七話 卵買ってええ
街の入口で、二人の冒険者が話していた。
一人は、日に焼けた顔に無精ひげを生やした中年の男。
鎧には細かい傷がいくつもあり、腰の剣も使い込まれている。
もう一人は、まだ装備の革が新しい若い冒険者だった。
いかにも駆け出しという感じで、背筋だけはやたらと伸びている。
「いいか。山に入るなら、これだけは覚えておけ」
中年の冒険者が、低い声で言った。
「山で卵を見つけても、絶対に拾うな」
「卵、ですか?」
「ああ。白くてでかい卵だ。木の根元や岩陰にある。見つけても近づくな。触るな。持ち帰ろうなんて考えるな」
「でも、卵ですよね? 売れたりしないんですか?」
若い冒険者が、少しだけ目を輝かせた。
中年の冒険者は、深いため息をついた。
「お前みたいな奴が、毎年ひとりは出る」
◇
その頃、私達は山にいた。
十万ペニー。
十万ペニー。
十万ペニー。
頭の中で、その言葉だけがぐるぐる回っている。
家賃二ヶ月分。
払えなければ、クランホームから追い出される。
異世界に来てまでホームレス。
嫌だ。
それだけは嫌だ。
「うさぎ、目が怖いよ」
華菜が少し引いていた。
「十万ペニー」
「駄目だ。お金に取り憑かれてる」
「張り紙には、山で見つけた卵は取るなって書いてあったよな」
リンクが周囲を警戒しながら言う。
「うん」
「大丈夫なのか?」
「取るなって書いてあるってことは、高いんだよ」
直哉が感心したように頷いた。
「浪漫だな」
「直哉も乗らないで!」
華菜が叫んだ。
◇
「昔な」
中年の冒険者は、門の脇に立ったまま続けた。
「卵を街に持ち帰った奴がいた」
「どうなったんですか?」
「そいつも笑ってたよ。珍しい卵を見つけた。売れば金になるってな」
若い冒険者は、ごくりと喉を鳴らした。
中年の冒険者は、山の方を見た。
「蜘蛛が来る」
◇
「あったあああああああ!!」
私は叫んだ。
木の根元に、白いものがあった。
丸い。
でかい。
私の頭より大きい。
一つ。
二つ。
三つ。
卵だ。
白くて丸い家賃が、木の根元に転がっている。
「うさぎ、待て」
リンクが低い声で言った。
「さすがにやばくないか?」
「やばくない」
「張り紙に取るなって書いてあったやつだよね?」
「書いてあった」
しかし、家賃が私を狂わせた。
私は卵に近づいた。
表面は少しぬめっとしている。
「うわ、気持ち悪っ」
「やめとけって」
「大丈夫。卵だよ? 卵が襲ってくるわけないじゃん」
その瞬間、卵の中で何かが動いた。
ぴくっ。
「……今、動かなかった?」
「動いてない」
「いや、動いたよ」
「動いてない。家賃は動かない」
「それ卵だからね!?」
◇
「蜘蛛はな、卵の匂いを追う」
中年の冒険者は言った。
「どこまでも追ってくる。山の中ならまだいい。巣の近くに戻せば済むこともある。だが、街に持ち込んだら終わりだ」
「終わり……ですか?」
「街の門を越えようとする。数が多ければ、門番だけじゃ止められない」
「だから張り紙が……」
「ああ。あの張り紙は、親切で貼ってあるんじゃない」
中年の冒険者は、若い冒険者の肩に手を置いた。
「馬鹿を止めるために貼ってある」
◇
「持てた!」
私は卵を抱え上げた。
重い。
でも持てないほどじゃない。
これはもう勝ちだ。
家賃。
完済。
さらばホームレス。
こんにちは、安定した異世界生活。
「本当に持って帰るのか?」
リンクが呆れたように言った。
「十万ペニーのために」
「売れる保証ないよ?」
華菜が言う。
「大丈夫。こういうのは、欲しがる金持ちがいる」
華菜が頭を抱えた。
私は卵を抱えたまま、胸を張った。
「帰ろう。私達の未来は明るい」
街の門が見えた。
勝った。
私は、そう思った。
腕の中には、白くて丸い卵。
しかも、でかい。
重い。
ぬめっとしている。
正直、気持ち悪い。
だが、これは卵ではない。
家賃だ。
二ヶ月分の家賃が、私の腕の中にある。
「ふふふ……」
「うさぎ、顔が悪いよ」
華菜が横から言った。
「悪くないよ? これは希望に満ちた顔」
「金に目がくらんだ顔だろ」
直哉が呆れたように言う。
「街に着いたら、まず買い取ってくれるところを探すか」
リンクは真面目に考えてくれている。
さすがリンク。
頼れる。
「十万ペニー。十万ペニー! 私達は自由だYO!」
「うさぎ、何それ?」
「十万ペニーの歌」
そんなことを話しながら、私達は街へ向かって歩いた。
門の前には、人が集まっていた。
門番。
冒険者。
商人っぽい人。
買い物帰りのおばちゃん。
子どもまでいる。
何だろう。
みんな、こっちを見ている。
「あれ? 何か人多くない?」
華菜が首を傾げた。
「ほんとだ」
私は腕の中の卵を抱え直し、空いている片手を大きく振った。
「おーい!」
門の前の人達も、何か叫びながら手を振っている。
「見て。みんな手を振ってる」
「歓迎されてるのかな?」
華菜も少しだけ手を振った。
「いや、違うだろ」
リンクが目を細めた。
「何か叫んでないか?」
「え? 聞こえない」
距離がある。
それに、私達の後ろから風が吹いていて、声がよく届かない。
門の前では、中年の冒険者が両手を振り回していた。
隣にいる若い冒険者も、顔を真っ青にして何か叫んでいる。
「すごい歓迎だね」
「いや、絶対歓迎じゃない」
直哉が冷静に言った。
「でも手を振ってるよ?」
「こっち来るなって振り方だろ、あれ」
「え?」
私はもう一度、門の前を見る。
確かに、みんな必死に手を振っている。
だけど、よく見ると笑っていない。
全員、顔が引きつっていた。
その中で、中年の冒険者の声が、かすかに聞こえた。
「――来るなああああああ!!」
「え?」
来るな?
