第11話 ついていく理由
クラウディアの家までは、丸一日かかった。
森を抜けてから街道に入り、小さな町を一つ越えた。
朔にとっては、見るもののほとんどが初めてだった。道を行き交う荷車。石造りの家。見慣れない文字の看板。人の服装も、使っている道具も、どれも朔の知るものとは少しずつ違う。気になるものは多かった。
全部をネレアに聞く必要はなかった。見れば分かるものもある。しばらく眺めれば用途を推測できるものもある。分からないものは覚えておけばいい。朔は歩きながら、目についたものを順番に頭へ入れていった。
ただ、ネレアだけは何度見てもよく分からなかった。彼女は必要以上に喋らない。道を聞けば答える。休む場所も決める。危険があれば先に止まる。けれど、聞いていないことまで説明してくれることはなかった。
森で起きたことについても同じだった。細長い石に刻まれていたもの。ネレアは記録していたが、何を考えているのかまでは話さなかった。それで困るわけでもない。朔は隣を歩く彼女を見る。
暗い髪が風に揺れていた。丸い眼鏡の奥で、青灰の目が前を見ている。初めて会ったときから、よく目がいく。綺麗だから、というのはある。けれど、それだけでもない気がした。
ネレアがこちらを見る。
「何?」
「見てた」
「それは分かる」
朔は笑った。
「気になるから」
ネレアは少しだけ朔を見た。それ以上は聞かなかった。
前を向き、そのまま歩いていく。
朔も隣を歩いた。そういうところも気になった。
夕方、街道を外れた。
少し歩くと、大きな石造りの家が見えてきた。二階建てで、横に長い。庭も広い。整えられてはいるが、観賞用には見えなかった。植えられているものの種類が多く、区画ごとに育て方も違う。食用か、魔術に使うこともあるのだろうか、いくつかは乾燥させるための棚まで用意されている。
朔が庭を見ている間に、ネレアは門を通った。
「ここが師匠の家?」
「うん」
ネレアは扉を開けた。
「ただいま」
少しして、奥から足音がした。
現れた女性を見て、朔は素直に感心した。
背が高い。長い銀灰の髪を低い位置で結び、暗い色の服を着ている。整った顔立ちに、灰紫の目。かなり綺麗な人だった。
ただ、最初に目についたのは顔より視線だった。
朔を見ている。驚いているようには見えない。頭から足元まで一度だけ確認し、それからネレアへ視線を戻した。
「おかえり」
「ただいま」
「予定より遅かったね」
「色々あった」
クラウディアの視線がもう一度、朔へ来る。
ネレアが言った。
「朔」
説明はそれだけだった。
クラウディアは数秒待った。
「それは名前?」
「そう」
「なるほど」
朔は笑った。
「朔です。たぶん、あなたがネレアの師匠?」
「クラウディア。そうだよ」
声も落ち着いている。
ネレアと似ているわけではない。それでも、二人が師弟だと言われれば妙に納得できた。
「話がある」
ネレアが言った。
「そうだろうね」
クラウディアは朔をもう一度見た。
通された部屋は、朔にはかなり魅力的だった。
壁の大半が棚で埋まっている。本だけではない。地図と思われるもの。小箱。鉱石らしいもの。乾燥した植物。何に使うのか分からない器具。どれも無造作に置かれているようで、よく見ると分類されている。
朔は一番近い棚の背表紙を眺めた。
文字は読めない。意味を拾えるものもあるが全てではない。それも覚えておく。
「朔」
呼ばれて振り返る。
ネレアが椅子を示していた。
朔は素直に座った。
ネレアが師匠に報告した。
森で旧道を探したこと。夜になって、朔に古い道の痕跡が見えたこと。その先に石があったこと。
石に残っていた文字から朔がいくつか意味を拾えたこと。そして、術式が欠けていたこと。
