第21話 できること
朝食のあと、朔はテーブルの上に置かれた小さなカップを見ていた。
昨日までなら普通に使っていたカップが今は両手で抱えても大きい。
ネレアが用意した小さな器には、少しだけ紅茶が入っている。
朔はそれを飲みながら、向かいに座るネレアを見た。
ネレアのカップから湯気が上がっている。
「ネレア」
「なに?」
「俺も、お湯を沸かせるんだよね」
ネレアがカップを置いた。
「できると思う」
「やってみていい?」
「うん」
朔は立ち上がった。
昨日、契約について調べた本には、使い魔が契約した魔女の魔力を使うことについても書かれていた。どの程度使えるかは、使い魔によって違うらしい。
朔の場合は、まだ分からない。
契約が繋がっている感覚はある。その先に、ネレアの魔力があることも。
昨日まで知らなかった感覚だけど、意識を向けるとそこにある。
多い。改めてそう思う。
「使いすぎたら分かる?」
「減れば分かると思う」
「じゃあ、頼んだよ」
朔はテーブルの端まで歩いた。
湯を沸かすだけなら、何度も見ている。クラウディアもタリアも、ネレアもやっていた。特に意識するほどの魔術でもないらしい。問題は自分でやったことがないことだった。
魔力を引く。
思ったより簡単に何かが自分の中へ流れ込んだ。昨日初めて知った感覚。それを、見たことのある形へ寄せる。
少し離れたところで、湯の入った小さな容器から湯気が上がった。
「……できた」
「できたね」
ネレアの声はいつも通りだった。
朔は容器のところまで行った。
ただ、問題はここからだった。
自分で湯を沸かせても、自分より大きなポットは持てなかった。
「これ、意味ないな」
ネレアが少し笑った。
朔はポットと自分の身体を見比べて考える。
今までと同じ道具を使う必要はない。ネレアが昨日用意した、小さな器を使えばいい。湯を移す方法は? 先に沸かす?
試して失敗して。ネレアに止められながら、朔は自分の小さなカップで紅茶を入れることに成功した。それを一口飲んで味を確かめると、今度はネレアのカップの前に移動した。
「まだやるの?」
「今度はネレアの」
ネレアがこちらを見る。
朔はさっきより慎重に魔力を使った。
湯が沸く。茶葉を濾して保温する。
そうして出来上がった紅茶をネレアの前に置いた。
「どうぞ」
ネレアがカップを持ち上げる。
一口飲む。
朔は待った。
「おいしい」
「そうでしょ」
その日の午前中は、自分に合う魔力の使い方を調べることに使った。
魔力をどのくらい使って、何ができるのか。
どの程度なら、ネレアへの負担が少ないのか。
大きな魔術を試すつもりはない。
生活の中で必要になる程度のものから確かめていく。
物を少し動かす。
灯りをつける。
小さなものを浮かせる。
そのたびにネレアが、自分の魔力の減り方を確認する。
朔も、自分の中を通っていく量を覚えていった。
「これくらいなら?」
「大丈夫」
「これは?」
「さっきより多い」
「分かるんだ」
「私の魔力だからね」
当然のことのように言われた。
昼前には、別の問題を試すことにした。
移動だ。
昨日、階段を自力で上がることはできた。
ただし、時間がかかる。
仕事で毎回あれをやるのは現実的ではない。
ネレアの肩に乗るのは早い。手で運んでもらうこともできる。それで困るわけではない。
けれど、自分で動ける方法があるなら、その方がいい。
朔は椅子の背の上に立って、床を見下ろした。
「何するの?」
「飛べないかなと思って」
「飛ぶ?」
「この大きさなら、移動としては一番早い」
ネレアが少し考える。
「羽?」
「作れない?」
「……魔力で?」
「魔力で」
ネレアは朔を見た。
否定はしなかった。
「やってみる?」
「うん」
どうすれば羽になるのかは分からない。
そもそも、魔力で羽を作れるのかも分からない。
ただ、少なくとも今日試した範囲では、魔力に意図した形を与えることで現象を起こせている。
なら、必要なのは飛ぶための形だ。
二枚?
