

「いらない」


 帰る頃には、日が少し西へ傾いていた。今からなら、暗くなる前には街へ戻れる。

 ダリオとマルタが、道まで見送りに出てきた。

「世話になったな」

「依頼だから」

「飯と部屋は依頼に入ってないぞ」

「それは、ありがとう」

 マルタが笑った。

「今度は仕事じゃなくても来な。畑のものがある時なら、何か食わせてやるから」

 朔がすぐ振り返った。

「ご飯も?」

「お前はそこか」

「大事だよ」

「次はもう少し小さく切ってやる」

「それは助かる」

 ダリオがネレアを見る。

「ネレアもな。またこっち来たら寄っていきな」

 ネレアは少しだけ目を細めた。

「また来る」

「おう。また来いよ」

 ネレアは外套を翻して歩き出した。

 朔が追ってくる。

 西の農地を抜ける道の横で、水路は変わらず流れていた。


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