四十五話 壺振りうさぎ何見て跳ねる
さんピン。
三つの賽を使う博打。
客は、先に賭場の受付でお金を木札に替える。
その木札を、目の前に配られたボードの上へ置く。
木札は色で値段が違うらしい。
白は小さく、赤は少し大きく、黒はかなり大きい。
お金そのものをその場で出すより、見た目にも分かりやすいし、場の流れも止まらない。
賭場では、現金をそのまま盆前に出さない。
木札に替え、張り、終わればまた金に戻す。
それだけでも、ここがただの遊び場じゃないのだと分かる。
私の前には、白い布を張った盆茣蓙がある。
さっきまでは、ただ座る場所だと思っていた。
でも、違う。
ここは場の中心。
壺振りが壺を伏せ、客が木札を張り、勝ち負けが決まる場所。
そこへ不用意に手を置いてはいけない。
壺を持つ前に、乱れた袖を直す。
指を揃える。
背筋を伸ばす。
賽筒を取る時も、客へ背を向けない。
賽を見せる時は、急がず、隠さず、全員に見せる。
作法。
ただの形じゃない。
疑われないため。
場を荒らさないため。
客の金を預かるため。
そして、壺振りが場の顔であるため。
私の横には、大朝さんが座っている。
大朝さんは、私の補佐。
中盆の役目だと聞いた。
壺を振るのは私。
でも、場を進める声は大朝さん。
客へ張らせる。
張りを締める。
勝負を告げる。
壺を開ける間を作る。
全部を一人でやるんじゃない。
賭場には賭場の役割がある。
そのことを、私はようやく知った。
私の前にあるさんピン用のボードには、張り所が書かれていた。
数当て。
三つの賽の合計数を、ぴったり当てる。
当たれば八倍。
例えば、合計が十一になると思えば、十一の場所へ木札を置く。
十二になると思えば、十二へ置く。
ぴったり当てないといけないから難しい。
でも、その分、当たれば大きい。
[下目]
合計が三、四、五、六。
[中下目]
合計が七、八、九、十。
[中上目]
合計が十一、十二、十三、十四。
[上目]
合計が十五、十六、十七。
[天目]
合計が十八。
下目から上目までは、二倍。
天目は、四倍。六のゾロ目を無効に出来る。
三のゾロ目が出て、中下目に張ってた場合、親は、張った額プラス、中下目の二倍の額も払わなくてはならない。
それから、ゾロ目。
三つの賽が同じ目で揃うこと。
二のゾロ目。
四のゾロ目。
五のゾロ目。
そこを当てれば五倍。
ただし、三と六のゾロ目は特別だった。
三、三、三。
これは、客の総取り、場に張った額を親が払わなければならない。
そして、六のゾロ目。
六、六、六。
これは親の総取り。
一つだけ夢みたいな目がある。
一、一、一。
ピンゾロ。
この場では、さんピンと呼ぶらしい。
これを当てれば、三十倍。
そんなもの、普通は当たらない。
当たらないからこそ、客は張る。
もしかしたら、今この一瞬だけは自分が勝つかもしれない。
そんな気持ちで、木札を置く。
何て夢があるんだ。
私だったら全額突っ込む……と思う。
でも、少し分かった気もする。
勝つか負けるかだけじゃない。
場の空気に飲まれる。
賽の音に息を合わせる。
自分の置いた木札が、ただの木じゃなくなる。
願いみたいになる。
そして、その願いを揺らすのが、壺振り。
私。
ボードが客達へ配られていく。
若い衆の人達が、客の間を素早く回っていた。
「さんピン用の板でございやす」
「張り所は板の上へ」
「木札は受付で替えてくだせえ」
「色で値が違いやす。分からねえ方は、こちらへ」
客達はまだ不満そうだった。
でも、ボードを受け取る手は止まらない。
木札を指で弾く音が、あちこちから聞こえる。
白い木札。
赤い木札。
黒い木札。
それらが、ボードの上へ置かれていく。
下目・中下目。
中上目・上目。
天目。
数当て。
ゾロ目。
そして、ピンゾロ。
一、一、一の場所に置かれた木札は少ない。
でも、そこに置いた人の目は違っていた。
当たると思っているわけじゃない。
