四十四話 口上
テントの中は、まだざわついていた。
灯りに照らされた賭場の中で、客達の顔がいくつもこちらを向いている。
笑っている人はいない。
怒っている人。
訝しげに見ている人。
腕を組んで、何も言わずに睨むように見ている人。
その全部が、私に向けられていた。
胸が、きゅっと縮む様な感覚がする。
でも、もう逃げない。
そう決めて、私は次郎さんの後ろに立っていた。
盆前に座っていた大朝さんが、ゆっくりと手をつく。
さっきまで場を回していた大朝さんの動きが変わる。
背筋を伸ばし、両手を畳につき、深く頭を下げる。
その瞬間、賭場のざわめきが少しだけ小さくなった。
「皆々様」
大朝さんの声が、張った。
「今宵は、かなり。御祝儀賭場へお越しいただき、誠にありがとうございやす」
いつもの軽い調子ではなかった。
腹の底から出るような、よく通る声だった。
「ただいままで、あっし大朝が盆前を預からせていただきやした。しかしながら、先程、うさぎお嬢の場におきまして、こちらの不手際により、不作法をお見せすることとなりやした」
大朝さんは、さらに深く頭を下げた。
「壺振りとして場に立つ前に、伝えるべき作法を伝えず、お嬢に恥をかかせたは、あっしらの落ち度にございやす。ここに、深くお詫び申し上げやす」
客達は黙っている。
でも、納得している空気ではない。
何か言いたそうな気配だけが、そこら中にある。
大朝さんは顔を上げた。
「されど、お嬢は逃げずに戻って参りやした」
私の心臓が跳ねる。
「作法を覚え、もう一度、場に立つと申されやした。ならば、あっしらはその覚悟に応えねばなりやせん」
大朝さんが、ゆっくりと次郎さんへ視線を向けた。
「叔父貴」
次郎さんが一歩前へ出た。
その姿を見ただけで、空気がさらに締まった気がした。
次郎さんは、客達を見渡す。
静かに。
しかし、目を逸らす者が少なくなるほど、強く。
「皆様方」
次郎さんが口を開いた。
「今宵、この場にて、改めてうさぎお嬢のお披露目をさせていただきやす」
ざわっ、と空気が揺れた。
「お披露目だぁ?」
「さっき失敗したばかりじゃねえか」
「御祝儀賭場だからって、遊びが過ぎるんじゃねえのか」
あちこちから声が上がる。
胸が痛くなる。
でも、私は俯かなかった。
怒っているのは分かる。
不満なのも分かる。
私が客だったら、同じように思ったかもしれない。
それでも、ここに戻ってきた。
次郎さんは客達の声を遮らなかった。
全部聞いてから、静かに頭を下げた。
「お怒りはごもっともでございやす」
声は穏やかだった。
「ですが、賭場ってぇのは、ただ金を張る場所じゃありやせん。場の熱を買い、壺振りの所作を見て、勝ち負けの間に身を置く場所でさ」
次郎さんは、少しだけ横へ退いた。
その後ろにいた私が、客達の前に出る形になる。
「今宵、お嬢は壺を振りやす。ただし、先程とは違う」
次郎さんの目が、私へ向いた。
「うさぎお嬢」
「はい」
私は一歩前へ出た。
足が震えそうになる。
けれど、止まらない。
大朝さんが座っていた盆前へ歩く。
大朝さんは、すっと身を引いた。
その動きは自然で、まるで最初から私の席だったみたいだった。
私は盆前に座る。
視線が集まる。
全員が私を見る。
息を吸って吐くと、手をついた。
「先程は、不作法をお見せしました」
声が少し震えた。
けれど、その震えも隠さなかった。
「知らなかったでは済まされない場所だと、教えていただきました。だから、もう一度、ここに座らせてください」
顔を上げると客達の顔が見えた。
怖い。
でも、不思議と逃げたいとは思わなかった。
「今宵は、さんピンで場を開かせていただきます」
その言葉に、客達の間で別のざわめきが広がった。
「さんピン?」
「丁半じゃねえのか?」
「何だ、目先を変えるつもりか」
大朝さんが、私の横で手をついた。
「へい。今宵のうさぎお嬢のお披露目は、さんピンにて仕切らせていただきやす」
大朝さんの声が、再び場に通る。
「壺を振るは、お嬢。場を預かるも、お嬢。あっし大朝は、脇に下がり、お嬢の補佐を務めやす」
若い衆達が、一斉に動き出した。
大朝さんの後ろに控えていた若い衆が、木の箱を抱えて客席の間へ散っていく。
箱の中には、さんピン用の小さなボードが何枚も重ねられていた。
薄い板で作られたそれには、賽の目と張り所が分かるように記されている。
初めて見る客でも迷わないように、線が引かれ、札を置く場所が区切られていた。
「お手元へ回しやす」
「さんピン用の板でございやす」
「張り所は板の上へ。分からねえ方は、近くの若い衆へ聞いてくだせえ」
若い衆達が、客一人一人にボードを配っていく。
受け取った客達は、まだ不満そうだった。
板を乱暴に膝へ置く人もいた。
隣の客と顔を見合わせる人もいた。
口元を歪めて、面白くなさそうに私を見る人もいた。
それでも、誰も帰らなかった。
ボードが配られていく音。
客達の低い声。
賽筒の冷たい重み。
私は膝の上で、そっと指を揃えた。
もう、さっきの私じゃない。
ここから始める。
うさぎという壺振りの、お披露目を。