クラウディアは黙って聞いていた。ときどき短い質問をする。
……事実と、それ以外を分けている。
朔は途中から、報告の内容と同じくらいクラウディアの質問の仕方を見ていた。ネレアも似たことをする。
森でもそうだった。
分からないものを、分かったことにしなかった。師匠から覚えたのかもしれない。
ネレアが石の写しを机へ出す。
「残ってた術式」
クラウディアが確かめる。
「触らなかったんだね」
欠けていた部分を指す。
ネレアが頷いた。
「それでいい」
クラウディアは紙を置いた。
「境界の魔術は、適性がないと使えない」
ネレアが顔を上げる。
「まだ教えてない」
クラウディアが先に言った。
「使う機会があるとは思ってなかったから」
ネレアはもう一度、紙を見る。
「境界を結んでいた?」
「可能性は高いね」
クラウディアは即答しなかった。
「今はここまで」
それで話は終わった。
朔は二人を見比べた。
ネレアはもう自分の記録を見ている。
クラウディアも次に確認すべきことを書き始めていた。
似ている。やはり師弟だった。
そのあと、話は朔自身へ移った。
こちらは、答えられることが少なかった。自分がいた世界とここは違う。
森で目覚める以前のことは覚えている。だが、どうやってこちらへ来たのかは分からない。夜になって見えた痕跡が何なのかを判断できる材料もまだ持っていない。
クラウディアは答えのないところを無理に埋めなかった。ただ、分かっている範囲だけを書き留めた。その姿勢は朔には好ましかった。
「それで」
クラウディアが筆を置く。
「これからどうする?」
朔には、もう答えがあった。
「この世界を知りたい。……できればネレアについて行きたい」
クラウディアは驚かなかった。
代わりにネレアを見る。
「ネレアは?」
「……仕事の邪魔をしないなら」
「しないよ」
答えると、ネレアがこちらを見る。
「まだ分からないでしょ」
朔は少し笑った。
「じゃあ、邪魔になったら言って」
ネレアはしばらく朔を見た。
「分かった」
それで決まった。ずいぶん簡単だと思った。
けれど、朔にはその方がよかった。できるかどうかは、これから見せればいい。
翌日の午後。
朔はクラウディアの仕事部屋にいた。
自分の持ち物について、クラウディアの質問に答えていた。例えばスコープで何ができるのか。今はどの機能が使えるのか。
ネレアは隣で聞いている。
そのあとは、棚から出してもらったあの森の古い記録を見た。
文字そのものは読めないけれど、ところどころで意味を拾える。拾えるものと拾えないものは何が違うのか。いくつか仮説を立てながら拾えた文字を記憶していると、玄関の方で扉が開いた。
「ただいま」
ネレアが本から顔を上げる。
「おかえり」
しばらくして、一人の女性が部屋へ入ってきた。金色の髪を後ろでまとめている。旅装のまま、大きな鞄を肩に掛けていた。
朔を見つけ、足が止まった。
「……何、このイケメン」
朔は顔を上げた。初対面の第一声としては、かなり分かりやすい。
「朔」
「名前まで格好いいじゃん」
「ありがとう」
女が笑った。
「否定しないんだ」
「よく言われるから」
一瞬のあと、女は声を上げて笑った。
「好きだわ、そういうの」
鞄を床へ置く。
「タリア。ネレアの姉弟子」
「じゃあ、クラウディアの弟子?」
「そう。今はもう独立してるけど」
朔はタリアの旅装を見る。裾に乾いた泥がついている。鞄にも擦れた跡が多い。
「遠くから?」
「当たり。山越え」
「何があった?」
「それ聞く?」
「聞きたい」
「長いよ」
「ちょうどいい」
タリアは楽しそうに椅子を引いた。
朔を警戒する様子もない。
話はすぐに弾んだ。