当たったら面白いと思っている目だった。
大朝さんが、私の横で膝を整えた。
さっきまで盆前に座っていた人。
場を回していた人。
その大朝さんが、今は私の横で控えている。
胸が少しだけ苦しくなる。
でも、逃げない。
次郎さんは少し離れた場所で、静かに見ていた。
岩間さんは客席の端から、私の姿を確かめるように見ている。
華菜は、心配そうにしながらも笑ってくれていた。
イツキは、何も言わずに私を見ている。
その目があるだけで、不思議と背中が伸びた。
私は、膝の上で指を揃えた。
急がない。
焦らない。
場の時間は、私が決める。
そう教わった。
でも、時間を止めすぎてもいけない。
客を待たせすぎれば、場がだれる。
急ぎすぎれば、場が荒れる。
その間を作るのが、壺振り。
客達はまだ、私を疑っている。
さっき失敗した小娘が、本当に壺を振れるのか。
そんな目で見ている。
でも、それでいい。
疑っているなら、見せればいい。
怖いなら、怖いまま見せればいい。
その時、大朝さんの声が、テントいっぱいに響いた。
「さあ、張った、張った!」
客達の視線が、一斉にボードへ落ちる。
「下目、中下目、中上目、上目、天目! 数で張るもよし、ゾロ目に夢を見るもよし! ピンゾロ狙うなら今宵が花でございやす!」
木札の音が増える。
かたん。
からん。
ぱちん。
白が置かれる。
赤が重なる。
黒が、少し迷ってから置かれる。
「張った、張った! もうございやせんか!」
大朝さんの声に、場の熱が上がる。
私は、ゆっくりと両手を前についた。
畳に指先が触れる。
背筋を伸ばし、深く頭を下げる。
「改めまして、うさぎお嬢にございやす」
大朝さんの声が、静かに落ちた。
「先程は不作法をお見せし、申し訳ございませんでした。今宵、さんピンにて場を預からせていただきます。何卒、お見届けください」
頭を上げる。
ざわめきは、まだ残っていた。
けれど、ほんの少しだけ小さくなっている。
大朝さんが、私へ小さく頷いた。
「お嬢。壺を」
私は賽筒へ手を伸ばした。
まず、賽筒を持ち上げる。
手首を無駄に動かさない。
指を広げすぎない。
筒の口を、客達へ向ける。
中を見せる。
細工はない。
近くにいた客が、身を乗り出した。
その目を避けずに、私は筒をゆっくりと左右へ向ける。
右の客へ。
左の客へ。
奥の客へ。
全員に見せるように。
誰も急かさなかった。
さっきなら、きっと何か言われていた。
早くしろ。
もったいぶるな。
そんな声が飛んできてもおかしくなかった。
でも、今は違った。
客達は、私の手元を見ていた。
怒っていた人まで、黙っていた。
賽筒を盆茣蓙の端へ戻す。
置く時も音を立てない。
乱暴に置けば、それだけで場が乱れる。
次に、三つの賽を手に取った。
一つ。
二つ。
三つ。
私はそれを、左の手のひらへ乗せる。
白い賽が、灯りを受けて小さく光った。
手のひらを、客達へ向ける。
賽にも細工はない。
指先が少し震えている。
私は手のひらを開いたまま、少しだけ間を置いた。
その間が、思っていたより長く感じる。
でも、不思議と怖くなかった。
客達の目が、賽から私の指先へ移る。
指先から、手首へ。
手首から、袖口へ。
そして、私の顔へ。
見られている。
けれど、笑われてはいない。
私は、賽を一つずつ壺へ入れた。
からん。
一つ目の音。
からん。
二つ目の音。
からん。
三つ目の音。
壺の中で、賽が静かに収まる。
私はすぐには振らなかった。
壺を両手で持つ。
指の位置を整える。
親指を添え、残りの指で包む。
力を入れすぎない。
けれど、緩めすぎない。
壺を持つ姿勢だけで、場の空気が少し変わった。
さっきまで木札を弄っていた客の手が止まる。
隣と話していた客が、口を閉じる。
腕を組んで不満そうにしていた男が、少しだけ身を乗り出す。
誰かが、小さく息を呑んだ。
私は、まだ振らない。
大朝さんの声を待つ。