朔は少し考えた。
前後左右への移動と、停止。旋回。
一組で全部を制御するより、役割を分けた方がいい。
この身体なら――四枚。
背後へ意識を向け、魔力を流す。
何も起こらない。
もう一度。
今度は少しだけ、空気が揺れた。
「何か出た?」
「一瞬」
もう一度試す。
ネレアの視線が、朔の背後へ向いている。
今度は朔にも分かった。
自分の身体の後ろに、何かがある。
身体の一部ではない。
魔力で作ったものが、自分に繋がっている。
意識を向けると動く。
「……四枚ある?」
「ある」
朔は振り返ろうとして、当然見えなかった。
ネレアが立ち上がる。
「透明……きれいだよ」
朔は少し黙った。
「それならいい」
「そこ?」
「見た目も大事でしょ」
羽を動かす。
身体が少し浮いた。
「お」
次の瞬間、姿勢が崩れた。
落ちる前に、ネレアの手が下に入った。
朔はその掌に着地した。
「……難しい」
「飛べてたよ」
「浮いただけ」
もう一度。今度は低いところから試した。
浮く。
前へ進む。止まれない。ネレアに受け止められる。
三度目。
浮く。進む。曲がる。壁にぶつかりそうになって、急停止する。
何度か繰り返すうちに、身体の傾け方と羽の動きが繋がってきた。
昼を過ぎる頃には、朔はテーブルから棚へ飛べるようになっていた。
階段ももう問題にならない。吹き抜けを上がり、二階の手すりに降りる。
下を見ると、ネレアがいる。
「どう?」
「便利そう」
「便利だよ」
朔はそのまま飛び降りた。
四枚の羽が開く。今度は途中で姿勢を変え、ネレアの肩へ降りた。
「これなら仕事にも使える」
「外は風があるよ」
「それも試す」
「今日はやめよう」
即答だった。
「なんで?」
「疲れてる」
朔は自分の身体を確認した。
確かに、少し重い。飛ぶ前より疲れている。
「魔力は?」
「それほど減ってない。でも、朔が疲れてる」
魔力とは別らしい。
「記録しとく」
「休むのも入れて」
「はい」
午後、タリアが戻ってきた。
朔が飛んでいるところを見て、しばらく黙った。
「……羽、生えたの?」
「生えてない。魔力で作ってる」
「見せて」
朔はテーブルに降りた。
羽を消して、もう一度出す。
透明な四枚の羽が開く。
タリアが顔を近づけた。
「かわいい」
「格好いいだろ」
「かわいい」
「聞いてないな」
タリアは笑いながら、朔の服をつまんだ。
「これも、そのままなんだよね」
契約したときに縮んだ服だ。クラウディアが用意してくれた服。
「服、いくつか作ろうか」
「できるの?」
「せっかくだし。今の朔に合わせた方が動きやすいでしょ」
それはそうだった。
「黒で」
「まだ何も聞いてない」
「黒。飾りはあんまりいらない。動きやすいやつ」
「はいはい」
「あと、妖精みたいなのは嫌だ」
タリアが羽を見る。
「もう十分妖精みたいだけど」
「服の話」
ネレアが横で少し笑った。
結局、タリアは布をいくつか持ってきた。
朔は測られた。
腕、肩、胴、脚。
途中で何度か動くなと言われた。
「小さいとすぐ終わるね」
「それ、褒めてないだろ」
「布も少なくて済む」
「もっと褒めてない」
「いい布使えるよ」
それなら悪くない。
夜になって、朔は籠の中で今日の記録を読み返していた。
魔力。
生活魔術。
飛行。
疲労。
羽を出している間にも、ネレアの魔力は使っている。
ただし、自分の疲労は別にあるらしい。
分からないことは、まだ多い。
けれど昨日よりは増えた。できることも。分かることも。
朔は紙を置いた。
部屋の灯りはまだついている。
ネレアはベッドの上で本を読んでいた。
「ネレア」
「なに?」
返事をしようとして、違和感があった。
視界が揺れる。
朔は籠の縁に手をついた。
「……待って」
「朔?」
身体の内側を、何かが通った。
魔力とは違う。
昨日、小さくなったときとも少し違う。
籠が縮んでいく。
違う。
自分が大きくなっている。
「え」
一瞬で、部屋の大きさが変わった。
朔は床に降りた。
見慣れた高さだった。
自分の手を見る。
「……戻った?」
ネレアがベッドから降りていた。
朔は顔を上げる。
昨日からずっと見上げていた青灰色の瞳が、ほとんど同じ高さにある。
ネレアも、こちらを見ていた。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
朔はもう一度、自分の手を見る。
「なんで?」
ネレアが答える。
「分からない」
窓の外は暗い。
月は見えなかった。