北の山では、もう朝の空気が冷たいこと。峠には古い祠があること。山向こうでは、この辺りと違う方法で魔術具を作ること。朔は知らないものを聞いた。ただ聞くだけではない。分かる範囲で組み合わせ、推測する。外れれば修正する。
タリアもそれを面白がった。
「話が早いね、朔」
「そう?」
「ネレア、この子いいじゃん」
窓辺で本を読んでいたネレアが顔を上げる。
「そうだね」
それだけ言って、本へ戻った。
朔は少し笑った。
タリアとの話は面白かった。
彼女はよく喋る。話題が一つ終わる前に別のものが繋がる。知らない土地の話が次々出てくる。
朔にとっては、かなり相性のいい相手だった。
それでも、ネレアが立ち上がると目がそちらへ行った。
棚へ本を戻す。別の本を取り、席へ戻る。ただそれだけの動きを、朔は目で追った。
タリアの話へ戻る。少しして、ネレアが部屋を出ていき、戻ってくる。
タリアの視線が、朔ではなくその向こうへ動いた。
クラウディアがいた。二人の目が合う。何か通じたらしい。
朔は気づいたが、話を止めるほどでもないので放っておいた。
日が落ちて、四人で夕食を摂った。朔についてクラウディアに聞いた時にはさすがに驚いていたけれど、いつの間にか話題はタリアの旅に戻っていった。
「今度は西へ行くつもり」
「海沿い?」
「途中まではね。そこから船。朔、来る?」
「行ってみたい」
「じゃあ本当に来る?」
朔は少し考えた。
「いや」
「なんで?」
「……ネレアについて行くから」
タリアがネレアを見る。
「西、行く予定ある?」
「ない」
「じゃあ、また今度見る」
タリアが笑う。
「変なの。私についてきた方が、いろんなところ見られるよ」
「そうだろうね」
「話も合うし」
「合うね」
「なのに来ない?」
「うん」
朔には特に矛盾しているようには思えなかった。
未知のものは見たい。タリアの話も面白い。それと、ネレアについて行きたいことは別だった。
タリアはしばらく朔を見て、何か納得したように頷いた。
「なるほどね」
何がなるほどなのかは聞かなかった。
そのあと、食後のお茶を飲みながらタリアはクラウディアを見た。
「クラウディア、綺麗でしょ」
唐突に話が変わった。
朔は対角に座っているクラウディアを見る。
銀灰の髪。整った顔。静かな目。
「うん。綺麗だね」
「私は?」
朔はタリアを見る。
「綺麗だと思う」
「よし」
タリアが笑う。それから、窓際へ視線を向けた。
「ネレアは?」
朔も見る。ネレアはカウチに移動し、また本を読んでいた。
少し考える。
「……好きだな」
沈黙した。タリアが。クラウディアも何も言わない。
ネレアだけが視線を上げた。
「何?」
タリアが朔を見る。
「綺麗かって聞いたんだけど」
「もちろん綺麗だよ」
「じゃあ、なんで好き、になったの」
朔はもう一度ネレアを見る。
初めて会った森でも、よく見ていた。
暗い髪。青灰の目。必要なことしか話さないところ。分からないものを、分からないまま扱えるところ。
そのあと知ったものもある。まだ知らないものは、もっと多い。
「さあ」
今のところ、それ以上の答えはなかった。
「理由がいる?」
タリアが一瞬黙ってから笑った。
「……いや。いらないか」
ネレアが三人を見る。
「何の話?」
朔は答えた。
「ネレアが好きって話」
「……そう」
ネレアは本へ戻った。
タリアが目を瞬く。クラウディアは平然と茶を飲んでいる。
朔もカップを取った。好きなのは事実だった。
ネレアがページをめくる。
朔の目は、またそちらへ向いた。
タリアが小さく笑った。
急な体調不良のため更新をお休みしていましたが本日より投稿を再開いたします。
第一章完結まで執筆済み、順次予約投稿します。(本日は投稿再開ということで2話更新予定)
引き続きネレアと朔の旅をお楽しみいただければ嬉しいです。