それが作法だった。
壺振りが勝手に始めてはいけない。
場を預かる者の声を受けてから、壺を動かす。
大朝さんが、客達を見渡した。
「張り残しはございやせんか」
低い声だった。
「今一度、申します。張り残しはございやせんか」
客達が慌てて木札を置き足す。
白が一枚。
赤が二枚。
黒が一枚、迷うように数当ての十二へ置かれた。
大朝さんはそれを見届けると、右手を軽く上げた。
「張り止め」
その一言で、木札の音が止まった。
若い衆達も、すっと下がる。
大朝さんが、私へ向いた。
「壺振り」
その号令を聞いて、私は壺を持ち上げた。
からん。
賽が転がる。
強く振らない。
派手に鳴らさない。
音を追わない。
音に、場を寄せる。
からん。
からん。
壺の中で鳴る賽の音が、テントの奥まで届いていく。
大朝さんの声も、若い衆の足音も、客達のざわめきも、少しずつ遠くなっていく気がした。
今、この場にあるのは、壺の音だけ。
客達の目が、そこに吸い寄せられていた。
さっき怒鳴った客も、もう何も言わない。
口を半分開けたまま、私の壺を見ている。
別の客は、膝の上の木札を握りしめていた。
張った場所を確認することも忘れて、ただ私の動きを追っている。
女の人が、隣の人に何か言いかけて、途中で黙った。
そのまま、目だけで私を追っている。
灯りに照らされた壺。
袖から見える手首。
揺れない肩。
伏せた目。
髪の間から見える、うさ耳。
自分で自分がどう見えているのかは分からない。
でも、客達が黙っていくのは分かった。
不満が消えたわけじゃない。
疑いがなくなったわけでもない。
けれど、今だけは。
皆、見ていた。
私が壺を振る姿を。
私は、最後に一度だけ小さく壺を振った。
からん。
その音が、まるで合図みたいに落ちる。
ゆっくりと壺を伏せる。
盆茣蓙に触れる寸前で、少しだけ止める。
音を殺すように、静かに置く。
場が、完全に静まった。
私は、壺からすぐに手を離さない。
勝手に開けてもいけない。
自分で急いでもいけない。
壺は伏せたまま。
指先は添えたまま。
目を伏せ、待つ。
これも作法。
勝負を告げるのは、大朝さんだ。
大朝さんが、客達へ目を配る。
張り所。
木札の量。
客の手。
不正がないか。
足りないものがないか。
その全てを確かめてから、大朝さんは声を張った。
「勝負」
その一言で、客達がようやく息をした。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……綺麗だな」
すぐに別の誰かが、小さく頷いた。
「おい、さっきの娘かよ……」
木札の音が止まっている。
誰も、すぐには結果を急かさない。
皆が、壺を見ていた。
そして、その壺に添えられた私の手を見ていた。
私はゆっくりと息を吸って吐いた。
ホッとした。
認めて貰えた気がしていた。
ゆっくりと、壺を横に倒した。
賽の目は、一、二、三。
「出目は、一二三。下目の六!」
大朝さんの声が響く。
「よっしゃー」
客の数人が声を張り上げた。
後に下がっていた若い衆が「おめでとうございます」と声を掛けて、張った倍率の木札を渡していく。
私は、後ろ手で次郎さんに合図をした。
(今日の賭場はいくらまで負けていい?)
と、次郎さんは、横目でチラッと見た。
大朝さんも気がついている様だった。
次郎さんは、床に手を広げて置くと、その次に三本の指をついた。
つまり、八百万ペニーまでの負けを考えている様だった。
この八百万ペニーは、さしずめ先行投資という事だろう。
少し頷くと、大朝さんが声を上げる。
「さあ! 張った! 張った!」
この日を境に、うさぎの才能が花開く。
各国、各地の裏社会、裏家業、特に博徒の間でうさぎの名が知れ渡っていく事となる。
この世界を作り上げたイナも予想していなかった事であった。
そのイナは、うさぎが壺を振っている時、かなり。の町を離れていた。