誰に?
私達に?
何で?
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
背後から、低い音がした。
地面の下から響いてくるような音。
地割れでも起きるのかと思った。
「……何の音?」
華菜の声が小さくなった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
音が近づいてくる。
地面が震えていた。
リンクが、ゆっくりと振り返った。
直哉も振り返った。
華菜も振り返った。
私も、卵を抱えたまま振り返った。
黒かった。
いや。
黒いものが、山の斜面を流れていた。
蜘蛛。
蜘蛛。
蜘蛛。
蜘蛛。
蜘蛛。
地面を埋め尽くすほどの蜘蛛が、こちらへ向かって走ってきていた。
「…………」
私は、黙った。
華菜も黙った。
直哉も黙った。
リンクも黙った。
蜘蛛の波は、どんどん近づいてくる。
ざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざ。
無数の脚が土を叩く音。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
「うさぎ」
リンクが静かに言った。
「何?」
「それ、捨てろ」
「……街で売れなかったら捨てる」
「今捨てろおおおおおお!!」
リンクが叫んだ。
その瞬間、私達は走り出した。
「ぎゃああああああああああああ!!」
「だから言ったじゃん! やばいって言ったじゃん!」
「華菜も止めきれなかったから同罪!」
「何で私までえええ!」
「直哉! 何とかして!」
「罠を張る時間がねえ!」
「卵捨てろ!」
「ヤダ! 絶対に捨てない!」
私は卵を抱えたまま、全力で街へ走った。
門の前の人達が叫ぶ。
「来るなああああああ!」
「卵を捨てろおおおお!」
「馬鹿! そのまま街に入るな!」
「誰だあいつら!」
「門を閉めろ!」
「でも、あいつらがまだ外に!」
「閉めろ! 街が壊されるぞ!」
「何で卵持ってるんだよ!」
「馬鹿だからだ!」
誰が馬鹿だ。
私は家賃だ!
「うさぎ! 教会だ!」
リンクが叫んだ。
「教会!?」
「広い! 逃げ込むぞ!」
「分かった!」
私達は門を抜け、そのまま街の中央へ走った。
街の人達が道を開ける。
いや、違う。
避けている。
全力で避けている。
「来るな!」
「こっち来るな!」
「卵を捨ててこい!」
「誰か止めろ!」
止められるものなら止めてみろ。
家賃は止められない!
教会の扉が見えた。
大きな白い建物。
高い屋根。
鐘楼。
いかにも安全そう。
私は扉を蹴るようにして中へ飛び込んだ。
「卵買ってええええええええええ!!」
教会の中に、私の声が響いた。
正面にいたシスターが、こちらを振り返った。
優しそうな顔。
白い服。
胸元に光る十字架みたいな飾り。
そのシスターの視線が、私の腕の中の卵に落ちた。
一秒。
二秒。
三秒。
シスターの顔から、血の気が引いていく。
「ぎゃああああああああああああ!!」
聖職者とは思えない悲鳴だった。
「お前達、馬鹿かああああああああ!!」
シスターが叫んだ。
え。
シスターって、そんな口悪いの?
「買い取りは!?」
「するわけないでしょうがああああ!」
「神に仕える者なら、困っている人を助けてください!」
「馬鹿か! こっちが今困ってるわ!!」
ひどい。
その時だった。
外から、凄まじい破壊音が響いた。
ドガアアアアアン!
何かが壊れた。
続けて、バキバキバキッという音。
「入ってきた!」
誰かが外で叫んだ。
「蜘蛛が壁を越えたぞ!」
「屋根だ!」
「屋根から来る!」
「西通りが潰された!」
「店が! 俺の店があああ!」
私は、そっと教会の窓から外を見た。
蜘蛛がいた。
壁をのぼり、屋根を走る。
店の看板に張り付いていたり荷車をひっくり返し、街のあちこちで黒い塊がうごめく。
まるで、街そのものが蜘蛛に食われているみたいだった。
うわあ……。
キモッ……。
「……ねえ」
華菜が震える声で言った。
「これ、もしかして私達のせい?」
私は腕の中の卵を見る。
リンク、直哉、華菜を見た。
シスターは鬼のような顔でこちらを睨んでいた。
「……家賃のせいです」
「お前達のせいだああああああああ!!」
シスターの怒鳴り声が、教会に響いた。
その直後。
天井が、ミシリと鳴った。
全員が見上げる。
天井の隙間から、黒い脚が一本、ぬっと出てきた。
私は、静かに卵を抱え直した。
「リンク」
「何だ」
「教会って、安全じゃないね」
その三日後。
私達は、教会ではなく裁判所にいた。




